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第二章:冷たい王とΩ
第七話:獣の本能
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扉の向こうから聞こえたのは、嵐が過ぎ去った後のような、静かで、ひどくかすれた声だった。
ユリアンは、自分がしでかしたことの重大さに、はっと我に返る。王が獣性を抑えるための神聖な儀式を自分が妨げてしまったのかもしれない。
「も、申し訳ありません!でしゃばった真似を……!」
慌ててその場を離れようとした、その時、重々しい錠が外れる音がして、巨大な扉がゆっくりと内側へ開かれた。
そこに立っていたのは、ライオネルだった。
黄金の髪は汗で肌に張り付き、その体からはまだ獣の残り香が立ち上っている。しかし、ユリアンが扉越しに感じたような、荒れ狂う嵐のような気配は消え失せていた。
琥珀の瞳は、信じられないものを見るかのように、ただ真っ直ぐにユリアンを見つめている。その瞳に宿るのは、驚愕と、そして拭い去ることのできない戸惑いの色だった。
部屋をチラリと覗くと中は惨状だった。
分厚いテーブルは無惨にひっくり返り、壁に飾られていたであろう武具は床に散乱している。彼がどれほど激しい内なる戦いを繰り広げていたのか、一目で分かった。
「なぜ……お前の気配を感じると、獣が静まる?」
ライオネルの声は、まだ少し乱れていた。彼は、まるで自分自身に問いかけるように呟く。
「俺の獣は、これまで誰にも従うことなどなかった。王であるこの俺にすら、牙を剥く。だというのに……なぜ、お前という存在にだけは、こうもやすやすと……」
ライオネルは、答えを求めるようにユリアンに一歩近づいた。
その距離が縮まった瞬間、ユリアンの体から再び、甘く清らかな香りがふわりと立ち上る。それは、彼が意識して放っているものではない。目の前のαに呼応するように、本能が勝手に香り立つのだ。
その香りを吸い込んだライオネルの瞳が、大きく見開かれた。
彼の内側で、再び獣が頭をもたげる気配がする。だがそれは、破壊的な衝動ではない。もっと原始的で、抗いがたい欲求。目の前のΩを、自分のものにしたいという、強烈な独占欲だった。
「……陛下?」
ライオネルの尋常ではない様子に、ユリアンは不安げに彼を見上げる。
その無防備な瞳が、ライオネルの最後の理性を焼き切った。
気づいた時には、ユリアンは壁際に追い詰められ、両腕をライオネルに掴まれていた。背中に当たる冷たい石の壁と、目の前の男から発せられる熱。そして、鼻腔を埋め尽くす、むせ返るようなαのフェロモン。
「ひっ……!」
恐怖に息を呑むユリアン。しかし、ライオネルはそれ以上動かなかった。彼は、まるで何かと戦うかのように、苦悶の表情で顔を歪めている。
「くそ……っ!」
ライオネルは忌々しげに悪態をつくと、ユリアンを壁に縫い付けたまま、その白い首筋に顔を埋めた。牙を立てる寸前で、彼は必死に耐えている。代わりに、その香りを求めるように、深く、深く、息を吸い込んだ。
「……っ、や……」
熱い吐息が首筋にかかり、ユリアンの全身がびくりと跳ねる。
本能的な恐怖と、それとは裏腹に体の奥底から湧き上がるような甘い疼き。
αのフェロモンを浴びたΩの体が、抗いがたく反応してしまっているのだ。
どれくらいの時間が経ったのか。ライオネルは、ゆっくりと顔を上げた。彼の瞳に燃え盛っていた獣の光は、いくらか理性の色を取り戻している。だが、その代わりに、そこにはどろりとした熱っぽい光が宿っていた。
「……お前は、一体何なのだ」
ライオネルは、まだユリアンの腕を掴んだまま、低い声で問いかける。それは、自分に向けられた問いのようでもあった。
なぜ、このΩだけが。
なぜ、このΩでなければならないのか。
運命など信じない。
番など認めない。そう固く誓ったはずの己の信念が、目の前の小さな存在によって、根底から揺さぶられている。
ライオネルは、名残惜しそうに、しかし乱暴にユリアンを突き放した。
「……失せろ。二度と俺の前に現れるな」
そう言い放つと、彼はユリアンに背を向ける。その背中が、逃げるように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
一人残されたユリアンは、その場にへなへなと座り込んだ。心臓はまだ激しく脈打ち、首筋にはライオネルの吐息の熱が生々しく残っている。
(僕の存在に、何か、意味がある……?)
