名無しの龍は愛されたい。

だいきち

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シュマギナール皇国編

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「や!」
「だめだ。」
「やだぁ!える、やー!」
「だめだってんだろ。」

眉間にしわを寄せたエルマーが、珍しくナナシを牽制する。金色のお目目に涙を沢山溜めながら、ナナシもまた普段は見せないような駄々を捏ねてエルマーを困らせる。

「ひう、ぅー‥っ、…」

聞き分けの悪い子供のように、ナナシがこうして不服を申し立てるのには理由があった。それは、依頼をこなす為に宿を出ようとするエルマーから、ついてくるなと言われた為だ。
いつだって、どんなときでも傍に居たい。離れたくないのだ。だからこそ、ナナシは置いていかないでと大泣きをして、エルマーの服を掴んで離さない。
そんなナナシの寂しさを、理解していないわけではない。エルマーだって泣かれると居た堪れないのだ。
それでも、頑なに駄目だというのは、ナナシの体が病み上がりだからに他ならない。
傷は治したが深かったこともあり、まだ微熱は続いていたのだ。
依頼は本日の夜、幽鬼だって出るかもしれないのに、ナナシを連れてまた怪我をさせたらと思うと、エルマーはそれがなによりも怖かった。

「泣いてもだめだ。風邪ッ引きなんだから待ってろよ。」
「ひとり、や…っ、」
「サジ置いとくからよ。」
「サジも留守番か!?えー!つまらん!不服だ!」
「つまらんくねえ、ナナシのこと頼むわ」
「いやぁ、ううぅっ…」

ついにぼろりと大粒の涙を零すと、首を振りながら目元を拭う。小さな手で下手くそに顔を押さえるのを見て、思わず抱きしめそうになる腕を堪えた。我慢をしなくてはいけないときもあるのだ。
ナナシが、くちゅんっと可愛いくしゃみをする。ぐしぐしと鼻を擦る様子を見る限り、泣いたせいで熱が上がったようだった。
サジが呆れ気味にその様子を見つめると、ナナシの髪をよけ、額に冷やした布を当ててやる。意外なことに、エルマーが思っている以上にサジの面倒見がよく、助かっていた。エルマーが一人だったらこうはいかなかった。
 
「帰ってくるよ、なにびびってんの。」
「うぅ、っ…」

ベットに腰掛けると、ナナシの濡れた目元を親指で拭う。金色のお目目を溶かして見つめる姿が可哀想で可愛い。ついには、小さな両手で服の裾を握られた。置いていかないでと縋る様子が痛い。
エルマーは、ナナシのそんな健気な様子を見つめ、少しだけ逡巡した。必ず戻ってくるという理由を与えてやらなくては、ナナシの不安は解けないだろうと思ったのだ。
エルマーは迷った。しかし、まあいいかと左目に手を突っ込むと、ナナシとサジの目の前で、左目に嵌っている義眼をカポリと外した。

「じゃあ、これ取りに戻ってくるから、持ってろ。」
「えぅ、っ…」
「ぶはっ義眼はずしたのか!あっはっは!!じつにナナシは愛されている!!」
「うるっせぇ。これがなきゃ俺だって困るんだよ。だけどこうするしかねーだろ。」

サジの爆笑に睨みをきかせると、ナナシのちいさな手のひらにコロンとそれを置いた。

元々無いところに嵌めていたものなので、今更無くして困る…困るけれども、預ける分には問題はない。ただ、なんとなく体のバランスが取りづらくなるだけなのだ。
エルマーは久しぶりにインべントリから眼帯を取り出す。左目を覆うように顔へ巻き付けようとすると、涙目のナナシが頬を膨らませ、手のひらをズイッと差し出してきた。

「そぇも。」
「……………。」
「ぶはっ、んぐっ、くっく、」
「えるまー。」
「…まじかよ。」

引きつり笑みを浮かべたまま、眼帯もそっとナナシの手のひらの上に落とす。己の小さな大切は結構容赦がない。サジは我慢出来なかったのか笑いを堪えているつもりらしいが、結局は漏れている。

