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第24話
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僕の小さな悲鳴とともに、ピンク色のバラ花びらが、はらはらと床へ散る。
顔を押し付けられた胸元からは、佐賀美さんの心臓の鼓動と荒々しい呼吸が伝わる。
「……っ」
佐賀美さんの両腕が、僕の躰を容赦なく締め付ける。
工事現場では資材を担ぎ、倉庫ではグランドピアノの重い鍵盤を羽のように軽く弾く、たくましい腕で。
息苦しくなるほど強く抱きしめられながら、僕は先ほどの問いを思い返す。
あれは、「本気で男を愛する覚悟があるのか」という意味ではないかと。
つまり、「その先には様々な難関やリスクが待ち構えているが、それでもお前は逃げ出さずにやり通せるのか」という、厳しい質問を僕へ突き付けたのだ。
また同時に、自分は他人に受け入れてもらえる人間なのだろうかという、闇のような不安も混在している。
正直、これらは即答するには重すぎる質問だ。佐賀美さんもそれは承知の上だと思う。 しかし、僕は頷いた。「はい」と答えた。
けれど実際、やってみなければ分らない。 例えば、施工計画を綿密に立てても途中で問題が起き、変更を余儀なくされるように。
だから僕達も些細なきっかけで別れてしまうかもしれないのだ。
外部の圧力に負けて無理矢理に女へ鞍替えする事だってありうるし、どちらか一方に別の恋人が出来てふられる可能性もある。
でも、それでもいい。大切なのは、今この瞬間なのだから。
そして、その一瞬の積み重ねが毎日を創り、未来に繋がるのなら、僕は心を研ぎ澄ませ、一つ一つの瞬間の佐賀美さんを愛そう。
一つ一つの瞬間の佐賀美さんを受け入れよう。
不確定な結末などあれこれ考えず、悔いのない時間を共に過ごそう――
僕はそう腹をくくり、佐賀美さんの背中へ腕をまわした。
すると佐賀美さんも、よりいっそう僕をきつく抱きしめる。
そんな二人を祝福するかのように、バラは香りをさらに深く立ちのぼらせるのだった。
「藤沢君……藤沢……藤……フジ、フジ……ッ!」
うわごとのように、佐賀美さんは「フジ」と僕を呼び続ける。
昔から、そう呼ばれるのが嫌だった。名前を雑に扱われているように感じるからだ。
でも、佐賀美さんなら、かまわない。この人に「フジ」と呼ばれるのなら――
吐息が激しく交差して、そのたびに服の擦れあう音がする。
唇がひりつくほどの、激しいキスの音も。
そして、僕の躰も反応する。
ワイシャツの下で、乳首がツンと尖る。
ペニスの先が、きゅんきゅんと疼くように甘く痺れる。
アナルが求めている――佐賀美さんを。
壁越しに、弦楽器の調弦の音が小さく聞こえる。
それを耳にしながら、僕達は魂を二人だけの音程とリズムで同調させていた。
「ねえ、佐賀美さん」
しっかりと抱かれた腕の中で、僕は愛しい人の名を呼ぶ。
「ん……? 何だ? フジ」
「僕の気持ち、知っていたんでしょう?」
「ああ。倉庫で会った夜から、多分そうだろうなって、感じていた。そして俺も、フジを忘れられなくなっていた。でも、黙っていた」
「それって……怖かったから?」
「そうだ。しかもフジの感情が恋なのか、単にピアノに附随したものなのか、分らなくてな」
「実は僕も、自分の感情に混乱しました。ラブなのか、ライクなのか、どちらなのかと。だから、ずっと隠していました」
「でも、俺がフジの部屋で電子ピアノを弾いてた時、お前、後ろで泣いてただろう」
「え!」
「その時、やっと確信が持てた。フジは俺の事が好きなんだと。けど、まだそれでも怖くて知らないふりをした。だからフジが泣き止むまで演奏を長引かせて、時間を稼いでいたんだ」
