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【完】幽霊さんは恋をする -智生の話-
第4話:幽霊さんは悪夢を見るか
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俺は夢を見ていた。
『おかあさん、いつもありがとう』
『あら、智生。似顔絵描いてくれたの?』
『あ、お父さんも一緒に描いてくれたのか。はは、うまいなあ。智生は将来は絵描きさんか?』
『うん。おれね、おえかきするひとと、かけっこするひとと、しゃしょうさんになるの』
『あははっ! 智生は欲張りだなあ』
それは俺が覚えている一番最初の“夢”の話。
俺は小さなころからなんでも覚えるのが早かった。
運動も工作も、勉強も遊びも。
友だちの中でいつもうまくできるほうだった。
幼いころ、俺はなんにでもなれると思っていた。
『智生。智生は何が一番好きー?』
『? ぜんぶすき』
『そっかあ。そうだよね。それもいいことだけど……智生の“一番”が見つかるといいね』
昔俺に母親が言った言葉。
当時は何を言ってるんだと思っていたけれど。今ならわかる。
なんでもそこそこできるんじゃだめだ。
なにか一番がないと。
じゃないと、俺は――
ハッとして目が覚める。
少し遅れてスマホからアラームの音が鳴り始めた。
「くそ……」
嫌な夢を見た。俺の昔の夢の話。
気分が悪いのでもう一度寝ようとする。
しかし、コンコンと部屋の外からノックの音がした。
「智生ー、遅刻するぞ」
「……」
兄貴の声だ。
(そういや昨日帰省してたんだった……)
大学を出て就職してから家を出ていた兄貴だが、昨日まとまった休暇が取れたからと実家に顔を見せに帰ってきていたのだ。
「智生ー? ……なあ母さん、智生ちゃんと学校行ってんの?」
話が面倒な方向性になりそうだったのでむくりと起き上がる。
息子が健康ならとりあえずなんでもいい両親と違って、兄貴は真面目だ。
(兄貴にサボりがバレんのが一番めんどい)
年の離れた弟である俺に対して兄貴は何かと心配しがちだ。
根掘り葉掘り学校生活のことを聞かれるに違いない。
「はいはいはい、今起きっから!」
部屋の外に聞こえるように声を張って、ベッドから這い出す。
「あ、起きてきた。おはよう智生」
「朝から元気すぎんだろ、兄貴」
「もう少し遅かったら智生の部屋の前でヴァイオリンめっちゃ弾こうかと思ってた」
「さすがに近所迷惑すぎんだろ」
冗談、と兄貴の肩を叩く。
と、兄貴がヴァイオリンケースを背負っていることに気付いた。
マジだったのかよ。
「それ、会社に行ってて腕落ちてんじゃねえの?」
「だから休暇には持ってきたんだろ?」
「休暇、それに充てんの?」
「好きだしな、ヴァイオリン」
にこっと笑った兄貴は鼻歌を歌いながら下の階に降りて行った。
その背中をじっと見つめる。
兄貴は昔から真面目でなんでも一つのことに没頭する。
その兄貴が一番頑張っていたのがヴァイオリンだ。
両親もそんな兄貴に期待して、応援して。
でも。
「智生ー? 目玉焼きいるかー?」
「半熟にして!」
兄貴の声に我に返って叫び返す。
仕方ないので支度を始める。
兄貴の手前、とにかく学校に行かないことには面倒なことになる。
こうして今日も特になんでもない一日が始まるのだ。
◆
朝食を終え、俺にしては早い時間に学校につく。
そして廊下を歩いていると。
(あ……)
向こうから夕木が歩いてくるのが見えた。
思わず、夕木から見えないようにさりげなく柱側に身を寄せてしまう。
歩くとさらっと揺れる黒髪や、透き通るような白さの肌は、朝の光の中で際立って見える。
(でも、なんか……)
ぼーっとしているのだろうか。
周りに目を向けることなく歩く夕木は放課後に見るときよりも数段無機質な人形のように見えた。
俺の横を談笑しながら抜いていった女子がそんな夕木を見て、びくっとする。
そして「やばい」「こわ」と言いながら急いで教室に入っていった。
「……そんないうほどか?」
確かに、今見た夕木はどこか生気がなくて驚きはしたが。
(女子に好かれそうなビジュアルしてんのにな)
少女漫画とかのヒーローってあんな感じじゃないのか。
不思議に思って首をかしげる。と。
「あっ! 智生! 最近ちゃんと来てんじゃん!」
後ろからバカでかい声でクラスメイトの金本に呼びかけられる。
「っ! しー!」
勢いよく金本を振り返って人差し指を立ててしまった。
いつぶりだよこんなポーズ。
そっともう一度夕木のほうを伺うと、夕木は全くこちらを見ることなく隣の教室に吸い込まれていった。
(はっっず)
二重の意味で恥ずかしい。
俺は赤くなった頬を冷ますように手で扇ぐ。
「なんだよ。お前が振った女子にでも付きまとわれてる?」
「告白されてねえよ」