ナナシは、実にエルマーのことをよく見ていた。眼帯もなければ、左目の眼窩を剥き出しのまま仕事をし続けることはないだろう。もしそれが可能なら、エルマーは最初から眼帯をしていたはずだと。そのナナシの読みは実際に大当たりで、義眼を外すと結構な割合で悲鳴を上げられるのだ。

以前、目にゴミが入ったとかで、討伐中に義眼を外したことがあった。商隊護衛の最中であった為、それを目撃した依頼者からは大いに気持ち悪がられた。
眼帯をすれば変に目立つし、目立つと名前を覚えられるだろうから、それはそれで面倒臭いのだ。
エルマーは惚れた弱みか、目を潤ませたままむくれるナナシを前に、ぐぬ…と渋顔をしながら、人質、もとい、己の眼帯までもを奪われ、無い方の左目にも諦めを宿しながら溜息を吐いた。

こうなればもう、さっさと終わらせて帰ってくるしかない。
エルマーは、ナナシの涙目でぶすくれている可愛い顔を片目で見つめると、あやすように頬に触れる。
怖がるかな、と思ったのだ。

「……う。」
「おやまあ。」

サジまでくすりと笑う。怖がるどころか、片目のエルマーにまっすぐ見つめられたナナシは、熱だけじゃない理由で頬を染めると、ゆるゆると目を逸らした。照れたのだ。

「ナナシは面食いだなあ。まあ、サジもエルマーの面がお気に入りだが。」
「お前ら二人して目がおかしいんじゃねえの。」
「今のエルマーにそれを言われてもなあ。」
「………。」

たしかに。
ボリボリと頭を掻くと、髪の毛で左目を隠すようにして横に流した。
本人はいつも毛が邪魔だと一つに纏めて結っていることのが多い。髪紐を外して髪を下ろすだけで、雰囲気がガラリと変わる。
きつい印象だが、造形の整った美しい顔立ちが、気だるそうな色気のある雰囲気に変わるのだ。
サジはニンマリと笑うと、首にぎゅうとしがみついてぶちゅりと唇を奪う。

「んっ、やはりサジは下ろしているエルマーの方が好きだ。」
「ぶはっ、雑なキスすんじゃねえ!前歯当たっただろうが!」

ナナシもうずうずしながらエルマーを見上げる。
いつもとちがう、かっこいい。ナナシもサジのようにゆうきがあれば、キスをしてもらえるのだろうか。
そんなことを考えて、少しだけそわりとする。
膝を抱えたまま、むにむにと口を動かし迷っていたナナシは、涙目のままジィっと見つめた。

「おや、おねだりかナナシ。うふふ、サジがキスしてやろうか。」
「うー‥」

サジの細い指がそっとナナシの頬を撫でる。サジと口付けをしたことはなかった。してくれるのかなあと顔をあげると、サジは面白そうにくふりと笑う。そのまろい頬を包むように手を添えると、優しく唇に吸い付いた。

「んふ、よいよい。ガキはそうでなくてはなあ。」
「あー‥、ついに、」
「んぅ、」

ちゅっと音を立ててサジが唇を離すと、何故かエルマーががくりと頭を落とす。心境的には、ついにナナシもサジに食われてしまったという落ち込みと、するなら先にしとけばよかったというエルマーの我儘である。

そんなことは知らないナナシはというと、キスを嫌がられない位には嫌われていないとわかったのか、少しだけ嬉しく思っていた。

「…えるも」
「……する。」

きゅっ、と勇気を出してエルマーの袖を握る。まさかナナシからお強請りをしてくれるとは思わず、エルマーは数秒程悩んで即答した。
そっと後頭部を引き寄せると、薄い唇に吸い付く。
はむ、と遊ぶように上唇を挟んで舐めると、ひくんと肩を揺らしたナナシが薄く唇を開いた。

「ぅ、っ…んむ、ふ…」
「ん、」

ぬるりと舌を入れると、薄い舌はびっくりしたのか奥に縮こまる。それを掬い上げるかのように舐めあげて吸い付くと、その頭を支えるようにして、柔らかな髪に指先を差し込んだ。

