名無しの龍は愛されたい。

だいきち

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シュマギナール皇国陰謀編

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ジルバは、エルマー達とあの大地で別れてからのことを、ゆっくりと話し始めた。

「グレイシスに、とある本を見せた。それは出納帳に偽装された日記帳でなあ。これも、書庫室にあったものなのだが。」
「お前勝手に入り過ぎじゃねえかな……」
「俺が気になったのはこの本のあった場所だ。」

エルマーの呆れた目線を物ともせず、ジルバは緑色の表紙のそれを投げ渡す。
仮にも城の書庫に保管されていた貴重なそれを、ぞんざいに扱うジルバを前に、こいつも少なからず苛ついているのだなあと察した。

「…なんだこれ、見たことねえマークだな。」

緑色の表紙を飾る本の印章は、不思議な模様をしていた。エルマーはその表面の光沢を確かめるように、そっと触れてみる。
金印のそれの表面はつるりとしており、魔力が帯びている気配はない。検分するエルマーを前に、ジルバは淡々と告げる。

「くだらぬ、そう呟いたのだ。それが本の隠された秘密を解くためのトリガーだった。」
「ああ……よほど隠してえってことか。」

トリガーとは、その術が発動するための文字通りの引き金だ。どうやらこの本自体に術が施されていたのは確からしい。
エルマーが手に持つ本に、影が差す。その影の主は、自信のなさそうな表情を浮かべるグレイシスであった。

「ジルバ、本のことですね……」
「ああ、こいつにも話しておこうと思ってな。」
「説明は、僕から致します。……その、信じていただけるとは思ってはいないのですが…」

どうやら、グレイシスの中に入っている人物は、随分と気が弱いようだ。
エルマーは己を見下ろすグレイシスへと目を向ける。その金色に姿を映すと、微かにだが花のような香りがした。

「エルマー、アタシは別室でドレーピングをさせてもらうわ。一室借りてるそうだから、込み入った話ならいないほうがいいでしょう?」
「おお、わりいな。終わったら呼ぶからそうしててくれるか。」
「ええ、こういう話に巻き込まれて痛い目なんて見たくないもの。」

本音はそっちか、とエルマーが引きつり笑みを浮かべる。トッドは相変わらず気が利くのか強かなのかわからない。そこらの女よりも女性らしいとは思うが。
どこからとりだしたのか、仮組み用のボディを片手にかかえると、ジルバが用意した隣の部屋へと移動した。レイガンは残るようで、念の為にとニアにトッドを守らせることにしたようだ。
トッドが消えていった部屋の扉を閉めたジルバが、ゆっくりと振り向く。

「俺も聞く。話してくれるかグレイシス。」
「……はい、その……やはり今この場でだけは、僕のことをルキーノとお呼びください。」

グレイシスの中にいる人物は、ルキーノというらしい。
ルキーノはジルバが用意した椅子に座ると、居心地が悪いのか、それともどこから話そうか迷っているのか、指を弄りながら暫く逡巡する。やがて何かを決めたかのように小さく頷くと、ゆっくりと顔を上げた。

「……まず、出納帳に変化をさせていたのは、僕の日記です。僕は、城に召し上げられた神父でした。」

ルキーノは本の表紙を撫でると、震える指先を、握り込むことで誤魔化した。
その眦に涙を滲ませると、昔のことを思い出したようだ。震える腕でその身を抱く。

「ぼ、……僕は、御使い様のものだと言われて、聖遺物をお預かりしておりました。龍眼と、龍玉を、三つに分けて、ルリケールに収めて……そして、大変貴重なものだからと、狙われないように一箇所に置くことをやめました……。」
「そのアドバイスは誰からだ。」
「今だと、初代になるのでしょうか……最初の祭司様です。」