「いつも告白されないように逃げてるもんな。あ、だから恨まれた?」
「違う」
金本はきょとんとした後、普通に俺に絡んできた。
声のデカいお調子者の男だが、まあいいやつだ。
今も深くは追及せず何も気にしていなさそうな様子なのは素直に助かる。
金本は明るく俺を押して元気よく教室に入っていくのだった。
そして放課後。
「幽霊さんは猫好き?」
今日も今日とて旧美術室にやってきた夕木は、俺にいつも通り律儀にお伺いを立てた後、いそいそと話しかけてきた。
俺が頷けば、夕木は心なしか目をきらきらさせる。
「いつも通学路に黒い猫がいるんだ。いつも二匹でいる。兄弟なのかな」
そう話す夕木はどこかのんびりとした柔らかい雰囲気だ。
(朝見たときとえらい違うな)
少し笑ってしまう。
今朝夕木を怖いと言っていた女子たちがこの姿を見たらどう思うだろう。
ぎょっと目をむくのだろうか。
「二匹は仲良しですごくかわいいんだ。朝に会えるとちょっといいことある気がする」
例によってへにょっと笑う。
この姿は学校で俺しか知らないのかもと思うとなんだか少し優越感。
いいものに俺だけが気づけているような、そんな感じ。
(変なの)
夕木のことを観察対象として面白いと思っていたが、最近それだけじゃない。
愛着でも湧いてきてんのか。
同い年のただの知り合いに思うには自分でもおかしな感情だと思うけれど、でも悪い感覚ではなかった。
「黒い猫って不吉なものの象徴とされてることが多いでしょ」
夕木の話を聞いているとアピールするようにまた頷く。
すると夕木はうれしそうなまま話し続ける。
「でも知ってた? 昔の日本だと幸福の象徴って言われてたんだって」
(へぇ)
「俺にとってあの黒猫たちは幸せって感じだから、だから合ってるなって」
本当になんでもない話なのに、夕木が一生懸命話しているというだけでなぜか聞ける。
そうかもな、というように笑って見せれば夕木もつられて笑ってくれる。
(声を出せたらな)
俺は自然とそう思った。いや、さっさとこの幽霊ごっこをやめればいいんだけど。
夕木が他のクラスメイトに向けないこの顔は、俺が“幽霊さん”だから引き出せているのかと思うとちょっと惜しくて言い出せない。
それでも。
幽霊さんは話を聞いてくれる。頷いてくれてうれしい。
そう言われたことも、耳に残っている。
だから、夕木の話にちゃんと返事をしたいと思う気持ちも嘘じゃなかった。
(でも、まあ今はこのままで……)
夕木が俺をただの生きた同級生だって気づくまではこのままでいいか。
そう思っていた。
でも、転機ってのは意外と突然訪れる。
『おかあさん、いつもありがとう』
『あら、智生。似顔絵描いてくれたの?』
『あ、お父さんも一緒に描いてくれたのか。はは、うまいなあ。智生は将来は絵描きさんか?』
『うん。おれね、おえかきするひとと、かけっこするひとと、しゃしょうさんになるの』
『あははっ! 智生は欲張りだなあ』
それは俺が覚えている一番最初の“夢”の話。
俺は小さなころからなんでも覚えるのが早かった。
運動も工作も、勉強も遊びも。
友だちの中でいつもうまくできるほうだった。
幼いころ、俺はなんにでもなれると思っていた。
『智生。智生は何が一番好きー?』
『? ぜんぶすき』
『そっかあ。そうだよね。それもいいことだけど……智生の“一番”が見つかるといいね』
昔俺に母親が言った言葉。
当時は何を言ってるんだと思っていたけれど。今ならわかる。
なんでもそこそこできるんじゃだめだ。
なにか一番がないと。
じゃないと、俺は――
ハッとして目が覚める。
少し遅れてスマホからアラームの音が鳴り始めた。
「くそ……」
嫌な夢を見た。俺の昔の夢の話。
気分が悪いのでもう一度寝ようとする。
しかし、コンコンと部屋の外からノックの音がした。
「智生ー、遅刻するぞ」
「……」
兄貴の声だ。
(そういや昨日帰省してたんだった……)
大学を出て就職してから家を出ていた兄貴だが、昨日まとまった休暇が取れたからと実家に顔を見せに帰ってきていたのだ。
「智生ー? ……なあ母さん、智生ちゃんと学校行ってんの?」
話が面倒な方向性になりそうだったのでむくりと起き上がる。
息子が健康ならとりあえずなんでもいい両親と違って、兄貴は真面目だ。
(兄貴にサボりがバレんのが一番めんどい)
年の離れた弟である俺に対して兄貴は何かと心配しがちだ。
根掘り葉掘り学校生活のことを聞かれるに違いない。
「はいはいはい、今起きっから!」
部屋の外に聞こえるように声を張って、ベッドから這い出す。
「あ、起きてきた。おはよう智生」
「朝から元気すぎんだろ、兄貴」
「もう少し遅かったら智生の部屋の前でヴァイオリンめっちゃ弾こうかと思ってた」
「さすがに近所迷惑すぎんだろ」
冗談、と兄貴の肩を叩く。
と、兄貴がヴァイオリンケースを背負っていることに気付いた。
マジだったのかよ。
