名無しの龍は愛されたい。

だいきち

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始まりの大地編

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ふかりとした土が優しく靴底を包み込む。余計な装備は要らないと、インべントリはナナシに預けてきた。
互いの体温を確かめあった翌日、エルマーはナナシを抱き締めてお願いをした。
きっと一緒にいると守れないから、サジと共に城へ残るようにと。
それを聞いたナナシは目を見開いて、はくりと唇を震わせた。それでも、自分がいるとエルマーが力を奮えないとわかっていたのだろう。たくさんたくさん涙を溜めた目で、震える唇をきゅむりと閉じて嗚咽を我慢し、無言でコクリと頷いた。

「帰りてえ。」

何年ぶりだろう。再びこの大地に足を踏み入れたのは。
辺境伯の息子、マルクスの指名依頼として受けたのは、領土奪還の為の進軍のサポートと、蔓延る魔物の露払いだった。

「俺は魔物の露払いしか受付しねえ。」
「構わない…境界を渡ってから攻撃を仕掛ける。エルマー、君は進軍が無事に済むように護衛を頼む。」
「俺一人しかいねえとか言うなよ?」
「ああ、それは大丈夫だ。魔女にもお願いをしているから。」

マルクスの言葉に、エルマーは眉を顰めた。魔女がそう簡単に戦に参加するのかという疑問と、呪いの土での一件であまり信用もしていない為だ。
ジルバもグレイシスと共にこの地に居るようだが、この事を知っているのだろうか。

「仕方ねえ、皇軍と合流すんぞ。あそこにはジルバがいる。動ける手数は増やしといたほうがいい。」
「ああ、それなんだけど、今回は二手に分かれると言っていた。」
「…二手?」

マルクスはぽりぽりと頬を掻きながら、なんの気無しに宣う。なんでも、進軍と同時にこの土地を調査するということで、教会のお歴々の方々も来ているらしいと言った。
危機感もさして抱いていない様子から、蚊帳の外と思っているらしい。エルマーはあまりに馬鹿な話に笑いすら出なかった。

「おいおい待てよ、もしかしてそいつらも守れってか…?んなの無理過ぎるだろ…」
「ああ、でも国として広げる領土の調査は必要だからと、王が許可した。」

普通なら勝ち取ってから調査をするだろう、しかし境界まで進軍するなら、その内側にある未開の廃れた遺跡や、教会跡などは露払いをした後だから安全だろうと判断したらしい。エルマーたちに肉の盾になれと言っているようなものだ。
川を渡るのはエルマー達だが、そこも勝ち進んだら渡る手伝いもしなくてはいけないと言う。あまりに無謀な計画に、エルマーは呆れて何も言えなかった。

「王は来んのか。」
「来ない。かわりにダラス様が随行することになった。でも大丈夫、彼はグレイシス様の軍だから。」
「………。」

ちらりと後ろを振り向く。辺境伯が所有する私設軍は、確かに屈強な男たちで構成されていた。しかしまともに戦に参加したこともないのだろう、実戦は初めてと言った顔で興奮冷めやらぬという雰囲気だ。
先走る馬鹿は早死する。露払いだけで終わるわけがなかった。

「先に言っておく。俺はお前らを助けねえ。あくまで魔物の露払いだ。それしか依頼を受けてねえし、それが進軍のサポートだと理解してるからだ。」
「ま、待ってよエルマー!確かに僕はそう書いたけど、君は父上に恩があるとも聞いた。まさか恩を仇で返すことはしないよね?」

マルクスは慌てて取り縋った。あわよくば、という気持ちがエルマーにバレていたことに焦ったのだ。
私設軍の兵士は多く見ても三十名いるかどうか。マルクが死んだ後、辞めた者も多いと後から聞いたのだ。貧乏籤を引いたと言っても過言ではない。

「いいか、俺は早く帰りたい。仕事はする。てめえの尻はてめえで拭え。そういうこった。」

エルマーは吐き捨てるように宣うと、マルクスの腕を振り払う。呪われた大地と言われたこの場所は、なぜか始まりの大地とも呼ばれているのだ。おそらくその謎も含めて調査するのだろう。それに地図を見る限り、グレイシス側のスタート地点のほうが魔素が強いのだ。