ルキーノは、その龍眼二つを一つずつ箱に入れて、己は龍玉を、そして一つの龍眼は中央の小さな教会に。もう一つは、その提案をしてくれた祭司へと預けた。

「祭司様は、一つは城で預かるとおっしゃいました。僕の持つ龍玉も、祭司様によって召し上げられた僕が持っていくことになりました。理由は、戦火によって脆くなってしまった教会を、取り壊す事が決まったからです。」

それは、免れられない事だった。戦火の中、避難所としても使われてきたそこは、辺り一帯にに幽鬼が出始めて危険だったのだ。

「今思えば、呼び寄せていたのかも知れません。聖遺物は惹かれ合う。そして、僕が兄を狂わせた。」
「兄を?」

エルマーが、ルキーノの口からでた兄という言葉に反応する。兄弟で祭司とは珍しいと思ったのだ。

「ああ、いえ……兄は戦火で脚を失い、そして親友も……。義足でくらしていたのですが……その、僕が彼のプライドを傷つけたのです。」

ルキーノは、己の管理する教会の一室で療養をしていた兄の世話を、甲斐甲斐しく行なっていたという。
信仰をしていたのは、始まりの大地に降り立った人外の龍だ。
狼に似た姿の神を、龍眼の片方を預けた中央の教会も祀っていたという。

「俺が邪龍信仰だと思っていたそれは、間違っていたということだな。」
「邪龍などと……!あの御方は、僕達に祝福を与えてくださった!僕と、もう一つの教会はありのままの御方を祀りました。そして、その方の尊き行いを、世に広めるために祀っておりました。」

しかし、ルキーノは己の視野の狭さをまざまざと痛感させられた。戦争は、避けられなかったのだ。
隣の芝が青く見えるように、他国の聖遺物も己のものにしようとしたものがいたのだ。
ルキーノの兄は、その戦いの最中で親友と足を失った。全ての根源である御使いを恨み、そしてこの間違った戦争の火種となったことを呪った。

「兄は言っていました。龍眼は先を見通す目だと。それさえあれば、この間違った戦争を止めることができるのにと。」

そして、その妄想に取り憑かれた兄は、日に日に狂っていったという。

「……皇国は大きな国だ。国力さえ上げれば、戦争などと悲しい過ちが、起きるわけがないと。」

皇国に、巨大な力があれば。周辺諸国を取り込んで、大国として統一することができれば……。同じ国の中であれば戦争は起きない。起こったとしても、小さな火種ならば、鎮火できると思ったのだろう。

自身の足と親友を奪った戦争が、偏った思考を肯定するのだ。
そして、ルキーノが城に召し上げられることが決まったその日、兄は言った。

「俺がお前だったらよかったのに。と」

過去の記憶を鮮明に思い出したのか、ルキーノは小さく声を震わせて話を続ける。

「僕は、殺されるかもしれないと思いました。……笑えますよね、普通はそんなこと思うわけない……それでも、そう思ってしまうくらいには、兄は変わってしまった。」
「そして、殺されたのか。」
「……ええ、僕では兄を止められなかった。」

ジルバの言葉に、ルキーノは諦観を滲ませた笑みで応える。その顔はグレイシスのものだというのに、中身が違うと纏う雰囲気も変わるのだ。

「兄は、僕の体を奪いました。殺した僕の体を持って窪地に行き、御使い様の血肉の染み込んだ大地の上で陣を描き、それをやってのけたのです。」

残された聖属性の残滓が、己の魂の定着を可能にさせたのだ。殺されたルキーノの体を奪った兄は、洗礼を受けてダラスと名乗った。取り残されたルキーノの魂だけがその場に残ったのは、兄が描いた陣の一部に誤りがあったからだ。
これは、偶然なんかではない。ルキーノの魂は、己の日記の中に取り憑いた。それは荷造りを終えた鞄の中でひっそりと、時を待つうちに呪いとなってしまったのだ。

