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安永のトリカブト殺人事件 ~運命の安永8年2月21日、西之丸大奥篇~
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安永8(1779)年2月21日の今、西之丸大奥の主は家基の母堂である於千穂の方、ではなくその婚約者である種姫であった。
去年、安永7(1778)年の10月までは成程、於千穂の方がここ西之丸大奥の主であった。
於千穂の方は次期将軍・家基の実母でもあることから、家基が盟主を務める西之丸の大奥にて暮らしていた。
だが10月に本丸の盟主たる将軍・家治のもう一人の側妾、於千穂の方と同じく、「お部屋様」の於品の方が病歿するや、於千穂の方は本丸大奥へと召還され、これと入替わりに本丸大奥にて於千穂の方の手許で育てられていた種姫が西之丸大奥へと送出されたのであった。
これは去年の安永7(1778)年10月に家治の側室の一人、所謂、「御部屋様」の於品の方が歿したことによる。
種姫が本丸大奥に迎えられたのは4年前の安永4(1775)年11月のことであり、これは家治が将来、我が子・家基と娶わせ様と考えてのことであった。
尤も、その時、種姫はまだ、数で11であり、幼女ではないにしても、少女に過ぎず、次期将軍の御台所に相応しい「教育」を施す必要があった。
要は「花嫁教育」であり、家治はそこで、まずは種姫を己の養女として本丸大奥へと迎え入れた上で、本丸大奥の主であった於品の方に種姫の「教育」を任せることにした。
家治が種姫の「教育」を於千穂の方ではなく、於品の方に任せることとしたのは、その時、於千穂の方が西之丸大奥にて暮らしていたから、ということもあるが、それ以上に、於品の方の方が於千穂の方よりも「教師」に相応しかったからだ。
於品の方は公卿・藤井兼矩の娘御だけあって、行儀作法に長じており、そこが於千穂の方との違いと言えた。
無論、於千穂の方も旗本の娘である以上、行儀作法を身につけてはいたものの、しかし於品の方と較べると、どうしても見劣りがする。
次期将軍、更には将軍の御台所となる種姫を教育出来るのは、謂わば花嫁修行を任せられるのはこの於品の方を措いて外にはいなかった。
種姫自身、田安家にて暮らしていた頃より、養母である寶蓮院より一通りの行儀作法は叩き込まれており、そこへ於品の方が更に「磨き」をかけた格好であった。
こうして種姫は於品の方の教育の甲斐あって、次期将軍、更には将軍の御台所として恥ずかしくない女性に育った。
その於品の方が去年、病歿したので、そこで御側御用取次の稲葉正明が於千穂の方と種姫との「交換」を提案したのであった。
即ち、於千穂の方を西之丸大奥から本丸大奥へと召還し、これと入替わりに種姫を本丸大奥より西之丸大奥へと送出すことであった。
「種姫様におかせられてましては、於品の方様の薫育の御蔭をもちまして、大納言様の御台所に相応しい素養を身につけられ…」
次期将軍夫人として恥ずかしくない女性に育ったので、そろそろ西之丸大奥へと移して差上げたらどうか、つまりは婚約者たる家基と一緒に暮らさせてやったらどうかと、正明は家治にそう進言したのだ。
その際、正明は西之丸大奥にて住まう於千穂の方を本丸大奥へと召還することをも進言したのであった。
側妾であった於品の方に先立たれた今、将軍たる家治が抱ける女子は本丸大奥には不在となる。
まさかに養女である種姫を抱く訳にも参らぬ。
そこで今一人の側妾、於千穂の方を本丸大奥へと召還することを進言した様に思われる。
否、元来、淡白なる性分の家治としては、家基という跡取りに恵まれた上は今更、女子を抱く気にもなれなかった。
