天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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安永のトリカブト殺人事件 ~家基と種姫、最期の会話~

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 朝餉あさげませた一時ひととき家基いえもと種姫たねひめ会話かいわきょうじた。

本日ほんじつ放鷹ほうようたしか、新井宿あらいじゅくとか…」

左様さよう…、新井宿あらいじゅく一昨年おととし以来いらいかの…」

一昨年おととし…、それなれば…」

 種姫たねひめがまだ本丸大奥ほんまるおおおくにてらしていたころである。

「それでは随分ずいぶんひさしぶりの放鷹ほうよう相成あいなりまするな、新井宿あらいじゅくでの放鷹ほうようは…」

「そういうことになるかのう…」

新井宿あらいじゅくなれば…、たしか、御殿山ごてんやまさきでござりまするな…」

「うむ…、相変あいかわらず、たね地理ちりくわしいのう…」

「いえ…、御殿山ごてんやまなれば、今頃いまごろさくら見頃みごろかとおもいまして…」

 家基いえもとはそれで種姫たねひめさくらでたいのだと勘付かんづいた。

 花見はなみなれば、さしてめずらしいものではない。

 将軍しょうぐん養女ようじょいえども、実際じっさいには次期じき将軍しょうぐん家基いえもと婚約者こんやくしゃいえど完全かんぜんなる「籠中こちゅうとり」ではない。花見はなみぐらいは毎年まいとしたのしめる。

 夜櫻見物よざくらけんぶつさえも可能かのうであり、事実じじつ種姫たねひめ将軍しょうぐん家治いえはる養女ようじょとしてここ御城えどじょうむかえられてからというもの、毎年まいとし城内じょうないにて花見はなみたのしんだ。

 だがそれはあくまで城内じょうないかぎられる。

 種姫たねひめがまだ、田安家たやすけにてらしていたころ外出がいしゅつ勝手次第かってしだい自由じゆうであったが、しかし将軍しょうぐん養女ようじょとして御城えどじょうむかえられてからはそうもゆくまい。

 勝手気侭かってきまま外出がいしゅつなどゆるされず、畢竟ひっきょう花見はなみ城内じょうないにて、となる。

 それゆえ種姫たねひめ城外じょうがいにて花見はなみたのしみたいのだと、家基いえもとはそうとさっした。

たね…、うまあやつれるか?」

またがったことなれば、幾度いくどか…、田安家たやすけにて…」

 これには家基いえもとおどろいた。女子おなごが、それも御三卿ごさんきょう筆頭ひっとう田安家たやすけ息女そくじょうままたがったことがあるとは、家基いえもとには新鮮しんせんおどろきであった。種姫たねひめを「深窓しんそう令嬢れいじょう」とおもんでいたからだ。

 するとそこで、それまでだまっていた種姫附たねひめづき老女ろうじょ向坂さきさかくちはさんだ。

田安家たやすけ文武ぶんぶ両道りょうどうむねとし…」

 おとこ勿論もちろんのこと、おんな武芸ぶげいはげむのだと、向坂さきさか家基いえもとにそうおしえた。

 向坂さきさかじつ田安家たやすけにて種姫たねひめつかえていた侍女じじょわば田安家たやすけ老女ろうじょであった。

 それが種姫たねひめ将軍しょうぐん家治いえはる養女ようじょとして御城えどじょうむかえられるとあって、向坂さきさか種姫附たねひめづき老女ろうじょとして御城えどじょう乗込のりこんだ次第しだいであった。

 それゆえ向坂さきさか種姫たねひめのことはもとより、田安家たやすけの「家風かふう」をも熟知じゅくちしていたのだ。

左様さようか…、それなればたねよ、この家基いえもとうまを…、乗馬じょうば手解てほどいたそうか?」

大納言だいなごんさまおんみずから?」

「うむ…、さすれば鷹狩たかがりにも…」

大納言だいなごんさま放鷹ほうようにこのたねを?」

うまりこなせることが出来できたなれば、な…」

 無論むろん鷹狩たかがりというのはあくまで名目めいもくぎない。

 家基いえもと鷹狩たかがりにりて、種姫たねひめ花見はなみさそそうとしていたのだ。

 だがそのためにはたねにはうまあやつれるのがこのましい。あくまで「鷹狩たかがり」という名目めいもくたね城外じょうがいへと、そして花見はなみへとさそそうとしていたからだ。

「このたね見事みごとうまりこなしてみせましょうぞ…」

たのもしい言葉ことばだの…」

大納言だいなごんさま手解てほどきなれば、かならずやこのたねうまあやつれるものと…」

 家基いえもと乗馬じょうばおしえてくれるなら、うまりこなせる自信じしんがあると、種姫たねひめ断言だんげんしたのだ。

 その種姫たねひめ自信じしんぶりに家基いえもと微笑ほほえみをかべると、

「されば明日あすより、この家基いえもと手取てと足取あしとり…」

 乗馬じょうばおしえようと、種姫たねひめげたのだ。

 だがその明日あすおとずれることはなかった。それどころか、これが家基いえもと種姫たねひめ生前せいぜん最期さいご会話かいわとなった。
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