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帝都の大学
リュディガーの同期 Ⅰ
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扉の向こうで目を引いたもの__濃く深い紫の布。その布に金糸で向き合って並ぶ鷲獅子の紋が、キルシェの目を釘付けにした。
それは、間違いなく龍帝従騎士団の証たる鷲獅子の紋章。
次いでキルシェは顔を上げる__と、龍騎士の制服に身を包んだ、年の頃は20代前半の青年が、崩れかけた体勢を立て直しているところで、その彼と目が合った。
柔らかそうな栗色の髪は撫でつけられるようにまとめられ、透き通る青の双眸は彼の物腰そのものを表すように優しい印象を与える。
上背はある方だがリュディガーよりは小さく、線も細い__所謂、美丈夫。見るからに優男という雰囲気の彼は、キルシェと部屋番号を見比べた。
「あれ、部屋を間違えた……?」
__報せが……来た……の?
それは自分が知っている範囲での報せか、それともそれ以上のもの。リュディガーの状態が悪化した等の報せなのか。
「おや、エルンストじゃないか」
扉の隙間からローベルトが青年を見て、破顔した。青年はキルシェから、ローベルトに視線を向ける。
「ああ、よかった。合ってた」
ほっ、とした様子の彼は、キルシェに笑んでから、改めてローベルトへ顔を向けた。
「小父さん、ご無沙汰してます。来客中に申し訳ない。実はリュディガーが、久しぶりの出陣で__」
「ああ、なんでも療養が必要ということらしいね。こちらのリュディガーのお友達が、私を気にかけて来てくれて、分かる範囲で教えてくれたよ」
お友達、と紹介され、エルンストと呼ばれた青年はきょとん、とした視線をキルシェへ向ける。
「キルシェ・ラウペンです。リュディガーと同じ大学で学んでいます」
動揺を隠し平静を装って、恭しく淑女の礼をとれば、青年騎士は姿勢を正す。
「エルンスト・フォン・シェンクと申します。お見知りおきを」
言って、彼はキルシェの手を取り、甲に口づける。
慣れた所作のそれは、媚びる風でもなくあまりにも自然。そのいかにも美丈夫という彼に似合う非の打ち所のない振る舞い。
顔を上げたエルンストは、凛々しい顔に清々しく上品な笑みを湛えた。
リュディガーは無骨な印象の武官だが、彼の場合、どちらかといえば、神官騎士という神職の護衛官に近い雰囲気である。
この帝国には、神に愛され選定された神子という存在がいる。不可知である神が、この世のために遣わす存在とされ、神子は必ず女性。
神子は、教皇の下で、神子の格__神の格によっては司教とも呼ばれる。その司教の護衛が神官騎士。
その下の地位に神殿騎士と呼ばれる、各地の神殿や地域、聖地の守備が任務の武官がいる。
どちらも龍帝従騎士団の騎士と同じ武官だが、命令系統がまったく異なり、龍騎士の長が元帥とよばれる武官の長ならば、神官の長は教皇。
教皇は龍帝の勅命を受けて、儀式や神職ら一切を取り仕切っている。
神秘的なものに多く携わるが故に、同じ武官としていながらも、洗練された印象を与えるのだ。
エルンストには、神官が持つ独特のしとやかな華やかさがあった。
「なるほど。大学には先んじて報せが走ったと聞いていますから、それでご存知だったのですね」
「はい」
「私も現場に駆り出されていたんですが、別動部隊でして。どうやら、彼、張り切りすぎてしまったみたいで」
はは、と明るく笑うエルンストと呼ばれた男に、ローベルトも困ったように笑った。
「__で、小父さん、お御足が芳しくなかったように思いまして、様子を伺いにきたんです。食事とか大丈夫でしょうか?」
「それはありがとう。実はね、それも彼女が」
「道理でいい匂いがするわけだ」
「食べていくかね?」
「いえ、長居してしまいたくなるので、今日は止めておきます。昨日の今日でまだ戻ってやることがあるので」
「可愛いお嬢さんとのご相伴じゃないからかね」
「またそういう。私はどういう評価をされているのか。リュディガーからろくでもない話を吹き込まれているんでしょう」
爽やかに笑うエルンスト。
「まったく、暇を長期間とっている彼の穴埋めに奔走している功労者に対して、なんて仕打ちをするんだ。恩を仇で返すっていうのはまさしくこれですよ」
ローベルトも彼の言葉に笑った。
「エルンスト。戻ってやることがあるという話だが、もし可能なら、キルシェさんを送って差し上げてくれないか?」
「ええ、そのぐらいなら全然。小父さんの買い出しをする時間は確保していたので。__大学近くまでになってしまいますが、それでよろしいですか? ラウペン女史」
「どうぞ、キルシェで。__ありがとうございます。実は、迷いそうだな、と思っていたので」
来るときは、本当に危うかった。リュディガーに頼って1度だけ来た道だから、薄れている記憶を手探りで辿るようだった。幸い、見覚えのある植物の配置と、ローベルトが住む借家の出入り口にあった薔薇が咲いていて、たどり着けた程度だ。あれがなければ、たどり着けはしなかっただろう。
