悪役令嬢になりたいのにヒロイン扱いってどういうことですの!?

永江寧々

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胸のざわつき

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「お前はクソ女ではないぞ」
「知ってる」
「あれはあくまでもリアーヌ嬢が例え話として言っただけでお前をクソ女呼ばわりしたわけではない」
「知ってる」
「お前をクソ女と呼ぶ奴は俺が許さん」
「クロヴィス」

 いくらフランソワに悪役令嬢として対応するためだといえど聞かれたのはまずかった。
 あの後からクロヴィスの付きまといは悪化し、リリーが何を言おうと聞かなくなった。それが嫌われる原因の一つだと何度も言ったとセドリックは言っていたが、こうなると誰にも止められないのはリリーもよく知っている。
 一人優雅にお茶を飲みながらお気に入りの悪役令嬢の小説を読んで勉強したいのに目の前にクロヴィスがいるというだけでそれが出来なくなる。
 何よりさっきから壊れたレコードのように同じことばかり口にするのが鬱陶しくて仕方なかった。

「私をクソ女呼ばわりしているのは貴方よ」
「俺は許さないと言っているんだ」
「ええ、そうね。でもクソ女って言ってる」

 クソ女と呼ばれているとしてもリリーの耳にはまだ一度も届いてはいない。それなのに目の前に居座り続けるクロヴィスがフォローのためにクソ女を連呼する。もう笑顔を浮かべるのさえ嫌になっていた。

「どっか行って」
「お前を狙う奴がいるかもしれないのに俺にどこへ行けと言うんだ」
「自分の部屋」
「王子は姫を守るのが役目だ」

 思わず白目を向きそうになった。

「それは物語の中だけであって、クロヴィス・ギー・モンフォール王子が今すべき事は机の上に山積みになっている書類に目を通すこと」
「あれはもう済ませてきた」
「……あ、そう……」

 嘘をつけと言いたかったが、クロヴィスならやりかねないし、溜まっていたらセドリックが強制的に連れ戻すだろうから本当だと信じる事にした。

「お前は何故恨みを?」
「クロヴィス・ギー・モンフォールが婚約破棄をしたのに翌日に尻尾を振ってリリー・アルマリア・ブリエンヌを追いかけ回すから、でしょうね」
「俺を恨めばいいだろう」
「猿……ゴホン、王子にでもわかるよう正確に言いますと、リリー・アルマリア・ブリエンヌは婚約破棄された分際で追いかけるクロヴィス・ギー・モンフォール王子に冷たい態度を取るので調子に乗っているとある一定層のレディ達から嫌われているのです」

 自分では言いたくない事実ではあるが、理由はそれしか思い当たらず肩を竦めた。

「なら態度を改めればいいだろう」
「嫌です」

 キッパリと断った。こういう時だけ一瞬で笑顔が出る自分にリリーは若干引いていた。

「一方的な婚約破棄をあのような場であのような形でなさる男性ともう一度婚約を結ぶというのは不可能です。常識と神経を疑います。ああ、この人は妻を大切にしない人だと思いましたし、絶対そうだと確信していますので無理です」
「そんなことはない。今こうしてお前を大切にしようと努力している」

———どの口がそんな事を言ってるわけ?

 言葉にしない代わりに大きな溜息で呆れを表した。

「そもそも、昨日リアーヌ嬢が例えと出したものは全て事実を基に話したものだ。お前の危機感の……」

 言いかけて途中で止まった。

「危機感の?」

 リリーの笑顔の後ろに見える黒い熱気のようなモヤが見えていたから。

「いや……その、お前は無防備すぎると言いたかったんだ」

 クロヴィスが言い直したという事に微量の成長を見た気がしたが、これは人間関係を円滑にするための常識。成長と思うのは甘いかもしれないと思いながらも今は納得する事にした。