「そこで告白してくれたらよかったのに」
「まあな。でも正直に言えば、仮に告白しても上手くいくか不安だったし、自分から年下へ好きだと言うのが癪に触って言えなかったんだ」
「ふふふ。佐賀美さんらしいです」
「だろ? でも俺があの時、勇気を出して振り向いて、泣くなと抱きしめていたら、フジをここまで苦しめなかったんだよな……ごめんな」
「いいんです。今、こうやっていられるのだから、もういいんです。責めてるわけじゃないんです。それが佐賀美さんなんです。僕が大好きな、佐賀美さんなんですから」
そう言って微笑みながら、両手で最愛の人の顔を優しく包み込む。
すると佐賀美さんも僕の腰へ両手を回し、今度は本当に嬉しそうな表情を見せた。
「フジ」
「はい」
「では、改めて言わせてくれ――愛している。俺は、フジを愛している」
僕の目を真っ直ぐに見つめ、迷い無く言う。
「僕も佐賀美さんを愛しています。世界で一番、愛しています」
この後、僕達は星の数ほど口づけを交わし、そして、抱き合いながら、踊るように静かに揺れ続けた。
「あ」
佐賀美さんの腕の中で、僕は小さな声を出した。
「どうした、フジ」
「時間。開演時間が」
丁寧に佐賀美さんの胸から離れ、自分の腕時計を指さす。
「ん? ああ、そろそろだな」
壁の時計を見上げ、渋い顔。
「演奏、頑張ってくださいね」
「頑張る? それは無理ってもんだろう」
「ええっ? 何で」
「フジのせいだ。せっかくここで精神統一をしてたのに、来た途端に泣き出すわ、ブチ切れるわで調子が狂った。絶対とちるぞ。どうしてくれる」
「……ごめんなさい」
「ふふふ。冗談だ。あれは全部、俺のせいだからな。でもフジは、いつも本気にとるから面白くてたまらん。これで日々の娯楽が増えた」
僕の頬を指で優しく突きながら、ほがらかに笑う。
「もう! 佐賀美さんの意地悪っ。嫌いっ」
「ほう。そうか。嫌いか。短い付き合いだったな」
「全くです」
早速の痴話喧嘩。でもキスで瞬時に仲直り。
「じゃあ、客席に行きます」
名残惜しいけれど、僕はドアへと向かう。
抱きしめあった感触が、まだ躰にまとわりついていて、幸せな切なさがこみ上げる。
「待て。フジ」
「はい?」
「公演が終わったら、ロビーで待ってろ。後始末とかで遅くなるけど、必ず行くから」
「はい。待ってます」
「それと、もうひとつ」
「え? あ――ちょ、ちょっと!」
佐賀美さんが素早く僕を抱き寄せる。
「だめですよっ。時間、時間!」
「いいから。まだ大丈夫だ」
強く抱きすくめ、僕の首筋へ唇を這わす。
「もう! 佐賀美さんってば!」
「愛してるよ……フジ」
僕の抵抗を無視して、舌先をクルクルと円を描くように動かす。
「は、あン……ッ」
途端、躰が反応し、硬直する。乳首も太くなるのが分る。
「いいね。すごく可愛いよ」
唇を首筋に押しつけたまま、くぐもった声で言う。
それからキュッと一か所を強く吸うと、ようやく僕から離れた。
「この続きは、あとのお楽しみという事で」
佐賀美さんがニンマリと、意味深に笑う。
「え……? で、では、失礼します」
興奮冷めやらぬまま控え室を出た後、首筋に何をされたのか確認するため、関係者通路にあるお手洗いへ行く。幸いにも、無人である。
「うわ、やられた!」
鏡に映った首筋には、くっきりと紅いキスマーク。
「これ、かなり目立つぞ」
軽く憤慨しながら、指先でそっと触れてみる。
「――!」
瞬く間に控え室での記憶が鮮明に甦り、全身が愛の悦びで満たされる。
しかも、狂おしいほどの愛情と官能が一気にこみ上げ、思わず小さな呻き声まで出てしまう。
これは僕の宝物。揚羽蝶の、甘いキス――
