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第47話
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「新卒の俺が配属された部署は――」
「結構です。止めてください」
僕は話を遮り、きっぱりと言った。
「酔わなきゃ言えない話なんか聞きたくありません。話さなくて結構です」
「何だと?」
鋭い目で僕を睨む。
「佐賀美さんが苦しむのを見て、僕が耐えられると思っているのですか。平気で、他人事のように聞いていられるとでも思っているのですか。僕をそんなふうに安く見ていたのですか。馬鹿にしないでください」
「馬鹿になんてしていない。俺はただ……」
「碓井さんをどんなに愛していたかは、よく解りました。そして碓井さんが佐賀美さんをまだ愛している事も。その上、佐賀美さんも揺れている事も――もう、これで十分です」
そして以前、空調設備メーカーの営業担当者が、「やりだおれ佐賀美」という浮名が彼にはあると言っていたのを不意に思い出す。 あれからすっかり忘れていたが、嫉妬と不安という名のスイッチが、この記憶を呼び起こしてしまったらしい。
そうか。社会人になって、「女」とも「営業」再開したんだ。
このマスクだ。誘われた女は二つ返事で服を脱ぐ。存分に女とヤリまくって、物足りない分は男で補完していたんだ。きっとそうに違いない。
解雇の理由も、おおかた交尾のし過ぎで気が抜けて、現場で失敗して大穴を開けたんだろう。あるいは社内で妬まれ、足を引っ張られたかのどちらかだ。
ああ、腹が立つ。自分にも、佐賀美さんにも、そしてその過去にも嫉妬で腹が立つ――!
「もう過去の話なんか聞きたくないっ。しないでください!」
酔いが怒りを激しくぶちまけてしまう。
「おい、フジ。落ち着け。俺はな」
「でも僕は今、佐賀美さんに愛されていると信じる方を選びます。けれどもし途中で気が変わって大学に戻り、僕を捨てて碓井さんと一緒になったら、後腐れなく離れますので安心してください。むろん別の人だって同じ事です。それが男だろうが、女だろうが!」
「だから、聞けってば!」
「何を聞けばいいんです? 僕は碓井さんを越えられない。あそこまで愛される自信がない。佐賀美さんの前では僕なんか碓井さんの言う通り、教養のない貧乏人です。なにせ、生きてきた世界が全然違うんですから」
「フジ!」
まずい。佐賀美さんが本気で怒りだした。
けれど僕は自分を止められない。
抑圧していた感情が、酒の力を借りて怒涛のように押し寄せてくるばかり。
「佐賀美さんは現場でも会社でも、何でも一人で完璧にこなすから、僕も周りも自信喪失するんです。だから皆に佐賀美係長って呼ばれなくて、さん付けで呼ばれるんですよっ」
その言葉に佐賀美さんの動きが止まる。
「……お前、今、何て言った?」
佐賀美さんの顔色が、みるみるうちに真っ青になって行く。
だが、それにかまわず僕は続ける。
「自信喪失するって言ったんです。立派過ぎて、さん付けで呼ばれるって言ったんです。自分で勝手に壁を作って、僕達を見下さないでください。学歴も経歴も、皆そんなに気にしてません。佐賀美さんが自意識過剰になっているだけです。だから棚部が気の毒でなりません。あいつは僕より実力があるのに佐賀美さんのせいで委縮してしまって、半分も力を出し切っていない。優秀な後輩を潰さないでくださいよ!」
「フジ!」
僕を睨む瞳が怒りに燃えている。碓井のように殴られるかもしれない。
でもそんなのはどうだっていい。殴りたければ存分に殴ればいい。碓井みたいに一メートルでも二メートルでも喜んで吹っ飛ばされてやろうじゃないか。
「佐賀美さんは過去を告白してすっきりしたんでしょうけれど、僕にとっては重荷以外のなにものでもない! 聞かなければよかったです。あんな救いようのない話!」
大好きな人なのに、誰よりも大切な人なのに、なぜここまで残酷な言葉を吐いてしまうのだろう。
でもそんなの決まりきっている。自分の本音を押し殺しているからだ。
「この野郎っ……!」
佐賀美さんは憤怒の表情で僕に馬乗りになる。そして僕の両手首を掴み、凄まじい力でギリギリと締め上げる。