「クロヴィス、本当に本当に、本当に、私は貴方が変わらなければ貴方を好きにはならないし、婚約にも応じない」
「変わる」
「口だけじゃない。私が何度貴方を許した?」

 リリーの言葉にクロヴィスは黙り込んだ。数を数えているのか、それとも不満を口にしないよう閉じたのか、リリーはそれを探るよう見つめた。

「貴方が私の父を説得したとしても私は応じない」

 まだ答えない。

「手を」
「は?」
「手を出してくれ」

 リリーの言葉を無視したように全く関係のない言葉を口にしたクロヴィスが何を考えているのか、何をしたいのかわからず眉を寄せるも真剣な表情をしているため手を出した。

「どうだ?」

 リリーの手をクロヴィスが握り、そのまま顔を上げてリリーの目を見つめながら問いかけるもリリーは眉を寄せたまま。

「具体的に聞いて」
「何か感じないか?」
「骨と皮と肉」

 クロヴィスが何を言いたいのかわかっている。ときめきがあるかどうかを知りたがっているのだろうがリリーはそれには応えなかった。
 話し合いでもいつも先に結論を出してしまうクロヴィスがこの場もそうしてしまうような気がした。

「変わるには時間がかかる」
「当たり前でしょ。十七年間そうやって生きてきたの。今日明日で変わるわけないじゃない」
「ならどうしろと言うんだ」
「変わる努力をしてって言ってるの」
「している。お前は俺の努力も見ずに変わっていないと決めつける」
「女の頬をぶつ男が変わる努力をしてると言って誰が信じるのよ」

 少し機嫌が悪くなったクロヴィスにリリーの表情は険しくなる。不機嫌になりたいのはこっちだと同じように口調に棘が出て二人は見つめ合うというより睨み合いに近くなっていた。

「今の俺の何がダメというんだ」
「全部」
「顔もか?」

 自分をイケメンだと思っている人間しか口にしないだろう発言にリリーは思わず口を開けた。

「私が顔で人を好きになる女ならとっくに貴方に心酔してる」
「……そういう女であってくれれば……」
「なりましょうか? 貴方の中身なんて見ないで顔さえ良ければそれでいいってニコニコしてバカ丸出しで喋るの。キャー、クロヴィス王子ってかっこい~。イケメーン。男は中身より顔よねー。顔さえ良ければ政治の話をしようとどうだっていい~」

 顔の横に拳を当てて可愛い子ぶって見せるリリーにクロヴィスは一瞬で色々な想像をした。

「……それはダメだ」

 そんな王妃は誰も支持しないとわかりきっていた。

「でしょうね。私も嫌よ」
「だが俺は努力しているんだ」

 努力していないとは言わない。実際にしている部分もあるだろう。不細工ではあったがカヌレを作ってくれた。その努力は変わろうとした証だ。だが、リリーは一番変わってほしい部分である〝自分の意見こそ正しい〟という考え方が変わらないのであればクロヴィスを認める気にはなれなかった。

「貴方が私に執着する理由はなに?」

 わからなかった。幼馴染で誰よりも傍にいた女である自覚はあっても、親しい関係にはならなかった。
 手を繋いで歩く事も、笑いあってお茶をする事も、キスをする事も、抱き合う事も……何もしてこなかった相手に執着する理由がわからなかった。もし笑顔が見たいと言うのであればいつでも見せるつもりはある。政治の話も何もなく、ただの世間話でくだらない話をすれば笑いあえる事はわかっているのだから。

「お前以上に俺を理解している女はいない」
「もう一回その言葉言ったら怒るから」

 リリーが言った言葉にスッと目を細めて本気という顔を見せるとクロヴィスは咳払いをした。

「お前以上に」
「クロヴィス」
「イイ女はいないからだ」

 怒らせたいのかと眉を寄せたリリーだが、続く言葉に目を見開いた。想像もしていなかった言葉だ。

「私以外と接してこなかったからでしょ?」

 クロヴィスは同性愛者なのではないかと貴族達の間で噂になった事があるほど寄ってくる女に靡かなかった。どんな女が寄ろうとクロヴィスは冷たくあしらい男達と話し込んでいたのが原因だ。だからリリーは他にどんな女性がいるか知らないからだと言うもクロヴィスはそれを否定するように首を振った。

「お前は俺を好いてはいなかった。十七年間の間でただの一度もだ。それでもお前は努力し続けた」
「それは……クロヴィス・ギー・モンフォールの婚約者になったら誰でもそうする。そうせざるを得ないもの」

