悪役令嬢になりたいのにヒロイン扱いってどういうことですの!?

永江寧々

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和ませてくれる人

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 近付かないと決めても顔を見ない日はない。
 同じ学校に通う同じ学年なのだから当然擦れ違うことはある。それでもリリーは極力目を合わせないようにしたし、フレデリックと談笑していてもクロヴィスの姿が見えたら笑うのをやめて頭を下げた。
 完全なる他人行儀。まるで二人の間には何の関係も出来ていなかったような態度。

正直、想像以上にしんどかった。

「はあ……」
「溜息つくと老けるぞ。一日三回までだろ」
「まだ一回しかついてない」

フレデリックが言う『溜息は一日三回まで』というのは幼い頃に四人で決めたルール。
成長した今でもフレデリックはそれを使ってルールに従っている。

「一ヵ月経っても効果なしか」
「本人に思い出すつもりがないし、思い出すきっかけを与えないんだから思い出せるはずないでしょ」
「それもそうだな」
「私だけがいないんだからいいのよ」

 ジュラルドとオレリアが両親であること。自分がその息子の王子であること。学生でありながら仕事を持つ身であること。騎士見習いである幼馴染が二人いること。
 必要なことは何も忘れてはいない。

 ただ、クロヴィスの中にリリー・アルマリア・ブリエンヌという幼馴染が存在していないというだけ。

「元婚約者ってことだけ忘れりゃいいのにお前を知らないってんだからふざけてやがる」
「フレデリックは怒りすぎ」
「お前が怒らねぇからだろ!」

 リリーが怒らない事とフレデリックが怒らない事は関係ないが、この一か月間フレデリックはずっとモヤモヤしていた。あのリリーがクロヴィスに頭を下げる姿など見たくなかった。それを受け入れるリリーにも腹が立っていた。

「リリー様、ユリアス王子がお越しです」

 コンコンコンッとノックの音が聞こえ、開いたドアから顔を覗かせるアネットが顔を覗かせ用件だけを伝える。

「は?」
「え?」

 眉を寄せるフレデリックと目を見開くリリーが顔を見合わせるとアネットはもう一度『ユリアス王子がお越しです』と言い、玄関ホールの方を手で指した。

「と、とにかく行くわ」

 慌てて立ち上がったリリーにフレデリックも立ち上がって後をついていく。

「ユリアス王子!」
「ああ、麗しの姫」

———なにそれ……。

 階段から声をかけると嬉しそうに顔を明るくするユリアス王子が片手を上げて一度も言った事がない言葉を吐いた。姫という肩書はないし、ユリアスの姫になったつもりもない事から返事はせずに苦笑だけ向けながら階段を下りていく。その後ろで不愉快を顔に出すフレデリックも一緒に。

「突然の訪問お許しください」
「それは構いませんが、何かあったのですか?」

 王子という立場であれば当然訪問に許可を求めるはず。礼儀も知らない王子と言われては国の尊厳に関わる。連絡もなしに来たという事は何かあったのかもしれないと心配の目を向けるリリーの目を見つめたユリアスはフッと安堵の笑みを浮かべた。

「元気そうでよかった」
「……えっと……?」

 久しぶりに会った従兄弟のような言い方にリリーは反応が遅れた。

「クロヴィス王子の話を聞いてな。君が落ち込んでいるのではないかと思い、すぐに馬に飛び乗ったんだ」
「もう一ヵ月も前の話ですけど……」
「それは知っているが、他国の人間が問題早々首を突っ込むわけにはいかないだろう?」

 噂というのはあっという間に広まってしまう。それこそ大陸を越えて広まることもある。隣国のユリアスまで届くのに時間はかからなかっただろう。

「その一ヵ月の間に手紙の一つでも出せたのでは?」

 フレデリックの問いかけにユリアスは苦笑と共に頬を掻いた。

「拒否されると思ったから……」

———子供か。

 間違ってはいなかった。リリーなら確実にユリアスからの面会の申し込みを断っていただろうから。

「今日ももし会えないのであれば諦めて帰るつもりだったが、やはり君は優しい。こうして会ってくれた上、俺の心配をしてくれた。来てよかったよ」

 優しい人。一国の王子でありながらリリーを気にかけ馬を飛ばして来てくれた。断られれば粘るつもりもなくそのまま引き返すつもりであったなど貴族でもそれほど潔い人間はなかなか見つからないだろう。

「彼は君を大切に想っていた。だからこそ余計に君を記憶の奥底に閉じ込めているのかもしれないな」
「思い出したくないほど嫌な事だから閉じ込めると聞きますけど」
「それはない。彼は君を愛していたからな。ああ、俺も負けてはいないけど」
「愛していないでしょう?」
「恋が愛に変わるのは一瞬だよ」

