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98 ハイ喜んでー!
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改良型の転移陣とはいえ、あのぐるぐる気持ち悪い感覚が恐ろしいとぽつりとつぶやくと、アレキサンダーは無言でアビゲイルをひょいと姫抱きにした。
「腕をまわして掴まれ」
「え? アレク様?」
「あと転移が完了するまで目を瞑っていればいい」
そういえば乗り物酔いの原因は内耳への刺激による自律神経の乱れからなるというけれど、視覚や振動によるものも大きいそうだから、目を瞑ってこのがっしりしたアレキサンダーにしがみついていれば大丈夫な気がする。体感三秒だということだし、ほんの一瞬我慢すればいいだけだ。馬車で五日揺られ、ふうやれやれと腰をさすりながら途中の宿で乗り降りするよりずっといい。
アビゲイルは満面の笑みで「ふふふ役得役得」とオヤジ臭いことを言いながらおもむろにアレキサンダーに腕を回して抱き着いた。
あれ、そうなるとこの役得は三秒しか味わえないのか。それはある意味残念かもしれない。
さっきまで弟にしがみついてわんわん泣いていたとも思えないアビゲイルの変わり様に、アレキサンダーもラリマールも苦笑する。
「じゃあ行くよ」
「はい殿下。よろしくお願いします!」
「よろしく頼む、ラリマール」
アビゲイルが見送りに玄関に集まった両親と弟、それにフォックス家の使用人たちに手を振り、元気でと呼び掛けてくれる一同に見守られながら、フォックス家を後にする。
転移陣の体感は本当にものの三秒かかったかかからないかくらいで、目を瞑っていたから次の瞬間には見覚えのあるヘーゼルダイン家の広い広い玄関ホールに到着する。
転移陣で突然消え、再び戻ってきたときには数日後に迎え入れるはずの花嫁を抱えて戻って来た主人に、家令のジェフやメイドたちが目を白黒させて駆け寄って出迎える。
「おかえりなさいませ殿、ラリマール殿下。それに……いらっしゃいませアビゲイル姫君?」
「ただいま~」
「お久しぶりジェフさん!」
「今帰った。ジェフ、予定より早くて悪いが、アビーの使う予定の部屋を今から使えるようにしてほしい」
「それはかまいませんが、どうなさいましたか? 姫君になにか」
「アビーが俺の子を妊娠したんだ。だから数日後の結婚式を待たずに連れて来させてもらった。フォックス家も了承済みだ」
「な、なんと! そ、そうでございましたかー! おい、お前たち聞いたであろうな、大至急姫君の部屋を整えよ! それに丁重にもてなすよう全使用人に伝令!」
「はいジェフ様!」
相変わらずここの使用人たちは人柄が温かい。彼らがアビゲイルに呼び掛けるのは身分上本当はマナー違反かもしれないが、おめでとうございますと口々に言っていそいそと支度に向かう使用人たちにマナー違反を叱るどころか逆にほっこりする。
あの放蕩娘と名高いアビゲイルの噂を少しでも聞いたことのある者であれば、多少の疑念、そのお腹の子は本当に主人のアレキサンダーの子であるのかと疑問を持ちそうなものだが、実はアビゲイルには知らされていないけれど、アレキサンダーがアビゲイルと初めて閨を共にしたタウンハウスにおける夜の、破瓜の血のしみ込んだ寝具をジェフに発見されていることからあっという間にそのことは伝わったらしく、アビゲイルは密かにヘーゼルダイン家の使用人たちから認められていた。
そしてここひと月の間アビゲイルが家族以外の親しい男性を近くに置いていないことはフォックス家の使用人、ことのほかアビゲイルに付きっ切りで片時も目を離していないルイカら侍女や両親の侯爵夫妻、弟のヴィクターの証言もとれていることから、間違いなくそのお腹の子供はアレキサンダーの子であると使用人たちもわかってくれているのだ。
それになにより、外部の者でヘーゼルダインで最も信用されているあの大魔導士、大賢者と呼ばれるラリマールが「アレックスと同じオーラの色をした子供」と太鼓判を押しているから間違いないだろうと。
そうなると、ヘーゼルダイン家はもうお祭り騒ぎである。使用人はおろか辺境騎士団にまであっという間に伝わったらしく、数分後には外の方で「うおおおおお総団長おめでとうございますううううう」という怒号のような歓声が上がるのを、アビゲイルはびくつきながら聞いた。
「まずはお茶の準備! 姫君は身重ゆえ、口にされる物は考慮せよ!」
「かしこまりましたー!」
ハイ喜んでー! みたいなやりとりで、ジェフがきびきびと使用人たちに指示を出している。以前会ったときより背筋がピシッとしているし、壮年だが少し若返ったみたいな振る舞いである。よく見たらモノクルの向こう、目尻に涙を浮かべているようにも見えるから、相当感極まっているらしい。
