悪役令嬢になりたいのにヒロイン扱いってどういうことですの!?

永江寧々

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 あれから一ヵ月後、モンフォール家では婚約披露パーティーが行われていた。

「婚約おめでとう、リリー」
「ありがとうございます、ユリアス様」

 生まれた瞬間に婚約者となっていた二人は婚約披露パーティーをしておらず今回が良い機会だと言うオレリアの一言で開催が決まった。

「呼び捨てはやめていただきたい」
「亭主関白の夫は大変だぞ」
「ええ、それはもう子供の頃から身に染みて知ってますから」
「聞こえてるぞ」

 久しぶりに二人で座る時間が取れたと思っても二人きりにはなれない。次から次へと挨拶に来るため姿勢を崩す事も出来ず、それが苦痛というより懐かしくてくすぐったかった。
 以前はあんなにも嫌気がさしていたクロヴィス・ギー・モンフォールの婚約者という立場が今はただ嬉しかった。

「もう悪役令嬢を目指すのはやめたんだね?」
「ええ」
「本当に?」
「だって誰も悪役令嬢扱いしてくださらないんですもの」
「ヒロインだって?」
「……思ってたんですね?」
「王子が傍にいるって時点で決まってたよ」

 自分だけが悪役令嬢になれると信じて疑わなかったのかとまた恥ずかしさが込み上げ両手で顔を覆った。

「何故ユリアス王子が知っているんだ?」
「相談に乗ってたし」
「何だと?」
「君が記憶喪失のフリをして彼女が泣いてた時、傍にいたのは俺だ」

 勝ち誇った笑みにクロヴィスの目がスッと細くなり、纏う雰囲気が変わった事にリリーが腕を伸ばしてやめてと止めた。

「彼女って気が強そうに見えて意外と泣き虫だよね」
「ユリアス王子、それについてからかうと蹴飛ばしますからね」
「一度やってやれ」
「友好関係にヒビが入るぞ」
「ユリアス王子さえ寛大な心で許してくださればよいだけです」

 リリーの笑顔に『怖い怖い』と首を振って笑うユリアスにクロヴィスはリリーの足を動かして実際に蹴らせようとして逆に頬を掴まれた。
 貴族達が大勢集まる中で夫となる王子の頬を掴むリリーをフレデリックが手を伸ばして止めるも「ぶっ飛ばす」の言葉に頷いて手を離した。

「裏切るのか!」
「馬鹿な事をするからだ」
「イイ子にして」
「……わかっている。お前が蹴飛ばすと言うからだろう」
「ホントにするわけないでしょ!」

 小声で言い合う二人に呆れるフレデリックは首を振り、セドリックはシャンパン片手に女性に囲まれ騎士としての務めを放棄していた。
 何が起こるかわからないのにとある意味感心を見せるユリアスは辺りを見回しながらとある人物を探した。

「リアーヌ嬢は来ていないのかな?」

 ユリアスの問いかけにリリーは哀れむような視線を向ける。

「気の強い女性なら本当に誰でも良かったのですね」

 リリーの言葉にチッチッチッと舌を鳴らしながら人差し指を揺らし、ウインクをして見せるセドリックにも似た所に今更目を逸らしたくなったリリーにもう一歩近づいたユリアス。

「終わった恋に落ち込む女々しさを持ち合わせてないだけさ。時間は有限だ。次の恋に向かう方が人生は楽しいに決まってる」

———落ち込むも何もフッたのそっちなんだけど?