「え、ぅ…っ、ん、んふ…っ!」

歯列をなぞり、上顎を舐める。言葉にせずとも、エルマーの舌はわかりやすく仄かに欲を孕んでいた。顔の角度を変えながらのキスは心地よく、エルマーは己の腹に欲が貯まるのを感じ始めていた。

「あいてっ」
「っふぁ、…」

サジに頭を叩かれてハッとして唇を離すと、力の抜けたナナシが、己の腕の中に身を任せる。思わず抱き止めると、肩口にナナシの熱い吐息が当たった。

「うむ、やりすぎだバカ。」
「ああ、あー‥」

ナナシは腰が抜けてしまったらしい。エルマーはなんとも言えない顔をしながら、己の糸のように脆い理性に呆れた。そのまま、大人しくなってしまったナナシの体をベットに横たえさせる。
ナナシはというと、大人な口付けに驚いたらしい。心臓をとくとくと跳ねさせながら、甘やかな余韻に浸る。ふわふわとする微睡の中のような覚束ない思考のまま、ただ大人しくエルマーの間抜けな声を聞いていた。

ナナシの大好きな大きな手が、頭を撫でてくれる。戻ってくるよと約束の証が、己の手の中にあるのだ。ナナシはもう一人はいやだと駄々を捏ねるのをやめた。
不器用なエルマーの無骨な手が、名残惜しそうに髪を梳かすように撫でるから、ナナシは離れたくないけど、頑張ることにしたのだ。
ただ、小さな声で一言呟いてしまったけれど。

「える、さびしい…」

こうして、自分の思いを言葉にして相手に伝える。この当たり前を許してくれたのはエルマーの優しさだ。
まだ少し泣きそうだけれど、ナナシはもう言いたいことは言えたからと大人しく布団にくるまる。

エルマーは、ナナシの心情の吐露にその瞳を優しく細めると、こんもりとした布団の山に隠れたナナシをギュッと抱きしめた。
僅かに見える後頭部に口付けをひとつ、ぽんぽんと山のてっぺんを撫でてやると、満足して立ち上がりドアに向かう。

「すぐ帰る。ナナシは頼んだ。」
「致し方なし。」

呆れたようなサジの溜め息混じりの声が聞こえた。サジもエルマーも、ナナシに優しくしてくれる。だから甘えてしまうのだ。
ドアが軋んで、エルマーの気配が遠のく。ナナシは布団の中で丸まったまま、傷痕が残った腕に触れると、その小さな手のひらでその痕をなぞる。

この傷痕の先は、エルマーに繋がっているのだ。消えない傷だ、一生残るだろう。
胸元に義眼と眼帯を抱き込んで、もらったネックレスをそっと握りしめる。エルマーに痛いことがありませんように。きちんと帰ってこれますように。

熱はまだ下がりそうもない。体はだるくて辛いけど、こうして自分が誰かのために祈ることが出来るというのは、想像もしなかった。
ナナシは今、一人じゃないのだ。








やばかったな。

口付けの感触を思い出すかのように、エルマーは自身の唇をなぞった。
あの濡れて熱くなった薄い舌を思い出すだけで、腹の中側に熱が溜まる。
夜風がこんなにも冷たいというのに、その熱はなかなかに冷めそうにない。

「あー、」

片手に、普段あまり使うことのない大鎌を握りしめる。エルマーの持っている武器のなかで一番丈夫で、多くの血を吸ってきたそれは、早くことを終わらしたい時にしか使わないもので、恐らくこれはサジも知らない。
夜の空は深く暗い。分厚い雲が月明かりを僅かに遮る。
木々がざわめいた。辺りの空気が変わったのだ。エルマーはゆっくりと大鎌を持ち直すと、その大きな気配の先に視線を滑らせた。

ずしん、と、まるで地べたを埋め尽くす木々の影から、その身を引き摺り出すようにして現れたそれは、報告書通り確かにでかかった。 
身体は人間の幼児のようにふくふくとしており、四つん這いに這って蠢く。肩と思われるところから伸びる首は、馬の首のように靭やかで長いが、頭部が無い。
鬣のような長い毛を、蓑のようにその背に纏いながら、筋肉だけは発達しているのだろう、這い寄る姿は異形なれど、人間の子供のような無邪気さを醸す。短い手足を動かすたびに、その毛並みが艷やかに流れる。

