名無しの龍は愛されたい。

だいきち

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カストール編

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「拗ねんなって、ちゃんと帰ってくるからよ。」
「うう、うー……や。」
「や。じゃなくてさあ……」
「や!」
 
あぐ、とエルマーの服の裾に噛み付いて、ナナシはさっきからプンスコしていた。
原因は、エルマーがユミルと飲みに行く約束をしたことに起因する。
ナナシのエルマーなのに!と言わんばかりの不服顔で駄々を捏ねる。そんな可愛らしい嫁を前に、エルマーの決意は揺らいでしまいそうだった。
 
「一人だが、一人じゃないぞ。サジも見張る。まあ手の中でだが。」
「ナナシもいくもん。」
「夜の酒場に妊娠してるやつつれてけっかよ。頼むぜナナシ、土のこと聞くだけだからよー。」
「やだもん。」

助け舟をだしたサジの言葉も、ナナシにとってはなんの意味もなさない。
だってエルマーがナナシに言ったのだ。カストールでは存分に我儘であれと。
 
エルマーは心底参ったといわんばかりに頭を掻く。
サジ達とも話して、やはりユミルについて調べるべきだと意見が一致したのだ。
しかし、明らかにエルマーに好意を抱くユミルと会うのは、ナナシにとってはいやだった。
もし万が一、エルマーがユミルとしけこむことになってみろ。そんなことが起きてしまったら、ナナシはエルマーの性器に一発お見舞いせねばならないだろう。
そんなことはいけない。そして、そんな不服を語彙に変換することもできないナナシは、ならばと駄々を捏ねている。
珍しい我儘の裏で、そんな健気なことを思っているとは誰も思わない。
今回のナナシは頑なだった。それはもう、今までに例を見ないほどに。
 
「やだもん、ナナシもいっしょいくもん。えるがわがままいいよっていったんだよう。えるはナナシのおすなのに、なんでおねがいきいてくれないのう!」
「やべえうちの嫁がこんなにも愛おしい。」
「よめのいうこときいてくれたら、えるのすきなことぜんぶしてもいいよう。」
「乗った。」
「ちょろすぎるぞエルマー。」

ナナシの言葉に見事に意見を翻した。そんなエルマーの後頭部を、サジが強かに叩く。
エルマーからしてみれば、まだナナシにしていないあんなことやそんなことを存分にさせていただきたいの一言だ。
誰が何を言おうと、この取引は成立済みである。レイガンの冷たい目線に気づかないふりをしながら、エルマーはナナシを抱き寄せると、指先に口付け宣った。
 
「今度セックスするとき、ぜひ顔騎してくれえ。」
「がんきってなあに」
「顔面騎乗のことだあいってえ!」
「このど変態めが!」
 
今度はサジに叩かれた反対側をレイガンからぶっ叩かれた。
余程硬いもので殴ったのだろう。目から火が出るかと思った。
ナナシは顔面騎乗の意味もよくわかってないらしい。きじょうってなんだろうなあと思いながら、きょとんとしている。
わからなくても、エルマーはナナシに気持ちのいいことしかしないので、呑気にいいようと安請け合いをした。
まさかそのせいで後日悲鳴をあげることになろうとは、このときのナナシはついぞ思っていなかった。
 
こうして、番いとの秘事のお約束をエルマーが衆人環境でもぎ取った後、ユミルへと直接約束を取り付けに行くことになった。
エルマーから飲みに誘われたユミルは、それはもう大いに喜んだ。
約束の当日の夜は、ナナシが駄々を捏ねたおかげで、レイガンとアロンダートと共にエルマーが向かう店へ入って待っている手筈になった。
エルマーとしては、さっさとユミルを酔わせて口を割らせる寸法だ。ユミルを甘い罠に落とす間、ナナシは見目のいい男を侍らせる。変な男に声をかけられない為でもあるが、見張りの意味合いの方が大きい。
 