「それ、会社に行ってて腕落ちてんじゃねえの?」
「だから休暇には持ってきたんだろ?」
「休暇、それに充てんの?」
「好きだしな、ヴァイオリン」
にこっと笑った兄貴は鼻歌を歌いながら下の階に降りて行った。
その背中をじっと見つめる。
兄貴は昔から真面目でなんでも一つのことに没頭する。
その兄貴が一番頑張っていたのがヴァイオリンだ。
両親もそんな兄貴に期待して、応援して。
でも。
「智生ー? 目玉焼きいるかー?」
「半熟にして!」
兄貴の声に我に返って叫び返す。
仕方ないので支度を始める。
兄貴の手前、とにかく学校に行かないことには面倒なことになる。
こうして今日も特になんでもない一日が始まるのだ。
◆
朝食を終え、俺にしては早い時間に学校につく。
そして廊下を歩いていると。
(あ……)
向こうから夕木が歩いてくるのが見えた。
思わず、夕木から見えないようにさりげなく柱側に身を寄せてしまう。
歩くとさらっと揺れる黒髪や、透き通るような白さの肌は、朝の光の中で際立って見える。
(でも、なんか……)
ぼーっとしているのだろうか。
周りに目を向けることなく歩く夕木は放課後に見るときよりも数段無機質な人形のように見えた。
俺の横を談笑しながら抜いていった女子がそんな夕木を見て、びくっとする。
そして「やばい」「こわ」と言いながら急いで教室に入っていった。
「……そんないうほどか?」
確かに、今見た夕木はどこか生気がなくて驚きはしたが。
(女子に好かれそうなビジュアルしてんのにな)
少女漫画とかのヒーローってあんな感じじゃないのか。
不思議に思って首をかしげる。と。
「あっ! 智生! 最近ちゃんと来てんじゃん!」
後ろからバカでかい声でクラスメイトの金本に呼びかけられる。
「っ! しー!」
勢いよく金本を振り返って人差し指を立ててしまった。
いつぶりだよこんなポーズ。
そっともう一度夕木のほうを伺うと、夕木は全くこちらを見ることなく隣の教室に吸い込まれていった。
(はっっず)
二重の意味で恥ずかしい。
俺は赤くなった頬を冷ますように手で扇ぐ。
「なんだよ。お前が振った女子にでも付きまとわれてる?」
「告白されてねえよ」
「いつも告白されないように逃げてるもんな。あ、だから恨まれた?」
「違う」
金本はきょとんとした後、普通に俺に絡んできた。
声のデカいお調子者の男だが、まあいいやつだ。
今も深くは追及せず何も気にしていなさそうな様子なのは素直に助かる。
金本は明るく俺を押して元気よく教室に入っていくのだった。
そして放課後。
「幽霊さんは猫好き?」
今日も今日とて旧美術室にやってきた夕木は、俺にいつも通り律儀にお伺いを立てた後、いそいそと話しかけてきた。
俺が頷けば、夕木は心なしか目をきらきらさせる。
「いつも通学路に黒い猫がいるんだ。いつも二匹でいる。兄弟なのかな」
そう話す夕木はどこかのんびりとした柔らかい雰囲気だ。
(朝見たときとえらい違うな)
少し笑ってしまう。
今朝夕木を怖いと言っていた女子たちがこの姿を見たらどう思うだろう。
ぎょっと目をむくのだろうか。
「二匹は仲良しですごくかわいいんだ。朝に会えるとちょっといいことある気がする」
例によってへにょっと笑う。
この姿は学校で俺しか知らないのかもと思うとなんだか少し優越感。
いいものに俺だけが気づけているような、そんな感じ。
(変なの)
夕木のことを観察対象として面白いと思っていたが、最近それだけじゃない。
愛着でも湧いてきてんのか。
同い年のただの知り合いに思うには自分でもおかしな感情だと思うけれど、でも悪い感覚ではなかった。
「黒い猫って不吉なものの象徴とされてることが多いでしょ」
夕木の話を聞いているとアピールするようにまた頷く。
すると夕木はうれしそうなまま話し続ける。
「でも知ってた? 昔の日本だと幸福の象徴って言われてたんだって」
(へぇ)
「俺にとってあの黒猫たちは幸せって感じだから、だから合ってるなって」
本当になんでもない話なのに、夕木が一生懸命話しているというだけでなぜか聞ける。
そうかもな、というように笑って見せれば夕木もつられて笑ってくれる。
(声を出せたらな)
俺は自然とそう思った。いや、さっさとこの幽霊ごっこをやめればいいんだけど。
夕木が他のクラスメイトに向けないこの顔は、俺が“幽霊さん”だから引き出せているのかと思うとちょっと惜しくて言い出せない。
それでも。
幽霊さんは話を聞いてくれる。頷いてくれてうれしい。
そう言われたことも、耳に残っている。
だから、夕木の話にちゃんと返事をしたいと思う気持ちも嘘じゃなかった。
(でも、まあ今はこのままで……)
夕木が俺をただの生きた同級生だって気づくまではこのままでいいか。
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