於千穂の方が西之丸大奥にて暮らし続けたいと言うのであれば、家治としては一向に構わなかった。
と言うよりはこれで於千穂の方を抱かずに済むので、家治としては歓迎すべきところであった。
正明も家治の様子からそうと察するや、於千穂の方の本丸大奥への「召還」、その進言の真実の意味するところを家治に打明けた。
即ち、種姫の為であると、打明けたのであった。
種姫が本丸大奥より西之丸大奥へと移ったとして、そこには既に「姑」となる於千穂の方が鎮座している。
西之丸大奥にて、要は「一つ屋根の下」で姑と暮らすとなれば、嫁としては気苦労が絶えない。それは昔も今も変わらない。
そこで嫁の立場である種姫には西之丸大奥にて羽を伸ばして貰おうと、そこでその為に邪魔な存在となる於千穂の方を本丸大奥へと呼戻すことを提案した次第である。
家治は正明からそうと教えられ、そこで於千穂の方と種姫との「交換」を認めたのであった。
家治としては於千穂の方と種姫とでは、種姫の方が大事であったからだ。
かくして去年の師走、12月の中旬より種姫は本丸大奥を出、姑たる於千穂の方が不在となった西之丸大奥にて暮らし始めた。
一方、於千穂の方はと言うと、種姫が西之丸大奥に移って来るよりも前に、西之丸大奥を出て本丸大奥へと移り、そこで嫁の種姫と簡単な挨拶を交わしただけで、種姫を西之丸大奥へと送出した訳だが、しかし、西之丸大奥を出ることには大分、難色を示した。
それと言うのも、西之丸大奥を出ると言うことは、我が子、家基と離れ離れになることを意味していたからだ。
於千穂の方にしても家治から教えられて、一橋治済による家基暗殺計画の存在には気付いており、そうであれば尚の事、家基の直ぐ傍にて見守りたいとの思いが強くあった。
家治は於千穂のその気持ちは理解出来なくもなかった。
が、それでは家基がいつまでも母、於千穂の方と生活を共にすることを意味し、種姫としては窮屈な思いをする。
そこで家治は何とか於千穂の方を説得し、また家基附の老女の初崎や小枝からも必ずや、今まで通り家基をお守りするからと、その様な口添えがあり、於千穂の方も漸くに本丸大奥へと移ることを承諾したのであった。
斯かる経緯から、家基は今でも三食、大奥にて摂っていた。
大奥だけが一橋治済の息がかかっていない「楽園」であると、家治はそう信じ込んでいたからだ。
それは新井宿での鷹狩りを迎えた21日の今朝にしても同様であった。
将軍にしろ次期将軍にしろ、鷹狩りの日の朝は早く、いつもよりも半刻(約1時間)も早い、明の六つ半(午前7時頃)に朝餉を摂る。
そこで大奥も、この場合は西之丸大奥においてもそれに併せる。
於千穂の方にしても普段は朝五つ(午前8時頃)に朝餉を摂る。
だが我が子、家基が鷹狩りに出向く日には半刻(約1時間)も朝餉を早め、家基と朝餉を共にしてきた。
今はそれが婚約者の種姫に替わっていた。
去年、安永7(1778)年の師走は中旬より、於千穂の方に替わって種姫が西之丸《にしのまる》大奥に暮らし始めてから、家基は5回目の鷹狩りを迎えようとしていた。
この日の朝餉、家基の朝餉もまた、中奥より運ばせたものであった。
その家基が食する朝餉、膳部だが、御膳番の小納戸である中野虎之助と高島安三郎の手によって、それも奥之番の小納戸、平塚三十郎の案内によって、西之丸中奥と大奥とを結ぶ下御鈴廊下まで運ばれ、そこで待機していた家基附の御客会釈の砂野と笹岡が受取った。
そして砂野と笹岡は膳部だけでなく、トリカブトの毒と河豚毒をも、中野虎之助と高島安三郎から夫々、受取った。
砂野と笹岡はその膳部を囲炉裏之間へと運び、そこで毒見をするフリをして膳部にトリカブトの毒と河豚毒とを染込ませたのであった。
その様子を初崎と小枝が見守っていた。
