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Ⅳ.秋の章
72.鉄槌
しおりを挟む「あんまりですわ陛下!」
立ち上がり、なにか大声をあげているヒルダ。
最奥で苦虫を噛み潰したような国王陛下。
そして、自分をまっすぐ見据えるソフィア。
遅刻した朝会にて、アイリーンにまず見えたのはその3人だった。
「ロイ……!」
「遅くなった……なに騒いでやがる」
「いや……いいんだ座ってくれロイ公爵、公爵夫人」
「なんでこんなに騎士どもが多いんだ……おいドルトン、どうなってる」
「後ほど陛下よりご説明がございます。まずはお座りください……ヒルダ殿も、座られよ」
たしかに周囲を見渡すと、いつもの面々に加え、壁際にずらりと王宮騎士たちが姿勢良く並んでいた。騎士隊長ドルトンの言葉でロイが椅子を引いてくれて、アイリーンは席についた。
空気がひりついている。
アイリーンの身が緊張し、並べられた朝食に手をつける気など一切起きない。いつも通りに食人獣の報告をしかけたロイを止めたのはソフィアだった。
「公爵、それから公爵夫人……よく聞いてください」
「待って王妃様、貴女まで同意なさるおつもり?! どうして……っ」
「静かになさいませヒルダ殿。王妃殿下のお言葉ですぞ」
物々しい雰囲気だった。声を上げかけたヒルダはドルトンに制されてキッと強くにらみ返す。ソフィアはいつもの微笑みを一切浮かべずに、ただ春空色の瞳でアイリーンを一心に見つめていた。
他の者たちも、皆一様に自分を見ている気がしてならない。それも、いつもであれば侮蔑や嘲笑を含んだ視線で見られているのに、今日に限ってはどこか哀れみを含んだ目が多いような気がする。
なんだろう、どうしたんだろう……
その理由はしかし、すぐさま分かった。
「昨日の閣議で、公爵夫人を一時的にチュイリー監獄へ移送することが決まりました。公爵夫人はこの朝会が終わり次第、ここにいる騎士たちとすぐにそちらへ向かってください」
響き渡る鈴の声に、しん、と誰もが静まった。
長く感じた静寂の後、氷のような男の声が周囲を威圧する。
「おい……何を言ってる。なんの冗談だ」
「冗談ではありません。公爵夫人、今の言葉は聞こえましたね」
視線をまっすぐ射抜くソフィアにうながされ、アイリーンは停止した思考のままうなずいた。
「このところ、暗殺未遂に馬車襲撃と、公爵夫人を狙った事件が頻繁に見られます。王都では国民の悪感情が高まっていて、このまま公爵夫人を王宮へ留め置くのは危険です。
……一時的な措置として、公爵夫人にはチュイリー監獄の特別室で過ごしていただきます。囚人としてではなく、あくまでも貴人として扱うように、向こうには説明も済んでいます」
「ふ、ざけんな……おいレオナルド、言ったはずだぞこいつに関することは全てまず俺を通せと」
ソフィアの言葉に、アイリーンは不思議と凪いでいた。おだやかでどんな感情も湧き立たない。頭の痛みもまったくなかった。
「……だからこうして、今お前を通しているんだ。私たちはお前がいない間に彼女を移送することだって出来たんだ」
「ってめえ……!」
「待って、ロイ」
ーーああ、この気持ちは安堵だ。
アイリーンは気づいて、立ち上がりかけるロイの手に触れて制した。彼は憤っているがそんな気持ちはお門違いだ。この王宮から、王都から、恐ろしいものたちから逃れられるなら、こんなに有難いことはないのだ。
ソフィアにも、ロイにも押し付けて。
オレばっかりが逃げるんだ。
それだけが辛かった。
それでも、逃げてしまいたかった。
「オレ、行くよ、行きます陛下。オレのせいで迷惑かけて……すみません」
「ってめえ! 何を!!」
「だって、一時的なんだろ。ずっとじゃねえんだ、騒動が収まるまで……それなら、オレ、行きたいんだよ。静かに、なににも、誰にももう……」
「駄目だ、絶対許さねえ。自分が何言ってんのか分かってんのかアイリーン。第一、一時的って言ったってそれが何ヶ月、何年かかるか分かったもんじゃねえんだ、てめえはそのあいだ俺のそばをずっと、離れるつもりか!」
そんな風に言われては心苦しかった。
離れたいわけでは決してないのだ。彼のそばにいて、普段どおりに過ごせるならそれが一番良い。でも今はすでに異常事態が多すぎた。
「そぉよアイリーン! 監獄送りだなんてあんまりよ……! ねぇ陛下、アイリーンには食人獣と対峙してもらって、反応を見ようと思っていたところなのよ。それで何もないなら、彼女は厄災なんて起こしてないって言えるでしょう? だから」
「ヒルダ殿。もう事態は、それほど安易に覆せるものではなくなっているのです。このままではいつ暴動が、また暗殺事件が起こってもおかしくない。その前に彼女を、国民の目から逸らさなくては……
監獄とはいえチュイリーは貴族専用で、警備も万全に整っている。特別室も空いている。彼女を守り、国民を納得させるためにこれ以上、相応しい場所はありません」
ドルトンが畳み掛ける。