 笑顔で断った相手が何を言っているんだと思ったが上機嫌なユリアスに水は差さない事にした。

「要は気が強い女なら誰でもいいという事だ」

 リリーと同じ意見であるクロヴィスに振り向くと手を握られ、ユリアスが何か反論したげに見ているが顎で向こうへ行けと指示するのを見てつまらなそうに身体の向きを変えてリアーヌを探しに行った。

「俺はお前だけを愛している」
「私は軽いアバズレだからどうかしら?」
「……根に持つな」
「持つわよ」

 記憶喪失のフリをしていた時に言われた言葉は記憶があっての言葉なためクロヴィスの本心だと受け取ったリリーをクロヴィスが宥めるように肩を触るが肩を動かされて払われてしまう。

「俺の言葉を覚えてくれているのは嬉しいがな」
「嫌な言葉だけね」

 珍しくポジティブな言葉を使う相手に笑ってしまいながら嫌味を言えば顔を寄せてきた。

「愛の言葉は忘れたのか?」
「キレイさっぱり」
「ならもう一度愛を囁こうか?」
「いらなっ……⁉」

 公の場で何を言うつもりだと遠慮するリリーが目を見開いた。
 重ねられた唇。集まる皆の視線。何やってんだと溜息と共に聞こえるフレデリックの呟き。
 時間が止まったような感覚を受けながらも目と耳の機能はハッキリしていてどちらからも情報が入ってくる。
 慌てて身体を引いて距離を取れば真っ直ぐ射貫く瞳と視線が絡み

「愛してる」

 笑顔と共に告げられた愛の言葉は恥ずかしくむず痒い。
 だがそれよりも嬉しさが勝ったリリーは同じように笑顔を浮かべ

「私も貴方を愛してる」

 あの時、返す事が出来なかった言葉をようやく口に出来た。

 二人は顔を寄せて目を閉じゆっくり唇を重ねた。










それから一ヵ月後———

「そういえば……どうしてフレデリックは知らなかったの?」

 記憶喪失のフリをしている事をフレデリックだけが知らされておらず、洞窟から救出した後で全てを知り、驚きと怒りを露わにしていた。
 リリーは正直に言えばセドリックよりフレデリック派で、頼りになるのもフレデリックだと思っている。それなのに何故フレデリックだけ知らなかったのか疑問だった。

「喋っちゃうから」
「喋るからだ」

 満場一致で決まったのだと納得したリリーは目の前のマカロンのどれから食べようか指差しながら迷ってピンクのマカロンを一口で頬張った。

「そういえばフレデリックは? お休み?」

 騎士見習いに休みはないがフレデリックの姿が見えない事に今気付いたリリーが辺りを見渡すとセドリックのニヤついた表情が視界に入り、何なんだと眉を寄せれば黄色のマカロンが目の前でセドリックの口まで運ばれていく。

「あ、シトロンは最後に———!」
「フレデリックは今日、リアーヌ・ブロワの屋敷でディナーだよ」
「ディナー⁉」
「お誘いを受けてホイホイつられて行った」
「うっそ……」

 驚きはあるがそれよりもニヤつきの方が強く、リリーは口を押さえながら信じられないと何度も目を瞬かせた。

「手紙を送ってきたんだ。本気だって事だろうね。フレデリックもようやく無駄な片想いをやめる決心がついたのかもね」
「ホンッッッット!」
「え?」
「ムカつく!」

 リリーの怒りに目を瞬かせるもセドリックには意味がなく「あっはっは」と笑うだけ。そういう所もムカつくのだとマカロンを投げてはキャッチされて食べられてしまう。
 顔が良ければ性格が悪くてもいいのかとセドリックに夢中な女達に心の中で悪態を吐いた。

「早かったな」
「え?」

 クロヴィスの言葉に二人が振り向けば読んでいた新聞から顔を上げないため近寄って覗き込むと一面にドンッと載ってあった二人の写真。

「婚約したの⁉」
「らしいな。出会いは俺達のパーティーでだそうだ」
「……ホント、気が強かったら誰でもいいのね」

 写真の上にデカデカと書いてある【ユリアス・オルレアン王子とフランソワ・ウィールズ侯爵令嬢の婚約発表】に信じられない組み合わせだと理解が追い付かなかった。

 フランソワはあのパーティーでリアーヌに引っ張られてリリーの前に姿を見せた。

「ほら、言うことあるんでしょ。さっさと言いなさいよ」
「わ、わかってるわよ押さないで!」

 目の前に立ってもじつくフランソワらしからぬ様子に首を傾げるリリーを見ては視線を下げ、見ては視線を下げを繰り返す姿にイラついたリアーヌがかかとを蹴飛ばした。

「悪かったわ……」
「練習と違うでしょ」
「練習って言わないでよ!」

 リアーヌの指摘に顔を赤くするフランソワは意を決したようにドレスを掴んでリリーを見上げた。

「貴女に意地悪ばかり言ってごめんなさい。嫉妬してたの。恵まれてる貴女が羨ましくて……」
「そうでしたか」
「だから同じように貴女を嫌ってたエステルと一緒になって貴女の悪口を言い回って……評判を落としたの」