こうして「毒見」を済ませた膳部が御小座敷之間へと運ばれ、そこには既に種姫と共に家基の姿もあった。
種姫の前には既に膳部が並べられていた。
そこで砂野と笹岡も家基の前に膳部を並べた。
家基の御前に膳部が並べられたことで、種姫も漸くに箸を手に取り、家基もそうした。
家基と種姫、2人の膳部だが共に、二の膳まであり、一の膳こそ同じ「メニュー」であったが、二の膳は違った。
家基の二の膳には吸物の外に、鯛と平目が踊っていた。今日は鷹狩りということで、朝はいつもよりもガッツリと、という配慮からであった。
一方、種姫の二の膳には豆腐と卵の汁物、それに鯛の焼魚であり、家基の二の膳よりは質素であった。
そこで家基は己の焼魚、それも種姫の二の膳にはない平目の焼魚を与えようとした。
家基のその行動は砂野や笹岡には「想定の範囲内」であった。
家基は将来の御台所、婚約者の種姫を大事にしていた。
西之丸にて暮らし始めてからまだ2ヶ月目であったが、それでも家基は種姫を大事に扱い、食事を分け与えることも屡であった。
その際、吸物ではなく焼魚など、しっかりと腹に溜まるものを分け与えるのが常であった。
そこで砂野と笹岡はトリカブトの毒と河豚毒とを二の膳の吸物に染込ませたのであった。
吸物ならば家基が種姫に分け与えることはない、つまりは種姫が口にすることはないからだ。
それは種姫の為ではない。一橋治済の為であった。
家基が種姫に朝餉を分け与えた、となればその後で家基が斃れたとしても、誰も西之丸大奥にて食した朝餉に原因があるとは、もっと言えば毒が仕込んであったなどとは思わないであろう。
仮に朝餉に毒が仕込まれていたならば、その朝餉を分け与えられた種姫にしてもまた、無事では済まない―、事情を知らぬ者は誰もがそう考えるに違いないからだ。
つまりはこれで家基の死に関して、少なくとも西之丸大奥は無関係、「潔白」であると周囲にそう思わせることが出来、それは取りも直さず治済の息のかかった初崎や小枝、砂野や笹岡の為になり、ひいては治済の為にもなる。
さて、家基はそうとも知らずに遂に吸物に手を伸ばし、それを飲乾し、その様を初崎らは固唾を飲んで見守った。
去年、安永7(1778)年の10月までは成程、於千穂の方がここ西之丸大奥の主であった。
於千穂の方は次期将軍・家基の実母でもあることから、家基が盟主を務める西之丸の大奥にて暮らしていた。
だが10月に本丸の盟主たる将軍・家治のもう一人の側妾、於千穂の方と同じく、「お部屋様」の於品の方が病歿するや、於千穂の方は本丸大奥へと召還され、これと入替わりに本丸大奥にて於千穂の方の手許で育てられていた種姫が西之丸大奥へと送出されたのであった。
これは去年の安永7(1778)年10月に家治の側室の一人、所謂、「御部屋様」の於品の方が歿したことによる。
種姫が本丸大奥に迎えられたのは4年前の安永4(1775)年11月のことであり、これは家治が将来、我が子・家基と娶わせ様と考えてのことであった。
尤も、その時、種姫はまだ、数で11であり、幼女ではないにしても、少女に過ぎず、次期将軍の御台所に相応しい「教育」を施す必要があった。
要は「花嫁教育」であり、家治はそこで、まずは種姫を己の養女として本丸大奥へと迎え入れた上で、本丸大奥の主であった於品の方に種姫の「教育」を任せることにした。
家治が種姫の「教育」を於千穂の方ではなく、於品の方に任せることとしたのは、その時、於千穂の方が西之丸大奥にて暮らしていたから、ということもあるが、それ以上に、於品の方の方が於千穂の方よりも「教師」に相応しかったからだ。
於品の方は公卿・藤井兼矩の娘御だけあって、行儀作法に長じており、そこが於千穂の方との違いと言えた。
無論、於千穂の方も旗本の娘である以上、行儀作法を身につけてはいたものの、しかし於品の方と較べると、どうしても見劣りがする。
