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第53話 謎の敷地
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「明日の施工箇所はこの周囲一帯です」
十七時五十六分。現場事務所。坂巻が安堂の机の上に道路使用許可証と施工図を広げ、指で指し示す。
「警備員の配置は」
安堂が目でそれを追いながら問う。
「こちらです」
坂巻が別の図面を出す。それは警備員の配置位置の他に、工事告知看板やセフティーコーン、歩行者保護用のバリケード機器等が記されているものだ。安堂はこれを隅々まで確認した後、大きくうなずく。
「オーケー。完璧だ。もう俺の手を借りなくても、ちゃんと警察の許可が取れるようになったんだな。この調子で頑張れよ」
「はい。ありがとうございます」
入社当時から憧れている敏腕技術者の安堂に褒められるのはとても嬉しく、そのたびに坂巻は頬を赤らめる。安堂も、そんな坂巻を後輩として可愛く思っていて、この現場でペアを組んでいる工事期間内に、自分が持てる限りの技術と知識を伝えようとしていた。
巷の安堂に対する醜聞もここでは完全に圏外で安穏。坂巻と安堂も木田の件に関しては互いに問いも語りもせず、なにごともなかったかのように淡々と業務を進めている。
「それと、ここだけ民家っぽいのがあるんですが、この近辺、セフティコーンを増やしたほうがいいでしょうか」
褒められた嬉しさの照れかくしを兼ねて、坂巻は図面上の地図で指示を仰ぐ。 住宅地から少々離れた幹線道路沿いの原野での施工だが、道路側に一か所、かなり大きな敷地があり、そこに建物らしきものが点在しているからだ。
「民家? 敷地がでかいから、俺はてっきり倉庫かと思ってた。ちょっと航空写真、検索してみてくれないか」
「はい」
坂巻は素早くパソコンのキーを叩く。
「やはり民家のようです。敷地内に何軒か住宅があって、しかも一軒一軒がとても大きいです。庭も広いし」
「へえ。じゃあ金持ちか」
「みたいです。きっと一族が集まって住んでるんでしょう。屋根しか見えませんが全部豪邸っぽいです。しかも大きな車庫付きの」
「すげえな。この周囲一帯の地主かな」
「かもしれません。きっと車庫には高級外車とかが並んでて、庭には専属の庭師がいたりして。今で言う、お抱えの造園会社とか」
「ありえるな。そういえば坂巻君のお父さん、造園の仕事をしてるんだよな」
「はい。官公庁の業務が主体ですが、一般の個人宅も請け負ってます。父の話では、やはりみんなお金持ちだそうで」
「だよな。公園みたいなでかい庭に銘木たくさん植えてたら、素人なら無理だよな。夏場の剪定とか、冬の雪囲いとか」
「ええ。そこまでの範囲になると維持や管理はプロじゃないと木も芝もだめになってしまいますから」
「一度でいいからそんな豪邸に住んでみたいもんだ」
「そうですね。家事は全部お手伝いさんに任せて、家の主は薔薇が咲き乱れる豪華な庭園を愛でる毎日とか。憧れます」
「で、アフヌーンティーとかいう、食事みたいな豪勢なおやつ食ってな。昔、雑誌で見たぞ」
「ええ。ティースタンドにスコーンやサンドイッチやケーキが乗ってて」
「妙に詳しいな。坂巻君、食ったことあるのか」
「昔、友人と冗談半分に社会見学と称してハイクラスのホテルで食べたことがあるんです」
そこで坂巻の声のトーンが少し落ちる。多少の嘘が混じっているからだ。というのも、社会人になってからの石橋との逢瀬で遅く目覚めた朝は、ホテルのルームサービスでいつもそれを注文していたからだ。
「美味いのか。それは」
「そうですねえ……身も蓋もない言い方をすれば、品のよいお菓子やサンドイッチを高級な皿に盛りつけて、紅茶片手に時間をかけて食べるっていう、単にそれだけの話ですから」
全裸で石橋に抱かれながら食べるそれは、優雅に紅茶の香りを楽しむとか、お菓子の味わうとか、そういう次元のものではない。ただ空腹を満たしながら昨夜からのセックスの続きをしているだけからだ。なので坂巻もアフタヌーンティーの神髄は、ほとんど理解していない。
「そうか。つまり、おやつに毛の生えたようなものだな」
「毛の生えたおやつ? いえ、それとはちょっと世界観が違うんですが……もしもチャンスがあったら、ぜひ一度お試しください。食器も繊細ですし雰囲気も最高ですから」
安堂が変な誤解をしたまま納得しているようなので慌てて坂巻は補足する。
「格式の高いお店によっては銀のポットで出てきますし」
「銀? ならばそれなりの服装で行かなけりゃだめみたいだな」
「はい。スーツが無難かと」
「うへえ。ネクタイ締めて、かしこまって食うのかよ。落ち着かねえなあ」
安堂は思わず義理の弟の結婚披露宴を思い出し、眉をしかめる。
「ですよね。僕も、汚れてもいい服でコンビニのサンドイッチとか安いケーキを青空の下で膝にこぼしながら食べる方がずっと楽しいです」
坂巻は学生時代の石橋との気楽で愉快なデートを回想し、懐かしく思うのと同時に寂しくなる。
「何だかお互い貧乏性だな」
安堂が肩をすくめる。
「だって僕達の会社、中小企業ですし」
「だよな。大手じゃねえもんな」
「自社株だって上場すらしてませんし」
「全くだ。社員に小口で買わせて、社内だけでわずかな利益をぐるぐる回してるだけだもんな」
「利益って言いますけど、入社以来、配当金、僕、もらってませんよ」
