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第二章 王子様に秘密がバレました

2-2 誰だ……?

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◆◆◆◆

 舞踏会が終わってからというもの、ディアルムドの周囲で『早く妃を』という声は日増しに高まっていった。
 グロー公爵が気分を害したのは言うまでもなく、ディアルムドを支持する派閥からも連日謁見の申し入れがあったほど。
 主催者であった国王は沈黙している。
 いよいよ食事を摂ることさえままならなくなってきた王にとっては、難しいことかもしれないけれども。

 結婚に後ろ向きなディアルムドにまわりが戸惑うのは無理もない。
 なんとかしなくてはいけないことはディアルムド自身も理解している。
『急にワガママになられた』だの『もしや腑抜けてしまわれたのか』だのと影で囁かれようとも、魔界へと通じる扉のことを考えれば適当に決めるわけにはいかなかった。
 そうかといって王家の秘密でもある封印に言及すれば、混乱を招くのは必至。

 頭の痛い日々は続いた。

 そんなある日の午後、ディアルムドは小さな町の公民館を何箇所も回ってスピーチをしたり握手をしたりして人々と交流していた。
 異変を感じたのは、次の訪問先に移動しようというとき。
 馬車に乗り込もうとして、ディアルムドは足を止めた。
 ここ最近感じる『忌まわしい魔力』に気づいて、こっそりと溜息をつく。
 片手を挙げてサインを送ると、そばに控えていた従者と近衛騎士が緊張した面持ちで頷いた。

 ――自分で仕留めるか、ソーラスを呼び出すか……。

 ディアルムドは外套のフードを深く被り、馬車には乗らずにゆっくりと大通りを横切るように歩き始めた。

 ――いや、自分でやるか。とっとと殺そう。

 いくらか迷ってそう決める。
 人の少ない路地に移動すると、頭の中で目的地への座標を瞬時に計算して転移した。
 魔法を使うときはたいてい呪文や魔法陣、場合によって贄などの媒介が必要だ。
 魔法の精度を高めるため、何より術者の消耗を防ぐために。
 だがこんなところでモタモタしているわけにはいかなかった。
 魔力酔いを避けるため目を瞑っていたディアルムドは、目を開けるなり腰から大剣を抜く。

 やってきたのは先ほどの場所からそれほど遠くない――小さな村の教会だった。
 あたりをつけた通り、そこには一頭の魔物が。
 墓地に立っているその姿はまるで死神のようにも見える。
 事実今にも子どもに襲いかからんと、血走った目を向けていた。
 そんな中さらなる異変に気づいたのは、ディアルムドが駆け込もうとしたタイミングだった。

「子どもに気をつけて」

 聞き慣れない女の声に、ディアルムドの体がピタリと止まる。

 ――誰だ……?

 どうやら助けに駆けつけた人間は自分以外にもいたようだ。
 思ったよりも若い女だった。
 女は子どもを抱きかかえて、素早く使い魔に命じる。

「あの獣を『焼き払え』!!」

 次の瞬間、翼のはためく音がした。
 そうかと思えば黒くよどんだ空気を薙ぎ払うように猛烈に風を吹き鳴らし、硬い鱗で覆われた怪物が現れる――竜だ。
 これではいったいどちらが魔物かわからないといった有り様だった。
 それでも女の指示に従っていることを見れば、知性があることは明らか。

 ――何……! あれは、使い魔……!?

 そう思い至ったのも当然といえば当然だ。
 あれほどの使い魔は天才と呼ばれるディアルムドさえ見たことがなかった。
 魔物に食らいつこうと竜が口を開けると、鋭い牙が何本も覗く。
 いいや、そうではない。食らおうとしていたのではなく、口から火を噴いたのである。

 ――火竜!? まさか上位精霊を間近に見ようとは……。

 火竜の放った火は魔物の全身を包み、しかも魔法障壁を発動しているのだろうか、草木を傷つけないよう魔物だけにターゲットを絞って火が燃えている。

 ――なんていう魔法のコントロールなんだ……!

 ディアルムドは圧倒されて言葉を失った。

「よしよし、もう大丈夫だからね」

 女がディアルムドに気づく様子はなく、子どもの頭を撫でるとポケットから何かを取り出した。

「これは……飴玉?」

 先ほどまで泣きべそをかいていた子どもも、急に出てきた可愛らしい包みのお菓子にパッと目を輝かせる。

「怖かったはずなのに……よく頑張ったね。これはご褒美だよ」
「わあっ、嬉しい! ありがとう、お姉ちゃん!」

 涙で頬をきらめかせる子どもに、女が微笑みかけた。
 不覚にも、その光景にディアルムドは魅入ってしまう。

 同時に、乳母の姿を思い出した。
 父の無関心、継母の恨み言、口さがない貴族たちに追いつめられていたころ、内緒で花と菓子を差し入れてくれたのが乳母だった。
 悲惨な子ども時代を送っていたディアルムドの唯一の癒やし。
 そして、殺されてしまった産みの母でもあった。

 ――どうして急に……?

