43 / 72
連載
和ませてくれる人
しおりを挟む近付かないと決めても顔を見ない日はない。
同じ学校に通う同じ学年なのだから当然擦れ違うことはある。それでもリリーは極力目を合わせないようにしたし、フレデリックと談笑していてもクロヴィスの姿が見えたら笑うのをやめて頭を下げた。
完全なる他人行儀。まるで二人の間には何の関係も出来ていなかったような態度。
正直、想像以上にしんどかった。
「はあ……」
「溜息つくと老けるぞ。一日三回までだろ」
「まだ一回しかついてない」
フレデリックが言う『溜息は一日三回まで』というのは幼い頃に四人で決めたルール。
成長した今でもフレデリックはそれを使ってルールに従っている。
「一ヵ月経っても効果なしか」
「本人に思い出すつもりがないし、思い出すきっかけを与えないんだから思い出せるはずないでしょ」
「それもそうだな」
「私だけがいないんだからいいのよ」
ジュラルドとオレリアが両親であること。自分がその息子の王子であること。学生でありながら仕事を持つ身であること。騎士見習いである幼馴染が二人いること。
必要なことは何も忘れてはいない。
ただ、クロヴィスの中にリリー・アルマリア・ブリエンヌという幼馴染が存在していないというだけ。
「元婚約者ってことだけ忘れりゃいいのにお前を知らないってんだからふざけてやがる」
「フレデリックは怒りすぎ」
「お前が怒らねぇからだろ!」
リリーが怒らない事とフレデリックが怒らない事は関係ないが、この一か月間フレデリックはずっとモヤモヤしていた。あのリリーがクロヴィスに頭を下げる姿など見たくなかった。それを受け入れるリリーにも腹が立っていた。
「リリー様、ユリアス王子がお越しです」
コンコンコンッとノックの音が聞こえ、開いたドアから顔を覗かせるアネットが顔を覗かせ用件だけを伝える。
「は?」
「え?」
眉を寄せるフレデリックと目を見開くリリーが顔を見合わせるとアネットはもう一度『ユリアス王子がお越しです』と言い、玄関ホールの方を手で指した。
「と、とにかく行くわ」
慌てて立ち上がったリリーにフレデリックも立ち上がって後をついていく。
「ユリアス王子!」
「ああ、麗しの姫」
———なにそれ……。
階段から声をかけると嬉しそうに顔を明るくするユリアス王子が片手を上げて一度も言った事がない言葉を吐いた。姫という肩書はないし、ユリアスの姫になったつもりもない事から返事はせずに苦笑だけ向けながら階段を下りていく。その後ろで不愉快を顔に出すフレデリックも一緒に。
「突然の訪問お許しください」
「それは構いませんが、何かあったのですか?」
王子という立場であれば当然訪問に許可を求めるはず。礼儀も知らない王子と言われては国の尊厳に関わる。連絡もなしに来たという事は何かあったのかもしれないと心配の目を向けるリリーの目を見つめたユリアスはフッと安堵の笑みを浮かべた。
「元気そうでよかった」
「……えっと……?」
久しぶりに会った従兄弟のような言い方にリリーは反応が遅れた。
「クロヴィス王子の話を聞いてな。君が落ち込んでいるのではないかと思い、すぐに馬に飛び乗ったんだ」
「もう一ヵ月も前の話ですけど……」
「それは知っているが、他国の人間が問題早々首を突っ込むわけにはいかないだろう?」
噂というのはあっという間に広まってしまう。それこそ大陸を越えて広まることもある。隣国のユリアスまで届くのに時間はかからなかっただろう。
「その一ヵ月の間に手紙の一つでも出せたのでは?」
フレデリックの問いかけにユリアスは苦笑と共に頬を掻いた。
「拒否されると思ったから……」
———子供か。
間違ってはいなかった。リリーなら確実にユリアスからの面会の申し込みを断っていただろうから。
「今日ももし会えないのであれば諦めて帰るつもりだったが、やはり君は優しい。こうして会ってくれた上、俺の心配をしてくれた。来てよかったよ」
優しい人。一国の王子でありながらリリーを気にかけ馬を飛ばして来てくれた。断られれば粘るつもりもなくそのまま引き返すつもりであったなど貴族でもそれほど潔い人間はなかなか見つからないだろう。
「彼は君を大切に想っていた。だからこそ余計に君を記憶の奥底に閉じ込めているのかもしれないな」
「思い出したくないほど嫌な事だから閉じ込めると聞きますけど」
「それはない。彼は君を愛していたからな。ああ、俺も負けてはいないけど」
「愛していないでしょう?」
「恋が愛に変わるのは一瞬だよ」
ロマンチストらしい言葉にリリーは吹きだすように笑った。
愛に変わるほどの逢瀬もしていないのにと首を振るリリーにユリアスも同じように笑う。
リリーが笑えばユリアスも笑う。同じ場所で同じ感情を共有することが大事なのだとユリアスは言っていた。だからリリーはユリアスといると心が軽くなる様な感覚を覚えていた。
「記憶が戻らないのであれば俺と婚約を、と申し込みたいのだが……それはフェアじゃないからな」
「あら、フェアというお言葉をご存知で?」
「昨日の授業で覚えたばかりだ」
「まあ」
軽口が叩ける相手はフレデリック以外は久しぶりで楽しかった。
クロヴィスに迫られ、ユリアスに迫られる状況に疲れていたはずなのに、その疲れはいつの間にかクロヴィスが自分の事を思い出さない事実のせいに変わっていた。毎日毎日「今日は」「今日こそは」と思うようになっていて、叶わない現実に溜息をつく。
フレデリックは怒り、リリーは苦笑するだけ。
こうして軽口で笑い合うのは久しぶりだった。
「まだ彼には会っていないんだが何か変わったかい?」
「いえ、わたくしを覚えていないだけですので他の方には普通に接しています。仕事にも支障はありませんし」
「そうか……辛いな」
ユリアスが言う『辛い』という言葉にどう返事をしていいのかわからず眉を下げて小さな笑みだけを返した。
———私は辛いの?