「露払いしてくらあ、てめえ等好きに進みな。」
「ちょっと、ま」

マルクスの言葉をみなまで聞かず、すでに強化をしていた脚で一息に飛び出した。人の話を聞かないというのはエルマーの専売特許なので、後ろで文句を言われようともどこ吹く風である。

腰に巻いていた小型のインべントリから、屑の空魔石を取り出した。それに無属性の魔力を込めると、進みながらばら撒いていく。
エルマーが単独で魔物を撃破する際によく使う手法で、魔力に反応して飛び出してきた小型の魔物がそれを踏んだ瞬間に破裂するという代物だ。

「いくらでも踏んでくれぇ。手間が省けらあ。」

純粋な魔力に、魔物の魔素が干渉すると反発し合うように弄った。サジが種に魔力を纏わせると言った時から、これは使えると思って改良した簡易的な地雷のようなもの。小型の魔物なら一発だが、中型、大型に関しては致命傷にもならない。
しかし露払いだ。境界までは有効である。

鎌を使って大振りに薙ぐ。
エルマーが道を作った証としてわかりやすくその周辺を刈り取ったのだ。

「まったく。こっちは引率係じゃあねえってのに。」

ぶすくれながらも足取りは軽い。早く終わらせてナナシの元に行きたいのだ。
カチャリと音を立てて柄を握りしめる。飛び出してきた首のない魔獣を両断すると、ぽいっと狼煙をあげた。

道が開けたら狼煙を上げる。境界まではこれが合図である。
このまま上手く行けば、二日で境界には着くだろう。エルマーは鎌を担ぐと、溜め息を吐いた。
独り言が多いのはいけない。なんだか歳を食った気になるからだ。
魔石の地雷をぽいぽいと撒きながら、歩む足取りはいつもよりも早かった。





「何故そのことをもっと早く言わぬ!!」
「申し訳ございませぬ、申し訳ございませぬ!」

グレイシスは土下座をして謝るダラスの護衛に鋭い鋒を向けた。いわく、管理をしていた祭殿の国宝が何者かに盗まれたということ。
国宝とは、この大地に降り立ったという龍の金眼と龍玉だ。このニつを国宝として祀っていた祭殿が、何者かに襲撃をされたという。管理をしていたダラスも襲われており、大きな怪我こそなかったものの、ショックを受けていた。

「言ったろうグレイシス、天秤にかけると」

クスクス笑うジルバの声が、何処からか聞こえた。
グレイシスの足元から影が伸び、絡見合うようにして人を形作ると、人の腕がグレイシスの腰を抱き寄せた。

「ジルバ…」
「まあ、護衛が役割を真っ当しなかったのは手落ちだがなあ。」
「ひ、っ」

ジルバはモノクル越しの冷たい視線を投げかける。
サジよりも硬質な光を持つ灰の眼は、不祥事を起こした護衛の哀れな姿を捉えていた。

「ダラスは無事なのか。」
「ご心配には及びません。」

グレイシスの言葉に反応をしたのは、ダラス本人だった。
右腕を負傷したのか、布で吊るしながら姿を見せる。そのまろい頬にガーゼを張った姿で現れると、服が汚れるのも気にせずに地面に跪き頭を垂れた。

「この者だけの責任ではありません。罰を受けるのなら、どうか私にも。」
「だ、ダラス様…!」

美しい顔に泥がつくのではと思うほど、地面に顔を擦り付けるようにしてグレイシスの目の前で平伏する。ジルバはその姿を見て、ただ目を細めるだけだった。

「…挽回してみせよ。必ず奪った者を捕らえ、余の目前にその首を持ってこい。」
「で、ですがダラス様は…!」
「出来ぬというのか。ならば、何故そのような不始末を起こした。貴様が寝コケたりしていなければこのような事にはならなかったのだぞ!!」
「ひ、っ…!!」

振り上げたレイピアを、ジルバが止める。
グレイシスは睨みつけるようにジルバを見ると、ゆるゆると首を降った。

「今はそれどころではない。おそらく間者もこの戦に混じっているだろう。なあに、敵を全て倒せば自然と国宝は戻ってくるだろう。簡単なことじゃないか。」

クスクス笑いながら言うと、スッと目の前の木に指を向けた。パチンと指を弾くと、突然現れた巨大なボアの魔物が影に食われて絶命する。

「…仕方ない。必ず殺す。それでいいだろう。」

怜悧な瞳を細めて言う。グレイシスの腰を抱いたジルバが、愛おしそうにその蟀谷に口づけた。
ある日突然現れた謎の男は、グレイシスの弟と同じ色をしていた。
あの取り乱した姿を知っている為か、皆この恋人に弟を重ねているのだろうと思っていたのだ。