 どうせなら悪役令嬢になれるような言い方をしてほしかったと内心だけで言葉を返して表情は聖女気取りの笑顔を浮かべ、椅子から立ち上がって階段を下りてフランソワの前に立った。

「私の方こそ嫌な女でごめんなさい」

 ギュッと手を握って謝ればフランソワの目が少し潤むもすぐに首を振っていつもの勝気な笑みを浮かべて手を片手で握り返してきた。

「もし貴女がお望みならお友達になってあげてもよくってよ? いたっ!」
「何目線で言ってんのよ」

 リアーヌの鋭いツッコミにリリーは肩を揺らして笑った。

「是非お友達になってください」

 自分より悪役令嬢っぽい人物が二人も友人になるなど想像もしていなかった人生だが、リリーは純粋に嬉しかった。
 友達と呼べる人物がいなかった自分に友人が出来た事は悪役令嬢になるよりずっと誇らしかった。

 その後、フランソワはユリアスとあの婚約披露パーティーで会って一ヵ月で婚約を決めたらしい。

「リアーヌ様もフランソワ様も何も言ってくれないなんて……」
「ふふっ、ハブられてるんじゃない?」
「お黙りセドリック」

 茶化すセドリックに投げようとしたマカロンを頬張ればフンっと鼻を鳴らして新聞を見ると幸せそうに笑うフランソワが写っている。
 フレデリックとは正反対の男だが初心なフランソワにはあの情熱的な感じが良かったのかもしれないと目を細めた。

「エステル様……彼女達はどうなったの?」
「まだ審判は下されていないが、国外追放かもしれんな」
「斬首刑は逃れそうだし、あの二人はジュラルド王の慈悲深い心に感謝しなきゃね」
「エステル・クレージュに手を貸してた貴族も捕まったが、そっちは追放だけじゃすまんだろうな」

 ジュラルド王はリリーがクロヴィスの好きな相手だからと私情を混ぜたりはしない。これが正式に婚約者であれば話は別だったが、クロヴィスが婚約破棄をしたままの時に行われたことなため『婚約者の命を狙った』とは言えない。
 救済枠に入るために血の滲む努力をした事は嘘ではなく、リリーが無事戻った事を考慮して国外追放に留めるとほぼ決定したようだ。

「あの一角で暮らす人達が国外追放を受けて生きていけるのかしら」

 貧困街でさえ明日の見えない生活を送っていたのにその国から追放されて彼女の家族はどうやって生きていくのか、リリーは心配になった。

「二度も命を狙われたってこと、忘れてない?」
「忘れてないけど心配なの」
「自分がのし上がるためなら人の命を奪う事ぐらい何でもないって考える人間なら逞しく生きていくよ」
「両親は?」
「そういう娘に育てた事を後悔しながら生きるだろうね。自分達が過度に期待をかけたせいで娘の人生を奪ってしまったんだってね」

 親の期待が強ければ強いほど子は必死になる。親の期待に応えたいから。親の喜んだ顔が見たいから。だが結果が出せなければ親は悲しい顔を見せるし怒りもするだろう。そうならないために手段を選んではいられないと思う人間もいる。エステルがそうだった。
 貧しい暮らしから抜け出したいと願い、救済枠に滑り込んで夢を掴むチャンスを手に入れた。親はどれほど喜んだだろうか。だが結果的に最後は親を悲しませ、自ら絶望へと堕ちていった。