「はは。ジェフったら嬉しそうだねえ」
「そりゃあそうだろうな……」
「壊滅的にモテないアレックスの嫁取り問題で一番心配してたのジェフだからね」
「そうなんですか?」
「ああ。婚約したときからそうだったが、子が出来たことでやっとホッとしたのかもしれん。ジェフは俺が子供のころから面倒をみてもらっていたから」
「歓迎ムードでよかったねえアビゲイルちゃん」
「はい、嬉しいです」
あれからアビゲイルはアレキサンダーに抱きかかえられたままリビングのほうへ連れて行かれて、ソファーのほうでようやく降ろされた。
本日は仕事を切り上げてアビゲイルと一緒に居てくれるアレキサンダーと共にお茶の時間を楽しみながら、実質今日からこのヘーゼルダインで暮らすことになるのだと考えて、アビゲイルはなんだか嬉しいのとワクワクするのとで胸がいっぱいになる。
頼もしく愛おしいアレキサンダーと、二人の愛の結晶であるお腹の子、シルヴェスターまたはクラリス、そして歓迎してくれるジェフら使用人たちがいれば、安心して暮らしていける気がした。
まあ、フォックス家に居たときに診察してもらったあの老女医に、「お子が落ち着くまで殿さんと仲良くするのは禁止だよ」と言われてしまったので、数日後の結婚式の初夜もお預けになってしまうのだが。
「ちょっと残念ですね」
「いや、クラリスまたはシルヴェスターのほうが大事だ。俺の欲望でアビーとこの子を危険にさらすわけにはいかん」
「『俺たちの』ですよ、アレク様。あたしだってアレク様とイチャイチャ禁止されて残念って思ってるんですから」
「う、うん、まあ、そう、だな……」
それから結婚式までの数日間、結婚準備の最終段階に費やされる。
件のフォックス家に置かれた転移装置で婚礼衣装のデザイナーがやってきてくれて、ドレスの直しなどの最終打ち合わせを行った。
いわゆるマタニティウエディングとなるわけだが、まだアビゲイルのお腹が目立たないので、ドレスを変更することもなく、少しウエストに余裕を持たせて締め付けない工夫をすることでなんとかなるらしい。
純白の総レースの婚礼衣装は、既に妊婦であるアビゲイルは気後れしてしまいそうだったけれど、ヘーゼルダインでアビゲイル付となった侍女たちに言わせると、純白イコール純潔というのは最早死語のようなものらしいので、「着た者勝ちです」「楽しんだ者勝ちです」としれっと言い放つ彼女らにアビゲイルは爆笑してしまった。
「腕をまわして掴まれ」
「え? アレク様?」
「あと転移が完了するまで目を瞑っていればいい」
そういえば乗り物酔いの原因は内耳への刺激による自律神経の乱れからなるというけれど、視覚や振動によるものも大きいそうだから、目を瞑ってこのがっしりしたアレキサンダーにしがみついていれば大丈夫な気がする。体感三秒だということだし、ほんの一瞬我慢すればいいだけだ。馬車で五日揺られ、ふうやれやれと腰をさすりながら途中の宿で乗り降りするよりずっといい。
アビゲイルは満面の笑みで「ふふふ役得役得」とオヤジ臭いことを言いながらおもむろにアレキサンダーに腕を回して抱き着いた。
あれ、そうなるとこの役得は三秒しか味わえないのか。それはある意味残念かもしれない。
さっきまで弟にしがみついてわんわん泣いていたとも思えないアビゲイルの変わり様に、アレキサンダーもラリマールも苦笑する。
「じゃあ行くよ」
「はい殿下。よろしくお願いします!」
「よろしく頼む、ラリマール」
アビゲイルが見送りに玄関に集まった両親と弟、それにフォックス家の使用人たちに手を振り、元気でと呼び掛けてくれる一同に見守られながら、フォックス家を後にする。
転移陣の体感は本当にものの三秒かかったかかからないかくらいで、目を瞑っていたから次の瞬間には見覚えのあるヘーゼルダイン家の広い広い玄関ホールに到着する。
転移陣で突然消え、再び戻ってきたときには数日後に迎え入れるはずの花嫁を抱えて戻って来た主人に、家令のジェフやメイドたちが目を白黒させて駆け寄って出迎える。
「おかえりなさいませ殿、ラリマール殿下。それに……いらっしゃいませアビゲイル姫君?」
「ただいま~」
「お久しぶりジェフさん!」
「今帰った。ジェフ、予定より早くて悪いが、アビーの使う予定の部屋を今から使えるようにしてほしい」
「それはかまいませんが、どうなさいましたか? 姫君になにか」
「アビーが俺の子を妊娠したんだ。だから数日後の結婚式を待たずに連れて来させてもらった。フォックス家も了承済みだ」
「な、なんと! そ、そうでございましたかー! おい、お前たち聞いたであろうな、大至急姫君の部屋を整えよ! それに丁重にもてなすよう全使用人に伝令!」