「僕自身が、呪いになってしまったのは不本意です。それでも、きっと何か意味があると信じていました。そう、こうして今貴方達にこの話をするのも、恐らく……必然。」
「まて、龍眼はどうなった。もう一つあったろう?中央の教会にあったっていってたよな?」
「……そうです。そして僕は兄に龍眼を分けて納めたと言うことを言わなかった。僕に成り代わった兄は酷く怒り、もう一つの龍眼を血眼になって探していました。」

ルキーノは、龍眼の収まっているエルマーの左目を見つめた。きらきらと星屑のような輝きを散らすその瞳は、獣の瞳孔を有している。
この龍眼が、再び無事に皇国に戻ってきたのだ。やはり聖遺物は互いを呼び合う。ルキーノはこの先のことを憂いでか、複雑な感情をその胸に抱く。
あの時、自分が偏った兄の思い込みを窘められていたら、事態はこんなにも恐ろしい方向へと向かわなかっただろう。
小さな突起に撥ね上げられたきっかけは、斜面を転がるように悪い方向へと事態を悪化させていく。
自分の死だけでは終わらなかったその悪夢は、こうして未来の者たちにまで広まってしまったのだ。

ルキーノの瞼の裏には、あの時の光景が目に浮かぶ。それは、龍眼を託した、もう一人の老いた祭司の顔だ。
人が変わってしまったかのような己を不審に思い、人目を忍んで部屋に訪れた彼は、本に閉じ込められた己に気がついてくれたのだ。
変わり果てた姿に驚いた祭司は、事情を聞いて大いに慌てた。そして、魂が宿っていることを悟られぬように、日記帳に呪いを重ねがけ、城の出納帳へと変化させた。
くだらぬ、そんなありふれた言葉にしたのは、祭司の口癖だったからだ。
誰にも、その本が怪しいものとは分からないように、彼は秘密裏に動いてくれたという。

「兄がもう一つの龍眼を探していること、そして恐らく、それを使って龍を蘇らそうとしていることはわかっていました。先程ジルバが見せた本に書いてあったページには、魂魄付与だけではありません。遺骸の一部を使って再び体を構築し直すという陣も書かれていたのです。」

生前の躯の一部をよすがにして、再構築することは可能だ。
しかし、よほどの魔力がない限り、体の臓器を補うことはできない。しかし、構築に使った陣を書いた場所には、残されたナナシの臓器や血肉が染み込んだ土があった。
あの在りし日の姿を取り戻すことは不可能だが、転化した人の姿で取り戻すことなら質量的にも可能だったということだ。

「兄が焦っていたのは、他でもありません。不測の事態を防ごうとしてくれた祭司によって見つけ出された龍眼が、兄の預かりしらぬうちに中央から持ち出されたからです。」

ルキーノは、日記帳の中からその様子を見つめていたという。祭司は常にルキーノが宿ったその本を持ち歩き、仕事をしているように見せかけては探ってくれていたのだ。
そうして、ダラスが遂に前祭司の代替わりとなったある日、あるはずだった左目がないことに気づいて酷く焦っていたという。

「……龍眼は、祭司を辞めた後、早駆けの馬を使ってカストールへと運ばれる予定でした。しかし、途中で事故にあい、その龍眼が忽然と消えたのです。」
「祭司は無事だったのか。」
「……いいえ。そして、僕は祭司の形見として城の書庫におさめられました。」

そこからは、ご存知の通りです。そういうと、ルキーノは俯いた。
グレイシスの金髪が、サラリと肩を滑り落ちる。ルキーノの魂を宿したその姿で、淡々と語られたことの顛末を前に、エルマーもジルバも黙りこくってしまった。
少しずつ重ねられた最悪が、積もり積もって歴史となった。戦争という、閉鎖的な時代がきっかけとなって巻き起こったこの事態は、聞いているだけでも体力を消耗する。
エルマーは、腕を組んだまま唇を引き結んでいた。一つだけ、引っかかることがあったのだ。