「お前ら本当に面倒くさいな。」
「レイガンすき」
「ああ!?浮気は許さねえぞナナシ!」
「ふんだ!」
「は、反抗期……」
 
ナナシがレイガンを巻き込んだその日の夜、エルマーの作戦は決行された。

ユミルが選んだ店は、大通りに面した小洒落た飲み屋だ。
先に到着したアロンダート達は、店の店員によって客席が一望できるニ階席へと誘導された。
どうやらエルマー達の泊まる宿の方から連絡が入ったらしく、上位客なので丁寧に扱うようにと指示があったらしい。
偶然にも店は宿の系列店らしい、とびきりの配慮だ。こうして図らずとも見やすい位置を陣取ることができたナナシ達は、ひとまず飲み物を注文することにした。
 
「ナナシもおさけのむ」
「飲まない。エルマーから飲ませるなと言われている。酔っ払って収拾つかなくなったらどうするつもりだ。」

面倒ごとを回収する役目は俺なんだぞ。
口には出さなかったものの、悲しきかなレイガンは己の役目をきちんと理解していた。
 
「ナナシ、桃の果実水があるぞ。それにしないか。」
「レイガンとアロンダートは、なにのむのう。」
「僕たちは、エール……」
「ナナシもそれのむ」
「……俺たちも果実水にしよう。」
「ああ……」
 
ナナシもみんなとお揃いがいいよう。
そういわんばかりの眼差しで見つめられてしまえば、酒は諦めるしかない。
レイガンは名残惜しそうにカウンターから見える酒樽をチラリと見つめたが、事後処理の面倒さと天秤にかけて潔く諦めた。
ナナシはそんな彼らの配慮を知ってか知らずか、ポシェットからルキーノを布に包んで取り出すと、ツンツンと突いた。
ゆらゆらと揺れていた結晶の中身がポヨンと跳ねたかと思うと、はっとした声が聞こえてきた。
 
ーー僕としたことが、どうやらうたた寝をしていたようです……おや、なにやら賑やかな場所。
「おさけのむとこだよう。みんなでちょうさしにきたんだよう。」
ーー調査?
 
ナナシの言葉に、ルキーノがキョトンとした声を出したとき。
その反応を待っていたかのように、俄かに階下が騒がしくなった。
どうやらエルマーがユミルを連れて入店したらしい。
選んだ店は着飾ったものも多いと聞いていたことから、アロンダートが選んだ服を身に纏っている。金を払ったのはエルマーだが。
 
ーー浮気調査ですか?
「うー……やだ。」
「違うぞルキーノ。あれはハニトラだ。」
「アロンダート、間違ってはないが話をややこしくするな。」
 
ナナシもレイガンも、この店に来るからと上等に見える服を着ていた。とはいっても、雁首揃えて顔がいいのでそこまで金をかけなくてもどうにかなった。
自然と視線を集めていることなども気づかぬまま、ナナシはむすりとしたまま階下を見やる。
めかしこんだユミルの隣に並ぶエルマーは、素朴な愛らしさを持つユミルとは正反対に、気だるさが色気になっていた。
散々っぱらナナシと致していたというのもあるだろう。黙っていれば本当に上等な男に見える。
しかしその揺るぎない瞳の奥ではナナシからのご褒美しか頭にない。
視界の端でレイガン達のいる場所を確認するなり、ユミルの腰を抱いて見えやすい位置の席へと向かう。はたから見れば紳士的にも見えるふるまいに、うっとりしているのはユミルだけだ。
 
「エロいことしか考えていないな。」
「ああ、ナナシとの約束の事しか考えていないようだ。」
「あうう……」
ーーなんて曇りなき眼……
 
下心は時に人を動かす原動力になるのだなあ。アロンダートがそんなことを宣う隣で、ナナシが気恥ずかしそうに運ばれてきた果実水をチウチウと飲む。
 
「さて僕の出番か。」
「頼む。」

エルマーが席についたのを見届けるなり、アロンダートは黒髪をほぐすようにして飾り羽根だけを外に出した。 
鋭い聴覚で、階下のエルマーたちの会話を拾おうという手筈だ。
賑々しい店の中から、馴染みの声だけを抜き取るのは実に容易い。


