婚約破棄されましたが、私は愛よりも信じます。

夏乃みのり

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「……ヒーナ、私だ。開けてくれ。頼む、この通りだ」


かつての婚約者であり、この国の第一王子であるカイル・ド・ヴァルアス様が、我が「ローウェル・アセット・マネジメント本部」の門前で力なく項垂れていました。


卒業パーティーでのあの威勢はどこへやら。目の下には深い隈が刻まれ、磨き抜かれていたはずの金髪はボサボサ。まるで連日連夜、暴落する株価チャートを眺め続けた投資家のような悲惨な姿です。


「あら、カイル様。当本部は予約制となっておりますの。飛び込みのお客様は、通常料金の五割増しとなりますが、よろしいかしら?」


私は門の隙間から、冷徹な視線と共に受付票を差し出しました。


「金なら払う! いくらでも払うから、中に入れてくれ……。もう、あの『紙の塔』を見るのは限界なんだ!」


「……ゼクス。お客様よ。ただし、精神状態が著しく不安定なため、割れ物や金庫からは遠ざけておいてちょうだい」


「承知しました。鎮静効果のある(そして非常に高価な)ハーブティーを準備いたします」


応接室に案内されたカイル様は、ソファに沈み込むなり、嗚咽を漏らしました。


「ヒーナ……。お前がいなくなってから、王宮の事務が完全に死んだ。ミアは『書類に可愛いシールを貼れば終わりますわ!』と言って、重要書類にウサギのシールを貼りまくって余計に読めなくするし、財務官たちはストライキ寸前だ。外交文書に至っては、翻訳できる者が誰もいない!」


「それは大変ですわね。でも、それは王家が『有能な実務家』を放逐し、『愛』という名の不確実な資産に全振りした結果ではありませんか?」


私は優雅に足を組み、手元の算盤をパチリと弾きました。


「私が公爵令嬢として無償で提供していた労働力を、現在の市場価値で換算してみましょうか。深夜残業代、休日出勤手当、そして高度な専門知識を要するコンサルティング料……。カイル様、貴方は私に、数年分もの給与を滞納している計算になりますわよ?」


「わ、分かっている! 私が悪かった! お前がこれほどまでに……これほどまでに『便利』だったとは気づかなかったんだ!」


「便利、とおっしゃいましたか?」


私は笑顔のまま、手に持っていたスプーンをミシリと鳴らしました。


「失礼。……『不可欠』だった、と言い直そう。頼む、ヒーナ。王宮に戻ってきてくれ。ミアとの婚約は、その、保留にしてもいい! お前を『事務担当王妃』として再雇用する!」


「却下ですわ。なぜ私が、わざわざ赤字垂れ流しの組織に戻らなければならないのです? 今の私は、自分の時間を一ルク単位で収益化できる自由な経営者ですのよ?」


私は、カイル様の目の前に一枚の契約書を突き出しました。


「ただし、王家からの『業務委託』としてなら、お受けしてあげてもよくてよ」


「ぎょ、業務委託……?」


「ええ。私は王宮には戻りません。この屋敷から、リモートで指示を出します。一件の書類を処理するごとに、成功報酬として金貨十枚。特急案件はさらに倍。そして、私の助言によって削減された予算の二十パーセントを、インセンティブとして私に支払うこと。……これが条件です」


カイル様は、契約書の金額欄を見て目を剥きました。


「なっ……! これでは、王宮の予算が半分、お前の懐に入ることになるじゃないか!」


「あら、お安いものですわ。私が介入しなければ、あと三ヶ月でこの国は財政破綻(デフォルト)しますわよ? 国家が滅びて無一文になるのと、私の口座に金を振り込んで平穏を得るの、どちらが合理的か……カイル様でも分かりますわよね?」


カイル様は震える手でペンを取りました。彼にはもう、選択肢など残されていないのです。


「……分かった。サインしよう。その代わり、今すぐこの『食糧配分計画書』をチェックしてくれ! 数字が……数字がゲシュタルト崩壊して、もう何が正解か分からないんだ!」


「毎度あり。ゼクス、カイル様を『一般顧客用出口』からお見送りして。あ、契約成立記念の粗品として、賞味期限の近いマシュマロを一袋差し上げてちょうだい。代金は後で請求書に載せておいてね」


「かしこまりました。……ヒーナ様。王子をここまで追い詰めるとは、もはやどちらが悪役か分かりませんね」


カイル様がフラフラと帰っていくのを見送りながら、私は新しい帳簿に力強くペンを走らせました。


「失礼ねゼクス。私は彼に『現実という名の救済』を売ってあげたのよ」


婚約破棄された元・悪役令嬢。
しかし今や、私は王国の存続さえも「商品」として扱う、史上最強の外注業者へと進化を遂げたのです。


(さて、カイル様。せいぜい必死に働いて、私の口座に利息を積み上げてくださいな!)


私の瞳は、窓から差し込む夕日を反射して、金貨のようにギラリと輝いていました。
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