35 / 87
まだおににたっちされていないもん!
しおりを挟む
ジャージとパーカーといういつもの部屋着に着替えてリビングに戻ってカウンターキッチンのテーブルの前に座った。この場所が好きだった。料理をしているお母さんと話が出来るから。お母さんは仕事をしながらなので、目を合わせることはあまりない。その距離がいい塩梅なのだ。
お昼ご飯に焼きそばを作ってくれていた。お母さんの焼きそばが大好きで。どこのスーパーにも売っている安いものなのだろうけど、焼きそばの量と野菜やお肉の量が絶妙なの。味付けは粉末ソースと塩をバランスよく混ぜてくれる。お母さんにしか作れない特別な焼きそばなのだ。焼きそばが好きだと言ったことはなかったのだけど、こういうことって伝わるものなのだろうか。お母さんは頻繁にそれを作ってくれた。まな板を包丁で叩くお母さんに尋ねた。
「お母さんの夢ってなに?」
あまり自分の親に伺うことではないことかもしれないけど、あっさり答えてくれる。
「優江と岳人が元気に大きく育ってくれることよ。」
ふうん。と気のない返事をした。こんなことを言って貰えたら有難うと言うべきなのだろうか。あたしの頭にはまったく浮かばなかったけど。
「どうしたの?また学校でそんなことを言われたの?」
「別に。」
あたしには夢がないけれど、欲のない清々しい子供だという自負もあった。夢とは欲と等しいと捉えていたから。だけど、あたし以上にお母さんが美しいと感じる。理由はいくつかあるのだけれど。
ひとつは、娘と息子とはいえ自分以外の人の健康と成長を心から願っていること。
ひとつは夢が叶うも叶わないもあたしと岳人次第であること。失礼な言い方だけどお母さんの夢は人任せなのだ。それなら夢に圧力や負担を感じることもないのだろう。なんだか、背中に荷物をひとつ追加されたような気がする。お母さんはとても優しい言葉をかけてくれたはずなのに。あたしはひねくれているね。おかしなことを考えたくないから焼きそばを口に運ぶことだけに専念した。
あたしが好きな春の匂いは一瞬で風に吹かれて飛んでいき、代わりに青臭くて若々しい匂いが流れてきた。この匂いは好きではない。暑い夏が大嫌いだったから。暑いのが嫌いなのではなく、むしむしとした湿気が苛立つのだ。鬱陶しい。緑の草が勢いよく背を伸ばす姿も疎ましい。なんの悩みも持たずに成長していく様が憎らしい。
歓迎する者にも、避けようとする者にも平等に夏はやって来る。部屋にひとりきりでいるととても憂鬱なので岳人と一緒に外に出て身体を動かすことを心がけた。暇さえあれば太陽が頭の上にある時刻から日が陰るまでふたりで走り続けた。岳人は走り回るのが大好きだから。特にかくれんぼが大好きなようだった。
鬼になるより逃げたり隠れたりするのが好きみたい。かくれんぼをすると必ずあたしが先に鬼をさせられる。目を瞑って十を数える。だけど、いつも同じ公園で遊んでいるから岳人の隠れる場所は予想がついちゃうのだ。大きな石の裏とか、壁の向こう側とかね。
岳人は鬼が自分を探している様子を見守るのが大好きなの。隠れながらちょこちょこと顔を出す。だから探すのには苦労しない。だけど、あたしは気付かないふりをする。見当違いな場所を覗いてまわる。その様子をにこにこしながら眺めるのが岳人の癖だ。時間をかけて少しずつあの子が隠れている場所まで近付く。どこに隠れているのかなあって声をかけながら。鬼が近寄ってくるとさすがに息を殺して身を隠すのだけど、もう遅いよ。たっぷり時間をかけてから、
「岳人見つけた!」
と叫ぶのだけれど、岳人はお構いなしに走って逃げる。
「まだ、タッチされていないもん!」
いつのまにかかくれんぼが鬼ごっこに変わっている。(笑)
今日はやけに目覚めたときの気分が悪かった。しばらく安定した体調が続いていたのに。体中が痛い。特に肩や首の痛みがひどい。あまりに痛いので普段よりも早く目が覚めてしまった。
ベッドに蹲っているのも辛いので岳人の部屋を覗きに行く。最近、少しだけ大人びてきたような気もするけれど、相変わらず赤ん坊の様で可愛らしい。あまりにも愛おしくてベッドに潜りこんでしまおうかと思ったけれど、そのせいで起こしてしまっては気の毒だからやめておいた。そうしておけば良かったのだ。後々後悔することになるのだから。
精神的な苦痛ではなく肉体的な倦怠感が強かったので、もう一度部屋のベッドで横になる。あと六百二十日ほどしか生きられないあたし。この身体はもうすでになにかの病に侵されているのだろうか。そうなのかもしれない。そう思う程胸が窮屈だし、頭も痛い。死にある程度覚悟はしているが、病気が見つかるのはなるべく死の直前が好ましい。岳人や両親を悲しませる時間が短くなるのなら。
あたしが起こしてしまったのだろうか、岳人がいつもより早く目を覚ましてあたしの部屋にやって来た。その顔に何度もおはようのキスをした。一体岳人はいつまであたしのキスを受け容れてくれるのだろうか。いつかそういう日が来るのかと思うと寂しくなってしまう。
