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33 聖女への憧憬 〜ジン視点2〜

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 「初めまして。フェリシティ様。ジンと申します」

 彼女を一目見て、俺の時は止まった。

 聖女フェリシティがいる。
 思い描いていた聖女にそっくりな女が、すぐ目の前にいた。

 小さな顔の中で、大きな紫の瞳がキラキラと輝く。
 光をまとったような長い黄金の髪。
 今にも壊れそうなほど、華奢ではかなげな少女。

 夢の聖女が現実に存在した。
 手を伸ばせば触れられる距離に、理想の彼女がいた。

 かわいらしくて、愛らしくて、いとおしい。

 聖女フェリシティと同じように、王女は冷遇されている。
 偽物の王女だからだ。

 それは知っていた。皇弟の元にいるのが本物の王女で、彼女は入れ替えられた孤児にすぎないはずだ。
 珍しい紫の瞳を持つだけの存在。

 それなのに。
 なぜ、こんなに、目が離せなくなるのか?
 なぜ、こんなにも、思い描いていた聖女の姿にそっくりなのか。

 舌っ足らずな帝国語の発音も、上目づかいで俺を見あげるその視線も、同情をはねのける凛とした矜持も。
 全てが愛おしい。
 子供の頃から思い描いていた理想の女性。
 俺の聖女。

 レドリオン公爵家が彼女を排除しようと動いている。
 その邪魔をするわけにはいけなかった。
 帝国とレドリオン家は手を組んで、この国を手に入れようとしているのだから。
 俺は帝国の皇孫として、それに力を貸すために、この国に来ている。
 それでも。
 彼女を守りたい気持ちを抑えることはできなかった。
 ただ、単に守りたいのではない。
 俺のものにしたいのだ。

「私には婚約者がいるの」

 一緒に帝国に行こう。そう願う俺の手を彼女ははねのけた。
 あんな男はおまえにふさわしくない。あれは、カレン王女の婿にして、子供ができれば殺す予定だ。

 おまえは本物の王女じゃないんだ。レドリオン家が用意した偽物だ。帝国にいる本物の王女が戻って来たら、殺されるのだ。

 そう言ってしまいそうになる。

 偽物の王女なのに、聖女フェリシティと同じように、彼女は国民を愛していると言う。
 この国の民に、そんな価値はないのに。

 精霊の加護がなくなってからも、この国の民は、自分たちで生きようとはしなかった。食料が手に入らないのも、雨が降るのも、全てを王族のせいにして、自ら働こうとしない。生贄の聖女の力不足が原因だと、うそぶく者さえいる。

 国王は、精霊の加護が失われたことを嘆くばかりで、国のために働くことから逃げ、享楽におぼれた。

 貴族も同罪だ。自分の贅沢な暮らしを維持することだけを考えて、帝国にあらゆるものを売り払った。領地の資源は枯渇した。

 それでも、この国には、まだまだ価値がある。

 砂漠の中に建てられた国だ。
 なぜ、この土地だけに川が流れ、森には緑があふれるのか。
 この国を一歩出れば、あたりには乾いた砂しかないのに。
 なぜ、この地だけが豊かなのか。
 国民は考えようともしない。
 それこそが、この国の加護だと言うのに。

 魔物の瘴気で苦しむ帝国の民を、この国に移住させよ。
 皇帝の命令だ。まずは、この国に莫大な借金を負わせて、その支払いに民を奴隷として、帝国に連れて来る。そして、そのかわりに、この場所には帝国の貴族が住む。

 世界でここだけが安全なのだ。瘴気をまき散らすような危険な魔物は入ってこない。豊かな土壌と、豊富な水資源。穏やかな気候。

 皇帝の命令は絶対だ。この国はもう、皇帝の土地になったも同然。それなら、俺は、彼女をもらおう。今まで、軍隊で多くの魔物と敵兵を殺してきた。少しばかり褒美をもらってもいいだろう?