「なあ、ルキーノ。今のダラスの中身が兄貴だってことはわかったけどよ、そんな百年近く前から居て、なんで龍をさっさと蘇らせなかったんだ。」
「それは、聖遺物の解放日のせいです。」
「解放日?」

聞き慣れぬ言葉を前に、エルマーは時間が止まったかのように表情を固めた。そんな様子を前に、ジルバだけは呆れを見せる。
周りのことに無関心なのは今に始まった事ではないが、こうも国の常識が疎いやつだと、疲れてしまう。
ジルバは、苦笑いをするルキーノをフォローするかのように言った。

「解放日とは、聖遺物をルリケールに納めて教会の大掃除をする日のことだ……」
「ああ、なるほど。あ?てことは龍眼も龍玉も揃ってなきゃだめじゃねえか。」
「だからです、エルマー。そのせいで兄はなかなか蘇らせる事ができなかった。」

龍眼は、二つで一つだと言うことを遅れて知ったダラスは、歯噛みしたという。龍玉で再構築すると、保有する魔力の多さから、しくじることは明白であった。
だからこその龍眼だった。しかし、手元には一つしかない。使ってしまえば怪しまれることは間違いはない。無くなるにしても、理由が足りなかったのだ。

「兄は、そこで気づきました。与えられた祝福は一つではないと。」
「なるほど、過去の戦火で皇国が争った国に火種をふっかけたのか。」
「ええ、他国の刺客に奪われたことにしてしまえばいい。兄は非常に強かでした。」

エルマーが生まれる前から、皇国は少しずつダラスの手によって歪められてきたのだ。術で歳を重ねたように見せ、何年もの間、代替わりは成されたと周囲に思わせた。そして皇国をじわじわと内側から支配し、祭司に君臨し続けた。
その複雑な魔術は、歳を重ねるごとに精緻になっていった。それは紛れもなく、残されたあの窪地の魔力を使ったおかげである。

「兄の恐ろしいところは、洗脳するという能力です。無属性魔法で、と言うことではありません。兄は、ただ言葉のみを使って相手を操る。そして必要とあらば、時には自分自身をも騙すのです。」
「ああ、なるほど。だからずっと気になってたんだあ。」

ルキーノの言葉に、やっとエルマーの疑問の答えが見つかった。

「変だと思ったんだあ。あいつ、まるで従軍してたんかって思うくらい適切に毒抜きするし、部屋連れ込んだ時も、まるでスイッチが入ったみてえに大人しくなっててよ。」

エルマーがニアに噛まれた後、ダラスが施してくれた手当は従軍経験のあるものにしかできないようなものだった。
祭司であるなら、聖属性魔法の状態異常を解く術をかければ早いのに、ダラスはそれをしなかった。
そして何より、抱かないといったエルマーが、その体に凭れかかったとき。口喧しく喚いていたダラスが、まるでこうすることが当たり前と言わんばかりに背中に手を回そうとしてきたのだ。
祭司という規律を重んじる立場でありながら、数秒の思考だけで男に身を任せようとするのだろうか。
その身を差し出して得られる対価の大きさを、計算高く考えながら生きてこなければ思いつかぬような行動を、エルマーはずっと引っかかっていた。

「あいつ、お前の体使ってのし上がったって噂も出てンからな。あながち間違いじゃあねえ筈だぜ。」

悲しそうに顔歪めたルキーノに、ジルバは同情した。日記の内容を見ても、ルキーノが兄であるダラスに恋愛感情を抱いていたであろう事は明白だったからだ。
そして、兄であるダラスも、弟であるルキーノを殺害をする前に抱いている。弟の体を乗っ取った今、ダラス自身が弟の体を使うことをどう思っているかはわからない。ただ、そこには歪んだ兄弟愛が見え隠れする。
恐らくダラスは、弟になり切ることで自身の罪深さを誤魔化しているような、そんな気がした。



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