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第18話
しおりを挟む「失礼致します。奥様、湯浴みの支度が整いましたが、いかがなさいますか?」
絶妙な頃合いを見計らってノックが聞こえマーサがジュリアを呼びに来た。
「ありがとう、マーサ。明日は旦那様の出発が早いものね。」
「じゃあ、私も一緒に戻ろうかな。」
ジュリアが先に部屋へ戻ると告げようとすると、ウィリアムの方が先に立ち上がり、実にスマートな仕草で彼女に手を差し伸べる。
「……ビルは、本当に王子様よね……。」
「ん?何か言った?」
「ううん、何でもないわ。」
思わず心の声が口をついて出てしまったのは、空になったグラスの中身のせいだろうか?
彼女が飲んだワインは軽く一杯だけだったが、彼の手を取り立ち上がると身体が気持ちよくほわりとした。
──はぁぁ、ほろ酔いのジュリー、可愛い……。
実はしっかりと妻の呟きを拾っていたウィリアムは、いつもより数段無防備なジュリアに口元が緩むのを止められないまま二階へと上がったのだった。
「それじゃ、また後でね、ジュリー。」
「ええ。」
それぞれのドアを閉めてからしばらくして、ジュリアは寝支度を整えて二人の寝室へのドアを開けた。
「ビル、まだなんだ……。」
特段、ウィリアムの方が遅いのは珍しいことでもない。
だがこの夜は、何だかほんの僅かの時間でも一人待っているのが寂しくなってしまったジュリア。
翌日からしばらく会えなくなることに我儘は言いたくなかった。
──でも……ちょっと寂しいって言うくらい……それくらいは、我儘じゃない……よね……?
やっと近付けた距離のせいか、ふわふわとした酔いのせいか、ジュリアはいつの間にかウィリアムの私室へのドアをノックしていた。
「えっ?ジュ、ジュリー?」
慌てて開かれたドアの向こうで随分と驚いた様子のウィリアム。
「……遅いわ………。」
「えっ?」
「寝室に来てみたらビルがいなくて……一人だったから……。」
「そうか。ごめんね、ジュリー。ほら、おいで?」
拗ねたジュリアにグッと心臓を掴まれたウィリアムは、満面の笑みで両腕を軽く広げる。
彼女はトクンと胸を跳ねさせながらも拗ねた表情のまま、その腕の中へとおさまった。
「今夜は支度が早かったんだね。」
その言葉に彼のシャツを胸元で軽く握りしめ、小さく頷いたジュリア。
今まで微かながらも常に纏っていた緊張感が完全に取り払われてる妻に、ウィリアムもまた、ありのままに心を喜びで揺らめかせた。
「……ビル?」
「ん?」
「今夜は、ビルのベッドで一緒に寝てもいい?」
「えっ?なっ……どうしたの?ジュリー?」
「………別に……。」
そう言いながら甘えて更に身体を擦り寄せた彼女は、まるで独り言を飲み込むように、彼の胸で小さく小さく呟く。
「……だって……寂しいんだもん……。」
「っ!?」
──なんの拷問だ、これは!?……可愛すぎるだろうっ!
一人悶絶するウィリアムを不思議そうに見上げたジュリアは、この数ヶ月で見たことがない程に表情豊かな彼にクスクスと笑い出した。
「ビル、可愛い。」
「なっ!?可愛い!?私が?」
「うん。可愛い。こんな可愛いビル、私だけのよ?」
「えっ?ちょ、ちょっと、ジュリー!?」
不意に彼女がウィリアムのシャツのボタンに手をかけ外し始め、彼は驚きのあまり固まってしまう。
そんな様子すら満足そうに、ジュリアはあらわになった彼の素肌にそっと触れ、鎖骨の下に唇を寄せた。
──いつもビルばっかりでズルいもの……。えっと、確か……こんな感じで……。
彼がいつもジュリアの白い肌に散らす赤い花びら。
それを思い出しながら、彼女も初めて夫の肌に痕を残してみたくなったのだ。
唇を離せば、思っていたよりも薄かったが、刻まれている赤に嬉しくなる。
「ふふっ、ちゃんとついた。」
ジュリアが自分の痕に指先で触れてニッコリと見上げてみれば、そこには溢れる劣情を瞳に宿すウィリアムがいた。
まるで子供のように軽々と抱き上げられ、ジュリアは慌てて彼の首にしがみつく。
「ビ、ビル?」
「………私は、ちゃんと弁えようとしたんだからね……。」
「えっ?きゃっ……!」
着地したその場所で、大好きな人の香りに包まれて、彼女の思考がとろけ出す……。
のしかかられる愛しい重み。少しだけ隆起した古傷の感触。
「こんなに可愛い妻からしばらく離れなきゃいけないんだ……もう、今夜は我慢しなくていいよね?」
「が、我慢って……。」
「今までかなり我慢して手加減してきたよ?」
「っ、そ…んな……あれで?」
ウィリアムが我慢をしてくれているのはわかっていた。
それでも、あの濃厚な夜たちがかなり我慢をしていた結果だと言われ、彼女は目を見開く。
「その台詞は褒め言葉と受け取っておくね?」
「あっ、ま、待って、ビル……。」
感じたことのない熱量で始まるキスと愛撫。
雄をさらけ出したウィリアムが、ジュリアのささやかな抵抗を言葉ごと奪っていった。
「明日の朝は、ちゃんと起こして『いってきます』を言うから……私の理性を叩き壊した君がいけないんだよ?ジュリー?」
もうとっくに、淡い酔いなど覚めている。
だがウィリアムの激しい熱にたっぷりと溺れさせられて、ジュリアの意識はとろけたまま夜明けにプッツリと途切れたのだった……。
「ジュリー?ちょっとだけ起きられる?」
「ん、んん……。」
窓からの眩しい陽射しの中、微睡むジュリアの髪を撫でる大きな手。
「私は出発するからね。ジュリーはよく休んで?」
ジュリアは夫のベッドの中で愛し合った時の姿のまま、ちょっぴり泣き腫らした目でジュストコール姿の彼を見つめる。
「ちゃんと、お見送りしたかったのに……。ビルの、バカ……。」
「ふふっ。私はこんな色っぽい妻に見送られて幸せだよ?」
「っ、もうっ!」
上掛けで胸元を押さえながら起き上がった彼女に、ウィリアムが優しく口づけた。
「気をつけて。いってらっしゃい、ウィリアム。」
「ああ。後を頼むね、ジュリア。いってきます。」
お互い満たされた笑顔で言葉を交わし、彼の香りに包まれて馬車が屋敷から走り去る音を聞いたジュリア。
そんな彼女の元に、ウィリアムの馬車が行方不明になったと知らせが届いたのは、それから五日後のことだった──。
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