周りが言うには『一番辛いのはリリー』らしく、ヒロインの立場であればこれは可哀相な状況でヒロインは辛いと苦しくなる場面。しかし、まだそれについてピンときていないリリーは自分の心情に疑問を抱いていた。
「クロヴィス王子の記憶が戻る事を切に願うよ」
「張り合いがないからですか?」
「まぁね。記憶が戻った時に卑怯者扱いはされたくないし、そういう噂が立つのも気に食わない。正々堂々と彼と張り合って手に入れたいんだ」
「わたくしでなくともよろしいのでは?」
「いやいや、君が気に入ってるんだ」
正直に言ってしまう辺りが彼らしいとリリーは思う。
記憶をなくした方が悪いと言ってしまえばそれまでだが、彼はそうしない。これが彼の誠実さなのか、それとも本気ではないからなのか、少々疑いを持つ部分こそあれどリリーは軽く膝を曲げてほんの少し頭を下げて感謝した。
「どうぞこちらへ。お茶をお出ししますわ」
「なら遠慮なく、と言いたいところだが、今日は顔を見に来ただけなんだ。突然訪ねて部屋に上がり込むほど図太くはないつもりでね」
フレデリックが何か言いたそうな顔をしているのを感じながらリリーは背中を向けるよう腕を押す。
「今日はこれで失礼するよ。次はちゃんと手紙を送るから」
「はい」
「いい返事を期待している」
「そうですね」
門まで見送りに出たリリーはそこに確かに馬車ではなく馬が一頭いるだけな事に気付いた。
王子でなくとも貴族であれば馬車を出して向かわせることも出来ただろうに本当に馬を飛ばしてきた事を証明している。
「今日は本当にありがとうございました」
「君の笑顔が見られて良かった。こいつの努力も無駄ではなかったということだな」
艶めく黒毛を撫でながら馬が頑張ったと言うユリアスに目を細めると一度大きく頷いた。
誰かと誰かを比べる事はあってはならない。それぞれが一個体なのだから違って当然だ。それを人は誰かと誰かを比べて評価する。リリーも同じだった。
頭の中では「クロヴィスなら絶対言わない言葉だ」と比べる言葉がグルグル回っている。
「暫くは辛いだろうが、君は強いから乗り越えられる」
「ありがとうございます」
「俺もついているしな」
「ふふっ、そうですね」
「こいつの機嫌が良ければ一分で駆け付けられる。まあ、機嫌が良いのを見た事がないからいつもそれなりの時間がかかるわけだが」
くだらない冗談でもユリアスの表情がそれを面白いものへと変えてくれる。
「おっと、身体が冷えてはいけない。今日はこの辺で失礼させてもらう」
「夜道ですからお気をつけて」
片手を上げて馬に乗ろうとしたユリアス、それを見送るリリーの耳に届いたカツカツと鳴る足音。フレデリックの歩き方ではない。
「これはこれはユリアス王子」
クロヴィス・ギー・モンフォール。
「クロヴィス……」
クロヴィスが来た事だけでも驚きだが、それは驚きだけにはとどまらず不安をも掻き立てる。
リリーには見せないどこか人を見下したような表情を浮かべるクロヴィスが何を言うつもりなのか……
「やあ、クロヴィス王子」
爽やかな笑顔で挨拶をするユリアス。
異なる笑みを浮かべた二人はまるで対峙しているように見えた。
11
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
腹に彼の子が宿っている? そうですか、ではお幸せに。
四季
恋愛
「わたくしの腹には彼の子が宿っていますの! 貴女はさっさと消えてくださる?」
突然やって来た金髪ロングヘアの女性は私にそんなことを告げた。
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
「お幸せに」と微笑んだ悪役令嬢は、二度と戻らなかった。
パリパリかぷちーの
恋愛
王太子から婚約破棄を告げられたその日、
クラリーチェ=ヴァレンティナは微笑んでこう言った。
「どうか、お幸せに」──そして姿を消した。
完璧すぎる令嬢。誰にも本心を明かさなかった彼女が、
“何も持たずに”去ったその先にあったものとは。
これは誰かのために生きることをやめ、
「私自身の幸せ」を選びなおした、
ひとりの元・悪役令嬢の再生と静かな愛の物語。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。