次期将軍、更には将軍の御台所となる種姫を教育出来るのは、謂わば花嫁修行を任せられるのはこの於品の方を措いて外にはいなかった。
種姫自身、田安家にて暮らしていた頃より、養母である寶蓮院より一通りの行儀作法は叩き込まれており、そこへ於品の方が更に「磨き」をかけた格好であった。
こうして種姫は於品の方の教育の甲斐あって、次期将軍、更には将軍の御台所として恥ずかしくない女性に育った。
その於品の方が去年、病歿したので、そこで御側御用取次の稲葉正明が於千穂の方と種姫との「交換」を提案したのであった。
即ち、於千穂の方を西之丸大奥から本丸大奥へと召還し、これと入替わりに種姫を本丸大奥より西之丸大奥へと送出すことであった。
「種姫様におかせられてましては、於品の方様の薫育の御蔭をもちまして、大納言様の御台所に相応しい素養を身につけられ…」
次期将軍夫人として恥ずかしくない女性に育ったので、そろそろ西之丸大奥へと移して差上げたらどうか、つまりは婚約者たる家基と一緒に暮らさせてやったらどうかと、正明は家治にそう進言したのだ。
その際、正明は西之丸大奥にて住まう於千穂の方を本丸大奥へと召還することをも進言したのであった。
側妾であった於品の方に先立たれた今、将軍たる家治が抱ける女子は本丸大奥には不在となる。
まさかに養女である種姫を抱く訳にも参らぬ。
そこで今一人の側妾、於千穂の方を本丸大奥へと召還することを進言した様に思われる。
否、元来、淡白なる性分の家治としては、家基という跡取りに恵まれた上は今更、女子を抱く気にもなれなかった。
於千穂の方が西之丸大奥にて暮らし続けたいと言うのであれば、家治としては一向に構わなかった。
と言うよりはこれで於千穂の方を抱かずに済むので、家治としては歓迎すべきところであった。
正明も家治の様子からそうと察するや、於千穂の方の本丸大奥への「召還」、その進言の真実の意味するところを家治に打明けた。
即ち、種姫の為であると、打明けたのであった。
種姫が本丸大奥より西之丸大奥へと移ったとして、そこには既に「姑」となる於千穂の方が鎮座している。
西之丸大奥にて、要は「一つ屋根の下」で姑と暮らすとなれば、嫁としては気苦労が絶えない。それは昔も今も変わらない。
そこで嫁の立場である種姫には西之丸大奥にて羽を伸ばして貰おうと、そこでその為に邪魔な存在となる於千穂の方を本丸大奥へと呼戻すことを提案した次第である。
家治は正明からそうと教えられ、そこで於千穂の方と種姫との「交換」を認めたのであった。
家治としては於千穂の方と種姫とでは、種姫の方が大事であったからだ。
かくして去年の師走、12月の中旬より種姫は本丸大奥を出、姑たる於千穂の方が不在となった西之丸大奥にて暮らし始めた。
一方、於千穂の方はと言うと、種姫が西之丸大奥に移って来るよりも前に、西之丸大奥を出て本丸大奥へと移り、そこで嫁の種姫と簡単な挨拶を交わしただけで、種姫を西之丸大奥へと送出した訳だが、しかし、西之丸大奥を出ることには大分、難色を示した。
それと言うのも、西之丸大奥を出ると言うことは、我が子、家基と離れ離れになることを意味していたからだ。
於千穂の方にしても家治から教えられて、一橋治済による家基暗殺計画の存在には気付いており、そうであれば尚の事、家基の直ぐ傍にて見守りたいとの思いが強くあった。
家治は於千穂のその気持ちは理解出来なくもなかった。
が、それでは家基がいつまでも母、於千穂の方と生活を共にすることを意味し、種姫としては窮屈な思いをする。
そこで家治は何とか於千穂の方を説得し、また家基附の老女の初崎や小枝からも必ずや、今まで通り家基をお守りするからと、その様な口添えがあり、於千穂の方も漸くに本丸大奥へと移ることを承諾したのであった。
