島田宿事件帖

ココナッツ

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第3章 白無垢 1

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第三章 白無垢

「まぁ、なんて綺麗なんでしょう」
 お和歌がうっとりとそう言うのは、親友のお里が白無垢を試しに羽織っているのを、縁側から眺めているからだ。
「本当に綺麗。そうでしょう? 河廣?」
 お和歌が河廣を見る。茶を縁側でご馳走になっている河廣は、微笑したまま頷いた。
「花婿の一太郎さんは果報者だね」
「そうよ。当代一の花嫁をもらえるんだもの」
 お和歌の言葉にお里は顔を赤らめる。
 お里は島田の網元の娘である。豪農、紙屋清兵衛の息子の一太郎という男に嫁ぐことが決まっている。 
 今日は府中から絹屋が白無垢を持ってくるというので、お和歌は河廣を引っ張ってお里の家まで連れて来た。理由はなんとなくわかるが、河廣は知らぬふりをして、茶をもう一口すする。慎重に慎重に河廣は言葉を選んでいた。
 ここはお里を褒めすぎてはダメであり、まかりなりにも「お和歌ちゃんの時の花嫁衣装は――」などという話には乗らないように気をつけなければならない。話の切りがいいところで、河廣は湯飲みを置いた。
「お和歌、お里ちゃんはおとっさんやおっかさんにも花嫁衣装を見せたいだろうから、そろそろ失礼しようか」
「あ、そうね。長居してしまってごめんね、お里ちゃん」
「祝言に必ず来てね」
「行くに決まっているじゃないの。とっても楽しみ」
 お里はお和歌と違っておっとりしている。性格は真逆だが、二人は同い年なので、話が合うし、川庄屋の娘と網元の娘、どちらも裕福なので、小物屋に行くにしろ、甘味を食べに行くにしろ、気兼ねなく付き合える間柄なのだ。
 お和歌はうっとりとしたまま、東海道を西へと歩く。
「本当におめでたいわ」
「そうだね」
 河廣は微笑をたたえたまま答えた。すると、急に風向きが悪くなる。
「もっとなにか言ったら? 今日はずいぶん、静かなのね、河廣」
 早くも河廣の言葉が少なめなことにお和歌は気づいたらしい。
 ――困ったな……。
 お和歌の絹の巾着が河廣の胸を打った。
「そんなことないよ。ただ、あんな小さかったお里ちゃんがお嫁さんとは不思議な気分だっただけだ」
「それはあるわね。あという間に大人になって。びっくりしてしまう」
「その通りだ」
 ――うまくごまかせた……。
 河廣はここぞとばかりに話を変える。
「それで、お和歌は一太郎さんには会ったことがあるんだろう? どんな人だ?」
 お和歌は少し考えてから答えた。
「一太郎さんはとても優しそうな感じの人よ。温和で美男よ。小作がたくさんいるんでしょう。色白で役者みたいな瓜実顔なの。土仕事なんてしたことないような綺麗な手の人」
「お里ちゃんも温和だしいい夫婦になりそうだね」
「そうなのよ。皆がそう言っているの。ぴったりの夫婦だって」
 お里の容姿は丸顔に上品なすっと通った鼻にやわらかな頬はいつも笑みを浮かべている。八重歯が可愛く、背が小さいので愛らしい。
「お里ちゃんも引き手あまただっただろうに」
「一太郎さんと見合いしてすぐに気に入ったそうよ。だからお里ちゃんの家の方が積極的に話を進めたらしいわ」
「なるほどね」
「もちろん、船をいくつも持っている網元のお嬢さんですもの、お相手の家の方でも断る理由はないでしょ。とんとん拍子に話はまとまったんですって」
 そこまで話して、お和歌の関心は祝言に自分はなにを着ていこうかということになった。振り袖はもちろんだが、花嫁より美しくなってはいけないなどと心配している。
「地味すぎず、派手すぎない……。難しいわ」
「いつものあの桃色の振り袖は?」
「あんなの普段着よ。恥ずかしくてお里ちゃんの祝言なんかに着ていけない。ねぇ、府中に行って誂えてくるべきかしら?」
「……お和歌はなにを着ても映えるから、あまり目立たないようにした方がいいのではないか」
 お和歌は大きく頷いた。
「そうね……あるもので済ませた方がいいかもしれない。主役はお里ちゃんなんだから。花嫁より注目を集めたら大変だもの」
 お和歌は納得すると、河廣を見る。
「河廣は? なにを着ていくの?」