アイリーン自身も彼の言葉に安心した。監獄とはいえ、貴族専用ならばそこまでひどい住まいではないはずだ。もともと山で過酷な生活を強いられていたアイリーンはどんな環境でも大丈夫と高をくくっていたが、それでも不安は少ない方がいい。
「行ってくれるかアイリーン」
「はい陛下」
「クソが……殺られる覚悟はできてんだろうな!」
「っロイ! やめて、お願いやめてッ!!」
立ち上がり、帯刀した剣に手をかけたロイをアイリーンがしがみついて必死に抑える。周りの騎士たちは一斉に国王夫妻を取り囲み、ロイに応戦する構えをとった。
王族に刃を向けるなど、あってはならない。
どんな理由があれ、身分があれど、それだけで死刑が確定してしまう。このままでは夫こそ本当の囚人になってしまうと、アイリーンは蒼白になりながら細腕でロイを抱きしめた。
「ロイ、頼むよ、行かせてくれよ! オレもう、こんなの、嫌なんだよっ……!」
「いくらてめえの願いだろうが許せるわけねえだろう! どうしててめえが、何もしてねえてめえがっ、いっつも排除されなきゃならねえんだ!!」
「ロイ、ロイ!! なぁってば! っ殺すなら……
ーー殺すならオレを殺せよッ!!!」
悲痛な叫びがこだまする。
行きたくなどないのだ、本当は。
彼と離れるなど、どうして出来る。
いつだって彼のそばにいたいのに、おはようやおかえりなさいと言いたいのに。離れるくらいならいっそ彼の手のなかで……そう思うのもまた、アイリーンの素直な感情だった。
仮面の裏から、静かに涙が頬をつたう。
それでも顔を上げていたのは、ロイの表情を少しでも見逃さないようにするためだった。自分のためにこれだけ必死になる彼を、余さず記憶しておきたい。
そして、目が、合ってしまう。
銀色の瞳が、必死に行くなと訴える。
そばにいてくれと、彼女にすがる。
泣いているわけではないけれど、悲嘆の宿るロイの目を見て……アイリーンの腕から力が抜ける。
卑怯なやり口だとはわかっていた。
ロイを苦しめることになるとも。
でもそうする事しか出来ないのだと、アイリーンは床に膝を、手のひらをつき、身体を丸めて懇願した。
「お願いします、ロイ、おねがい…………おれを、いかせてください……」
床にうずくまり、牢獄へ行かせてくれと必死にせがむ16の乙女を、誰が責められただろう。
この時ばかりは貴族たちも、聖職者すらも皆、アイリーンに同情していた。そもそもこの場の誰しもがすでに、彼女が呪いや厄災を起こせないことなど分かっているのだ。だからこそこれまで彼女を簡単に罵り、蔑むことが出来たのだ。
誰も言葉を発せず、ただふたりの成り行きを、息を殺して見守っている。そしてーー
不意に、朝露の匂いがした。
「……俺が、連れて行く」
「……ロイ」
「誰にも、指一本触れさせねえ。こいつは囚人じゃねえし、俺の女房だ。だったら……俺が連れて行く」
身体が浮いて、ロイに抱き上げられていた。
連れて行ってくれるのだ……嬉しくてたまらなかった。それだけでも心細さはずいぶんと減り、アイリーンは彼の首元にしがみつく。
「分かった、そうしてくれ」
「陛下……しかし」
「良い。私が許可する……どのみち、ロイ1人が抜けてぐらつくような国家なら早々に終わりは見えているんだ…………お前の、好きにすればいい」
「あ、まって、待ってロイ……」
退出しようとしたロイをアイリーンが止める。彼の腕から降ろしてもらい、アイリーンはソフィアへにじり寄った。つぶらな瞳が大きく見開かれ、自分のために大きな傷を負う妹に、アイリーンはそっと手を握る。
握り返された手はひどく冷たい。
唇も固く閉められて、泣くのをこらえている。
そんな顔をさせたくはなかったが仕方ないのだろう。アイリーンは自然と、妹をなぐさめる姉として優しい微笑みを浮かべた。
「ちょっとだけお別れだ……ソフィア、お前ちゃんと飯食って寝ろよ。じいちゃんも言ってただろ、にんげん、三食昼寝が大事だって……」
「……アイリーン……っ」
「わるいな、手間ばっかりかけさせて……手紙書くから、大丈夫だから…………だから陛下」
手を握ったまま陛下を見た。
苦しげにソフィアを見つめていた国王に、やはりこの人は信用できる人なのだと認識を強くする。彼はソフィアを大事にして、妻の痛みを自分の痛みと同等に感じられる人だ。少なくともアイリーンはそう思う。
「……ソフィアを、頼みます。
それと……エメに、オレの侍女に良い治療を受けさせてやってください。あいつは職務を全うして被害を受けたんです。どうか……」
「分かった、どちらも必ず……約束しよう」
「ありがとうございます。……じゃあ、行ってくるな、ソフィア」
ソフィアから手を離してくれるはずもなく、アイリーンは少しばかり強引に、妹から手を引き抜いた。踵を返し、夫に行こうと声をかける。
ロイは冷徹な、いつもの表情に戻っていた。
腰を抱かれ、身を寄せあいながら食堂を後にする。その場にいた高官たちはアイリーンの後ろ姿に、こうべを垂れて送ったが、立ち去るアイリーンは一切を知らずに朝会の場を後にした。
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