 特別な事をしたわけではなく、妻になるならしなければならないと言われた事の多くをこなしてきただけ。クロヴィスのためと思って行動した事は一度もないのだ。それを認めてイイ女と言われても今度はリリーがそれを否定するように首を振る。

「だが、俺の婚約者はお前だった。だからお前以上にイイ女はいない。愚行を働いた俺をお前は何度でも許してくれている」
「しつこいからよ」
「そうだな。だから俺はお前に甘えてしまう」

 頭が混乱する。何かがおかしい。こんな言葉を口にするのはクロヴィスらしくない。自分が女に甘えているという事を認めるなどらしくない。

「あんまりいつもと違うこと言わないで。怖いから」
「ならどう言えばいい?」
「そう言われると……」

 どう言ってほしいのかわからない。いつも通りに言えと言えばクロヴィスはいつも通り余計な事を言ってリリーを怒らせる。だが、今のクロヴィスを見ていると何故か不安になる。

「俺は……」

 キュッと手を握ったクロヴィスに視線を戻すと余計に胸がざわつき始めた。

「クロヴィス……」
「俺はこうしているだけで———」

クロヴィスが何かを言おうとした時、途中で予鈴が鳴って言葉が止まる。

「行きましょうか」

 リリーはホッとしていた。
相手は赤ん坊の頃から隣にいた男で、今更何かを思うはずもないのに胸がざわついて止まらない。この感覚は一体何なのか、それが不安となってリリーの表情を曇らせていた。

「リリー、またサロンに招いてもいいか?」
「招待状にはちゃんとノーといいえの選択肢を載せてね」
「ああ、行きたくないですかという文面で作っておく」
「行かないってサインしとく」

 変わる努力をしろと言ったのは自分。その片鱗が見えると急に不安になるのは何故か。それがわからない。

———身勝手すぎるでしょ。

 身勝手な自分に反吐が出そうになった。結局何がしたいのかと自嘲してしまいそうになる。

「リリー」
「ん?」

 教室へ向かう階段の途中でクロヴィスが振り向いた。その顔はいつもより少し爽やかに見え、今日はやはり何かおかしいと思うも気にしすぎてはいけないとリリーは小さく微笑みながら小首を傾げた。

「お前が好きだ」

 風が凪ぐような優しい声での告白にリリーは微笑みを保てず目を見開いた。

「が、学校で何言いだすのよ!」
「誰もいないからいいだろう」
「そういう問題じゃない! もう! 早く行ってよ!」

 ここはモンフォール家の敷地内でもブリエンヌ家の敷地内でもない。大勢の学生が集う学校。
 追いかけ回すだけでなく告白もしていたとなれば大騒ぎする者が出てもおかしくない。噂というものは広がるのに一日も必要ないのだから。

「覚えておいてくれ」
「わかったから早く行って!」

 わざわざ覚えなくとも婚約破棄の翌日から嫌というほどよく知っている。
 どんな顔をすればいいかわからず早く行けと促すとクロヴィスは上機嫌に階段を下りていく。

「まったく……キャッ!」

 自分の顔を手で仰ぎながら階段を下りようと一歩足を踏み出した瞬間、リリーは背中にドンッと強い衝撃を感じた。

「リリーッ⁉」

 小さな声ではあったが、普段から出しているわけではない高い声に振り向いたクロヴィスは咄嗟に腕を伸ばした。

「いたたたた……一体なに……が……」

 背中に衝撃を感じてから目を開けるまで一瞬の間だった。何が起こったのかわからず閉じていた目を開けると下敷きになったクロヴィスの姿が目に入った。

「クロヴィス……?」

 目を開けない。

「クロヴィス!」

 後頭部から血が流れているのが見えた。階段で切ったのかもしれないと思い、揺らしてはいけないと肩に置いた手を離して声をかけた。

「誰か! 誰か来て! 早く!」

 リリーは自分がどんな場であろうと冷静でいられる人間だと思っている。何があろうと冷静に物事を判断できる人間だと。だが、今この状況は冷静に行動できる自信はなかった。
 腹の底から声を上げて人を呼ぶ。

 リリーの悲鳴のような叫びを聞きつけてきた生徒達がざわつく中、リリーは何度もクロヴィスの名前を呼んでいた。


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