君に取り憑くラブ・ゴースト -黒髪男子に“幽霊さん”と間違われました-

りぃ

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【完】幽霊さんは恋をする -智生の話-

第6話:夏休みの幽霊さん

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「行ってきます」

 夏休み。
 俺は普段学校に行くときよりも晴れやかな気持ちで家を出る。
 しかし向かうのは学校。

 親には補講があると説明している。
 金本をはじめとした友人たちは部活や塾で意外と忙しいので、俺は案外心置きなく旧美術室で時間を過ごすことができた。

 一つ、想定外だったのは。

「香住、ちょっといいか」

 夏休み入って早々、校舎で美術の教師である田口に見つかったこと。

「あー……なんすか。俺今から補講で……」
「お前補講ないだろ」
「……」

 一瞬で嘘がバレて気まずい。

(うわー……説教されるかな、これは)

 今までも多分旧美術室にいることは薄々気づいていたのだろう。
 なんせあの教室はもともとは田口が準備室として使っているものだ。
 田口はハァとため息をつくと頭をかく。

「私物化していいもんじゃないぞ、教室は」
「……」
「大体ただ時間をつぶすだけなら、あそこじゃなくてもいいだろう」

 図書館とか、といろんな場所を上げてくる。
 でも、俺にはあの教室じゃなきゃいけない理由がある。

(鍵をかけられて入れなくされたら……)

 それでは夕木と会えなくなる。
 馬鹿みたいだけど、俺は夕木の“美術室の幽霊さん”だからだ。
 黙ってしまった俺を田口がじっとみつめる。
 すると、ふっと目をそらしながら田口がこう言った。

「そうだな……お前は俺の授業も大体サボるだろ?」
「……課題は出してます」
「いいから聞け。……その補講として。あの教室で夏休みの間に一枚、絵を描くっていうのはどうだ」
「え……」
「絵の課題をするなら、まあ開けておいてやる」

 美術部も新校舎で絵を描いているから、俺もどうせ学校にいるしな。
 と田口は続けた。

「いいんすか?」
「その代わり、絶対1枚、夏休み明けに提出しろよ」

 田口はそう言って俺に背を向けた。

「あ、ありがとうございます」

 思わず甲子園の野球部ばりのお辞儀をしてしまう。
 それくらい、田口の出した条件は俺にとって願ってもないことだ。

(絵を描くこと、あんなに避けていたくせにな……)

 夕木と過ごすようになってから、なんとなく落書きをすることが増えていた。
 それは単に、夕木と過ごすためにあの教室で何かしようと思うと自然と選択肢が狭まるからだ。
 特に絵に対しての動機はない。
 でも、以前は絵を描くだけで苦い気持ちになっていたのに、こうして普通に夕木に会うための条件として受け入れられている時点で大きな変化だ。

(変だな、なに必死になってんだか)

 自分で笑えて来るが、でもそれでも気持ちに嘘をつけなかった。
 俺は、この夏休み、あの美術室で過ごすことを楽しみにしていた。

 こうして一応の権利を手にした俺は、夕木と会う傍らキャンバスに向き合うことになった。

「幽霊さん、こんにちは」

 そして、今日も今日とて夕木は旧美術室にやってくる。

「ああ」
「幽霊さん、今日も絵描いている」

 何がうれしいのか夕木は笑う。
 ちょっと下手くそなその笑顔を見ると俺はわけもなくほっとしていた。

「でもなんか悩んでる……?」
「んー描くもんが定まんなくて」
「幽霊さん、描きたいものがあるんじゃないの」
「いや……」

 そこまで言って、はっとする。
 “美術室の幽霊”としては何か描きたいものに執着しているほうが自然か。

(……いや幽霊らしさを凝ってどうすんだよ)

