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連載
アバズレクソ女に仕立てる方法
しおりを挟むフレデリック・オリオールは絶望していた。
「ちょっと! 馴れ馴れしいのよ!」
「アンタこそ離れなさいよ!」
右腕にはリアーヌ、左腕にはフランソワ。二人の女がまるで蛇のように絡みついている。
もはや好意がある事を隠そうともしない二人は気持ちがバレることよりも相手に取られてしまう事の方が嫌だった。
「仕事中だ、離れてくれ」
「今は休憩中でございましょう?」
「今日はシェフが腕によりをかけたお料理を味わっていただきたく用意させていただきましたのよ」
「いや、昼は会議があるから……」
「いけませんわ! ちゃんとお食事を召し上がらなければ身体がもちません!」
今更令嬢らしくしたところで既に本性はバレているのだから意味がないのに何故か二人はフレデリックに話す時だけお嬢様に戻る。それが女の怖いところだとフレデリックには逆効果であると二人は気付いていない。
「リリー嬢!」
前を通っていくリリーに声をかけると振り向いたが。顔は明らかにニヤついている。
「いつから見てた……」
「あなたが誰かを探しているところからですわ」
「最初からだな……」
言いたい事はあるが、それを口にすると口調が変わってしまう。コレットには既にバレてしまったが、この二人にバレると何か厄介な状態になりそうでそれだけは避けたかった。
「リリー嬢、その……」
「あら、リリー様ごきげんよう」
「ごきげんよう、リアーヌ様」
挨拶をするリアーヌの機嫌は今まで見てきた中で一番よかった。
想い人にくっついていられる事が嬉しいのだろうと思うと微笑ましかった。あの気の強いリアーヌにも乙女な部分はあって、こうして愛らしい笑顔を見せている。
恋とは素晴らしいものだと他人事のように一人頷いた。
「ちょっと! 私もいるのが見えないの?」
リアーヌの名前しか呼ばなかった事を不満に思ったフランソワからの抗議の声にリリーは腕を組んで少し顎を上げた。
「あら、あなたは先日バラ園で私達のお茶会をこっそり盗み聞きしていたフランソワ・ウィールズ様ではありませんか。またお会いしましたわね。今日はコソ泥のように隠れて誰かの話を盗み聞きなさりませんの?」
「ちょっと! 何言ってんのよ!」
リリーの詳細な暴露に信じられないと目を向けるのはリアーヌだけではなくフレデリックも同じ。
顔を真っ赤にして慌てるフランソワだが、この場にいるのはフレデリック、リアーヌ、リリー、フランソワの四人。その中でフランソワの悪名を知っている者は三人……全員だ。フランソワがそんな事をするはずがないと庇う者は誰もいなかった。
「アンタそんな事したの? 恥知らずね。お似合いだけど!」
堪えていた笑いを吹き出して大きな声で馬鹿にするリアーヌの意地の悪さにフランソワは涙目になる。
「そ、そんなことしてないわよ! いい加減なこと言わないでよね!」
「見間違いでしょうか?」
「そ、そうよ! 見間違いに決まってるじゃない!」
「んー……確かエステル様とご一緒だったような? 最近エステル様とご一緒されていらっしゃる方といえばフランソワ様ですし……」
ハッキリ顔を合わせたため見間違いということはありえない。それでもフランソワは必死に自分ではないと反論する。
フレデリックの前で恥をかかされている今の状況をフランソワは許せなかった。