「欲をかかなきゃ豊かな暮らしが出来ただろうにね」

 エステルはモテた。愛らしい顔、愛らしい表のキャラクター。それを駆使すれば男は選び放題だったのに王族を狙おうと欲をかいたせいでもう二度と上に上がることは出来なくなってしまった。

「どこぞの王子は生まれる前から決まってた婚約を破棄するぐらいには揺らいでたけどね」
「……その件については非を認め謝罪したはずだ。蒸し返すな」
「この態度。亭主関白って今時流行らないと思うんだけど」
「悪役令嬢もね」
「お黙りセドリック」

 欠点だらけの二人がくっつくのであれば補い合うだろうとセドリックは心配していなかった。表面を取り繕うのは得意な二人なら上手くやっていくはずだと。
 問題は———

「今日は朝起きてからまだ一度もキスをしていない」
「だから?」
「疲れた。エネルギーのチャージが必要だ」
「疲れた脳には糖分が良いらしいわよ。……もう、ないけど……」

 セドリックとリリーで食べてしまった空の皿を見て気まずそうに呟くリリーにクロヴィスは頬杖をつきながらフッと小さく笑って自分の頬を軽く指で叩いた。

「それより甘いキスの方がいい」

 見上げてくるクロヴィスの笑顔にはまだ慣れない。
 想いが通じ合ってからクロヴィスはよく笑うようになった。一番驚いていたのは両親で、リリーが変えてくれたんだと大喜びしていた。
 リリーにとってもクロヴィスの感情が読み取りやすくなったのは嬉しいが、その分、口数も増えて困る事も増えた。

「そんなキャラだったっけ?」
「人は愛を知れば変わり、愛に生きようとする」
「誰の言葉?」
「ジュラルド王だ」

 どちらかと言えば変わったのはジュラルド王ではなくオレリア妃だろうと思いながらも反論はせず納得したように笑顔を見せて頷いた。

「してくれないのか?」
「ええ」
「夫が仕事で疲れているのにか?」
「ええ」

 セドリックがいるのにイイ雰囲気を作れるはずがないとチラッと視線をやると笑顔で手を振り「気にするな」とジェスチャーをしているが気にしないわけがない。かといって「二人きりなら」と言うのも乙女っぽくて嫌だった。

「拗ねるぞ」

 迷っているリリーに放った一言がリリーを笑わせた。

「何それ」

 おかしそうに笑うリリーに真顔を崩さないクロヴィスは手を伸ばして頬に触れた。

「たまにはお前からしてくれてもいいんじゃないか?」
「セドリック追い出して」
「セドリック消えろ」

 幼馴染で護衛で友人だというのにクロヴィスに迷いはなく、キスのために追い出す決断をしてドアを指差した。

「アネットさんが来たら消える」
「お父様の部屋を訪ねたら居るんじゃない?」
「間男になってもいい?」
「御父上にチクられてもいいの?」
「……クソッ。一分で入るからね」

 舌打ちをして出ていった瞬間からカウントダウンは始まっている。

「時間ないぞ」
「ムードがない」
「ムードは夜に作ってやる」
「何それ。夜はバラバラでしょ」
「窓を開けておけ」
「婚約者なんだから玄関から来れば?」
「フィルマンに会いたくない」
「あなたの義父なんだけど」
「ノックを覚えさせろ」

 余計な一言を言わなければリリーも進んでキスをしただろうが閉まった瞬間の言葉に眉を寄せて首を振った。じれったいと立ち上がったクロヴィスの胸に指を当てて文句を言うリリーの頭に手を添えられ、思わず腕を掴んだ。

「ちょっと、まだ話してるんだけど」
「セドリックが入ってくる」
「私の話よりキスの方が大事だっていうわけ?」
「ああ」
「ああ?」
「はい、しゅーりょー……」

 信じられないと眉を寄せるリリーだが、一分という短い時間に笑顔で入ってきたセドリック。二人がそう簡単にキス出来るはずがないとわかっているためからかう準備は出来ていると軽い声を上げるもセドリックと目が合ったリリーは逆にクロヴィスの頭に手を回して唇を重ねた。
 触れるだけのキスではなくがっつり重なった深いキスにクロヴィスは見開いていた目を閉じる。

