婚約破棄されましたが、私は愛よりも信じます。

夏乃みのり

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「……百五、百六、百七。ふふ、ふふふふ。金貨の擦れる音って、どうしてこんなに鼓膜に優しいのかしら」


私は幽霊屋敷の、辛うじて床が抜けていない一角で、山積みになった金貨を数えていました。


香水の売れ行きは絶好調。今や王都の令嬢たちの間では、私の香水を付けていない者は「流行遅れ」を通り越して「嗅覚の死滅した者」扱いされているそうです。


「ヒーナ様、あまりに汚い笑い声を上げるのはおやめください。幽霊屋敷の怪談が一つ増えてしまいます」


ゼクスが、どこから持ってきたのか分からない一級品の紅茶を淹れながら言いました。


「失礼ね、これは『勝利の凱歌』よ。さてゼクス、この資金でまずは屋根の修理と……」


私が今後の事業計画(予算案)を語ろうとした、その時。


バシャーン! と、今にも外れそうだった玄関の扉が、乱暴に蹴り開けられました。


「ここに、悪女ヒーナ・ローウェルはおるか!」


現れたのは、キンキラキンの鎧に身を包んだ、いかにも「私は王宮の使いです」と言わんばかりの騎士でした。


「あら、お客様? うちはアポなし訪問の場合、特急対応料金として金貨一目盛り分を頂戴しておりますけれど」


「黙れ! 私はカイル第一王子殿下の命を受け、伝令に参ったのだ!」


騎士は、仰々しく巻物を取り出し、それを広げました。


「『ヒーナ・ローウェルが現在販売している香水は、王国の公序良俗を乱す恐れがある。よって、その製法および販売権のすべてを王室に無償で譲渡せよ。さもなくば、不当な商行為として処罰する』とのことだ!」


私は、耳を疑いました。


……いえ、正確には、自分の脳内の計算機が「エラー」を吐き出すのを感じました。


「……ゼクス。今、彼は『無償で譲渡』と言いましたか?」


「はい。日本語……いえ、この国の公用語でハッキリと『一銭も払わない』と宣言されましたね」


「……ははっ」


私は、思わず乾いた笑い声を漏らしました。


「貴様、何がおかしい!」


「いいえ、あまりにも斬新な経済理論だったので。カイル様は、いつから共産主義……いえ、国家による強奪を推奨する独裁者になられたのかと思いまして」


私はゆっくりと立ち上がり、騎士の目の前まで歩み寄りました。


「いいですか。この香水の開発には、私の高度な専門知識と、地下室での命がけの調合作業、そしてギリング商会を脅迫……いえ、コンサルティングして得た流通ルートという、多大な知的財産と初期投資(イニシャルコスト)がかかっているのです」


「知ったことか! 王子の命令は絶対だ!」


「カイル様に伝えてちょうだい。その命令に従うことで私が被る『逸失利益』、および『独占禁止法違反』による市場への悪影響を計算すると、王国全体のGDPが0.5%は下落するわよ、と」


「じーでぃーぴー……? 何をわけのわからんことを!」


騎士は苛立たしげに剣の柄に手をかけました。


「とにかく、製法を書いた書面を出せ! さもなくば、この屋敷ごと焼き払ってくれる!」


「まあ、怖い。でも、よろしいのですか? 私が今持っている製法は、私にしか扱えない『特殊な触媒』を前提としたもの。無理に奪っても、出来上がるのはただの『ドブ水』ですわよ」


私は、ゼクスに目配せをしました。


ゼクスは溜息をつきながら、一枚の分厚い契約書を取り出しました。


「騎士殿。ヒーナ様はこう仰っています。製法を渡す代わりに、王宮には『ライセンス契約』を結んでいただきたい、と」


「らいせんす……?」


「ええ。初期費用は無料。ただし、香水が一本売れるごとに、売上の95%を『技術使用料』として私に支払うという契約です。もちろん、維持管理費と広告宣伝費はすべて王宮持ち。これなら、王宮側も『製法を所有している』という名誉が得られますわね」


「売上の、きゅ、九十五パーセントだと!? そんなの、王宮が赤字になるだけではないか!」


「あら、名誉には対価が必要でしょう? カイル様は、私の香水を『自分の手柄』にしたいのでしょうから、そのための維持費(コスト)だと思えば安いものですわ」


私はにっこりと微笑みました。


「もし嫌だというのなら、今すぐ王都中の令嬢たちに広めますわよ? 『カイル王子は、女性たちの美の守護神であるこの香水を、力尽くで奪って独占しようとしている。皆様の香りが奪われるのは、王子のせいです』……とね」


「……っ! 貴様、民衆を扇動するつもりか!」


「いいえ、事実を周知(マーケティング)するだけです。さて、サインなさいます? それとも、明日から王子が『香りの泥棒』と呼ばれる姿を見守ります?」


騎士の顔は、みるみるうちに青ざめていきました。


王宮は今、ミア様との婚約を強引に進めるために、貴族たちの支持を必要としています。


ここで女性層を完全に敵に回せば、王子の政治的生命は終わる――その計算が、この脳筋の騎士にも伝わったようです。


「……くっ、覚えておれよ! この件、必ず殿下に報告してやる!」


騎士は捨て台詞を残し、逃げるように去っていきました。


「……ふう。騒がしい客だったわ。ゼクス、今の騎士の足跡で床が汚れたわね。清掃費用として、後で王宮に請求書を送っておいて」


「承知しました。項目は『精神的苦痛に伴う特別清掃料』でよろしいですね?」


「ええ、それでお願い。……さて、王子がこれほどまでに焦っているということは、王宮の金庫、思った以上に空っぽなのかもしれないわね」


私は窓の外、遠くに見える王宮を眺め、不敵な笑みを浮かべました。


「私の香水を欲しがるなら、金貨で道を舗装してからいらっしゃい。カイル様」


婚約破棄から数日。


私はすでに、一人の令嬢という枠を超え、王国という巨大な組織を相手に「商談」を仕掛けようとしていたのです。
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