地面を揺らしながら、その魔物がゆっくりと這い寄る。ない首を地面につけて探すような動きをし、輪切りにされたような断面から、ボタボタと黒い血を溢している。

「なんだか、混じってんな。」

大鎌を担ぎながらその金眼を細めて睨みつける。まるで何か咎を犯したものの末路に見えるそれは、何にでも興味をもつ子供のような無垢な動きでエルマーにゆっくりと近付く。
急所は普通、頭だろう。

「首無し、お前の頭はどこにある。」

声に反応した化け物が、エルマーの方にその首の断面を向ける。

「聞こえてんだなあ。うーん、てことはあるな。」

とん、と軽い音を立てて木立から飛び降りる。自由落下に身を任せて正面に降り立つと、エルマーは呑気に武器を肩に担いで駆け足で向かって行く。
近くで見るとますますでかい。長い首が追いかけるように断面を動かすが、懐に入り込むと流石に首は曲がらなかったようで、首を傾げるようにゆらゆらと動かした。
大きな魔物の足元まで駆けると、踏み潰されないようにうまく避けながら、エルマーは魔物の真下。首の根元が見上げられる場所に入り込んだ。

「お、みっけ。」

丁度真上にそれはあった。頭が無いのではない、首の根本。恐らく人で言うと喉仏の部分にそれはあった。
人面瘡のように浮かび上がったようなそれは、パカリと間抜けに口を開いてエルマーを見下ろす。
表情のないその顔は、まるで黒く塗りつぶしたかのような眼窩があり、そこには目玉も何も入っていない。

大鎌を握り直すと、エルマーの手の中で答えるようにチャキリと鳴いた。
水平になる様に大鎌を持つ。身体強化を使ったエルマーの体を、薄い魔力の膜が包んだ。
魔物がゆっくりと一歩を踏み出そうとするが、その意思とは裏腹に身体は木をなぎ倒して横たわった。

ズシン…と地響の音とともに、何が起こったのかと確認するようにその首を擡げる。なんてことはない。ただエルマーが四肢を切り下ろしただけだった。

「おー、血もでねぇんだ。なんだこりゃ。変な体してんなあ」

ざりざりと鎌を引き摺りながら、首の根元近くに歩み寄る。あの一振りだけで四肢を切断する腕力と、体をひねる速度は人間離れをしていた。
魔物の首の裏側にある顔の部分に近づくと、その顔はエルマーの体ほどある大きさであった。それが、まるで何かを伝えようとするようにはくはくと口を動かす。

「討伐部位、つったってなあ。」

こんなでかいもんをインべントリに入れるのも一苦労だ。特に感慨もなく、そのまま顔がついている首を切り取ると、びくびくと巨体を痙攣させて動かなくなった。

首の断面を覗き込むと、そこには巨体とは裏腹にやけにスカスカだ。骨と、申し訳程度の筋肉、神経だろう細い糸状の束は骨に絡みついてはいるが、体の中にそのまま入れそうなくらい中身がない。

エルマーは、一先ず切り下ろした首を頭の部分だけを残して体を削ぐと、その顔を切り分けてインべントリに無理やり突っ込んだ。

月明かりを浴びて黒くほろほろと崩れていく体から出てきたのは、拳ほどの大きさの真っ黒な石。
エルマーはその魔石へと雑に聖水をかけると、ツルンとした乳白色の色に変わった。

「あ?」

アンデッドなら紫の石が出るはずなのだ。何故こんな不思議な色の石が出てくるのかがわからない。エルマーはそれを拾いあげると、疑問に思いながらも一先ず達成した依頼の証明として、それもインべントリにしまい込んだ。

とりあえずは終わらせた。後はそれを持って孤児院に行くだけだ。なんだか妙な点が気にかかるが、エルマーは懐に収めた手紙を確認すると、そのまま当初の目的を果たす為にその場を後にする。
さっさと終わらせないとまた泣くかもしれない。
置いてきたナナシのことを考えると、エルマーが先を急ぐのは至極当然のことだった。



    
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