「なにこれイジメ?」
「ええ、イジメ。イイ子で仕事頑張るのよ」
「あ、ああ……」

 見たくないものを見せつけられた事への不満を口にするセドリックの横を勝ち誇った笑みで通り過ぎたリリーはドアを閉める直前、クロヴィスに手を振った。

「あれが俺の女だ」
「性格悪いよね」
「フレデリックを呼んでこい」
「どうして?」
「お前はクビだ」
「冗談でしょ⁉」

 中から聞こえるセドリックの悲鳴に笑いながらリリーは外へと歩き出す。

「リリー様!」
「コレット! 今日のドレスとても素敵ですね。どちらかへお出かけですか?」
「お父様が決めた婚約者候補の方と顔合わせに」
「まあっ」
「また色々相談に乗ってください」
「ええもちろんっ」

 長い間クロヴィスに片想いを続けてきたコレットも前へ進みだしていた。
 困った顔をしながらもまんざらでもない表情がリリーを笑顔にする。

「たかが騎士でしょ? こっちは王子よ!」
「求婚されたのは私が先! しかも私がフッてあげたの! いわばアンタの男は私のお下がり!」
「アンタの手垢がついてないからお下がりじゃない! 負け惜しみは醜いわよ!」
「アンタが恋焦がれて仕方なかったフレデリック様と結婚するんだから!」
「フンッ、決まってもないくせに! ああ、これが負け犬の遠吠えってやつね! まさかアンタの遠吠えが聞けるなんて最高に気分が良いわ! オーッホッホッホッホ! 負け犬根性丸出しで吠えてなさい。じゃ、侯爵令嬢様、ごめんあそばせ!」
「フランソワ・ウィィィィィイイイルズゥゥウウウウ!」

 屋敷の外にいるはずなのに聞こえてくる悪役令嬢二人の言い合いに正装でキメているフレデリックが苦笑しているのが見える。
リリーに気付いたフレデリックが助けろとジェスチャーで伝えてくるのをリリーは首を振って断った。

「裏切り者!」

 口がそう動いているのが見えたがそれでも笑ってその場を後にした。

 今でもあの二人が羨ましいと思う。気が強く誰にでも立ち向かっていける勇気と何も気にしない心の強さ。悪役令嬢に必須なものを二人は自然と身につけていた。誰の目も気にせず怒鳴り合って罵倒し合って出来たらどんなに楽しいかと思うが、実際のところ人が集まってくるとやはり気にしてしまう。悪役令嬢ごっこをしても姿勢を良くしてキレイに見せようとしたりしていた。

 悪役令嬢を目指していた女の夢は結局夢のままで終わり、自分の立場を自覚する事となった。

「リリー!」

 クロヴィスの声に顔を上げると二階の窓から手を上げているのが見えた。

「夜待って———」
「待ってるから早く仕事終わらせてきて……え? ちょ、ちょっと! 危ない!」
「夜まで待つのはナシだ」
「仕事しなさ———ちょっと!」

 リリーの言葉に窓から飛び降りたクロヴィスは風を味方につけたように軽々と地面に着地し、リリーの手を取って駆けだした。サボればどうなるかわかっているリリーは足を踏ん張って止めるがそのまま抱きかかえられてクロヴィスと共に逃げる事になった。

「俺は我慢強い方ではないらしい」
「だからってセドリック怒らせてどうするの!」
「勝算はある!」
「勝算?」

 後ろから剣を抜いて追いかけてくる殺気をまとったセドリック狂気Verから逃げられるとは思えないリリーとは反対にクロヴィスは余裕の表情でブリエンヌ家の屋敷に飛び込んで階段を駆け上がっていく。

