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連載
彼女でなければダメな理由
しおりを挟む「ここでいいか?」
「わ、私のような者がこのような場所に入ってもよろしいのでしょうか?」
「俺の客だ。寛いでくれ」
執務室の隣にある応接室に通されたコレットは緊張と不安で吐きそうだった。
「座って。お茶を用意するよ」
セドリックに軽く肩を押されて座るよう促されると上質な革張りのソファーに浅く腰かけてピンッと背筋を伸ばしていた。
「何を言いかけたか聞かせてくれるか?」
単刀直入に問いかけるクロヴィスの性格にコレットは目を瞬かせる。前置きのないハッキリとした性格。悪い印象はなかった。
「……はあ」
深呼吸を一度。
「は、花束は確かに喜ばれると思います」
「そうか」
「ですが、あ…謝られる方が先かと……」
途中で声が擦れたコレットは上手く言葉が出せなかった。
王子相手に『謝れ』と言うのは重罪ではないだろうかと行き過ぎた不安から声が震えた。
「怒っていたか?」
クロヴィスの反応はコレットの予想とは反して落ち着いたものだった。
「は、はい……」
「そうか……」
悲しんでいるようにさえ見える様子にコレットは無意識に手を伸ばしてクロヴィスの頬に触れていた。それにはクロヴィスもセドリックも驚きに目を見開き、セドリックはお茶を落としそうにさえなった。
「真っ直ぐ目を見て心から謝らなければ誠意は伝わりません。もし悪いと思っておられないのであれば謝っても相手には伝わらないでしょう。怒らせた後にすべき事は花束で機嫌を直してもらう事ではなく、謝罪です。ごめんなさいをしなければ……ッ⁉」
ごめんなさいと口にした時点でコレットは目を見開いた。今になって自分が何をしているのかようやく気付いた。
「も、もももも申し訳ございません! ご無礼をお許しください! お、弟達を思い出してしまい、いつもする事をしてしまいました! クロヴィス王子に触れるなど取り返しのつかない無礼をした事をどうお詫びすればいいか!」
コレットの謝罪にクロヴィスは目を瞬かせ、セドリックは吹き出しそうになるのを堪えていた。
「弟君の年頃は?」
「今年で10歳になります」
「だって、クロヴィス。君の態度は10歳の弟君を思い出させたようだよ」
セドリックのからかいを不愉快だと言わんばかりに眉を寄せながら睨むもコレットには怒らなかった。
クロヴィスも自分でわかっている。子供っぽい事をしてしまったと。だが、謝ろうにもプライドが邪魔をする上、リリーは声をかけても立ち止まってさえくれない。段々と謝罪の気持ちが薄れているのは確かだった。
「気にするな。それより、どう謝ればいいんだ? リリーは俺を無視する。無視された状態では謝罪は無理だ。二度目だしな……」
「さ、最初はお手紙でもよろしいかと。今のお言葉の通り、聞いてもらえないから手紙を書いたとお書きになられれば謝罪をと望まれるクロヴィス様のお気持ちにリリー様も気付かれるのではないかと」
リリーが足を止めない理由はコレットもわかっている。何をするにしてもクロヴィスが上から目線でモノを言うからリリーはそれを受け入れられず足を止めないでいる。
変わる変わると言って結局は変われない、気付かないクロヴィスに嫌気がさしているのだ。
「なるほど。手紙か」
「僕はずっと言ってたけどね」
「お前は押し付けがましいんだ。内容にまで口を出すだろう」
「君がすまないだけ書こうとするからだよ」
「謝罪は謝罪だ」
「だから君は女心がわかってないって言うんだよ」
「黙れ。リリー相手に女心がどうと言うお前がおかしいんだ」
「そのリリーちゃん相手に執着してる君に正当なアドバイスしたつもりだけどね」
「うるさい黙れ」
二人の子供のような言い合いにコレットはおかしそうに笑った。
クールに見えていたクロヴィスには子供っぽい一面があり、女慣れした大人に見えていたセドリックは兄気質な部分がある。予想外でありながらもガッカリする事はなく、むしろ好感さえ抱く一面にいつの間にかコレットの不安と緊張は吹き飛んでいた。
「リリーがまた話をしてくれるようになるためにやるべき事は何だ?」
「えっと、そうですね……」
コレットは自分がアドバイスをするなど恐れ多いと思いながらも考えつく限りの提案をした。
「アイツなら破り捨てそうな気がするがな」
「君の書き方次第だよ」
「王子からのお手紙を破り捨てるなどいくらリリー様でもされませんよ」
「あいつは時々暴君になる」
「お似合いだよね」
「黙れ」
内容が何かもわからないのに捨てるなどありえないとかぶりを振るコレットにクロヴィスはそれを否定するようにかぶりを振った。
リリーは守られなければ生きていけないか弱いレディでない事はクロヴィスも知っている。怒らせると厄介で面倒な性格であることも身をもって知った。
何様だと言えば同じ言葉を返し、平気で無視を決め込むその性格をクロヴィスは〝暴君〟と称した。
すかさず反応したセドリックを睨み付けてはさっそく手紙を書き始める事にした。
「リリー様のこと、大事に思われているのですね」
「ああ」
顔を上げずに簡素に答えてはいたが、照れが入っていると二人は感じた。
「リリー様が復縁なさるお気持ちがないとしたら……どうされるおつもりですか?」
コレットの言葉にクロヴィスは一瞬手を止めたが、またすぐにペンを走らせる。
