島田宿事件帖

ココナッツ

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 少女がはにかんで頭を下げた。
「岩次を見たのか」
「へぃ」
「宿で見たのか」
「へぃ」
 なかなか言葉が引き出せない。河廣は焦る気持ちを抑えて少女に微笑んだ。
「大丈夫だ。なにも心配はない。岩次のことでなにか知っていないか。どこでなにをしていた?」
 少女は少しだけ目線を上げて、急いで下げる。
「おら、見たんです。岩次さんがお侍さんに呼ばれて裏から宿に入るのを――」
「本当か!」
「へぃ」
 少女は自信がある様子で頷く。
「しばらくして二階に行くとお侍さんの部屋に岩次さんがいました」
「二人はなにをしていた? 話し声は聞こえたか」
「部屋の中はよく見ていません。襖が少し開いていただけだったので。でも――髪結いの道具を岩次さんは持っていましたから、きっと髪を結うのだと思いました」
 そう考えるのは普通だ。
「なにか言い争う声は聞こえたか」
「いいえ。とても静かでした」
 河廣は大きく息を吸って吐いた。侍と岩次の接点は見つかった。ここでなにかがあったのは確かだろう。一体なにが――。これは宿帳を見せてもらわなければならない。侍の身元が分かるだろう。
「主の平作さんは宿にいるか?」
「いえ、お出かけになってます」
「そうか、ありがとう、お満ちゃん」
 河廣は少女に少しばかりの礼をし、考えをまとめたくて自然と団子屋の縁台に座った。腕を組んで考えていると、お和歌が女将を呼んだ。河廣はミツが好きで必ず三本食べる。勝手を知っているお和歌はなにも言わずに頼んでくれた。
「どういうことかしら……岩次はお侍さんと会っていた。でももめてはいない様子だった……」
「さあな……」
 そこに草履の音がした。顔を上げると、伊豆屋平作だ。縞の着物を粋に着こなす四十路で、お和歌と河廣に会釈した。
「お疲れのご様子ですね」
「ええ……まぁ」
「岩次のことはなにか分かりましたか」
 河廣は困った顔をする。
「伊助が捕まったのは聞きましたか?」
「伊助が犯人だったのですか!」
 平作は驚いたような顔を一瞬したが、すぐに納得した目になった。
「侍が殺しを金で伊助を雇ったようなんですが、その侍の足取りがよくわかっていないのです。最後に岩次が目撃されたのは伊豆屋さんらしいのですが……」
「子細は先ほど、うちのおゆうから岩次がうちに来ていたことは聞きましたよ。その客がだれだったか、宿帳はもうご覧になりましたか」
「いや、まだです」
 主が留守なのだ。見たいと言うのは遠慮していた。
「見てみましょう」
 その足で、団子片手のお和歌と宿に戻ると、玄関先で女中が座布団を持って来た。しばらくして宿帳を片手に平作が膝をついて座った。指先を舐めて帳面をめくり、昨夜の客を調べる。
「大抵の客のことは覚えているんですがね」
 侍の客がいたことをどうも思い出せないらしい。そしてああ、と声を上げた。
「確かにおられますね。岡山藩藩士、小島忠之さま」
 しかし、再び首を横にする。
「どうしましたか、平作さん」
「いや、どうもそんな人がいたのを思い出せないのです。私もこの商売をして長いのですが、焼きが回ったようですな」
 河廣も訝る。平作が笑った。
「きっとそのお侍さまは、早出をしたのでしょう。おい、お前」
 平作は外を掃いていた番頭を呼んだ。
「今朝、早出をしたお侍さんを見なかったか」
「いいえ、見ませんでした」
「うむ……では小島さまという客は覚えているか」
「へい。昨日の夕暮れ時に到着されたお客さまでございます」
 お和歌が言った。
「その小島というお侍は、確かにこの宿に入ったのに出て行くのを誰も見なかったのね……」
「そういうことになりますな。普通はどんなに早立ちでも、しっかりとお見送りするものですが――」
 お和歌がこちらを向いた。
「この中で殺されているのではない?」
 平作が「ひぃ」っと声を上げた。
「めったなことを言わないでください。裏から出て行ったのかもしれないではありませんか」
 河廣も同意する。しかし、しばし考えてはっと立ち上がった。
「ど、どうしたの?」
「岩次の仕事はなんだ」
「なに言っているの? 髪結いじゃない」
 河廣はお和歌、そして平作を交互に見た。
「髪を結ったとしたら? 侍は岩次に髪を武家風から町人風に結い直したのではないか。だから、朝、客を見送った宿の者たちは侍が出たのを見ていなかった、違うか⁉」
「あ、ああ! なるほど!」
 ぽんと平作が手を打つ。
「うちの使用人はほとんど通いです。店の者は夜から働く者と朝から働く者とでは違いますから、昨夜見た客と今朝見た客が違う風貌でも気づかなくて当然です」
 平作が納得した。
「つまり――岩次はそれを知られないようにするために口封じされた――ということか……」
 それ以外に考えられなかった。死体ももし、河廣たちが薄狩りなど朝から乗り出さなければ、数日は見つかることはない場所だった。少なくとも、宿場を離れるまでの短い間だけ、死体が見つからなければよかったはずだ。犯人はなんらかの理由で身分を偽って旅をしていたのだろう。
「逃げるとしたらどこへ行くだろう……」
 川を渡ろうとしていたのなら東から来たことになる。上方へと向かいたいはずだ。
「今は川留めと言っても雨が降ったからではありませんよ、若旦那さん」
 平作の言葉に河廣が真剣な面持ちになる。
「渡ろうと思えば、川を自分で渡ることも不可能ではないはずですね 少し小銭をやれば、土地の者が、浅瀬を教えるかもしれません……」
 川越賃は水かさで決まる。褌より下を股通といい四十八文、腰上となると帯上通といい六十八文、脇までとなると脇通、九十四文となる。わざと深いところを通るのではと旅人が思うほど、その渡し賃は水位によって高くなり、実際、そういうこともないではないらしい。酒手も加われば安い額でない。
 だが、土地のものはだませない。どこを行けばいいのかはちゃんと分かっている。女などは試したがらないが、男なら川を泳いで渡ることもある。度胸試しに子供のころはよく河廣も川を泳いだものだ。奇しくもしばらく雨は降っていない。水かさはさほどでもない。旅人でも泳ぎに自信があり、地の衆から少し知恵を授けてもらえば、川を渡れるだろう。
「行こう!」
 河廣は立ち上がる。お和歌も続いた。
「奴は大井川にいる! 逃がしてなるものか!」
 河廣はのれんを腕で払って伊豆屋を飛び出した。  
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