「エステルを見ただけでしょ! わ、私が、このフランソワ・ウィールズが盗み聞きだなんて名誉毀損ですわよ! 侮辱罪ですわ!」
顔を真っ赤にしたまま怒鳴るように声を張るフランソワの言葉にリリーはニッコリと張り付けた笑顔を浮かべた。
「ではフランソワ様がわたくしの父を媚び公爵と呼ばれた事も侮辱罪になりますわね」
「あ、あれは本当の事だもの!」
そこで言葉を詰まらせて俯いたなら許そうと思っていたが、リアーヌ同様気の強い女であるフランソワは黙らなかった。それどころか自分の発言は正当なものだと言う。
リリーにとって父親は愛する存在ではない。実際に利益を生むためならどんな人間にだって媚びを売る。【媚び公爵】という呼び名は言い得て妙だとさえ思った。だが、それを正論だと受け入れて下がる事は出来ない。自分のために。
「そうですわね。嘘はいけませんものね。ですからわたくしも正直に話しているんですのよ。フランソワ様はエステル様と共にお茶会の会話を盗み聞きされていた、と」
「ち、違うって言ってるじゃない!」
リリーの表情から笑顔が消えるとフランソワは一瞬ビクっと肩を跳ねさせて子供のように地団太を踏んで否定し続けた。
「フレデリック様、リリー様がおっしゃられている事は嘘です! 私はそんなゲスな事をするような女ではありません!」
「そ、そうか……」
縋るように腕を抱きしめられると何と答えていいかわからなくなった。
嘘をついてまで人を陥れる性格ではないと知っているだけに庇うことは簡単だが、そうするとこの場においてフランソワ一人が悪者になって傷つけることになる。
騎士は常に正しくあれと教えられているが、この場合は黙っているのが一番正しいと結論を出して余計な事は言わない事にした。
「というかエステル・クレージュと一緒にいる時点でアンタ終わってるわよ」
「リアーヌ嬢、そういう言い方はやめた方がいい」
「あ、ごっごめんなさい」
あの気に入らない者には片っ端から噛みつく狂犬のようなリアーヌが好きな男から受けたたった一言の注意でこんなにもしおらしくなる事に驚きが隠せなかった。
もしこれが目に見える形の〝恋〟であるのだとすれば自分はやはりクロヴィスに恋をした事がないと結論が出た。
何故ならクロヴィスから注意を受けるだけで腹が立つから。気にするなどとんでもない事だった。
「まあまあ、いいじゃありませんか。誰だって人に知られたくない崇高な趣味ぐらいあるでしょうし」
「ッ!」
ふふっと口元に手を当てながら小馬鹿にしたような笑いを漏らすリリーを睨むフランソワの目には怒りが宿っていた。
やりすぎたかと思ってももう遅い。リリーは表情を変えないまま真っ直ぐフランソワを見つめ返した。
「大衆の前で婚約破棄されて自暴自棄になってそんな性根の腐った性格になってしまったのかしら? 当然よね。ずっと安泰だと思っていた地位が救済枠の女に脅かされているんだから」
「欲していなかった地位が失われようとわたくしにはどうだっていいことですのよ」
「強がってんじゃないわよ! 王子が追いかけてるからって優位に立ってるつもり⁉ 彼が今のアンタを見たらどう思うでしょうね! きっと失望する! そしたらアンタは終わりよ!」
フランソワの言葉は尤もで、リリーは今、自分が優位に立っていると思っている。それが気に食わないのであればクロヴィスは諦めればいいし、自分は父親が縁談を持ってくるまで将来性のない悪役令嬢になるという望みを叶えるだけだからと。