「紋付き袴に決まっているだろう?」
「男衆はいいわね。悩まなくてよくて」
「そうだな」
「それで? なにかわたしに言うことはない?」
「いや、別に? なんだろう?」
 お和歌が河廣を睨んだ。
 河廣は、言いたいことはわかっている。お和歌の結婚話だ。だが、河廣はまわりが言い出すまでなにも言うまいと思っていた。でなければ、明日にも華燭が盛大に執り行われてしまう。
「家まで送ろうか」
「いいのよ。まだ午の刻だもの。一人で帰れる」
「気をつけて帰れよ」
「うん、ありがとう」
 河廣はそこでお和歌と別れ、島田の宿を通って本陣へと帰った。
 家で祖父とお里の婚礼の話をし、そして祝いを幾ら包むかで頭を痛め、角樽はいくつ出すかなど、金の心配をしてから就寝した。格別、なにもない一日だった。
 が、その夜のことだ――いや、朝方というべきか。
「大変よ! 大変!」
 勝手口の戸を叩く音で河廣は目がさめた。日が白々としている時分だった。聞き覚えのある切迫した声に、河廣は飛び起き、寝間着の帯を締め直すと、裸足のまま土間に下りれば思ったとおり、それはお和歌の声だった。
 いつも日が高く昇ってから起きるお嬢さんが一体どうしたことかと河廣は訝るが、お和歌はさらに大きな声で叫んだ。
「大変よ! 河廣! 大変なの、開けてちょうだい!」
 河廣は引き戸を開けて、お和歌を家の中に入れた。
「なにがそんなに大変だ、お和歌?」
 既に女中たちは起きていて、困惑顔に河廣を見る。
「大変って言ったら、大変よ!」
「だから、なにが?」
「熊造が――熊造が朝早くにお里ちゃんの死体を見つけたの!」
「は? お里ちゃんの死体? なにを言っているんだ。どういうことだ」
 河廣はそのまま下駄を履こうとして止まった。日が昇り始め、その明かりでお和歌の目が真っ赤に腫れ上がり、涙を流していたのがわかったからだ。
「すぐ着替えてくる。待ってろ」
「あ、うん……」
 河廣は昨日来ていた着物に着替え、長羽織だけ掴むと、草履を履いた。お和歌がもどかしげに待っていた。
「早く、早く」
「あ、ああ、行こう」
 引っ張られるようにして裏門を潜ると、そのまま朝一で河を越える旅人がちらほら見える街道を小走りに行き、川会所を通りすぎて川原にいけば、すでに人足たちが死体を囲っていた。
「熊造」
 その中でも一番の大男であり、死体を発見した熊造に河廣は声をかけた。
「いったいどういうことだ」
「それが――」
 口で説明するより早いと、輪になって遺体を見ていた人足たちを熊造はどかし、死体を覆っていたむしろをめくって見せた。すると――。
「なんてことだ」
 そこにあったのは、無残なお里の遺体である。蒼白の顔に瞳と口は開いたままだ。 
 河廣が灯りを近づけて、よく見れば、普通の振り袖に白無垢を羽織っている。昨日、着ていた振り袖に間違いない。それに白無垢は昨日の朝、府中から届いたばかりだから、お里は午後から夜にかけて、殺されたのは確かだった。家族から聞けば、もっとしっかりした時刻はわかるはず――。
「お里ちゃんはもうすぐ婚礼だったのよ……一番、幸せな時だったのに……それなのに……どうしてこんなことに……信じられない」
 お和歌の声が背中からした。
 河廣も愕然として言葉にならない。昨日会ったばかりの人が亡くなるなど、とても信じられることではなかった。
 お和歌がわんわんと声を上げて泣き崩れ、河廣は膝をついてその背を撫でてやった。親友の幸せをあれだけ喜んでいたお里の悲しみを知っているからこそ苦しいばかりだった。
 河廣は熊造を見上げた。
「死因はなんだろう。溺死か」
 大男が首を振った。
「頭を石かなにかで強打されています。溺死じゃありませんよ」
 川越人足として働きうん十年。溺死体なら何度も見たことがある熊造が言うならそうなのだろう。そっと後頭部を見ると、確かに血を流した後がある。
「うーん」
 そこに後ろから砂利を踏みしめる足音がした。振り返ると、代官所の手附、鈴木である。相変わらず貧乏くさい木綿の羽織と着流し姿で、本物かどうかも怪しい刀を下げて現れた。
「鈴木さま」
「これは、村松殿。お早いですな」
 いつもように丁寧に鈴木は河廣に頭を下げてから、死体を見て、吐息した。
「網元のところのお嬢さんですか。まだ若いのに可哀想に……」
「ええ……」