それを逆に戻っていけばいいだろうが、昼と違って今はもう夕闇が濃い時分だ。
話がまとまり、エルンストともに満足げに頷くローベルトへ挨拶をしてから、部屋を後にした。
リュディガー親子が借りている部屋の建物の正面玄関には、来たときにはなかった馬が一頭留められていて、馬はエルンストの姿を見るなり軽く存在を主張するように嘶いた。
よしよし、と労うように馬の首を軽く叩き、馬留に括っていた手綱を解いて引く。
「参りましょうか」
「お願いします」
こちらです、と促すエルンスト。
日が伸びつつあるが、それでも星空を連れて日は沈んでいる最中だった。来たときとは景色がやはり違って見える。
案内を買って出てくれたことに、キルシェは改めて感謝した。
それは、間違いなく龍帝従騎士団の証たる鷲獅子の紋章。
次いでキルシェは顔を上げる__と、龍騎士の制服に身を包んだ、年の頃は20代前半の青年が、崩れかけた体勢を立て直しているところで、その彼と目が合った。
柔らかそうな栗色の髪は撫でつけられるようにまとめられ、透き通る青の双眸は彼の物腰そのものを表すように優しい印象を与える。
上背はある方だがリュディガーよりは小さく、線も細い__所謂、美丈夫。見るからに優男という雰囲気の彼は、キルシェと部屋番号を見比べた。
「あれ、部屋を間違えた……?」
__報せが……来た……の?
それは自分が知っている範囲での報せか、それともそれ以上のもの。リュディガーの状態が悪化した等の報せなのか。
「おや、エルンストじゃないか」
扉の隙間からローベルトが青年を見て、破顔した。青年はキルシェから、ローベルトに視線を向ける。
「ああ、よかった。合ってた」
ほっ、とした様子の彼は、キルシェに笑んでから、改めてローベルトへ顔を向けた。
「小父さん、ご無沙汰してます。来客中に申し訳ない。実はリュディガーが、久しぶりの出陣で__」
「ああ、なんでも療養が必要ということらしいね。こちらのリュディガーのお友達が、私を気にかけて来てくれて、分かる範囲で教えてくれたよ」
お友達、と紹介され、エルンストと呼ばれた青年はきょとん、とした視線をキルシェへ向ける。
「キルシェ・ラウペンです。リュディガーと同じ大学で学んでいます」
動揺を隠し平静を装って、恭しく淑女の礼をとれば、青年騎士は姿勢を正す。
「エルンスト・フォン・シェンクと申します。お見知りおきを」
言って、彼はキルシェの手を取り、甲に口づける。
慣れた所作のそれは、媚びる風でもなくあまりにも自然。そのいかにも美丈夫という彼に似合う非の打ち所のない振る舞い。
顔を上げたエルンストは、凛々しい顔に清々しく上品な笑みを湛えた。
リュディガーは無骨な印象の武官だが、彼の場合、どちらかといえば、神官騎士という神職の護衛官に近い雰囲気である。
この帝国には、神に愛され選定された神子という存在がいる。不可知である神が、この世のために遣わす存在とされ、神子は必ず女性。
神子は、教皇の下で、神子の格__神の格によっては司教とも呼ばれる。その司教の護衛が神官騎士。
その下の地位に神殿騎士と呼ばれる、各地の神殿や地域、聖地の守備が任務の武官がいる。
