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金森五郎右衛門が旗奉行の三賀監物長頼に不遜なる態度を取り、三賀監物が掴みかかろうとしたので長柄奉行の清水彌八郎久慶が割って入る。

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 一方、金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんはと言うと、押田おしだ吉次郎きちじろうの「反応はんのう」が期待きたいしたほどのものではなく、そこで今度は吉次郎きちじろうおなじく用人ようにん朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもん泰有やすなりに水を向けた。

 朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもんはと言うと、清和せいわ源氏げんじながれを押田おしだ吉次郎きちじろうや、あるいはその支流しりゅうではあるもののやはり清和せいわ源氏げんじながれを金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんくらべると見劣みおとりするものの、それでも藤原ふじわら良門よしかどりゅうみ、そのことは五郎右衛門ごろうえもん把握はあくしていたので、そこでこの朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもんにしても己と同じく、

名族めいぞく意識いしき…」

 かならずやそれをわせているはずであり、そうであれば意知おきともが若年寄へと進むことなど、

「とんでもなきこと…」

 そう考えているにちがいないと、金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんはそう信じてうたがわず、それいぇ朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもんに水を向けたのであった。五郎右衛門ごろうえもんはあくまで、

名族めいぞく意識いしき…」

 それが価値かち基準きじゅんであった。つまりは相手あいて名族めいぞくであるかいなか、それだけでしか人を見られず、唯一ゆいいつの「アイデンティティー」と言えた。

 一方、五郎右衛門ごろうえもんより水を向けられた朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもんはと言うと、たしかに五郎右衛門ごろうえもん期待きたいしたように、意知おきともが若年寄へと進むことについて、

如何いかがなものか…」

 そう感じたものであるが、しかし、金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんあまりにも意次おきつぐ意知おきとも父子ふしざまののしるものだから、六左衛門ろくざえもんはその反動はんどうからか、意次おきつぐ意知おきとも父子ふしに対して同情心どうじょうしん芽生めばえてしまい、それゆえ金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんはこの朝比奈あさひな六左衛門ろくざえもんからも期待きたいした反応はんのうられずじまい、であった。

 それにしても金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんの態度たるや、

見苦みぐるしい…」

 その一言ひとこときた。

 いや、意知おきともの若年寄就任しゅうにんにつき、五郎右衛門ごろうえもん自身じしんがどのように感じようとも、それは五郎右衛門ごろうえもん勝手かってというものだが、己の感じ方について、まるで仲間なかまでもつのるかのように同意どういを求めて方々ほうぼうに声をかける五郎右衛門ごろうえもんのその態度たいどたるや、まさに、

見苦みぐるしい…」

 というものであり、はた奉行の三賀さんが監物けんもつ長頼ながより流石さすが金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんのその「見苦みぐるしい…」さまを見かねたようで、

「それよりも今は何ゆえに田沼たぬま山城やましろ殿が若年寄へと進まれるのか、その背景はいけい事情について考えるべきでござろう…」

 三賀さんが監物けんもつ五郎右衛門ごろうえもんたしなめるようにそう言った。

 この三賀さんが監物けんもつ御齢おんとし63と、71の金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんよりも年下とししたではあるものの、しかし、

勤続きんぞく年数ねんすう…」

 その観点かんてんから見た場合、三賀さんが監物けんもつの方が上であった。

 何しろ三賀さんが監物けんもつ田安たやす家の始祖しそたる宗武むねたけがまだ、小次郎こじろう名乗なのっていたころより、正確には享保17(1732)年よりそのとぎとしてつかえ、今にいたる。

 それにして金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんはと言うと、それよりおくれること8年、元文5(1740)年より近習きんじゅうとしてつかはじめ、やはり今にいたる。

 それゆえ三賀さんが監物けんもつ金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんよりも年上としうえではあるものの、物頭ものがしらよりも格上かくうえであるはた奉行をつとめていた。

 三賀さんが監物けんもつはここ田安たやすやかたにおいては金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんよりも格上かくうえはた奉行であるゆえに五郎右衛門ごろうえもんたしなめることができたわけだが、しかし、金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんはと言うと、三賀さんが監物けんもつ指図さしずされるのをきらい、こともあろうに、

「ふんっ」

 そうはならしてそっぽをいたものである。

 これは三賀さんが監物けんもつ年下とししたということもあるが、それ以上に監物けんもつ出自しゅつじ金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんにこのような不遜ふそんなる態度たいどらせた。

 すなわち、監物けんもつはその祖先そせん鷹匠たかじょうであり、御家人ごけにんであった。それゆえ五郎右衛門ごろうえもん監物けんもつのことを、

「この御家人ごけにんがりが…」

 あるいは、「鷹匠たかじょう風情ふぜいが…」とそう見下みくだしてまず、あまつさえ監物けんもつ当人とうにんに対しても露骨ろこつにそのような見下みくだした態度たいど始末しまつであり、今もまたそうであった。

 これで三賀さんが監物けんもつ金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんと同じように、あるいは押田おしだ吉次郎きちじろうのように五郎右衛門ごろうえもん以上の、

名族めいぞく…」

 そのながれをむ者であったならば、五郎右衛門ごろうえもん監物けんもつの言葉に素直すなおに耳をかたむけたであろうが、生憎あいにく三賀さんが監物けんもつ五郎右衛門ごろうえもんこのむ、