 ロマンチストらしい言葉にリリーは吹きだすように笑った。
 愛に変わるほどの逢瀬もしていないのにと首を振るリリーにユリアスも同じように笑う。
 リリーが笑えばユリアスも笑う。同じ場所で同じ感情を共有することが大事なのだとユリアスは言っていた。だからリリーはユリアスといると心が軽くなる様な感覚を覚えていた。

「記憶が戻らないのであれば俺と婚約を、と申し込みたいのだが……それはフェアじゃないからな」
「あら、フェアというお言葉をご存知で?」
「昨日の授業で覚えたばかりだ」
「まあ」

 軽口が叩ける相手はフレデリック以外は久しぶりで楽しかった。
 クロヴィスに迫られ、ユリアスに迫られる状況に疲れていたはずなのに、その疲れはいつの間にかクロヴィスが自分の事を思い出さない事実のせいに変わっていた。毎日毎日「今日は」「今日こそは」と思うようになっていて、叶わない現実に溜息をつく。
 フレデリックは怒り、リリーは苦笑するだけ。
 こうして軽口で笑い合うのは久しぶりだった。

「まだ彼には会っていないんだが何か変わったかい?」
「いえ、わたくしを覚えていないだけですので他の方には普通に接しています。仕事にも支障はありませんし」
「そうか……辛いな」

 ユリアスが言う『辛い』という言葉にどう返事をしていいのかわからず眉を下げて小さな笑みだけを返した。

———私は辛いの?

 周りが言うには『一番辛いのはリリー』らしく、ヒロインの立場であればこれは可哀相な状況でヒロインは辛いと苦しくなる場面。しかし、まだそれについてピンときていないリリーは自分の心情に疑問を抱いていた。

「クロヴィス王子の記憶が戻る事を切に願うよ」
「張り合いがないからですか?」
「まぁね。記憶が戻った時に卑怯者扱いはされたくないし、そういう噂が立つのも気に食わない。正々堂々と彼と張り合って手に入れたいんだ」
「わたくしでなくともよろしいのでは?」
「いやいや、君が気に入ってるんだ」

 正直に言ってしまう辺りが彼らしいとリリーは思う。
 記憶をなくした方が悪いと言ってしまえばそれまでだが、彼はそうしない。これが彼の誠実さなのか、それとも本気ではないからなのか、少々疑いを持つ部分こそあれどリリーは軽く膝を曲げてほんの少し頭を下げて感謝した。

「どうぞこちらへ。お茶をお出ししますわ」
「なら遠慮なく、と言いたいところだが、今日は顔を見に来ただけなんだ。突然訪ねて部屋に上がり込むほど図太くはないつもりでね」

 フレデリックが何か言いたそうな顔をしているのを感じながらリリーは背中を向けるよう腕を押す。

「今日はこれで失礼するよ。次はちゃんと手紙を送るから」
「はい」
「いい返事を期待している」
「そうですね」

 門まで見送りに出たリリーはそこに確かに馬車ではなく馬が一頭いるだけな事に気付いた。
 王子でなくとも貴族であれば馬車を出して向かわせることも出来ただろうに本当に馬を飛ばしてきた事を証明している。

「今日は本当にありがとうございました」
「君の笑顔が見られて良かった。こいつの努力も無駄ではなかったということだな」

 艶めく黒毛を撫でながら馬が頑張ったと言うユリアスに目を細めると一度大きく頷いた。
 誰かと誰かを比べる事はあってはならない。それぞれが一個体なのだから違って当然だ。それを人は誰かと誰かを比べて評価する。リリーも同じだった。
 頭の中では「クロヴィスなら絶対言わない言葉だ」と比べる言葉がグルグル回っている。

「暫くは辛いだろうが、君は強いから乗り越えられる」
「ありがとうございます」
「俺もついているしな」
「ふふっ、そうですね」
「こいつの機嫌が良ければ一分で駆け付けられる。まあ、機嫌が良いのを見た事がないからいつもそれなりの時間がかかるわけだが」

 くだらない冗談でもユリアスの表情がそれを面白いものへと変えてくれる。

「おっと、身体が冷えてはいけない。今日はこの辺で失礼させてもらう」
「夜道ですからお気をつけて」

 片手を上げて馬に乗ろうとしたユリアス、それを見送るリリーの耳に届いたカツカツと鳴る足音。フレデリックの歩き方ではない。

「これはこれはユリアス王子」

 クロヴィス・ギー・モンフォール。

「クロヴィス……」

 クロヴィスが来た事だけでも驚きだが、それは驚きだけにはとどまらず不安をも掻き立てる。
 リリーには見せないどこか人を見下したような表情を浮かべるクロヴィスが何を言うつもりなのか……

「やあ、クロヴィス王子」

 爽やかな笑顔で挨拶をするユリアス。
 異なる笑みを浮かべた二人はまるで対峙しているように見えた。

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