 自分で突っ込みをいれながら、しかし夕木がどう思ったか気になって眺める。
 夕木は「そっか」と特に気にした様子がなくいつもの定位置におさまっていた。

「幽霊さん的には描ければなんでもいいのかもしれないね」

 絵描くの好きなんだもんね、とのほほんと納得しているのをみると気が抜ける。
 前は咄嗟に否定したくなったその「好き」も、もう面倒で放っておいていた。

(夕木にそう思ってもらっていたほうが都合がいいしな)

 俺は目についた静物画用の小物をとりあえずデッサンし始める。
 実際、夕木が言う通り、俺は「描ければなんでもいい」ことに違いがない。
 それは好きだからではなく、この教室に来るため、だけど。

「ね、見て。幽霊さん」

 夕木は俺と会話ができるようになって明らかに前よりさらに生き生きとし始めた。
 今も、控えめなのにしかし、明らかな信頼を視線に乗せて俺を呼んでくる。

「なに?」
「これ」

 夕木は手に持っていたノートをこちら側に開いて見せる。

「前に話した黒猫のことって覚えてる……?」
「ああ、兄弟だっていう?」
「そう! その猫ね、今日こうやって寝てた」

 ノートに黒々とした何かが書いてある。
 よく見ればその塊には耳が付いていて、かろうじて重なり合っていることがわかる。

「べったりくっついてんじゃん」
「仲良しだよね」

 俺に伝わったことがうれしいのか、黒猫がかわいいのか。
 わからないが、夕木はまたへにょっと笑う。

「暑いから心配してたんだけど、お店の軒先にいた」
「よかったな」
「うん。体調崩したりしないといいなあ」

 そう言って夕木はそのページを消すことなく、隣のページを使うために開いて床に置いた。
 その絵を眺めてるとじわじわと笑みが浮かんでくる。

「ふふ……それにしても」
「えっなに」
「お前の絵、ちょっと独特だな」
「そうなの?」
「うん。目とか書かないの?」
「だって目も黒いからいいかなあって……」

 俺が笑うと夕木がちょっと恥ずかしそうにする。

「黒猫っていうならもっとさ……」

 俺がキャンバスの端に猫を描き始めると、夕木が唇を尖らせる。

「いいなあ、俺も絵が描けるようになりたい」
「かけてるじゃん」
「だって絶対幽霊さんのほうがうまい」
「見たこともないくせに」
「見たいけど、見たら死んじゃうかもしれないんだもんね」
「……」

 その設定を忘れていた。
 これで人を脅した手前何も言えず、俺の手元の黒猫の落書きは意味をなさなくなる。

「でもいつか見たいな……ほんとに死んじゃうのかな」
「……やめとけば」

 まあ積極的に見せるもんでもないし。
 もちろん俺の絵なんかで死ぬわけがないが、死ぬかもしれないのにそれでもなお見たいと思わせるほどの価値はない。
 俺はそっと黒猫を消した。

 夕木はそれからしばらく参考書を解き始めた。
 旧校舎はまあまあ涼しいといえ、夏の日差しは容赦がない。
 夕木の額にうっすら汗が浮かんでいるのをみて、俺はこっそりカーテンを引いた。

 俺はその姿をぼーっと眺める。
 夕木は本でも勉強でも、集中するとしばらくこちらに気付かない。
 真剣な横顔につける形容詞はやはり「一生懸命な」という言葉がふさわしい。

 なんにでも一生懸命な様子はシンプルにいいなと思う。
 俺にない集中力だ。
 だけど、だからこそ、前に学校で見かけたときのあの無機質さが不思議でならなかった。

(こんなに一生懸命なやつなのに)

 怖がられていたのにも理由があるのか。
 直接夕木に聞くのはためらわれて、俺はまだその理由を知らずにいる。
 でもいずれにしても、俺が他の奴が知らない夕木の姿を知っていることは確かだった。

(変だよな、なんか謎に優越感)

 俺は何度目かの自嘲をする。
 でもそれはやっぱり、決して嫌な気分ではないのだ。

(夕木といると俺は普段考えないようなことを考えてばかりだ)

 なんとなく、キャンバスに夕木の横顔を描きかけて――慌てて消すのだった。
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