「お帰りなさいませ。廊下は走らず優雅に歩かれた方が———」
「セドリックの相手をしてやってくれ。それから暫く入るな」
「かしこまりました」

 通り過ぎ様に早口で伝えるとロボットのように了承したアネットが階段を駆け上がってきたセドリックの前に移動して走りを止めさせた。

「……やあ、アネットさん。今日もキレイだね」
「ありがとうございます。汗だくですね」
「まだ仕事が山のようにあるってのにクロヴィスが逃げ出してね。追いかけっこ中なんだ」
「よろしければアイスティーでもいかがですか?」
「アネットさんも一緒に?」
「ご一緒してもよろしければ」
「是非」

 ポケットから取り出したハンカチで汗を拭われるだけでセドリックの表情は和らいでいく。アネットがドンピシャのセドリックにとってよほどの緊急事態でもない限りアネットの横を通り過ぎることは出来ない。
 それがわかっていてクロヴィスは『勝算がある』と言った。

「アネットさん、リリーちゃんが引っ越したらついて来るとかない?」
「あるかもしれませんね」
「年下ってどう思う?」
「年上好きなので」
「年下を味見したことは?」
「ありませんね」
「じゃあ味見してみない?」
「仕事中ですから」
「夜は?」
「どうでしょう」

 引き締められた細い腰に腕を回してエスコートするように歩く上機嫌なセドリックに靡かない唯一の相手。
 今日もアネットからフィルマンの匂いがする事に気付いていながらもセドリックはそれに気付かないフリをして一緒に部屋に入っていった。

「勝算ありだと言っただろう?」
「仕事サボった人間に誇らしげに言われてもね」
「お前が待ってるなどと言って誘うからだ」
「待ってろって言おうとしたから言ったの。頑張るかなって思って」
「男はお前が思うほど我慢強い生き物ではないぞ」
「そうみたいね」

 椅子ではなくベッドに下ろされた状況を思えば否定できない話だと冷たい視線を送るリリーにクロヴィスは眉を下げて窺うように見てくるその顔が子犬のように見えて怒りがじわじわ消えていく。

「怒っているのか?」

———絶対わかってやってる。

「キスしたら仕事する?」
「明日からな。今日はここで過ごす」
「ジュラルド王に言いつけてやる」
「お前も同罪だぞ」

 ムカつくと顔を歪めるリリーに一瞬触れるだけのキスをしたクロヴィス。それに口を止めたリリーに微笑みかける。

「キレイな顔なのがまたムカつく」
「なら俺達の子はキレイな顔をしているだろうな」
「父親に似ればね」
「お前に似てもそうだ」
「ない」
「お前はキレイだ」

 心臓が痛いほど強く動いて耳障りなほど大きな音を立てる。
 ドレスを着た時も言われたはずなのに今はあの時とは全く違う感じで胸がドキドキしていた。

「ようやくお前を手に入れられたんだ。ずっとこうしたかった」

 仮面ではなく想いが通じ合って繋がれた絆が嬉しいクロヴィスの笑顔を見るだけでときめいている自分がいる事に気付いた。

「ヒロインってどう思う?」

 リリーの問いかけにクロヴィスは目を瞬かせるもすぐに笑って額にキスをし

「王子の相手がヒロインならお前は間違いなくヒロインだろうな」

 ずっと嫌だったヒロインという言葉も自信満々に答えられると笑ってしまう。

「愛してる」
「俺も愛してる」

 額を合わせ、飾り枕をクッションに後ろに倒れると二人は見つめ合い、そして愛を囁き合ってキスをした。

  
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みんなの感想(9件)

Jasmin
2022.12.13 Jasmin

ふはははは!ではなく、おーほっほほほほ?
悪役令嬢って何?
巷に乙女ゲームや小説の世界への転生話が多いので答えを知ってると思っていましたが、リリーが私って悪役令嬢なのかしら?って悩むたびに私も何度も考えました。考え始めたらまるでゲシュタルト崩壊?面白い!さっぱりわからない!
乙女ゲームでは王子様の婚約者が悪役令嬢で。ヒロインと王子様を邪魔する婚約者=悪役令嬢。だったらリリーは元は役割的には悪役令嬢で…婚約破棄された後はお役御免…え?婚約破棄されたから憧れの悪役令嬢になる?んんん?
何度も混乱して、混乱する度、楽しめました。なんでしたっけ?少し前に流行ったちっちゃく素早く言い返す技術みたいなタイトルの本も思い出しました。そんな庶民的なやり方ではなく、でっかい大砲、何発も続けて打ち込むみたいなリアーヌにはもう惚れ惚れしました。これは、作者さま、書いてて楽しかっただろうなぁ。笑