「俺もだ。利子のない貯金だ。あれは」
各自の胸に去来するものは違うが、最後のオチで二人は笑う。
十七時五十六分。現場事務所。坂巻が安堂の机の上に道路使用許可証と施工図を広げ、指で指し示す。
「警備員の配置は」
安堂が目でそれを追いながら問う。
「こちらです」
坂巻が別の図面を出す。それは警備員の配置位置の他に、工事告知看板やセフティーコーン、歩行者保護用のバリケード機器等が記されているものだ。安堂はこれを隅々まで確認した後、大きくうなずく。
「オーケー。完璧だ。もう俺の手を借りなくても、ちゃんと警察の許可が取れるようになったんだな。この調子で頑張れよ」
「はい。ありがとうございます」
入社当時から憧れている敏腕技術者の安堂に褒められるのはとても嬉しく、そのたびに坂巻は頬を赤らめる。安堂も、そんな坂巻を後輩として可愛く思っていて、この現場でペアを組んでいる工事期間内に、自分が持てる限りの技術と知識を伝えようとしていた。
巷の安堂に対する醜聞もここでは完全に圏外で安穏。坂巻と安堂も木田の件に関しては互いに問いも語りもせず、なにごともなかったかのように淡々と業務を進めている。
「それと、ここだけ民家っぽいのがあるんですが、この近辺、セフティコーンを増やしたほうがいいでしょうか」
褒められた嬉しさの照れかくしを兼ねて、坂巻は図面上の地図で指示を仰ぐ。 住宅地から少々離れた幹線道路沿いの原野での施工だが、道路側に一か所、かなり大きな敷地があり、そこに建物らしきものが点在しているからだ。
「民家? 敷地がでかいから、俺はてっきり倉庫かと思ってた。ちょっと航空写真、検索してみてくれないか」
「はい」
坂巻は素早くパソコンのキーを叩く。
「やはり民家のようです。敷地内に何軒か住宅があって、しかも一軒一軒がとても大きいです。庭も広いし」
「へえ。じゃあ金持ちか」
「みたいです。きっと一族が集まって住んでるんでしょう。屋根しか見えませんが全部豪邸っぽいです。しかも大きな車庫付きの」
「すげえな。この周囲一帯の地主かな」
「かもしれません。きっと車庫には高級外車とかが並んでて、庭には専属の庭師がいたりして。今で言う、お抱えの造園会社とか」
「ありえるな。そういえば坂巻君のお父さん、造園の仕事をしてるんだよな」
「はい。官公庁の業務が主体ですが、一般の個人宅も請け負ってます。父の話では、やはりみんなお金持ちだそうで」
「だよな。公園みたいなでかい庭に銘木たくさん植えてたら、素人なら無理だよな。夏場の剪定とか、冬の雪囲いとか」
「ええ。そこまでの範囲になると維持や管理はプロじゃないと木も芝もだめになってしまいますから」
「一度でいいからそんな豪邸に住んでみたいもんだ」
「そうですね。家事は全部お手伝いさんに任せて、家の主は薔薇が咲き乱れる豪華な庭園を愛でる毎日とか。憧れます」
「で、アフヌーンティーとかいう、食事みたいな豪勢なおやつ食ってな。昔、雑誌で見たぞ」
「ええ。ティースタンドにスコーンやサンドイッチやケーキが乗ってて」
「妙に詳しいな。坂巻君、食ったことあるのか」
「昔、友人と冗談半分に社会見学と称してハイクラスのホテルで食べたことがあるんです」
そこで坂巻の声のトーンが少し落ちる。多少の嘘が混じっているからだ。というのも、社会人になってからの石橋との逢瀬で遅く目覚めた朝は、ホテルのルームサービスでいつもそれを注文していたからだ。
「美味いのか。それは」
「そうですねえ……身も蓋もない言い方をすれば、品のよいお菓子やサンドイッチを高級な皿に盛りつけて、紅茶片手に時間をかけて食べるっていう、単にそれだけの話ですから」
全裸で石橋に抱かれながら食べるそれは、優雅に紅茶の香りを楽しむとか、お菓子の味わうとか、そういう次元のものではない。ただ空腹を満たしながら昨夜からのセックスの続きをしているだけからだ。なので坂巻もアフタヌーンティーの神髄は、ほとんど理解していない。
「そうか。つまり、おやつに毛の生えたようなものだな」
「毛の生えたおやつ? いえ、それとはちょっと世界観が違うんですが……もしもチャンスがあったら、ぜひ一度お試しください。食器も繊細ですし雰囲気も最高ですから」
安堂が変な誤解をしたまま納得しているようなので慌てて坂巻は補足する。
「格式の高いお店によっては銀のポットで出てきますし」
「銀? ならばそれなりの服装で行かなけりゃだめみたいだな」
「はい。スーツが無難かと」
「うへえ。ネクタイ締めて、かしこまって食うのかよ。落ち着かねえなあ」
安堂は思わず義理の弟の結婚披露宴を思い出し、眉をしかめる。
「ですよね。僕も、汚れてもいい服でコンビニのサンドイッチとか安いケーキを青空の下で膝にこぼしながら食べる方がずっと楽しいです」
坂巻は学生時代の石橋との気楽で愉快なデートを回想し、懐かしく思うのと同時に寂しくなる。
「何だかお互い貧乏性だな」
安堂が肩をすくめる。
「だって僕達の会社、中小企業ですし」
「だよな。大手じゃねえもんな」
「自社株だって上場すらしてませんし」
「全くだ。社員に小口で買わせて、社内だけでわずかな利益をぐるぐる回してるだけだもんな」
「利益って言いますけど、入社以来、配当金、僕、もらってませんよ」
「俺もだ。利子のない貯金だ。あれは」
各自の胸に去来するものは違うが、最後のオチで二人は笑う。
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