「なあ、エルマーってばどうしたんだよ。急に呑みにいこうだなんて、あんなに僕が誘ってもすげなかったってのにさあ。」
「主の兄君の嫁さんが具合良くなったんだあ。俺の主にはレイガンもついてるし、俺はお前と飲みに行けたってこった。」
「そんな僕と飲みたかったかあ。そうかそうか、なんてったって幼なじみだもんなあ僕ら。」
「おー、まあこれが幼なじみの距離感かは知らねえけどなあ。」

エルマーの腕にぴとりとくっつくように、ユミルの頬が肩にあたる。
近い距離を窘めるように、ユミルの額を指で弾いてはみたものの、全く効いている気配もない。
ユミルの手が、エルマーに弾かれた額に触れる。ちょんと唇を付き出すようにむくれると、運ばれてきた酒を受け取った。

「エルマーはさ、あの人の事好きなんか?」
「あのひと……ナナシか?」
「ナナシってんの?あの白い別嬪。」

その場つなぎの質問にしては、随分と分かりやすい嫉妬をにじませる。そんなユミルの言葉に、エルマーは頬杖をついたままユミルを見た。

「好きだよ。わりい?」
「主と隷属者だぞ、身分違いの恋だ。」
「おー、やっすいメロドラマみてえだってわらうか?」
「笑いはしないけどさ…」

エルマーの言葉に 、ユミルの胸はつきんと傷んだ。
時を経て、男ぶりをあげたエルマーには美丈夫という言葉が当てはまる。めかしこんでいるくせに、窮屈は嫌いだとくつろげられたシャツの隙間から見える鎖骨も、男らしい筋張った太い首も、けぶるような色気を放っているのだ。
そんな上等な男が、結ばれない身分違いの恋に溺れている。なんだか馬鹿みたい。ユミルはそう言おうとして口を引き結ぶ。
笑わないといったそばからそんな事を口にして、エルマーに嫌われたくないなと思ったのだ。

エルマーの左手には、指輪がない。きっと恋人はいないのだろう。ユミルはその手に走る男らしい血管にすこしだけどきりとすると、運ばれてきた串に手を伸ばした。

「ん。」
「へ?」

口に運ぼうとして、エルマーが手を伸ばしてきた。意図が分からないまま不思議そうにするユミルの手からエルマーが皿を取り上げると、手際よく串から肉を抜き取った。
食べやすくなった肉が乗った皿を渡される。思わず皿を受け取ったユミルは、ポカンとしたままエルマーを見た。

「お前の袖、なんかひらついてっからよ。ソースでシミ作るよりかいいだろう。」
「へあ……」
「あんだよ、男らしくいきたかったか?」
「あ、こ、こっちでいい……」

まさかの気遣いに動揺した。
エルマーと飲みにいくことが決まってから、少しでもよく見られたくて、ユミルは普段着ないようなドレスシャツを準備したのだ。
まさかそれに気づいてくれたのだろうか。ユミルは僅かに頬を染めながら、エルマーをちらりと見つめた。
バンドカラーのシャツをだらしなくはだけさせ、黒のラペルドベストを着用している。赤毛を背後に流すようにして整った顔を晒したエルマーは、その手首にシンプルな枷代わりのバングルを二つ嵌めていた。

「そ、その服いいね。なんか雰囲気違うから新鮮。」
「ユミルが面倒なとこ選ぶから、わざわざ買ったぜ。俺はもっときたねーとこでも良かったのによ。」
「僕と会うのにわざわざ買ったんだ……」
「なんかいったか?」
「あ、や、べ、べつにい?」

エルマーの言葉は、ユミルを浮かれさせるには十分だった。
ふーん、へー、ほーん。ユミルは妙な相槌を打つと、ごくごくと酒を飲む。もしかしたらいい感じなのではないか。そんな僅かな期待がどんどんと膨らんでいく。
もし、もしだ。このまま酔っ払ってしまったら、ユミルはエルマーにお持ち帰りとか、されてしまうのだろうか。
万が一、そんなことが起きてもいいように準備はしてあるが、エルマーはどうだろうかと盗み見る。