その愛の痕を隠すことなく、逆に誇らしさまでをも感じながら、僕は客席へと急いだ。
顔を押し付けられた胸元からは、佐賀美さんの心臓の鼓動と荒々しい呼吸が伝わる。
「……っ」
佐賀美さんの両腕が、僕の躰を容赦なく締め付ける。
工事現場では資材を担ぎ、倉庫ではグランドピアノの重い鍵盤を羽のように軽く弾く、たくましい腕で。
息苦しくなるほど強く抱きしめられながら、僕は先ほどの問いを思い返す。
あれは、「本気で男を愛する覚悟があるのか」という意味ではないかと。
つまり、「その先には様々な難関やリスクが待ち構えているが、それでもお前は逃げ出さずにやり通せるのか」という、厳しい質問を僕へ突き付けたのだ。
また同時に、自分は他人に受け入れてもらえる人間なのだろうかという、闇のような不安も混在している。
正直、これらは即答するには重すぎる質問だ。佐賀美さんもそれは承知の上だと思う。 しかし、僕は頷いた。「はい」と答えた。
けれど実際、やってみなければ分らない。 例えば、施工計画を綿密に立てても途中で問題が起き、変更を余儀なくされるように。
だから僕達も些細なきっかけで別れてしまうかもしれないのだ。
外部の圧力に負けて無理矢理に女へ鞍替えする事だってありうるし、どちらか一方に別の恋人が出来てふられる可能性もある。
でも、それでもいい。大切なのは、今この瞬間なのだから。
そして、その一瞬の積み重ねが毎日を創り、未来に繋がるのなら、僕は心を研ぎ澄ませ、一つ一つの瞬間の佐賀美さんを愛そう。
一つ一つの瞬間の佐賀美さんを受け入れよう。
不確定な結末などあれこれ考えず、悔いのない時間を共に過ごそう――
僕はそう腹をくくり、佐賀美さんの背中へ腕をまわした。
すると佐賀美さんも、よりいっそう僕をきつく抱きしめる。
そんな二人を祝福するかのように、バラは香りをさらに深く立ちのぼらせるのだった。
「藤沢君……藤沢……藤……フジ、フジ……ッ!」
うわごとのように、佐賀美さんは「フジ」と僕を呼び続ける。
昔から、そう呼ばれるのが嫌だった。名前を雑に扱われているように感じるからだ。
でも、佐賀美さんなら、かまわない。この人に「フジ」と呼ばれるのなら――
吐息が激しく交差して、そのたびに服の擦れあう音がする。
唇がひりつくほどの、激しいキスの音も。
そして、僕の躰も反応する。
ワイシャツの下で、乳首がツンと尖る。
ペニスの先が、きゅんきゅんと疼くように甘く痺れる。
アナルが求めている――佐賀美さんを。
壁越しに、弦楽器の調弦の音が小さく聞こえる。
それを耳にしながら、僕達は魂を二人だけの音程とリズムで同調させていた。
「ねえ、佐賀美さん」
しっかりと抱かれた腕の中で、僕は愛しい人の名を呼ぶ。
「ん……? 何だ? フジ」
「僕の気持ち、知っていたんでしょう?」
「ああ。倉庫で会った夜から、多分そうだろうなって、感じていた。そして俺も、フジを忘れられなくなっていた。でも、黙っていた」
「それって……怖かったから?」
「そうだ。しかもフジの感情が恋なのか、単にピアノに附随したものなのか、分らなくてな」
「実は僕も、自分の感情に混乱しました。ラブなのか、ライクなのか、どちらなのかと。だから、ずっと隠していました」
「でも、俺がフジの部屋で電子ピアノを弾いてた時、お前、後ろで泣いてただろう」
「え!」
「その時、やっと確信が持てた。フジは俺の事が好きなんだと。けど、まだそれでも怖くて知らないふりをした。だからフジが泣き止むまで演奏を長引かせて、時間を稼いでいたんだ」
「そこで告白してくれたらよかったのに」
「まあな。でも正直に言えば、仮に告白しても上手くいくか不安だったし、自分から年下へ好きだと言うのが癪に触って言えなかったんだ」
