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天つ通い路

朔月の赦し Ⅰ

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 ぽつん、と真っ白い空間。

 ただ白いというのではなく、靄のような霧のようなものに満たされた空間だとわかれば、そこに自分がぽつん、と佇んでいることにも気がついた。

 風が頬を撫でた。

 周囲の靄が動くのが見え、それが薄れていく。

 その向こうに、陰影が見えた。

 光が差し、陰影にはやがて色が添えられる。

 鮮やかな草木。

 抜けるような蒼穹。

 しかし、その蒼穹の中央__真上に向かって、色が濃くなって昏く、よくよくそこを見れば星のようなものが瞬いて見える。

 魔穴、という言葉がよぎったが、球にその昏い部分は見えないし、昏いといっても、闇色ではない。それに、瘴気があふれているようにも見えないから、違うものなのだろう、とマイャリスは考えた。

 改めて周囲を見ると、立っているのは小高い丘で、見晴らしはよかった。

 草原と点在する木々、森、点在する池かあるいは泉が広がる。そんな草地の向こうに山並みが見え、その麓に白く輝く人工物が見て取れる。

 それが何なのか__目を凝らしてみれば、白い家屋だとわかった。規模から察するに、それなりの都市。州都ぐらいはあるだろう。

 一際大きいものは、特に白く輝いて見える。それは、雲のようなものに包まれているから__否、雲そのもので出来ているかと見紛うほどの白さ。

 流線と直線が織りなす構造物は、ぼんやり、としていた頭でも息を呑むほどの美しさなのだと思えた。

 一歩そちらへ踏み出したとき、背後に何かがある気がして振り返る。

「__ぁ……」

 思ったよりも、すぐ近くに人影あって、思わず半歩下がってしまった。

 自分と同じ銀色の髪の男。

 年齢は30前後だろうか。

 男の額には、一角があった。

 __獬豸かいち、族…。

 男の薄い紫の瞳が細められ、途端に、多くの忘れていた遠い記憶が去来した。

 記憶はすべて鈍色だったが、そのことごとくがある瞬間から鮮やかに染まる。

 そして、穏やかな表情の男に、マイャリスは、はっ、とした。

 __この人は……。

 口を開こうとした時、男の背後にいくつもの影があることに気づき、マイャリスは息を詰める。

 黒かったそれは、やがて白くなり、いつの間にか人の姿になる。それは、老若男女問わず。

 共通点は、濃薄の差、色味の差はあるものの、どれもが銀に準じた色の髪という点。そして、輪郭が光って見える点。そして、その額にいただく一角がある点。

「何も伝えられずとも、よく果たしてくれた。マイャリス・コンバラリア」

 穏やかな口調でいう男。

 __そうだった……。私の本当の姓はコンバラリア……。

 養子として引き取られた当時は、稚すぎて自分の姓を意識していなくて、養子として得られたラヴィルという姓に疑いもしなかった。

「草の影に隠れても咲く者の一人として、ご苦労だった。__陛下が、望むのであれば、引き上げる、と」

「陛下……? 龍帝?」

 ふわり、と男は笑って首を振る。

「天の綱を繋ぐお方だ」

「天、帝……?」

 怪訝にその言葉を出せば、男は首肯し、周囲を示すように視線を移すので、マイャリスもつられて視線を巡らせた。

 穏やかな景色。空気。それらは、郷愁にもにた心地を抱かせる。

 おそらく、召し上げられるのはこの大地なのだろう。

 __天津御国あまつみくに……。

「__望むか?」

 __望む? 何故? わからない……。望む、とは何……。

 マイャリスがふやける思考で思案していると、ふっ、と目の前の男は笑った。

「__私にそこまで似なくてよかった」

「お父様__」

 そこで、がしっ、と背後から腕を掴まれたせいで、言葉を切られた。

 弾かれるように腕を見れば、無骨な大きな手がつかんでいる。強く、しかしながら優しく掴む手は、手首と肘の中程までしかなく、その先は白い靄の中。

 そこでふと、周囲は白い靄に再び覆われていることに気がついた。

 唐突に、鼻孔をくすぐる香り。

 何の香りだろう。

 記憶にある香りだ。

 とても安心する香り。

「__確かに、すぐには答えなくてもよいな」

 男の言葉に、振り返る。

 男もまた、マイャリスの腕を掴む手を見つめていた。

 そして、視線を断つと再びマイャリスを見る。

「一度戻るといい。前触れをしておきたかった」

「前触れ……」

「いずれわかる」

 男は、ふっ、と小さく笑った。

「マイャリス・コンバラリア。お前は、血に刻まれた大任を果たし、その血、その役から、許された」

「許された……」

 許された、とはおそらく終えたということなのだろう__何となくだがそう思えた。

 笑みを深める男は、目元をさらに穏やかに細める。

「__ただ心の赴くまま、健やかにあれ、と。我々も……私も、そう願う」

「__」

 マイャリスが口を開こうとした刹那、すべての景色が靄に餐まれるようにして遠ざかった。



 びくり、と身体が大きく震えて、それでマイャリスは目を開けた。

 それはハイムダルの屋敷の私室。その寝台に自分は横たえられていた。

 窓の外は夜の帳が降りていて、部屋の中は蝋燭と暖炉の炎の明かりのみ。

「具合はいかがでしょうか」

 静かに問いかける声に、マイャリスは視線を滑らせる。

 横たえられている寝台の脇に佇む者が声の主、フルゴル。

 乾いた口で、うまく言葉が紡げないでいれば、彼女は小さく笑みを見せた。

「お水を」

 こくり、と頷いて上体をやや起こし、彼女が差し出したグラスを素直に口で受けた。

 ほのかに温かい水で、今の身体には飲み易い。

 何口か飲み込んで、視線でもう十分であることを伝えると、彼女は意図を汲んで下げた。

「……私は、倒れたのですよね?」

「左様にございます。申し訳ございません。私の力が及ばず」

 フルゴルが困ったように眉根を寄せた。

「お話いたしますが……よろしければ、リュディガーをここへお通ししても?」

「リュディガー?」

「はい。扉の向こうでお目覚めになられるのを待っております。大丈夫であるという姿を彼にお見せいただけると、契約相手である彼の心が落ち着きますので、私も楽になるのです。そしてなにより、処遇の話もしたいでしょう」

「決まったのですか?」

「おそらく」

 処遇の話であれば、それは早く聞きたいもの。

 マイャリスは身体を起こして、軽く身拵えの乱れを整えようと確認する。衣服は、夕食のために着替えておいたそれではなく、部屋着になっていた。

「お召し替えをさせていただきました。楽なものに」

「ありがとう」

 楽なものと言っても、人に会うには不都合がない程度の格のものである。髪の毛も解かれて、ゆるく流れるように結ってあって、耳飾り以外の宝飾品も外されている。その耳飾りが違和感なくいられるぐらいの身拵え。

 そのどれもが間違いなくフルゴルの配慮だろう、とマイャリスは察した。

 お願いします、と伝えれば、羽織物を彼女は肩にかけてくれて、そうして扉へと向かった。
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