それとは別に。物事はすべてその人の受け取り方次第、取り組み方・向き合い方次第という軸が丁寧に描かれていて楽しめました。ビフォーアフターあり。具体的な事例あり。一生懸命自分を生きているつもりでも、気がつけば主体性失くしていたり、絶対評価ではなく相対評価に振り回されていたり。緻密にそういう姿を積み重ねて描いていって、彼らの成長が見える感じに至ったのが謎の達成感。読み終えたら、おばあちゃんになってた気分だよ。笑

最後に。これは浮気なのか問題。笑
私、浮気って好き好き一時でも言い合っていたうちの片方がまだその関係継続中に他に心変わりすることと思っていました。クロヴィスは心変わりというよりも初めてできた好きな人が婚約者ではなかっただけで。リリーとは愛を誓ってないし。ちゅーだってしていないし。それでも世間はこれを最低の浮気というのなら…そうか。浮気に好意もちゅーも関係ないのね。読み進めて婚約破棄後の今現在、クロヴィスはリリー大好きで?あれ?それっていつから?もしもよ?かまってちゃんな理由でエステル侍らせ婚約破棄したのなら、それはなんて呼べばいい?駆け引きとしての浮気?浮気を装った駆け引き?
リリーにはいつもフレデリックがいました。恋情を隠し全力で支えてくれる存在。クロヴィスをセドリックが同じように支えていたらそもそもこんなことにはならず…あれ?その場合はBLへの扉が開いてしまうのか。難しいね!笑

2022.12.14 永江寧々

Jasmin様、いつも読み返したくなるほど嬉しい感想ありがとうございます!励みになります。

自分が品行方正に生きなければならないのは公爵令嬢だからというよりも王子の婚約者であるから、という理由が息苦しくて自由に生きる小説の中の悪役令嬢に憧れたんですよね。小説の中のヒロインはどれも王子様に愛されて守られている。でも自分も婚約者が王子なのに守ってくれないし、傲慢で、愛情の欠片もないと思う度に嫉妬していた部分もあるのかなぁと。
私も書きながら悪役令嬢とは何か、これはどこに向かっているのかと途中で少し頓挫しました。半年ほど笑
これが初めて書いた小説なので、なんとも拙くて申し訳ないです。

リアーヌは書いていてそれはもう楽しかったですね笑 
こういう気の強いキャラクターが好きなのですが、ヒロインとして書くと難しいので、好きなキャラクターは基本的にサブとして出すようにしています。いつかは暴走ヒロインとして書いてみたい気持ちはあります。

クロヴィスは元はそれほど不器用ではなかったのですが、ある日を境にリリーと一緒に自由に過ごすことができなくなり、フレデリックとセドリックとリリーが三人で遊んでいるのを窓から見ることしかできなかったので降り積もる寂しさを封印して王子としての教育の中に身を置き続けた結果が感情の出し方がよくわからなくなってしまった不器用な性格が出来上がってしまいました。リリーのことは愛しているし、幼い頃から気持ちは変わらないけれど、その伝え方がわからない。そうだ、それなら嫉妬させてみよう!と思い至ったどうしようもない男なんです。手を繋ぐだけでも良かったのにそれさえも思いつかないという…。
ちゃんと四人で遊ぶ時間を両親が設けてくれていたら少しは違った性格だったのかもしれません。
Jasmin様の仰るとおり、もしも、ではなくそれが事実でございまして、それをなんというかと言えば「クズ」かなと笑
正直、フレデリックとクロヴィスどっちを選ぼうか最後の最後まで迷ってはいたのですが、クロヴィスを選びました。リリーはただ愛されて幸せになるