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第三部
119.帰る場所Ⅰ
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「おい小僧テメエ何をチンタラやってんだ。さっさとしろポンコツが」
「るっせえぞジジイ見て分かんねえか、こっち両手とも塞がってんだよ。ぼんやり突っ立ってねえでテメエで動け老いぼれ」
「ガキが」
「クソジジイ」
「口動かしてねえでレジ行けガキ。金ヅルがお帰りだ」
「正直が過ぎんだろうが馬鹿ジジイ」
毎日毎日毎日ケンカだ。こっちはイライラしながら声張ってんのに客どもはなぜか笑っている。金ヅルとか言われても誰も怒らないどころか嬉しそう。
客としてその態度はどうなんだ。クレームの一つも付けてこいよ。うるせえだろ。ムカつくだろ。落ち着いて食えやしねえだろ。クソみてえな店だって評価を誰か一人くらいはネットに上げろよ。
残念ながら悪評は一切立たず、仮に立ったとしても常連達がどうせ守りを固める。
テレビ取材の申し込みは断固として拒否し続けているこの店は、相変わらずお人好しの馴染み客で賑わっている。
しばらくしていい時間になってくると、たらふく食って満足した客達が一人また一人とにこやかに帰っていった。
最後に残ったのもこれまた常連。痩せ型で物静かに淡々と飯を食うが、何があっても米一粒さえ絶対に残さないリョウちゃんだ。フルネームがなんてんだか知らねえが、常連もジジイもみんなそう呼んでいるからこの店の中でこの客はいつでも変わらずにリョウちゃんだ。
どうやらこの後客が来そうな気配はない。接客対象が一人しかいないのに給仕側の人間は二人もいらない。
店の電話の子機を手に取り、ジジイのいる厨房に入った。ジジイは明日用の仕込み中だ。
「おいジジイ」
「なんだクソガキ」
「息子に電話しろ」
「ああ?」
「今かけろ」
「……沸いてんのかテメエ」
「正気だクソジジイ」
ジジイに突き付けても頑固者は受け取らない。それをグイッと強引に押し付け、ようやっとで手に取らせた。
「かけろ」
「テメエは……」
「息子に電話すらできなくてどうすんだよみっともねえな」
「…………今は営業時間中だ」
「準備中だろうと閉店後だろうとあんたは怖気づいて掛けねえんだろ。今だ。電話しろ。リョウちゃんは口堅いから何聞いても黙っててくれる」
「…………」
今まさにリョウちゃんは何も聞こえていないような態度で淡々とメシを食っている。
カウンターにチラリと視線をやったジジイ。しかし常連は自分の味方にどうやら付いてくれないと分かると、観念したように電話を持ち上げた。
俺は現在店で唯一の給仕係になったから、厨房から出てリョウちゃんに水を注ぎに行く。そのうちにジジイは電話に向かって喋り出していた。
開口一番怒鳴り合いになるのかと思いきや、しばし聞き耳を立ててみるも荒っぽい雰囲気ではない。おう。とか、ああ。とか。そんなのばかりだったが最後に一言、たまには飯でも食いに来いと。
思わずリョウちゃんと顔を見合わせた。切る間際の様子からして、息子は食いに行くとでも言ったのだろう。
リョウちゃんはまた淡々と食い始めたので、水の入ったピッチャーを戻しにカウンターの前に足を向けた。ジジイとは不自然に目が合わない。
「…………」
「…………」
「良かったじゃねえかジジイ」
「なんでこんなガキ雇い入れちまったんだか……」
俺だってなんで雇われたんだか不思議だ。
「お節介にも程があるだろうよ」
「好きでやってるわけじゃねえ」
これはほとんど不可抗力。口うるさい奴らに囲まれてると人間は嫌でもこうなる。
俺はすでに手遅れだから、自分にはなんの関係もないような、聞かなくてもいいような事でも聞かずにはいられなくなった。かなり気になる。
「いつ来るんだ」
「……来週末」
「店継いでくれって頼めよ」
「ふざけんな。誰が譲るか」
「頑固だな全く」
「世の中お前みてえな物好きばっかりじゃねえんだよ。あいつにはあいつの生き方がある」
物好きだけが集まる店だという自覚くらいはあるらしい。ジジイの息子の感覚は一般的でまともなのだろう。
メシの味は抜群。店はボロイが清潔。口も態度も悪い店主は、腹を空かせてやって来た奴らを満腹にして帰らせるのがシュミ。
極端でイビツなメシ屋だから、客は一度来たら二度と来ないか、足しげく通う常連になるかの両端。そういう変な店の常連になるどころか、面接という名のクソみてえなケンカをしに来てしまったのが俺だ。
人使いの荒いクソジジイは、俺がカウンターに置いたピッチャーを引っ込めながら素っ気ない口調で言った。
「……裕也お前、どうだ」
「ああ?」
「やるか。この店」
ケホッと、リョウちゃんが静かにむせた。反射でそっちを振り返る。
そこからゆっくりと顔の向きを戻すも、そこからおおよそ三秒くらいは俺も言葉が見つからない。
「…………二ヶ月目のバイトに何言ってんだ」
「うっせえ小僧が言ってみただけだ。あと三十年は誰にも譲らねえよ」
「妖怪ジジイが」
「口の減らねえがキめ」