「グレイシス、お前はそれでいい。余計なものは、俺が跳ね除けよう。」
「励めよ。」
「無論、誰に物を言っている。」

嫣然と微笑むと、とぷんと音を立て、影となって消えた。グレイシスは地に伏せる二人に一瞥を送ると、マントを翻して自らが指揮する部隊の前に立った。

「いいか。これは失われた我らの領土を取り返すための聖戦である!決して我が国に足を踏み入れさすな!前に立つものはすべからく切り捨てよ!蔓延る魔物すら利用しろ。我らは叡智なるシュマギナールの国軍だ。誇りを捨てるな!」

掲げたレイピアが青く煌めく。
白い鎧を纏う第一騎士団の誇り高き騎士たちの熱い拳が天空に向かって掲げられた。
この進軍は、人間だけが敵ではない。けれども命を落とすなら、せめて敵軍を討って死ね。
グレイシスの目は先を見据えている。
望まぬ未来などと甘えたことを言うのは辞めた。
民が悲しまないように、この進軍は大々的に報じていない。だからこそ、ネズミ一匹国には入れてはならないのだ。

「二度は言わぬ、余の部隊で無駄死には許さない。」

グレイシスのその言葉に、呼応するかのように応と叫ぶ。その横顔は、正しく王族のそれだった。









偶に自分の間の悪さに辟易することがある。
エルマーは口に鱒を咥えたまま、森の中を庭のように駆け回るようにして、迫りくる攻撃を避けていた。

トトッ、と軽い音がして、木の幹に鉄製のニードルが突き刺さる。可哀想に、若木はしおしおと枯れ果て、まるで水分の抜けた枝葉のようにポキリと折れてしまった。

「おのれ、ちょこまかと…!人を馬鹿にしているのか貴様ァ!!」

若い男の声だ。仮面をつけているので顔はわからないが、明らかにエルマーを殺しに来ている。全く、だから嫌だったのだ、魔女を絡めるだなんて。
エルマーはもぐもぐと慌ただしく昼飯に齧り付く。アクロバットをしながらだと飲み込めないので、せめて飲み込むまで攻撃を止めて欲しいのが本音だ。

「なんとかい、ぐぇ…っ」
「飲み込むまで待ってくんねえと、喋れねえだろうが。」

折れた木を駆け上がり、頭上に躍り出たエルマーは、下で杖を構えていた小柄な男の上に飛び乗ると、そのまま体を地面に縫い付けた。
まぐ、と残りの鱒を齧る。食べ終わった串を魔女の男のフードの中に突っ込むと、そのローブで口を拭いた。

「ぐ…、貴様…調子に乗るなよ…」
「乗ってんの俺なんだけど。」

こいつは状況が見えていないのかと呆れる。突然攻撃された時は少しだけ驚いたが、それでも気配を殺すことが下手なせいで攻撃の軌道は読めた。驚いたのは、まさか飯の最中に来るとは思わなかったということだけだ。

「お前さんさ、俺らの部隊と手を組んでる魔女だろう。なんで攻撃してくんのよ。」
「貴様、ジルバの犬だろう!我らはあの者の下には降らぬ!」

ぴくんとエルマーの耳が反応する。誰が、誰の犬だ。聞き捨てならない言葉に真顔になると、男の目の前に鎌の柄を突き立てた。

「ひっ、」
「おうおう、俺がワンちゃんならてめえシバいても戯れただけで許されるよなあ?」
「はあ!?何を分けのわからん事…ひっ、」

エルマーの突き立てた地面が、かすかに揺れた。
その変化に気が付くと、上擦った声を漏らした男を踏みつけるようにして、エルマーは立ち上がった。
ずず、と音を立て、土が帯状に蠢く。地べたを破くようにして二人の目前に現れたのは、強靭な顎を持つ大百足だ。
キシキシとその顎を震わせながら、土中から這い上がってきたらしい、己のねぐらへの闖入者を許さぬといった様子で、ぼたぼたとその身から土を零して威嚇をする。
エルマーは初めて見た獲物に目を輝かせると、魔獣の目前だと言うのに大はしゃぎした。