「ふふふ。佐賀美さんらしいです」
「だろ? でも俺があの時、勇気を出して振り向いて、泣くなと抱きしめていたら、フジをここまで苦しめなかったんだよな……ごめんな」
「いいんです。今、こうやっていられるのだから、もういいんです。責めてるわけじゃないんです。それが佐賀美さんなんです。僕が大好きな、佐賀美さんなんですから」
そう言って微笑みながら、両手で最愛の人の顔を優しく包み込む。
すると佐賀美さんも僕の腰へ両手を回し、今度は本当に嬉しそうな表情を見せた。
「フジ」
「はい」
「では、改めて言わせてくれ――愛している。俺は、フジを愛している」
僕の目を真っ直ぐに見つめ、迷い無く言う。
「僕も佐賀美さんを愛しています。世界で一番、愛しています」
この後、僕達は星の数ほど口づけを交わし、そして、抱き合いながら、踊るように静かに揺れ続けた。
「あ」
佐賀美さんの腕の中で、僕は小さな声を出した。
「どうした、フジ」
「時間。開演時間が」
丁寧に佐賀美さんの胸から離れ、自分の腕時計を指さす。
「ん? ああ、そろそろだな」
壁の時計を見上げ、渋い顔。
「演奏、頑張ってくださいね」
「頑張る? それは無理ってもんだろう」
「ええっ? 何で」
「フジのせいだ。せっかくここで精神統一をしてたのに、来た途端に泣き出すわ、ブチ切れるわで調子が狂った。絶対とちるぞ。どうしてくれる」
「……ごめんなさい」
「ふふふ。冗談だ。あれは全部、俺のせいだからな。でもフジは、いつも本気にとるから面白くてたまらん。これで日々の娯楽が増えた」
僕の頬を指で優しく突きながら、ほがらかに笑う。
「もう! 佐賀美さんの意地悪っ。嫌いっ」
「ほう。そうか。嫌いか。短い付き合いだったな」
「全くです」
早速の痴話喧嘩。でもキスで瞬時に仲直り。
「じゃあ、客席に行きます」
名残惜しいけれど、僕はドアへと向かう。
抱きしめあった感触が、まだ躰にまとわりついていて、幸せな切なさがこみ上げる。
「待て。フジ」
「はい?」
「公演が終わったら、ロビーで待ってろ。後始末とかで遅くなるけど、必ず行くから」
「はい。待ってます」
「それと、もうひとつ」
「え? あ――ちょ、ちょっと!」
佐賀美さんが素早く僕を抱き寄せる。
「だめですよっ。時間、時間!」
「いいから。まだ大丈夫だ」
強く抱きすくめ、僕の首筋へ唇を這わす。
「もう! 佐賀美さんってば!」
「愛してるよ……フジ」
僕の抵抗を無視して、舌先をクルクルと円を描くように動かす。
「は、あン……ッ」
途端、躰が反応し、硬直する。乳首も太くなるのが分る。
「いいね。すごく可愛いよ」
唇を首筋に押しつけたまま、くぐもった声で言う。
それからキュッと一か所を強く吸うと、ようやく僕から離れた。
「この続きは、あとのお楽しみという事で」
佐賀美さんがニンマリと、意味深に笑う。
「え……? で、では、失礼します」
興奮冷めやらぬまま控え室を出た後、首筋に何をされたのか確認するため、関係者通路にあるお手洗いへ行く。幸いにも、無人である。
「うわ、やられた!」
鏡に映った首筋には、くっきりと紅いキスマーク。
「これ、かなり目立つぞ」
軽く憤慨しながら、指先でそっと触れてみる。
「――!」
瞬く間に控え室での記憶が鮮明に甦り、全身が愛の悦びで満たされる。
しかも、狂おしいほどの愛情と官能が一気にこみ上げ、思わず小さな呻き声まで出てしまう。
これは僕の宝物。揚羽蝶の、甘いキス――
その愛の痕を隠すことなく、逆に誇らしさまでをも感じながら、僕は客席へと急いだ。
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