「それで? あの果物について何か分かったのか?」

 皇弟が、レドリオン家を訪ねて来た。

「ブルーデン公爵家に部下を送り込んだ。たしかに、あの果物には中毒性はあるが、体に害はないようだ。それに、書類を調べたところ、特殊な肥料を使っていて、生産にはかなりの労力と金額がかかるようだ」

「ふむ。それでか。あれだけ売っているのに、利益がほとんどでないのか。それなら、心配することはなかったな」

「しかし、中毒性がある食品は……」

「皇帝は、念のために、果物の輸入を禁止した。貴族からの反発はあるが、中毒性といっても、しばらくすれば影響はなくなる。問題ない。まあ、確かに他にはないぐらい美味で、良い夢を見ることはできるから、嗜好品としては優れているがな」

「食べたのですか?」

「ああ、うまかったぞ」

 叔父はにやりと笑った。俺と同じ黒髪に黒い瞳の皇弟は、身分の低い奴隷出身の母親を持つ。そのため、こうして、皇帝の手足となって働かされる。

「あの夢を見るためなら、全財産をはたいても惜しくないと思う者もいるだろうな」

 彼はどんな夢を見たのだろう? 皇帝のために生涯、魔物や敵国兵を殺す。そんな人生を送る彼にとって、幸せとは何だったのだろう。

 今、もしも俺がその果物を食べたなら、どんな夢を見る?

 頭の中で、金髪の少女がほほ笑む。
 キラキラ光る紫の瞳で俺を見上げる。

 ああ、きっと彼女の夢だ。

「皇帝は、カレン王女とおまえの結婚を望んでいたのだがな」

 突然、おれの頭の中にいた愛しい少女の姿が消え去る。

「それは、カレン王女が断ったんだろう?」

「ああ、帝国人との結婚は嫌だと。まあ、帝国で育ててやったのに、王国の常識を植え付けた乳母の影響かな」

 あのわがままな王女を思い浮かべて、うんざりする。レドリオン公爵からの仕送りで、贅沢三昧に育った王女だ。身代わりになったフェリシティは食事も満足に与えられず、虐げられていたというのに。

「それに、まだまだ王国人には純血主義を唱える者が多いからな。知ってるか? 外国人と寝ただけで、もうエヴァン王国の民ではなくなるそうだ。ふざけた話だな。俺たちは性病扱いか?」

 それなら、帝国人の祖母をもつカレンは、エヴァン王国の王女とは言えないのかもしれないな。レドリオン公爵の妻は、皇帝の妹といっても、ハーレムの奴隷から生まれている異母妹だ。魔力もないし、後見もない。

「純粋なエヴァン王国民なんて、今はほとんどいないんじゃないか? この国の大災害の時代、貧しい民は生活のために、外国人に体を売っていたからな。ああ、貴族は別か。いやいや、貴族も、俺たち帝国のもてなしを受けて、外国人の奴隷女を味見して楽しんでいたな。外国人と交わったことのない純血といえる王国人は、相当少なくなっているぞ」

 気高く美しい民などもう存在しない。母が語った夢のように美しいエヴァン王国は、もうどこにもないのだ。

「カレン王女は、ブルーデン公爵の息子と結婚させて、子供を産ませてから始末する。その子どもの後継人として、俺が補佐につく」

 ブルーデン侯爵子息の婚約者はフェリシティだ。彼女をカレンと挿げ替えるのか。いや、元の場所に戻すだけか。そしたら、フェリシティはどうなる?

「エヴァン国王とブルーデン公爵には、それまでに消えてもらおう」

「フェリシティ王女は?」

「偽物の王女のことか? それは、レドリオン家が処分するだろう。今度の誕生パーティでカレン王女を披露するそうだ。その時に、処刑されるはずだ」

 そんなことはさせない。彼女は俺が守る。もしも、捕らえられたなら、身代わりを用意して、俺が連れ出そう。

 大きな紫の瞳が俺を見つめる時、なんともいえない高揚感で満たされる。
 彼女を側に置いておきたい。
 なんとしても手に入れよう。




※ 時系列的には、誕生パーティでカレンがお披露目される前ぐらいです。
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