だから、いつもより大袈裟にキスをした。今のところ岳人にはそれを嫌がる気配はない。それどころか眠そうな目を擦りながら笑ってくれる。その顔色を見ると元気が出る。定時には無理かもしれないけれど必ず学校へ行こう。
お昼ご飯に焼きそばを作ってくれていた。お母さんの焼きそばが大好きで。どこのスーパーにも売っている安いものなのだろうけど、焼きそばの量と野菜やお肉の量が絶妙なの。味付けは粉末ソースと塩をバランスよく混ぜてくれる。お母さんにしか作れない特別な焼きそばなのだ。焼きそばが好きだと言ったことはなかったのだけど、こういうことって伝わるものなのだろうか。お母さんは頻繁にそれを作ってくれた。まな板を包丁で叩くお母さんに尋ねた。
「お母さんの夢ってなに?」
あまり自分の親に伺うことではないことかもしれないけど、あっさり答えてくれる。
「優江と岳人が元気に大きく育ってくれることよ。」
ふうん。と気のない返事をした。こんなことを言って貰えたら有難うと言うべきなのだろうか。あたしの頭にはまったく浮かばなかったけど。
「どうしたの?また学校でそんなことを言われたの?」
「別に。」
あたしには夢がないけれど、欲のない清々しい子供だという自負もあった。夢とは欲と等しいと捉えていたから。だけど、あたし以上にお母さんが美しいと感じる。理由はいくつかあるのだけれど。
ひとつは、娘と息子とはいえ自分以外の人の健康と成長を心から願っていること。
ひとつは夢が叶うも叶わないもあたしと岳人次第であること。失礼な言い方だけどお母さんの夢は人任せなのだ。それなら夢に圧力や負担を感じることもないのだろう。なんだか、背中に荷物をひとつ追加されたような気がする。お母さんはとても優しい言葉をかけてくれたはずなのに。あたしはひねくれているね。おかしなことを考えたくないから焼きそばを口に運ぶことだけに専念した。
あたしが好きな春の匂いは一瞬で風に吹かれて飛んでいき、代わりに青臭くて若々しい匂いが流れてきた。この匂いは好きではない。暑い夏が大嫌いだったから。暑いのが嫌いなのではなく、むしむしとした湿気が苛立つのだ。鬱陶しい。緑の草が勢いよく背を伸ばす姿も疎ましい。なんの悩みも持たずに成長していく様が憎らしい。
歓迎する者にも、避けようとする者にも平等に夏はやって来る。部屋にひとりきりでいるととても憂鬱なので岳人と一緒に外に出て身体を動かすことを心がけた。暇さえあれば太陽が頭の上にある時刻から日が陰るまでふたりで走り続けた。岳人は走り回るのが大好きだから。特にかくれんぼが大好きなようだった。
鬼になるより逃げたり隠れたりするのが好きみたい。かくれんぼをすると必ずあたしが先に鬼をさせられる。目を瞑って十を数える。だけど、いつも同じ公園で遊んでいるから岳人の隠れる場所は予想がついちゃうのだ。大きな石の裏とか、壁の向こう側とかね。
岳人は鬼が自分を探している様子を見守るのが大好きなの。隠れながらちょこちょこと顔を出す。だから探すのには苦労しない。だけど、あたしは気付かないふりをする。見当違いな場所を覗いてまわる。その様子をにこにこしながら眺めるのが岳人の癖だ。時間をかけて少しずつあの子が隠れている場所まで近付く。どこに隠れているのかなあって声をかけながら。鬼が近寄ってくるとさすがに息を殺して身を隠すのだけど、もう遅いよ。たっぷり時間をかけてから、
「岳人見つけた!」
と叫ぶのだけれど、岳人はお構いなしに走って逃げる。
「まだ、タッチされていないもん!」
いつのまにかかくれんぼが鬼ごっこに変わっている。(笑)
今日はやけに目覚めたときの気分が悪かった。しばらく安定した体調が続いていたのに。体中が痛い。特に肩や首の痛みがひどい。あまりに痛いので普段よりも早く目が覚めてしまった。
ベッドに蹲っているのも辛いので岳人の部屋を覗きに行く。最近、少しだけ大人びてきたような気もするけれど、相変わらず赤ん坊の様で可愛らしい。あまりにも愛おしくてベッドに潜りこんでしまおうかと思ったけれど、そのせいで起こしてしまっては気の毒だからやめておいた。そうしておけば良かったのだ。後々後悔することになるのだから。
精神的な苦痛ではなく肉体的な倦怠感が強かったので、もう一度部屋のベッドで横になる。あと六百二十日ほどしか生きられないあたし。この身体はもうすでになにかの病に侵されているのだろうか。そうなのかもしれない。そう思う程胸が窮屈だし、頭も痛い。死にある程度覚悟はしているが、病気が見つかるのはなるべく死の直前が好ましい。岳人や両親を悲しませる時間が短くなるのなら。
あたしが起こしてしまったのだろうか、岳人がいつもより早く目を覚ましてあたしの部屋にやって来た。その顔に何度もおはようのキスをした。一体岳人はいつまであたしのキスを受け容れてくれるのだろうか。いつかそういう日が来るのかと思うと寂しくなってしまう。
だから、いつもより大袈裟にキスをした。今のところ岳人にはそれを嫌がる気配はない。それどころか眠そうな目を擦りながら笑ってくれる。その顔色を見ると元気が出る。定時には無理かもしれないけれど必ず学校へ行こう。
8
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる