紅湖に浮かぶ月

紅雪

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紅湖に浮かぶ月3 -惨映-

終幕 哀悼の先

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--半月後--

私は法皇国オーレンフィネアにあるボルフォンを訪れていた。小高い丘には等
間隔で形を整えられた石が並んでいる。名前が刻まれた石が並ぶその墓地は、
死者を悼む様に清閑としていた。
(あんたたちの手柄は横取りしてあげたわよ。私の野望の足しにしてあげるわ
。)
カーダリア・ヴァールハイア
サーマウヤ・ヴァールハイア
アールメリダ・ヴァールハイア
その名前が刻まれた墓石に私は、心の中で呟いた。微笑を浮かべて。気持ち的
に報告だけはしておきたいと思い、アリータに聞いてこの場所を訪れた。死者
は死者でしかなく、何も思わないから私の自己満足でしかない。そんな事は分
かっているけれど、気持ちはそうならないのよね。
現にリュティは必要ないと言ってお店に残った。それはそれで良いと思うので、
お店は閉める事なく押し付けて来た。想いは人それぞれなのだから、気にする
事でもない。どうしたら自分を納得させられるかだと思うし。
(この場合は妥協かしら。)
そう思って自嘲した。
目の前に刻まれている名前の持ち主も、自分の気持ちに素直になった結果だろ
う。満足したのか妥協したのか答えを聞くことは出来ないが、あの顔はきっと
満足よねと、決めつけておく。
そんな事を思っていると近付いて来る足音が聞こえ、足音の方に振り向く。近
付いて来た人を見た瞬間、思考が停止というか身体ごと硬直した。現れた女性
はとてもサーマウヤに似ていたから。女性は軽く会釈をすると、私の前の墓石
に手に持っていた花を添える。暫く、かどうか分からないが長く感じた時間、
目を閉じていた女性は静寂を破るように目を開くと鳶色の瞳を私に向けてきた。
「お知り合いですか?」
女性はそう聞いてきた。三人も死んだのだから、誰の知り合いか分からないの
でそう聞いたのだろうか。それとも無難な質問をしたのだろうか。考えても無
駄なので止める。
「え、えぇ。」
揺らぐことのない真っ直ぐな目に射竦められ、私は戸惑いながら声を出した。
生前の夫妻と同じ、決して意志が曲がりそうにない瞳は、ああこの女性もヴァ
ールハイア家の人間なんだと思わされた。私より若いだろうこの女性ですら、
この目をするんだと思うと、ヴァールハイアの名前の重たさを感じずにはいら
れなかった。
「夫妻が死ぬまでの二日間だけだけど。」
私は苦笑して付け足した。それに女性は軽く驚いた表情をする。
「そうですか、私は娘のユーアマリウ・ヴァールハイアと申します。」
ユーアマリウはそう言うと微笑んでみせた。既に夫妻の死を受け入れているの
か、ヴァールハイアの名前がそうさせているのか、毅然としているその姿に切
なさを感じた。
「ということは、グラドリア国からいらしたのですか?」
事情も知っているのだろう、私がグラドリアから来たとの問いは。夫妻がなん
の目的でグラドリアに向かったのか、知っていなければ最後の二日と言って、
グラドリアからの来訪とは考えない。
「そうよ。この馬鹿夫妻に言っておきたい事があったから。」
娘の前とか知った事ではない、私にこんな思いをさせて当人は幸せそうな顔で
居なくなったのだから馬鹿夫妻で十分だ。だがユーアマリウは怒るでもなく、
微笑んでみせた。
「両親には褒め言葉ですよ、きっと。」
ユーアマリウはそう言うと、墓標に刻まれた名前に目を向ける。悪態をついた
のにこの見透かされた感は、いい心地がしないな。
「夫妻の最後、立ち会ったんだけれど、聞く?」
それでも此処で遇ったのも縁だろうと思い、私は夫妻の最後を伝えられるとユ
ーアマリウに聞いてみる。彼女は私に視線を戻すと頷いた。
「死に際の想像は付くのです。ただ、実際にどうだったのかを知りたいと願い、
それを伝えてくれるというのであれば、是非お願いします。」
ユーアマリウの態度はともて真摯だった。娘を独り残し復讐に向かった夫妻、
生きて帰る事無く異国で果てたのだから、娘としてその結末を知りたいと願っ
ていたのかも知れない。娘のユーアマリウには聞く権利はあるだろう。他の誰
であろうと話す事は無いと思っていたが、娘であれば私も話しておきたいと思
った。
「分かったわ。少し長くなるけれどいい?」
「もちろんです。」
ユーアマリウの返事を聞くと、王都アーランマルバの夕方、二人に出会うとこ
ろから話し始めた。私が知っている夫妻の最後の二日間を、出来るだけ伝えて
おこうと。私に出来る事はそれくらいしかない。
出会った日の夕食の話し、特に私とユリファラが拗ねた辺りから笑って聞いて
いたが、カーダリアが謝罪したところで笑顔ながらも目尻から涙が伝っていた
のが見えたが知らない振りをする。
あの瞳を持ち、ヴァールハイアの名前を継いでいても、ユーアマリウの笑顔と
涙は私を安堵させた。夫妻の話しを、娘が聞いていると実感できたから。
次の日のニーザメルベアホテル前で、合流したところから話す。二日間といっ