名族めいぞく…」

 そのながれをむ者ではなく、にもかかわらず、己よりも格上かくうえはた奉行をつとめており、五郎右衛門ごろうえもんはそれが余計よけいに気に入らず、監物けんもつに対してそのような不遜ふそんなる態度たいどらせたのであった。

 それに対して三賀さんが監物けんもつはと言うと、金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんが己のその出自しゅつじとらえて見下みくだしていることは承知しょうちしており、それがこうじて格上かくうえである己に不遜ふそんなる態度たいどらせていたことにもれてはいたものの、しかし流石さすがに今、このような「七役しちやく」がそろった、わば、

満座まんざ…」

 そのような場においてこのような無礼ぶれいなるふるまいをされてはだまってはおられず、

「おい…」

 監物けんもつ五郎右衛門ごろうえもんに声をあらげてみせたものの、五郎右衛門ごろうえもん相変あいかわらずそっぽをいたままであり、五郎右衛門ごろうえもんのその態度たいど監物けんもつは思わず、

われわすれ…」

 こしかせかけたものである。それゆえ、

監物けんもつ五郎右衛門ごろうえもんつかかるつもりではあるまいか…」

 誰もがそう思い、そこで長柄ながえ奉行の清水しみず彌八郎やはちろう久慶ひさよしあわてて監物けんもつ五郎右衛門ごろうえもんとの間にってはいるかのように、

「あー、いや、 確かに三賀さんが殿が申される通り、何ゆえに田沼たぬま山城守やましろのかみ様が若年寄に進まれるのか、それについて考えるのが肝要かんようでござろう…」

 そう声を上げたかと思うと、

用人ようにん殿もそう思われるでござりましょう?」

 用人ようにん下駄げたあずけた。

 清水しみず彌八郎やはちろうはその長柄ながえ奉行という立場上、今のように監物けんもつ五郎右衛門ごろうえもんとの間にってはいることが多かった。

 それと言うのも清水しみず彌八郎やはちろうつとめる長柄ながえ奉行というポストは三賀さんが監物けんもつつとめるはた奉行と金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんつとめる物頭ものがしらとの間にあり、つまり、清水しみず彌八郎やはちろう金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんにとっては直属ちょくぞく上司じょうしたり、三賀さんが監物けんもつにとってはぎゃく直属ちょくぞく部下ぶかたるというわけだ。

 それゆえ五郎右衛門ごろうえもん監物けんもつに対して不遜ふそんなる態度たいどたびに、そのような場面ばめん清水しみず彌八郎やはちろう際会さいかい…、くわすことがってはいるのがつねであった。

 もっとも、大抵たいてい彌八郎やはちろう態々わざわざってはいるまでもなく、監物けんもつがそれこそ、

大人おとな態度たいどで…」

 五郎右衛門ごろうえもんのその不遜ふそんなる態度たいどやなぎかぜとばかりながすのがこれまたつねであったので、それゆえ今のように監物けんもつ五郎右衛門ごろうえもんつかかろうとするとは、彌八郎やはちろうにとってははじめてのことであり、それゆえ流石さすがあわてたものである。

 ともあれ清水しみず彌八郎やはちろうの「仲裁ちゅうさい」のおかげで、三賀さんが監物けんもつも、

われかえった…」

 それゆえ五郎右衛門ごろうえもんつかかるという醜態しゅうたいえんじずにみ、監物けんもつ内心ないしん彌八郎やはちろう感謝かんしゃしたものであり、監物けんもつはその感謝かんしゃの心から彌八郎やはちろうに対して頭を下げたものである。

 一方、五郎右衛門ごろうえもんとて、監物けんもつつかかられずにんだわけだからだ、やはり彌八郎やはちろうに対して監物けんもつ同様どうよう感謝かんしゃしてもさそうなものである。いや、そもそも元凶げんきょう五郎右衛門ごろうえもんであると言っても過言かごんではなく、そうであれば監物けんもつ以上に彌八郎やはちろうに対して感謝かんしゃすべきところ、しかし、五郎右衛門ごろうえもん彌八郎やはちろうに対してそのような殊勝しゅしょうなる態度たいどのぞかせることはついぞなく、相変あいかわらずそっぽをいたままであった。

 それはやはりと言うべきか、この清水しみず彌八郎やはちろうにしても三賀さんが監物けんもつ同様どうよう

御家人ごけにんがり…」

 であったからだ。彌八郎やはちろうが父、惣八郎そうはちろう政茂まさしげ御家人ごけにんであり、御家人ごけにん役である作事さくじ調役しらべやくを勤め、その嫡男ちゃくなんである彌八郎やはちろうもまた御家人ごけにんとして、御家人ごけにん役である支配しはい勘定かんじょうつとめ、この支配しはい勘定かんじょうより旗本役である勘定かんじょうへとはんすすめられ、つまりは昇進しょうしんたしてこの時、御家人ごけにんから旗本へと家格かかく上昇じょうしょうしたわけだが、「名族めいぞく」である金森かなもり五郎右衛門ごろうえもんからすれば、三賀さんが監物けんもつ同様どうよう

がり者…」

 それにぎず、軽蔑けいべつすべき対象たいしょうとしかそのひとみにはうつらず、勿論もちろん彌八郎やはちろう長柄ながえ奉行として物頭ものがしらたる己の直属ちょくぞく上司じょうしたろうとも、五郎右衛門ごろうえもんがその彌八郎やはちろううやまうことは金輪際こんりんざいありず、相変あいかわらずそっぽをいたままというのも、自然しぜんなことと言えた。
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