斯かる経緯から、家基は今でも三食、大奥にて摂っていた。
大奥だけが一橋治済の息がかかっていない「楽園」であると、家治はそう信じ込んでいたからだ。
それは新井宿での鷹狩りを迎えた21日の今朝にしても同様であった。
将軍にしろ次期将軍にしろ、鷹狩りの日の朝は早く、いつもよりも半刻(約1時間)も早い、明の六つ半(午前7時頃)に朝餉を摂る。
そこで大奥も、この場合は西之丸大奥においてもそれに併せる。
於千穂の方にしても普段は朝五つ(午前8時頃)に朝餉を摂る。
だが我が子、家基が鷹狩りに出向く日には半刻(約1時間)も朝餉を早め、家基と朝餉を共にしてきた。
今はそれが婚約者の種姫に替わっていた。
去年、安永7(1778)年の師走は中旬より、於千穂の方に替わって種姫が西之丸《にしのまる》大奥に暮らし始めてから、家基は5回目の鷹狩りを迎えようとしていた。
この日の朝餉、家基の朝餉もまた、中奥より運ばせたものであった。
その家基が食する朝餉、膳部だが、御膳番の小納戸である中野虎之助と高島安三郎の手によって、それも奥之番の小納戸、平塚三十郎の案内によって、西之丸中奥と大奥とを結ぶ下御鈴廊下まで運ばれ、そこで待機していた家基附の御客会釈の砂野と笹岡が受取った。
そして砂野と笹岡は膳部だけでなく、トリカブトの毒と河豚毒をも、中野虎之助と高島安三郎から夫々、受取った。
砂野と笹岡はその膳部を囲炉裏之間へと運び、そこで毒見をするフリをして膳部にトリカブトの毒と河豚毒とを染込ませたのであった。
その様子を初崎と小枝が見守っていた。
こうして「毒見」を済ませた膳部が御小座敷之間へと運ばれ、そこには既に種姫と共に家基の姿もあった。
種姫の前には既に膳部が並べられていた。
そこで砂野と笹岡も家基の前に膳部を並べた。
家基の御前に膳部が並べられたことで、種姫も漸くに箸を手に取り、家基もそうした。
家基と種姫、2人の膳部だが共に、二の膳まであり、一の膳こそ同じ「メニュー」であったが、二の膳は違った。
家基の二の膳には吸物の外に、鯛と平目が踊っていた。今日は鷹狩りということで、朝はいつもよりもガッツリと、という配慮からであった。
一方、種姫の二の膳には豆腐と卵の汁物、それに鯛の焼魚であり、家基の二の膳よりは質素であった。
そこで家基は己の焼魚、それも種姫の二の膳にはない平目の焼魚を与えようとした。
家基のその行動は砂野や笹岡には「想定の範囲内」であった。
家基は将来の御台所、婚約者の種姫を大事にしていた。
西之丸にて暮らし始めてからまだ2ヶ月目であったが、それでも家基は種姫を大事に扱い、食事を分け与えることも屡であった。
その際、吸物ではなく焼魚など、しっかりと腹に溜まるものを分け与えるのが常であった。
そこで砂野と笹岡はトリカブトの毒と河豚毒とを二の膳の吸物に染込ませたのであった。
吸物ならば家基が種姫に分け与えることはない、つまりは種姫が口にすることはないからだ。
それは種姫の為ではない。一橋治済の為であった。
家基が種姫に朝餉を分け与えた、となればその後で家基が斃れたとしても、誰も西之丸大奥にて食した朝餉に原因があるとは、もっと言えば毒が仕込んであったなどとは思わないであろう。
仮に朝餉に毒が仕込まれていたならば、その朝餉を分け与えられた種姫にしてもまた、無事では済まない―、事情を知らぬ者は誰もがそう考えるに違いないからだ。
つまりはこれで家基の死に関して、少なくとも西之丸大奥は無関係、「潔白」であると周囲にそう思わせることが出来、それは取りも直さず治済の息のかかった初崎や小枝、砂野や笹岡の為になり、ひいては治済の為にもなる。
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