「あいつと同じ事を言いやがって……!」
「結構です。止めてください」
僕は話を遮り、きっぱりと言った。
「酔わなきゃ言えない話なんか聞きたくありません。話さなくて結構です」
「何だと?」
鋭い目で僕を睨む。
「佐賀美さんが苦しむのを見て、僕が耐えられると思っているのですか。平気で、他人事のように聞いていられるとでも思っているのですか。僕をそんなふうに安く見ていたのですか。馬鹿にしないでください」
「馬鹿になんてしていない。俺はただ……」
「碓井さんをどんなに愛していたかは、よく解りました。そして碓井さんが佐賀美さんをまだ愛している事も。その上、佐賀美さんも揺れている事も――もう、これで十分です」
そして以前、空調設備メーカーの営業担当者が、「やりだおれ佐賀美」という浮名が彼にはあると言っていたのを不意に思い出す。 あれからすっかり忘れていたが、嫉妬と不安という名のスイッチが、この記憶を呼び起こしてしまったらしい。
そうか。社会人になって、「女」とも「営業」再開したんだ。
このマスクだ。誘われた女は二つ返事で服を脱ぐ。存分に女とヤリまくって、物足りない分は男で補完していたんだ。きっとそうに違いない。
解雇の理由も、おおかた交尾のし過ぎで気が抜けて、現場で失敗して大穴を開けたんだろう。あるいは社内で妬まれ、足を引っ張られたかのどちらかだ。
ああ、腹が立つ。自分にも、佐賀美さんにも、そしてその過去にも嫉妬で腹が立つ――!
「もう過去の話なんか聞きたくないっ。しないでください!」
酔いが怒りを激しくぶちまけてしまう。
「おい、フジ。落ち着け。俺はな」
「でも僕は今、佐賀美さんに愛されていると信じる方を選びます。けれどもし途中で気が変わって大学に戻り、僕を捨てて碓井さんと一緒になったら、後腐れなく離れますので安心してください。むろん別の人だって同じ事です。それが男だろうが、女だろうが!」
「だから、聞けってば!」
「何を聞けばいいんです? 僕は碓井さんを越えられない。あそこまで愛される自信がない。佐賀美さんの前では僕なんか碓井さんの言う通り、教養のない貧乏人です。なにせ、生きてきた世界が全然違うんですから」
「フジ!」
まずい。佐賀美さんが本気で怒りだした。
けれど僕は自分を止められない。
抑圧していた感情が、酒の力を借りて怒涛のように押し寄せてくるばかり。
「佐賀美さんは現場でも会社でも、何でも一人で完璧にこなすから、僕も周りも自信喪失するんです。だから皆に佐賀美係長って呼ばれなくて、さん付けで呼ばれるんですよっ」
その言葉に佐賀美さんの動きが止まる。
「……お前、今、何て言った?」
佐賀美さんの顔色が、みるみるうちに真っ青になって行く。
だが、それにかまわず僕は続ける。
「自信喪失するって言ったんです。立派過ぎて、さん付けで呼ばれるって言ったんです。自分で勝手に壁を作って、僕達を見下さないでください。学歴も経歴も、皆そんなに気にしてません。佐賀美さんが自意識過剰になっているだけです。だから棚部が気の毒でなりません。あいつは僕より実力があるのに佐賀美さんのせいで委縮してしまって、半分も力を出し切っていない。優秀な後輩を潰さないでくださいよ!」
「フジ!」
僕を睨む瞳が怒りに燃えている。碓井のように殴られるかもしれない。
でもそんなのはどうだっていい。殴りたければ存分に殴ればいい。碓井みたいに一メートルでも二メートルでも喜んで吹っ飛ばされてやろうじゃないか。
「佐賀美さんは過去を告白してすっきりしたんでしょうけれど、僕にとっては重荷以外のなにものでもない! 聞かなければよかったです。あんな救いようのない話!」
大好きな人なのに、誰よりも大切な人なのに、なぜここまで残酷な言葉を吐いてしまうのだろう。
でもそんなの決まりきっている。自分の本音を押し殺しているからだ。
「この野郎っ……!」
佐賀美さんは憤怒の表情で僕に馬乗りになる。そして僕の両手首を掴み、凄まじい力でギリギリと締め上げる。
「あいつと同じ事を言いやがって……!」
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