 母と女の姿が重なったのか。
 だがもっと衝撃的だったのは、女に見覚えがあったことだ。

 ――あれは確か……舞踏会で……?

 優しげに細められたオリーブ色の瞳と、緩く波打つキャラメルブロンドの髪。
 ダンスなどそっちのけで菓子に夢中になっていた可愛らしい女性。
 あのときよりも庶民らしい格好をしているが、見間違えるはずがない。
 美しく着飾った女たちがひしめく中、ディアルムドが唯一気になった女性でもある。

 ――あのとき、ちゃんと名前を聞くべきだった……。

 彼女をよく知りたい。そう思いつつも声をかけられなかったのは、結局のところ怖気づいたということだろう。
 実際問題として、好ましいという気持ちだけで結婚はできない。
 個人の感情よりも国益が優先される。それが王族というものだからだ。
 父王に代わり、実質的に政を引き継ぐようになってからずいぶん経ったはずなのに。
 自分の中にはまだ臆病な部分が残っていたらしい。

 ――だが彼女の魔法を前にして、これ以上二の足を踏むのも愚かだ。

 使い魔が主人の魔力を糧に生きていることを考えれば、内に秘めた力はそうとうなものになるだろう。妃候補の筆頭ブリギットをはるかに凌ぐ実力。
 権力欲や野心を見せない一方で、下々の者を気にかける思慮深さ。
 何より幼い子どもに向けられた屈託のない笑顔が、ギュッとディアルムドの左胸を締めつける。

 ――やっぱり、おもしろい。

 はたしてあの笑顔が自分に向けられたら、いったい自分はどうなってしまうのだろう? なぜだか正気ではいられないような気がして、奇妙な興奮がゾクゾクと背筋を這い上がってくる。

 ――渡りに舟とは、まさにこのこと!

 心が浮き立つのを感じながら、ディアルムドは頭の中で次に移すべき行動の算段を立て始めた。

「そこのきみ……」
 
 すかさず声をかければ、ビクッと女の肩が跳ね上がった。
 ギギギ……とまるでゼンマイ仕掛けの人形のように首を軋ませながら振り返る。

「見事な魔法と使い魔です」

 あっぱれ、とディアルムドは心からの賛辞を送ったつもりだった。
 が、先ほどまでの勇ましさが嘘のように、みるみるうちに女の顔が蒼褪める。
 謙遜しているというより、混乱を極めているといったほうがしっくりくるのかもしれない。
 女は大きく目を見開くと、数拍ほどの間を置いて悲鳴にも似た声を上げる。

「ええええっ!? で、殿下!? わ、私……魔法なんて使っていないですよ!? 使い魔って……いったいなんの話でしょう!?」
「あれほど堂々と魔法を使っていながら、今さらとぼけるつもりですか?」

 何か素性を明かしたくない理由でもあるのだろうか、女はわかりやすく嘘をついた。
 せめて手元に花束の一つ、いいや、丹精込めて作った菓子の一つでもあればよかったのだが……。
 だからといって、これほどの好機をみすみす逃すほどディアルムドも馬鹿ではない。矢継ぎ早に質問を浴びせる。

「先日の舞踏会にも顔を出していましたね。どこの家の者です? 名は?」
「いいえ!? 名乗るほどの者ではありません! きっとどなたかと勘違いされていらっしゃるのではないでしょうか? わ、わわ私はただの村娘ですから!」
「…………では、頭上を飛んでいる火竜はあなたの使い魔ではないと言うのですか?」
「いえいえ! 本当に人違いですからっ――――――!!!!」

 これ以上は勘弁してくださいと、女は深く頭を下げるや否や一目散に駆け出した。
 同時に空を舞っていた竜が、すうっと小さくなる。主人のあとを追い、その肩にちょこんと乗った。

「やはり、それはあなたの使い魔ではありませんか。待ってください!」
「待ちません!」
「まずは話を――」

 聞いてほしい、という言葉は続かなかった。
 もちろん逃がしてはなるものか、とディアルムドは手を伸ばす。
 しかしその手が女の腕を摑むことはなかった。
 追いかけようとしたタイミングで濃い霧が立ち込め、あっという間に女を見失ったから。

「………………逃げられた?」

 ――この俺が……魔法でまんまと出し抜かれた……?

 やがて霧の晴れた墓地に、もらったばかりの飴玉を口に含みながら、「お姉ちゃん、かっけえ……!」という子どもの歓声とともに、ディアルムドのガックリとした呟き声がやけに大きく響いた。
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