「他の女性を視野に入れた事はないのですか?」
「ああ」
「それは……何故ですか?」
何故、という問いかけにクロヴィスがペンを置く。
「リリー以上にイイ女はいないからだ」
少し微笑みながら答えたクロヴィスにコレットだけではなくセドリックも驚いた。
クロヴィスは滅多に笑わない。それこそ笑うのはどうしようもなく呆れた時かブチギレた時だけ。それも過去に片手で数えるぐらいしか見た事がないのに、今この瞬間、クロヴィスは確かに笑っていた。
「あ……な、なるほど。リリー様は素敵なお方ですから当然ですね。リリー様に憧れている令嬢も多いんですよ」
「そうか。アイツも公爵家の娘として、というよりは俺の婚約者としての礼儀を叩き込まれる事に苦労していたからな。その結果が出ているということか」
セドリックが微妙な顔をしたがクロヴィスは見なかった事にした。
「オレリア王妃様の誕生祭の時のリリー様はとてもおきれいでしたね」
「ああ。あの姿には俺も驚いた」
「見惚れてたもんね」
「見惚れるほど美しかったのだから当然だ」
オレリアの誕生祭の時のリリーには皆が驚いた顔をしていた。
特別なドレスを着て、特別な姿を見せたリリーに一番釘付けとなっていたのは間違いなくクロヴィスで、それをセドリックに茶化されると腹が立つのか少し強めの口調で肯定した。
両手を上げてドアまで下がったのを確認するとペンは握らずコレットを見つめた。
「どうしてリリー様なのですか?」
コレットの問いかけにクロヴィスは「ふむ」と声を漏らして顎の下で手を組んだ。
「俺達の結婚は親同士が決めたと言われているが、実際には祖父同士の約束だった。モンフォール家とブリエンヌ家の祖父は毎晩酒を酌み交わすほど仲が良く、その酒の席で交わされた約束が孫同士、つまり俺とリリーの結婚だったと聞いた。親は呆れながらもそれに従い、俺とリリーは生まれる前から婚約者となっていた」
「嫌だと思った事は?」
「ない。浮かれた所がなく、俺を見ても何とも思わず自分優先ではあるが、モンフォール家に入る事がどういう事かちゃんとわかっていた。そしてそれに相応しい振舞いを心掛けてきた。俺が何を言ってもちゃんと後ろからついてきた。王と王妃にもそれはよく尽くしてくれた」
クロヴィスの言葉に迷いはなかった。
笑わない暴君と呼ばれながらも愛する者の事は誰よりもよく見ていた。祖父同士が決めたからではなく、自らが心に決めた婚約者だったとコレットは初めて知った。
「では何故婚約破棄をなされたのですか?」
率直な疑問にクロヴィスは黙り込む。
さっきの話と違って次の質問は他人に答えるにはあまりにも幼稚で答えたくなかった。
「リリー様は、その……許さないとおっしゃられていましたし、ヨリを戻すつもりもないとおっしゃられていましたが……」
事情を知るコレットの言葉にクロヴィスが固まる。
「変わると約束した」
「守れてないけどね」
「外に出ていろ」
「護衛だから無理かな」
いちいち口を挟んでくるセドリックに出ていけと命令するが二人きりにさせるわけにはいかないと笑顔で拒否。
「リリー様がお許しくださるといいですね」
「ああ、君には感謝する」
「とんでもありません! 何か気になる事があればいつでもおっしゃってください。陰ながらお手伝いさせていただきます」
コレットの笑顔に頷いて手紙の続きを書くためにペンを執ると書いていた紙を床へと捨てて新しい紙を置いた。
「こうなると声が聞こえなくなるから」
「あ、では私はこれで失礼いたします」
「気をつけてね」
「はい」
笑顔でクロヴィスを見つめていたコレットにセドリックが声をかけるとハッとして立ち上がり物音を立てないようゆっくりと部屋を出ていった。
パタンと小さな音を立てて閉じられた扉にもたれかかったセドリックはその場で腕を組む。
「ああいう台詞はリリーちゃんに言えば?」
「どうせ嘘だと言う」
ちゃんと返事は返ってくる。
「彼女に聞くなんて姑息なことしないでちゃんと本人に聞いた方がいいよ」
「何故だ? 女はサプライズが好きだろう?」
「リリーちゃんはそうでもないと思う」
セドリックの否定にクロヴィスが鼻で笑ってセドリックを見た。嫌な顔をしていると鏡を向けたくなった。
「模様替えしたサロンを見た時のアイツの顔を見ていないからそう思うんだ」
「あれは女性を招くに相応しい場所に整えただけだよ。彼女だけが喜ぶ事じゃない」
「……お前までリリーに気があるんじゃないだろうな?」
なぜそうなる。そう喉元まで出かかったが唾と一緒に飲み込んだ。
クロヴィスの鋭い目つきが厄介で、セドリックは溜息交じりにかぶりを振ってみせる。
「ありえないって言えば失礼だけど、僕はリリーちゃんを好きにはならない。彼女は姉のようで妹のような、そんな感じだからね。恋とは無縁の感情しかないよ」
「ならいい」
吐き捨てるような言い方にクロヴィスの執着心が窺える。
偉そうなことを言っておきながらようやく恋を自覚し始めた男が誰に偉そうに言うんだと文句は心の中でだけ呟いてクロヴィスに近寄り手紙を覗き込んだ。
「ああ、これはダメ。上からになる。リリーちゃんなら破くだろうね」
「何だと? 謝ってるだろう」
「謝り方ってあるんだよ。やり直し」
「おいっ、何をす———!」
ビリビリと音を立てながら手紙を破るセドリックの表情は至極楽しそうだった。
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