何を言われようと悔しくはない。むしろ笑いさえ込み上げてくる。
「ふふふふふっ」
「何がおかしいのよ」
つい漏れてしまった笑い声にフランソワの眉間にシワが寄る。
「ごめんなさい、つい。あなたが子犬みたいにキャンキャン吠えるものだからおかしくなってしまって。わたくしの性格は昔からこうだし、彼も知ってる。幼馴染だもの、知らないわけないでしょう? それでも彼はわたくしを追いかけるのですわ。あの難解な男を理解出来るのはわたくし以外にいるはずがないと彼もわかっているのだから」
「なっ———ば、ばかじゃないの! 自慢してんじゃないわよ!」
予想外の言葉に目を見開くフランソワに再び笑顔を向けるとヒールを鳴らしながら足早に去っていった。
「……ふう…」
もう王子の婚約者ではないのだから皆に良い顔をする必要はない。こういう態度を取っても悪く言われるのは自分か自分の家だけ。やられたらやり返せ、母親の教えを守っているだけだと自己擁護をかまして大きく息を吐き出した。
「二人ともごめんなさ……? どうしたの?」
時間を取らせてしまった二人に謝ろうと顔を向けると目と口を大きく開いた状態で固まっている。不思議そうに首を傾げたリリーは二人の視線が自分ではなくその後ろにある事に気付いて振り向くと同じ顔で固まった。
「クロ、ヴィス……」
クロヴィス・ギー・モンフォールがそこに立っていた。何故か大量の白いバラの花束を抱えながら。
「さっきの言葉は違うから。あなたに気持ちがあるとかじゃないから。幼馴染だからって意味よ」
「ああ、わかっている。お前は俺をどうとも思っていない。だが誰よりも俺を理解している」
「セドリックやフレデリックもそうだから!」
一番聞かれてはいけない相手に聞かれてはいけない言葉を聞かれてしまった。
どこか嬉しそうにさえ見えるクロヴィスの表情にリリーは顔を引きつらせながら後退りをする。それに合わせてクロヴィスは足を進めて距離を詰めていく。
「セ、セドリックどうにかしてっ」
「今から君に花束を渡しに行くところだったんだ」
「謝りもせずに花束渡してご機嫌取ろうなんてどういう神経してるのよ!」
「何度も手紙を出した」
「一通も来てないわよ!」
「そんなはずない。ちゃんと君の家まで僕が届けてたんだから」
セドリックの言葉にリリーの足が止まる。それでもクロヴィスは止まらずリリーの目の前まで来て渡そうとする花束をリリーが押しのけてセドリックに寄っていく。
「それ本当?」
「うん。最低でも五通は出してる」
「私は一通も受け取ってない……」
セドリックが嘘をつくメリットはない。面倒見のいい男だ。手紙を書かせたのもセドリックだろうと容易に想像はついたが、五通も出して一通も届いていないのは事故ではない可能性が高い。
「やっぱり……」
自分の屋敷に犯人がいる。噂も、写真も、手紙も使用人の仕業。だが犯人がわからない。使用人の顔は全員覚えているが心当たりがない。皆長い付き合いで今更そんな事をする理由がわからない。
「リリー、これは今日咲いたばかりのバラだ」
「黙って」
「リリー、俺は反省しているんだぞ」
「黙って!」
自分が使用人達に何かした覚えはない。もししていたとしても最近は接触さえしていないのだ。昔にしていた可能性はあるが記憶にない。していたのなら仕返しとしてリリーを陥れようとしているのもわかるが、何故今更?
