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43 まるでアマノイワト

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「まるで天岩戸ね」
「姉上、アマノイワトってなんですかそれ。どこの言葉です?」
「遠い東のニポンという国よ」
「ニポンですか。可愛い名前の国ですね」
「そうね。ニッポン、ニホンといろいろ呼び名があるから間を取ってニポンよ」

 アビゲイルはやけくそになって言った。
 
 次の日の朝、朝食の席にも顔を出さなかった母の部屋に、本日は仕事が休みだというヴィクターとともに「お加減はいかがですか」と訪れたのだが、母が部屋から出てこないのである。
 それどころか母付きの侍女が申し訳なさそうに「おひい様に会わせるお顔がありませんと仰って……」と頭を下げてくるので、どうしたものかと途方にくれた。
 
 ちらと横を見ると、「ニポンか……聞いたことないな……」とアビゲイルのやけくその冗談を真に受けて真剣に考えている美しい弟の横顔があった。
 ニポンなんてアビゲイルも聞いたことがないから、申し訳ない気がした。
 
 昨夜部屋からヴィクターが出て行ってからアビゲイルは一睡もできずに悶々としていた。
 そういえば最近弟にあまり強く当たられることが少なくなったうえに、それどころか姉様姉様とくっついてきていた子供のころに戻ったような懐きようで、見た目の麗しさも手伝って弟が可愛くてならなかったのだが、これが思春期を迎えた青年だと思うとなんだか違う意味のように見えてくるから不思議である。
 姉弟でそんなこといけないと言えばいいんだろうが、ヴィクターから勘違いも甚だしいと、変な目で見ないでほしいと逆に非難されても嫌だから、特に指摘できないでいる。
 
 けれども、それを顔や態度に出すと、あのキスされそうになった瞬間に意識があったことを悟られてしまうため、アビゲイルは数匹妄想の猫を被ることにした。
 
 ヴィクター自身も、昨日のことはおくびにも出さず、ただ病み上がりに近いアビゲイルの体の心配をするだけで、あの出来事を気にしている様子もないので、アビゲイル自身も何も知らないふり、見なかったことにして忘れてしまうのが一番だと悟って、今現在こうして普通にヴィクターと行動を共にしている。
 
 ヴィクターに男を感じてしまうなど、もしかして自分はかなり欲求不満なのかと思ったら、無性にアレキサンダーに会いたくなった。
 そう簡単に会える距離ではないので魔石通信で他愛もない話だけでもしたいと思ったけれども、今現在は朝の十時半すぎであるため、アレキサンダーは通信できる時間帯ではない。
 今彼は何をしているだろうか。あれから一週間も連絡していない。もちろんラリマールの魔法陣酔いが二日連続で起こったせいで一週間寝込んだせいもあるが、その後にヴィクターのことがあって悶々としていたせいで、まるで浮気をしたみたいな罪悪感から連絡をすることができなかったのである。
 
 心配しているだろうなあと思うけれども、今夜アレキサンダーが通信可能な時間帯になったらきっと連絡して安心させてあげたいと思う。
 というか、むしろ、そうしなければ捨てられてしまいそうな気がしてならないので。
 アビゲイルは過去の放蕩令嬢としての汚点があるため、せっかく両想いとなったアレキサンダーにも、いつか幻滅されて捨てられてしまうのではという恐怖が消えないのだ。
 
 こういうことは誰に相談したらいいのか。侍女のルイカか。いや彼女は結構お喋りだからちょっと口を滑らせただけで使用人一同に一斉にウイルスのように広まっていきそうだから駄目だ。だとしたら女親である母ニーナ。部屋に籠城中だからいつになることやら。こういうときに女友達がいないのがものすごく寂しい。
 
 前世では劇団の仲間がいっぱいいて、お互いに叱咤激励し合う仲の子ばかりで、色々と悩みも聞いてもらったことがあるから、今思い出すと、そのころがすごく懐かしい気がする。
 友達がいないのは放蕩していた自分のせいでもあるのだけれども。
 
 うーん、もし相談するならアレク様。……いや、やっぱりラリマール殿下かな。
 
 最近同じ転生者である立場から、アビゲイルの中では彼のことは友人というより悪友みたいな感じになっている。
 現在の立場的に言えば、ラリマールは何と言っても隣国の王弟であり、大魔導士、大賢者であり、アビゲイルが友とか言うのがおこがましいような高貴な身分の方なのだけれど、今までのことからそんな感じがしないのだから始末が悪い。
 
 まあ今はそれより、これからそのアレキサンダーとの仲を母に認めてもらうために彼女を説得しなければいけないのだけれど、初っ端から門前払いをされてはどうにもこうにもしようがない。
 