「んぐっ」
「何さっきからちろちろみてやがんだ。」
「んへぁっ、けほ、ごほごほっ」
「おいおい、しっかりしろよあーあー、」

ユミルの数度目の目配せは、今度こそ失敗に終わった。頬杖をついたエルマーが、ユミルをまっすぐに見つめていたのだ。
ぱちりと目があってしまい、心臓がバクリと跳ねた。気管に入ってしまった酒にげほごほと咽れば、ユミルよりも大きな手のひらが背中を叩いて宥めてくれた。

「こぼれてんぞ。」
「うえっ……」

ユミルの頬に熱が触れた。エルマーの手のひらが添えられたのだ。
その瞬間、ユミルは時が止まったように錯覚をしてしまった。口端からこぼれた酒の一雫を、無骨なエルマーの親指が唇に触れるようにして拭う。
ヒック、と思わず情けない声を漏らしたユミルの顔は、みるみるうちに赤く染まった。

「え、える、えるまー……あ、あのさ……」
「おう、おちついたかよ。」
「おあ、う、うん……」

本当は、全く持って落ち着いてはいない。忙しない心臓は、わかりやすくユミルの手を震わせる。少しだけ緊張しているのは、きっとエルマーだからだろう。
普段のユミルなら、実になめらかに夜のお誘いができるというのに、なんだか調子が出なかった。
口籠るユミルの様子を前に、エルマーが小さく笑う。

「ったく、お前も俺じゃなくて恋人誘えばよかったのによ。」

物好きなやつだなあ。そう笑うエルマーの顔がキラキラと輝いて見えて、ユミルの胸はきゅんきゅんと鳴いた。
エルマーから目が離せない。不思議な輝きに引き寄せられるように、ユミルはエルマーの瞳を見つめた。
とろめくような蜂蜜の瞳。
誘われるように手を伸ばせば、それは男らしい手によって握られるように制止された。

「ユミル、どうした。酔っぱらっちまったか?」
「僕、……もっと会えなかったときのエルマーのこと、知りたいなあ。」

ユミルの言葉に、エルマーはスッと目を細めた。
頬は上気して、目に見えて好意を向けるユミルの様子に追い打ちをかけるように指を絡める。

ーーおい、気をつけろ。チャームの術をつかうぞ。

頭の中で響いたサジの声に、エルマーは瞬きで応える。気のない返事を返すように、ふうんとだけ相槌を打つ。

「こ、恋人なんていないよ……。」
ーーそれと、上でナナシが拗ねている。
「まじかよ……」

ユミルの言葉と、サジの言葉が重なった。
脳内でのやり取りは、そのままユミルへの返事となった。サジの言葉に焦りを滲ませたエルマーの様子に、どう捉えたのかユミルは嬉しそうに微笑んだ。

「エルマー、僕がお前の事どういう目で見てるか知ってるくせに……。もっと僕のこと知りたくないの。」
ーエルマー、チャームが来る。打ち消すぞ
「ああ、いいね。教えてくれるんか」

ユミルが放った魔法は、サジが同じ魅力魔法を行使することで打ち消した。
引き寄せられるように、ユミルの濡れた唇へと視線が向いたのは一瞬だ。

ーー使い慣れておるな。エルマー、サジが言うのもアレだが、こいつクソビッチだぞ。

サジがけっと吐き捨てる声がした。
魅力された振りをするエルマーが、ユミルの手に指を絡めるようにして握り締める。
万事順調だ。これからエルマーは、ユミルの家で文字通り体に聞くことになる。食事もそこそこに纏めて会計をすると、
ユミルの細い腰に回した手を、背筋を撫でるように肩へと移動させた。
レイガン達と決めた合図は、正しく受け取られたようだ。

「お前のことを、早く知りてえ。」
「いいよ、もてなしてあげる。」

まるで睦言のように甘く囁く。
こんな歯の浮くセリフを吐くのも、全ては目的のためである。

ーー手練だなあ、相変わらずのクズである

肩を引き寄せるようにして、瞳に熱を込めてユミルを見つめるエルマーの思考は一つしかないというのに。
サジの余計な一言に、僅かに眉を寄せる。そんなエルマーの表情までも、堪えているのかもしれないとユミルはうっとり見つめるのであった。
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