「はいジェフ様!」
相変わらずここの使用人たちは人柄が温かい。彼らがアビゲイルに呼び掛けるのは身分上本当はマナー違反かもしれないが、おめでとうございますと口々に言っていそいそと支度に向かう使用人たちにマナー違反を叱るどころか逆にほっこりする。
あの放蕩娘と名高いアビゲイルの噂を少しでも聞いたことのある者であれば、多少の疑念、そのお腹の子は本当に主人のアレキサンダーの子であるのかと疑問を持ちそうなものだが、実はアビゲイルには知らされていないけれど、アレキサンダーがアビゲイルと初めて閨を共にしたタウンハウスにおける夜の、破瓜の血のしみ込んだ寝具をジェフに発見されていることからあっという間にそのことは伝わったらしく、アビゲイルは密かにヘーゼルダイン家の使用人たちから認められていた。
そしてここひと月の間アビゲイルが家族以外の親しい男性を近くに置いていないことはフォックス家の使用人、ことのほかアビゲイルに付きっ切りで片時も目を離していないルイカら侍女や両親の侯爵夫妻、弟のヴィクターの証言もとれていることから、間違いなくそのお腹の子供はアレキサンダーの子であると使用人たちもわかってくれているのだ。
それになにより、外部の者でヘーゼルダインで最も信用されているあの大魔導士、大賢者と呼ばれるラリマールが「アレックスと同じオーラの色をした子供」と太鼓判を押しているから間違いないだろうと。
そうなると、ヘーゼルダイン家はもうお祭り騒ぎである。使用人はおろか辺境騎士団にまであっという間に伝わったらしく、数分後には外の方で「うおおおおお総団長おめでとうございますううううう」という怒号のような歓声が上がるのを、アビゲイルはびくつきながら聞いた。
「まずはお茶の準備! 姫君は身重ゆえ、口にされる物は考慮せよ!」
「かしこまりましたー!」
ハイ喜んでー! みたいなやりとりで、ジェフがきびきびと使用人たちに指示を出している。以前会ったときより背筋がピシッとしているし、壮年だが少し若返ったみたいな振る舞いである。よく見たらモノクルの向こう、目尻に涙を浮かべているようにも見えるから、相当感極まっているらしい。
「はは。ジェフったら嬉しそうだねえ」
「そりゃあそうだろうな……」
「壊滅的にモテないアレックスの嫁取り問題で一番心配してたのジェフだからね」
「そうなんですか?」
「ああ。婚約したときからそうだったが、子が出来たことでやっとホッとしたのかもしれん。ジェフは俺が子供のころから面倒をみてもらっていたから」
「歓迎ムードでよかったねえアビゲイルちゃん」
「はい、嬉しいです」
あれからアビゲイルはアレキサンダーに抱きかかえられたままリビングのほうへ連れて行かれて、ソファーのほうでようやく降ろされた。
本日は仕事を切り上げてアビゲイルと一緒に居てくれるアレキサンダーと共にお茶の時間を楽しみながら、実質今日からこのヘーゼルダインで暮らすことになるのだと考えて、アビゲイルはなんだか嬉しいのとワクワクするのとで胸がいっぱいになる。
頼もしく愛おしいアレキサンダーと、二人の愛の結晶であるお腹の子、シルヴェスターまたはクラリス、そして歓迎してくれるジェフら使用人たちがいれば、安心して暮らしていける気がした。
まあ、フォックス家に居たときに診察してもらったあの老女医に、「お子が落ち着くまで殿さんと仲良くするのは禁止だよ」と言われてしまったので、数日後の結婚式の初夜もお預けになってしまうのだが。
「ちょっと残念ですね」
「いや、クラリスまたはシルヴェスターのほうが大事だ。俺の欲望でアビーとこの子を危険にさらすわけにはいかん」
「『俺たちの』ですよ、アレク様。あたしだってアレク様とイチャイチャ禁止されて残念って思ってるんですから」
「う、うん、まあ、そう、だな……」
それから結婚式までの数日間、結婚準備の最終段階に費やされる。
件のフォックス家に置かれた転移装置で婚礼衣装のデザイナーがやってきてくれて、ドレスの直しなどの最終打ち合わせを行った。
いわゆるマタニティウエディングとなるわけだが、まだアビゲイルのお腹が目立たないので、ドレスを変更することもなく、少しウエストに余裕を持たせて締め付けない工夫をすることでなんとかなるらしい。
純白の総レースの婚礼衣装は、既に妊婦であるアビゲイルは気後れしてしまいそうだったけれど、ヘーゼルダインでアビゲイル付となった侍女たちに言わせると、純白イコール純潔というのは最早死語のようなものらしいので、「着た者勝ちです」「楽しんだ者勝ちです」としれっと言い放つ彼女らにアビゲイルは爆笑してしまった。
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