「婚約破棄をキッカケに動き始めたとか?」
同じことを考えていたセドリックの言葉に顔を上げるもリリーは眉を寄せるだけ。タイミング的にはそうだが、リリーが婚約破棄をされた事でリリーへの嫌がらせをする意味は何なのか。
他人から見ればリリーは既に辱めを受けているし、婚約破棄という傷も負った。
疑問となっているのは最初の噂。もし婚約破棄をされたリリーを更に傷つけたいという意思の元で動いているのであればクロヴィスと抱き合っていたという噂を広める必要はない。思う人間は『ヨリを戻した』と思うだろう。それなら嘘でもユリアスと抱き合ってキスまでしていたと広める方がダメージになる。
「私とクロヴィスの復縁を阻止したいなら手紙と写真はわかるの。クロヴィスを怒らせて私に愛想をつかせようとしているって理由で納得できる。でもクロヴィスと抱き合ってたっていう噂は逆効果よ」
「噂ではなく事実だ」
「黙って」
シッと息を鳴らして犬に待てをさせるように手のひらを見せてクロヴィスを黙らせると意図がわからない事にリリーはまた眉を寄せた。
「あなたをアバズレに仕立て上げたいなら私もそうしますわよ」
「え?」
リアーヌの言葉に全員が顔を向けると一度フレデリックを見上げて頬を染めたリアーヌはコホンと可愛らしい咳払いをしてから人差し指を立てた。
「王子から婚約破棄をされた女が翌日から王子の執拗な付きまといを受けている」
「執拗な付きまとい……」
「シッ」
聞き捨てならないと顔に書くもリリーが花束をクロヴィスの顔に押し付けて黙らせる。
「王子が自分の愚行を恥じてヨリを戻そうと奔走している中で女は別の王子に迫られてデートをした。この時点で女は二人の男を選ぶ権利を手に入れているも同然。自国の王子に振り向かず、隣国の王子に向かうと思いきや隣国から戻った女はそのまま自国の王子と抱き合った。王子のファンからすれば女はアバズレのクソ女って事になる。誰もが憧れる品ある心優しき公爵令嬢をクソ女に仕立て上げるにはじゅうぶんなやり方でしょうね」
リアーヌの説明に全員が納得できたが、ハッキリと口にする『クソ女』という言い方に絶句していた。
「そこに王子の護衛である幼馴染とのあの写真。王子から王子へ、そして幼馴染の騎士へ」
「騎士見習いだ」
「クロヴィス、ハウスする?」
「……しない」
いちいち口出しするクロヴィスに舌打ちしたくなるほど苛立つリリーの形相にクロヴィスは渋々ながら口を閉じた。
「王子とヨリを戻させたくないというよりはあなたをクソ女に仕立て上げたいのよ」
「クソ女に……」
「恵まれてるって自覚はある?」
「……ええ」
恵まれている自覚はある。誰もが望んで生まれる場所を選べるわけではない。エステルのように貧民街で生まれた人間もいれば、リリーのように公爵家の娘として生まれて王位継承権を持つ者と婚約が約束された人生を歩む者もいる。
不公平だと思う者もいるだろう。
「フランソワ・ウィールズのような女もいるのよ」
「あの人は侯爵家なのに」
「侯爵であろうと序列で言えばあなたが上。それが気に食わないのよ。私達も恵まれた地位にいるけど、それでも王子との結婚は決まってない。まあ、私は王子なんかと結婚しないで騎士様と結婚したいと思ってるから全然いいんだけど」
「リ、リアーヌ嬢……」
ちゃっかりフレデリックに色目を使う事も忘れず腕に抱きついて頬を寄せるリアーヌはさすがだと思いながらも苦笑が浮かぶ。
「どうなってるんだろ……」
貧乏人だけが金持ちを恨むわけではない。富裕層の中でも格差がある。それを数え始めるとキリがなく心当たりは更にわからなくなってしまう。
急に起こり始めた事件は誰がキッカケなのか。
一気に増えた不信感と不安にリリーは大きな溜息を吐いた。
「暫く護衛につこうか?」
「大袈裟すぎる。私は王子の婚約者じゃないんだから護衛はダメよ」
「幼馴染が一緒にいる分にはおかしくないよ」
セドリックの言葉にリリーは迷っていた。
噂、写真、手紙。まだ何か身の危険を感じた事はない。今から警戒するのは大袈裟な気がしていた。
「もし何か身の危険を感じた時はお願いする、かも」
「それじゃ遅いと思わない?」
「王子の護衛が第一」
この短時間に何度吐いたかわからない溜息にしっかりしろと両手で頬を押し上げる。
落ち込んでいる場合ではない。犯人は何が目的なのか探る必要がある。
「俺の婚約者として戻ってくれば護衛をつけてやれる」
「クロヴィス、私を王子に暴行したクソ女にさせないで」
ニッコリ笑って言ったリリーの声はまるで子供に接するように酷く優しいものだった。
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