ても私が一緒に居たのは二日とも夜の数時間だけだ。ユリファラだったら夫妻
が家を出てから死ぬまでを伝えられたかも知れないが、ここに居ないものは無
いもの強請りだろう。ユリファラは既にグラドリア国内には居らず、次の仕事
と言ってバノッバネフ皇国へ向かった。
ニーザメルベア前の茶番までは笑顔だったが、ホテルに入ってからは終始真面
目な顔で聞いていた。それは夫妻の話しを聞き逃すまいとしてか、死に向かう
話しに対しての態度だったのか。戦闘の内容は省いたが、刺し違えて本懐を果
たしたところまで話し終える。
「これが私が会ってから知ってる全部よ。」
「ありがとうございます。」
私の言葉に、ユーアマリウはお礼を言って深く頭を下げた。顔を上げると目に
浮かんだ涙を指で拭い微笑んでみせる。私だってまた泣きたくなってきている
が、ユーアマリウの前でそれは許されない。
「両親は最後、笑顔だったのではないですか?おそらく、ですが。」
死に顔については触れなかったが、ユーアマリウはそう言った。それが分かっ
ているのは、やはり二人の娘なんだなと思わされる。
「ええ、馬鹿みたいにね。」
私は呆れたように言ったが、ユーアマリウは満足そうに笑顔で頷いた。それが
自分の両親の在り方だと言わんばかりに。
「ユーアマリウお嬢様!」
そこまで話すと、遠くからユーアマリウを呼ぶ声と足音が聞こえる。ユーアマ
リウの名前を呼んでいるのだから知り合いなのだろう。三十歳くらいの青年が
背広姿で駆け寄ってくる。
「なかなか戻られないので、失礼ながら来てしまいました。」
「すみませんラーンデルト卿、お待たせしてしまって。」
ラーンデルトと呼ばれた青年は爽やかな顔立ちと、金髪碧眼が良く似合ってい
る見るからに好青年だった。そのラーンデルトはユーアマリウに心配そうな瞳
を向ける。
「いえ、ご無事であれば問題ありません。」
ラーンデルトはユーアマリウの無事を確認すると、直ぐに私に警戒の目を向け
てきた。
「こちらの女性は?」
私から目は離さずにユーアマリウにラーンデルトは確認した。
「お墓参りだそうよ。両親と知り合いだったそうなの。」
ユーアマリウがラーンデルトに説明したところで、私は軽く会釈をした。
「私はこの女性を存じませんが?」
ラーンデルトは警戒を緩めずユーアマリウの説明に疑念を口にした。しつこい
な。
「それはそうよ。彼女はオーレンフィネアではなく、グラドリアの人ですもの。
両親が家を出てから知り合ったそうですから。」
ラーンデルトはユーアマリウの説明に目を鋭くして私を見据える。もうなんか
面倒だわ。
「つまり、カーダリア卿の死に関係している可能性もあるという事ですね。」
「そ・・・」
「ラーンデルト卿!」
私が「そうよ」って言おうとして口を開いた途端、墓地の清閑を打ち震わせる
程の声で、ユーアマリウがラーンデルトを制する声を発した。ラーンデルトは
それに驚き、目を見開いてユーアマリウを見る。ユーアマリウの瞳はヴァール
ハイア家の瞳になっていた。カーダリアやサーマウヤも見せた、信念の目だ。
対峙したラーンデルトが萎縮するのが分かる程に、身体が硬直しているのが分
かる。
「それ以上この方を愚弄するような態度は私が許しませんよ。」
凛とした態度でユーアマリウは言い放った。
「失礼しました。」
ラーンデルトは少しの後、硬直を解いてユーアマリウに言うと頭を下げ、直ぐ
様私に向き直る。
「ご無礼、申し訳ありません。」
そう言って私にも頭を下げた。別にそこまでしてくれなくていいのだけれど。
おそらくラーンデルトはヴァールハイア家に傾倒しているのではないかと思わ
された。短い時間だったけれど、あの夫妻にはそうさせる資質みたいなものが
在ったように思うから、ラーンデルトの態度もそう思えば気にならなかった。
ユーアマリウも私に軽く頭を下げ謝意を表すと笑んで見せたので、私も微笑ん
で気にしていないと首を左右に振る。
「宜しければこれから、お茶でも如何ですか?」
初対面でお茶に誘われるとは思ってもみなかったが。
「お店もあるから、私はもうグラドリアに帰るわ。」
私はユーアマリウの誘いを私は断った。これ以上お店を放置しておきたくない
のもあったが、もうヴァールハイア家に関わりたくないというのもあった。嫌
な意味ではなく。
「そうですか、残念ですが道中お気を付けください。」
「ええ、ありがとう。」
「ではラーンデルト卿、私たちも戻りましょう。」
「はい。」
二人は軽く会釈をすると、ヴァールハイア家の墓石から立ち去っていった。一
度こちらを振り向いたユーアマリウに、私は軽く手を振る。
二人が見えなくなると私は墓石に目を向けた。
(あんないい娘を残して死ぬなよ、馬鹿夫妻。)
内心で悪態をつきながら笑ってみせる。
「じゃあね、もう来ないから。」
私は声に出して墓石にそう言うと、その場を離れる。清閑な墓地に響く自分の
足音は、いいものではないと思いながら墓地を出ると、グラドリアへの帰路に
着いた。

この墓地での出会いの後に、ユーアマリウの笑顔とラーンデルトの真摯さを、
二度と見ることが出来なくなるとは知る由もなく。
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