妖怪ジジイが退場する気配はないから、ここの物好きな常連達は少なくともあと三十年は食いっぱぐれずにいられるだろう。
「るっせえぞジジイ見て分かんねえか、こっち両手とも塞がってんだよ。ぼんやり突っ立ってねえでテメエで動け老いぼれ」
「ガキが」
「クソジジイ」
「口動かしてねえでレジ行けガキ。金ヅルがお帰りだ」
「正直が過ぎんだろうが馬鹿ジジイ」
毎日毎日毎日ケンカだ。こっちはイライラしながら声張ってんのに客どもはなぜか笑っている。金ヅルとか言われても誰も怒らないどころか嬉しそう。
客としてその態度はどうなんだ。クレームの一つも付けてこいよ。うるせえだろ。ムカつくだろ。落ち着いて食えやしねえだろ。クソみてえな店だって評価を誰か一人くらいはネットに上げろよ。
残念ながら悪評は一切立たず、仮に立ったとしても常連達がどうせ守りを固める。
テレビ取材の申し込みは断固として拒否し続けているこの店は、相変わらずお人好しの馴染み客で賑わっている。
しばらくしていい時間になってくると、たらふく食って満足した客達が一人また一人とにこやかに帰っていった。
最後に残ったのもこれまた常連。痩せ型で物静かに淡々と飯を食うが、何があっても米一粒さえ絶対に残さないリョウちゃんだ。フルネームがなんてんだか知らねえが、常連もジジイもみんなそう呼んでいるからこの店の中でこの客はいつでも変わらずにリョウちゃんだ。
どうやらこの後客が来そうな気配はない。接客対象が一人しかいないのに給仕側の人間は二人もいらない。
店の電話の子機を手に取り、ジジイのいる厨房に入った。ジジイは明日用の仕込み中だ。
「おいジジイ」
「なんだクソガキ」
「息子に電話しろ」
「ああ?」
「今かけろ」
「……沸いてんのかテメエ」
「正気だクソジジイ」
ジジイに突き付けても頑固者は受け取らない。それをグイッと強引に押し付け、ようやっとで手に取らせた。
「かけろ」
「テメエは……」
「息子に電話すらできなくてどうすんだよみっともねえな」
「…………今は営業時間中だ」
「準備中だろうと閉店後だろうとあんたは怖気づいて掛けねえんだろ。今だ。電話しろ。リョウちゃんは口堅いから何聞いても黙っててくれる」
「…………」
今まさにリョウちゃんは何も聞こえていないような態度で淡々とメシを食っている。
カウンターにチラリと視線をやったジジイ。しかし常連は自分の味方にどうやら付いてくれないと分かると、観念したように電話を持ち上げた。
俺は現在店で唯一の給仕係になったから、厨房から出てリョウちゃんに水を注ぎに行く。そのうちにジジイは電話に向かって喋り出していた。
開口一番怒鳴り合いになるのかと思いきや、しばし聞き耳を立ててみるも荒っぽい雰囲気ではない。おう。とか、ああ。とか。そんなのばかりだったが最後に一言、たまには飯でも食いに来いと。
思わずリョウちゃんと顔を見合わせた。切る間際の様子からして、息子は食いに行くとでも言ったのだろう。
リョウちゃんはまた淡々と食い始めたので、水の入ったピッチャーを戻しにカウンターの前に足を向けた。ジジイとは不自然に目が合わない。
「…………」
「…………」
「良かったじゃねえかジジイ」
「なんでこんなガキ雇い入れちまったんだか……」
俺だってなんで雇われたんだか不思議だ。
「お節介にも程があるだろうよ」
「好きでやってるわけじゃねえ」
これはほとんど不可抗力。口うるさい奴らに囲まれてると人間は嫌でもこうなる。
俺はすでに手遅れだから、自分にはなんの関係もないような、聞かなくてもいいような事でも聞かずにはいられなくなった。かなり気になる。
「いつ来るんだ」
「……来週末」
「店継いでくれって頼めよ」
「ふざけんな。誰が譲るか」
「頑固だな全く」
「世の中お前みてえな物好きばっかりじゃねえんだよ。あいつにはあいつの生き方がある」
物好きだけが集まる店だという自覚くらいはあるらしい。ジジイの息子の感覚は一般的でまともなのだろう。
メシの味は抜群。店はボロイが清潔。口も態度も悪い店主は、腹を空かせてやって来た奴らを満腹にして帰らせるのがシュミ。
極端でイビツなメシ屋だから、客は一度来たら二度と来ないか、足しげく通う常連になるかの両端。そういう変な店の常連になるどころか、面接という名のクソみてえなケンカをしに来てしまったのが俺だ。
人使いの荒いクソジジイは、俺がカウンターに置いたピッチャーを引っ込めながら素っ気ない口調で言った。
「……裕也お前、どうだ」
「ああ?」
「やるか。この店」
ケホッと、リョウちゃんが静かにむせた。反射でそっちを振り返る。
そこからゆっくりと顔の向きを戻すも、そこからおおよそ三秒くらいは俺も言葉が見つからない。
「…………二ヶ月目のバイトに何言ってんだ」
「うっせえ小僧が言ってみただけだ。あと三十年は誰にも譲らねえよ」
「妖怪ジジイが」
「口の減らねえがキめ」
妖怪ジジイが退場する気配はないから、ここの物好きな常連達は少なくともあと三十年は食いっぱぐれずにいられるだろう。
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