「こりゃ、殺しですな。水死体が白無垢を着て死ぬなんてめったにあることではありませんからね」
「そのようです……」
 鈴木が思い出したように言う。
「そう言えば、お里お嬢さんにつきまとっているという男がいると相談されたことがあります。そいつの仕業でしょう。結婚すると聞いて殺意を覚えたのかもしれない」
 お和歌が興奮した声で尋ねた。
「なんという男ですか」
「なんでも、大工の大次郎とかいう男です。知っておられるか」
「いいえ……」
 お和歌は首を横に振ったが、河廣は会ったことがある。本陣の塀の修理を頼んだことがあるのだ。生真面目そうで無口な職人だった。思い詰めたら一筋だと言われればそうとも見える。キリリと手ぬぐいを頭に巻いて、硬い表情の切れ長の目し、こちらがなにか言っても「へい」としか答えず、愛想もないが、腕は島田宿ではピカイチだと評判だった。そして賢そうな顔付きは整い、江戸に住んでいたことがあるとかで、どこかいなせな雰囲気があった。
「それで、鈴木さまはもう大次郎の長屋には行かれたのですか」
「ああ。だが、仕事に出た後だった。近所の者はどこの仕事かは知らなかった」
「なるほど。捜さなければなりませんね」
 河廣が指で顎を撫でると、口をへの字にして泣くまいとしているお和歌が袖を引いた。涙はまだ乾かないが、犯人は見つけてやろうと心に誓った様子だ。
「宿場で聞いて回りましょうよ。どこで働いているか知っている人がいるかも」
「なるほど。行ってみようか」
 鈴木は、気が重そうに遺体を見て言った。
「では拙者は代官所に遺体を連れて戻らねばなりませんので」
 川越人足たちが木戸を運んで来た。そこにお里の遺体を乗せると、むしろをかけて四人で持ち上げる。ただむしろの長さが足りずに美しい白い足のみが好奇の目にさらされた。
 そこにちょうど、お里の両親が現れ、娘の遺体にすがりつきながら「お里、お里」と名を呼んだ。
 お和歌は見ていられない様子で、顔を背けて立ち上がった。
「行きましょう、河廣」
 土手を大股で上がるお和歌に河廣は後ろから声をかける。
「まだ大工の大次郎だとは決まったわけではない。気をつけて話をしなければならないよ、お和歌。宿場の人はすぐに噂を立てるから」
「なら、本陣の勝手口のあたりで雨漏りをすると言って探せばいいわ」
「なるほど。それなら怪しまれないな」
「ええ」
 二人は島田宿場に出た。すでにお里が花嫁衣装で殺されたと聞いた顔見知りたちは遺体を一目見ようと鈴木が先導する木戸の方へと駆けて行き、さして知らぬ者たちは一体犯人はだれであろうかと囁きあって、あの人が怪しい、この人が怪しいなどとよそ者を割りだそうとしていた。
「お里ちゃん!」
 そこに転げるように走って来た男が一人。お里の許婚の一太郎だ。真っ青な顔で遺体に駆けより、そのむしろから出る足を見ると地面に崩れた。人足たちが二人がかりで立たせ、うなだれるように遺体を運ぶ行列について行く。それを見て、心を傷まぬ者はいなかった。
 河廣も気の毒になって足を止めた。
 お和歌はようやく乾いた涙をまた流し、洟をすすった。そして地面に再びしゃがみ込む。
 河廣はお和歌に声をやさしくかけた。
「大丈夫か。少し家に帰って休んだ方がいいんじゃないか」
「大丈夫よ……それより、その大次郎とかいう大工を見つけましょう。それしかわたしたちがお里ちゃんにしてあげられることはないのだもの」
 お和歌の気力は犯人を捜すことで持っているようだった。それに河廣を心配させまいという思いも感じられる。人差し指で目尻を拭くと、泣いているのか微笑んでいるのかわからない瞳で河廣を見上げた。河廣もぐっと胸が痛んだ。
「わかった。必ず俺たちの手でお里ちゃんを殺した犯人を捜そう」
「ええ」
「仇討ちをしてみせるんだ」
「そうよ! それしかないわ!」
 お和歌がいつもの勝ち気な性格を取り戻し、一呼吸すると、しっかりと河廣の手を握り返した。
「若旦那さん、若旦那さん」
 そこに頭上から声がした。河廣が、見上げれば、飯盛女のおゆうだ。河廣は思わず笑みになる。おゆうは伊豆屋からほとんど出ないが、客商売だ。誰よりも宿場のことに詳しい。なにかを知っているかもしれなかった。
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