生まれて初めて抱いた小さな希望の光。
それは、拒絶され続けた日々の闇を、わずかに照らし出すには十分すぎるほどの輝きを持っていた。
しかし、同時にユリアンは理解していた。
あの獣のような瞳。あれは、決して穏やかな感情ではない。自分の力が、あの冷徹な王の中に、新たな嵐を呼び起こしてしまったのかもしれない、と。
ユリアンは、自分がしでかしたことの重大さに、はっと我に返る。王が獣性を抑えるための神聖な儀式を自分が妨げてしまったのかもしれない。
「も、申し訳ありません!でしゃばった真似を……!」
慌ててその場を離れようとした、その時、重々しい錠が外れる音がして、巨大な扉がゆっくりと内側へ開かれた。
そこに立っていたのは、ライオネルだった。
黄金の髪は汗で肌に張り付き、その体からはまだ獣の残り香が立ち上っている。しかし、ユリアンが扉越しに感じたような、荒れ狂う嵐のような気配は消え失せていた。
琥珀の瞳は、信じられないものを見るかのように、ただ真っ直ぐにユリアンを見つめている。その瞳に宿るのは、驚愕と、そして拭い去ることのできない戸惑いの色だった。
部屋をチラリと覗くと中は惨状だった。
分厚いテーブルは無惨にひっくり返り、壁に飾られていたであろう武具は床に散乱している。彼がどれほど激しい内なる戦いを繰り広げていたのか、一目で分かった。
「なぜ……お前の気配を感じると、獣が静まる?」
ライオネルの声は、まだ少し乱れていた。彼は、まるで自分自身に問いかけるように呟く。
「俺の獣は、これまで誰にも従うことなどなかった。王であるこの俺にすら、牙を剥く。だというのに……なぜ、お前という存在にだけは、こうもやすやすと……」
ライオネルは、答えを求めるようにユリアンに一歩近づいた。
その距離が縮まった瞬間、ユリアンの体から再び、甘く清らかな香りがふわりと立ち上る。それは、彼が意識して放っているものではない。目の前のαに呼応するように、本能が勝手に香り立つのだ。
その香りを吸い込んだライオネルの瞳が、大きく見開かれた。
彼の内側で、再び獣が頭をもたげる気配がする。だがそれは、破壊的な衝動ではない。もっと原始的で、抗いがたい欲求。目の前のΩを、自分のものにしたいという、強烈な独占欲だった。
「……陛下?」
ライオネルの尋常ではない様子に、ユリアンは不安げに彼を見上げる。
その無防備な瞳が、ライオネルの最後の理性を焼き切った。
気づいた時には、ユリアンは壁際に追い詰められ、両腕をライオネルに掴まれていた。背中に当たる冷たい石の壁と、目の前の男から発せられる熱。そして、鼻腔を埋め尽くす、むせ返るようなαのフェロモン。
「ひっ……!」
恐怖に息を呑むユリアン。しかし、ライオネルはそれ以上動かなかった。彼は、まるで何かと戦うかのように、苦悶の表情で顔を歪めている。
「くそ……っ!」
ライオネルは忌々しげに悪態をつくと、ユリアンを壁に縫い付けたまま、その白い首筋に顔を埋めた。牙を立てる寸前で、彼は必死に耐えている。代わりに、その香りを求めるように、深く、深く、息を吸い込んだ。
「……っ、や……」
熱い吐息が首筋にかかり、ユリアンの全身がびくりと跳ねる。
本能的な恐怖と、それとは裏腹に体の奥底から湧き上がるような甘い疼き。
αのフェロモンを浴びたΩの体が、抗いがたく反応してしまっているのだ。
どれくらいの時間が経ったのか。ライオネルは、ゆっくりと顔を上げた。彼の瞳に燃え盛っていた獣の光は、いくらか理性の色を取り戻している。だが、その代わりに、そこにはどろりとした熱っぽい光が宿っていた。
「……お前は、一体何なのだ」
ライオネルは、まだユリアンの腕を掴んだまま、低い声で問いかける。それは、自分に向けられた問いのようでもあった。
なぜ、このΩだけが。
なぜ、このΩでなければならないのか。
運命など信じない。
番など認めない。そう固く誓ったはずの己の信念が、目の前の小さな存在によって、根底から揺さぶられている。
ライオネルは、名残惜しそうに、しかし乱暴にユリアンを突き放した。
「……失せろ。二度と俺の前に現れるな」
そう言い放つと、彼はユリアンに背を向ける。その背中が、逃げるように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。
一人残されたユリアンは、その場にへなへなと座り込んだ。心臓はまだ激しく脈打ち、首筋にはライオネルの吐息の熱が生々しく残っている。
(僕の存在に、何か、意味がある……?)
生まれて初めて抱いた小さな希望の光。
それは、拒絶され続けた日々の闇を、わずかに照らし出すには十分すぎるほどの輝きを持っていた。
しかし、同時にユリアンは理解していた。
あの獣のような瞳。あれは、決して穏やかな感情ではない。自分の力が、あの冷徹な王の中に、新たな嵐を呼び起こしてしまったのかもしれない、と。
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