どちらも龍帝従騎士団の騎士と同じ武官だが、命令系統がまったく異なり、龍騎士の長が元帥とよばれる武官の長ならば、神官の長は教皇。
教皇は龍帝の勅命を受けて、儀式や神職ら一切を取り仕切っている。
神秘的なものに多く携わるが故に、同じ武官としていながらも、洗練された印象を与えるのだ。
エルンストには、神官が持つ独特のしとやかな華やかさがあった。
「なるほど。大学には先んじて報せが走ったと聞いていますから、それでご存知だったのですね」
「はい」
「私も現場に駆り出されていたんですが、別動部隊でして。どうやら、彼、張り切りすぎてしまったみたいで」
はは、と明るく笑うエルンストと呼ばれた男に、ローベルトも困ったように笑った。
「__で、小父さん、お御足が芳しくなかったように思いまして、様子を伺いにきたんです。食事とか大丈夫でしょうか?」
「それはありがとう。実はね、それも彼女が」
「道理でいい匂いがするわけだ」
「食べていくかね?」
「いえ、長居してしまいたくなるので、今日は止めておきます。昨日の今日でまだ戻ってやることがあるので」
「可愛いお嬢さんとのご相伴じゃないからかね」
「またそういう。私はどういう評価をされているのか。リュディガーからろくでもない話を吹き込まれているんでしょう」
爽やかに笑うエルンスト。
「まったく、暇を長期間とっている彼の穴埋めに奔走している功労者に対して、なんて仕打ちをするんだ。恩を仇で返すっていうのはまさしくこれですよ」
ローベルトも彼の言葉に笑った。
「エルンスト。戻ってやることがあるという話だが、もし可能なら、キルシェさんを送って差し上げてくれないか?」
「ええ、そのぐらいなら全然。小父さんの買い出しをする時間は確保していたので。__大学近くまでになってしまいますが、それでよろしいですか? ラウペン女史」
「どうぞ、キルシェで。__ありがとうございます。実は、迷いそうだな、と思っていたので」
来るときは、本当に危うかった。リュディガーに頼って1度だけ来た道だから、薄れている記憶を手探りで辿るようだった。幸い、見覚えのある植物の配置と、ローベルトが住む借家の出入り口にあった薔薇が咲いていて、たどり着けた程度だ。あれがなければ、たどり着けはしなかっただろう。
それを逆に戻っていけばいいだろうが、昼と違って今はもう夕闇が濃い時分だ。
話がまとまり、エルンストともに満足げに頷くローベルトへ挨拶をしてから、部屋を後にした。
リュディガー親子が借りている部屋の建物の正面玄関には、来たときにはなかった馬が一頭留められていて、馬はエルンストの姿を見るなり軽く存在を主張するように嘶いた。
よしよし、と労うように馬の首を軽く叩き、馬留に括っていた手綱を解いて引く。
「参りましょうか」
「お願いします」
こちらです、と促すエルンスト。
日が伸びつつあるが、それでも星空を連れて日は沈んでいる最中だった。来たときとは景色がやはり違って見える。
案内を買って出てくれたことに、キルシェは改めて感謝した。
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