「……困ったものですね、母上にも」
「そうね……」
「なんとか出てきてもらえたら、少しでも話をきいてもらえるのだけれど」
「母上のお好きなもので釣るとかどうですか」
「お母様のお好きな物、スイーツ、ファンシー小物、最新のファッションとかかしら」
「どれも侍女に頼めば用意できるものですから、私たちがどうこうできるものじゃないでしょうね」
「だよね……」
「孤児院の子供たちが大好きだから、一緒に行こうというのはどうですか。姉上最近母上とご一緒していましたよね」
「そうなんだけど、さっき侍女長に聞いたら体調が悪いといって物資だけ輸送して済ませたとか言ってたから」
「……それなら本当に出てきそうにありませんね。あんなに孤児院の子供たちのことを可愛がっていらしたのに」
「本当に天岩戸ね……アマテラスはどうやって出てきたんだっけ……」
「……アマテラス? それも先ほど仰っていたニポンの何某とかですか」

 アビゲイルは説明のためにこの世界にはない日本の神話の物語をかいつまんでヴィクターに話して聞かせた。
 悲しみにくれて引きこもった太陽神アマテラスをどうやってか連れ出す方法はないものだろうかと考えた結果、アメノウズメという巫女が裸踊りを滑稽に踊って、周りが大爆笑して盛り上がっているのを聞き、やっと顔を出してくれたアマテラスの話だ。
 
 けれどまさか裸踊りをするほど道化を演じるのは不可能である。
 舞踏会を開ければいいのだけれど、それには大義名分が必要だ。舞踏会のみならずお茶会など客を呼ぶパーティーを開くには結構な資金がいるし、夜会を開きますといっても何のパーティーなのかを明確にしなければ客だって暇じゃないので集まってくれることもない。
 
 母はダンスが好きだ。だからアビゲイルがヴィクターをスパルタ状態でダンスをみっちり練習させたので、それで上達した息子とのダンスをとても喜んでくれたこともある。
 けれど母はダンスの達人でもあるので、例えばアビゲイルとヴィクターがホールでダンスを練習していたとして、いつものことかとさして興味もなく結局出てこない可能性がある。せめて母が見たこともない、それでいて彼女の興味を惹くようなダンスと音楽があれば、彼女も一体これは何だろうと部屋から出てくるだろうに。
 
 そういえばこのロズ・フォギアリア帝国には社交ダンスといえばモダンダンスのワルツ、クイックステップ、タンゴ、スローフォックストロット、ヴィエナ(ウインナワルツ)に該当するものしか存在しない。ラテンダンスを披露してあげると、母はきっと興味を示すと思うのに。
 
 うーんうーんと廊下で立ち話状態の二人を、たまたま通りかかった父ローマンが気付いて声をかけてきた。今日は土曜で仕事は午前中だけらしく、秘書は連れていないところを見るとそれも早く終わったらしい。
 
「どうしたんだい二人とも。……あ、もしかしてニーナが出てこないから?」
「お父様……」
「そうなんです、父上。母上は姉上に対してあわせる顔がないと言い張っていて」
「あたしもうそんなこと気にしてませんのに。お母様はちょっと重く考えすぎなのですわ」
「まあまあ……。お前たちも少し気持ちが焦りすぎているみたいだから、少し気分転換でもしてきたらどうだい? ニーナのことは少し放っておいてあげた方がいいかもしれないよ」
「とは言いましても……」
「あ、そういえば。今市井の広場に大道芸人のキャラバンが来ているらしいよ」
「大道芸人?」
「そう、たまには息抜きに行ってきたらどうだい? そこでニーナのお土産でも買ってくるといい」
「……そうですね。ちょっと出かけてきましょうか、姉上。もちろん、姉上の体調が良ければ、ですけれど」
「そうね……たまにはいいのかも」

 アビゲイルは朝食もしっかり摂ったし、昨日がくがくだった足腰も今日はしっかり地を踏みしめているから、多分侍女たちを伴ってヴィクターと一緒に出掛けるくらい大丈夫だろう。
 
 久しぶりの市井への外出に胸が弾んだアビゲイルは、はた、と思い浮かんで父に小首をかしげてみせた。
 
「お父様。買っていいのはお母様へのお土産だけですか?」
「ん?」
「うふふふふ」

 目をぱちくりさせるローマンは、その後ろで額を押さえて呆れるヴィクターと期待の眼差しで父を見つめるアビゲイルを見て、ああ、と察した。
 父のそばにいた執事に、父は何やら指示をしてから、呆れたような顔でアビゲイルに向き直る。
 
「……しょうがないね。最近アビーはドレスも宝石も買ってないし、とくに無駄遣いもしてないから、今日は好きなものを買いなさい」

 アビゲイルはヴィクターに振り向いて満面の笑みを浮かべてガッツポーズをして、弟に「はしたないですよ」と窘められた。
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