「うおおおおやべええ!!なんだこれ凄え硬そう!!背中に苔生えてんじゃん、やべえナナシに見せてやりてえ!!」
「ば、バカか!!こんなの火も通らんぞ!!早く逃げなければ喰われる!!」
「え、なんで?素材欲しくねえ?ぜってえあれで鎧作ったらカッケェだろ。」

よいせっと立ち上がると、男は慌ててエルマーから離れる。ローブの内側から取り出した毒針を構えると、それをエルマーに向けた。

「まあまて、こいつにもし俺が殺られたらそれは無駄になるぜ?とっとけって。」

悪役地味た顔で、エルマーが宣う。
男はその言葉を真に受け、妙に納得してしまった。たしかにそれもそうである。
どんな自信で大百足に挑むのかは知らないが、相手は戦いに慣れたものも苦戦する魔物だ。
ならばと男は己の足元から植物を生やし、大百足から離れるように安全な高いところに避難すると、自らに空間遮蔽の術を行使して、己の気配を消した。

「怯えちゃってまあ。」

鎌を担ぎ、呆れた目線を男へと送る。

エルマーを見下ろした魔獣が、その背後で幾百本の脚を震わせて威嚇音を出す。不思議な音を立てながら、その黒く丸い目でエルマーを捉え、キシキシと大顎を動かした。

エルマーがその手に持っていた鎌を握り直すと、それが合図と言わんばかりに、大百足はその身を土から引き抜くようにして飛びかかってきた。  

「節が、狙い目…かな、あっ!」

横に飛び退ると、土や木の葉を巻き上げて着地した。一瞬の間に脚に強化魔法をかけると、すぐさま立ち上がり木立に足をかけて飛び上がる。
空中に踊りだす。眼下では大百足の黒い体が、空気を切るかのような音を立て、素早く動いた。
エルマーは回転を加えるようにその身を捻った。大百足の高速な移動を見事に避けきると、その大きな鎧のような外殻に降り立った。
目の前では、顎を開くようにして鎌首を擡げている。エルマーは鎌を己の背で回転させるかのようにして持ちかえると、先ずは胴体をスパンと切断した。
再び空を滑ろうとしていた巨体が空中で動きを止める。やがて大百足の頭と尻は、胴体で見事ニつに分かれ、緑色の体液を撒き散らしながら、地べたに崩れ落ちた。

「うわ、生臭え。」

安全な所にいた男はというと、呆気にとられた顔で、エルマーの大立ち回りを見つめていた。大百足の外殻はとても硬く、通常は氷属性で凍らしてから叩き割るか、雷で外殻以外をすべからく焼き尽くすかの選択肢しかないと聞いている。
それなのに、目の前の男はいとも簡単に節を見極め、鎌を振り上げた。
なんという動体視力。化け物か。
呆気に取られる男の目の前で、エルマーが付着した大百足の体液を振り払うように鎌を薙ぐ。
振り抜いた遠心力のせいか、その直線上にいた男の顔面に、生臭い体液がべしゃっとかかった。

「う、うぐぁ、っ…!!」
「ああ、わりい。早く洗ったほうがいいぜ。」
「くそ、っ…」

ごしりと袖で拭う。信じられない程に臭い。エルマーは器用に体液を避けて進むと、ひょいひょいと外殻を拾う。しかしインべントリはナナシに預けていたことを思い出すと、そこらにあった木のツルで外殻をぐるりと一纏めにした。
それを鎌の柄に結びつけると、くるりと振り向く。

「じゃあな!喰われねえように気ィつけて。俺が倒したのオスだから。」
「は、」
「オスの体液にゃあ、メスがよってくるってサジが言ってた気ぃするう。がんばれ。」

大百足の体液は、ぽたぽたと拭ったローブに染み込み滴るほどだ。
ちょっと待て、あいつは今なんて言った。男はぽかんとした顔で母音を漏らすと、木々のざわめきにその身を震わせた。
足元に自分の影ではない、大きな影が映り込む。
ごくりと喉を鳴らして、恐る恐る振り向こうとした。ぽたりと溶解液が地面を焼く。ああ、もう、これは、




「おお、だから早く拭けって言ったのに。」

後ろで断末魔の悲鳴が上がる。
喧しくてかなわない。エルマーはぶら下げた外殻をチベットのところで防具にしてもらう算段をつけると、もうこの場所には用は無いと、そのまま草を踏み分け奥へと進んだ。


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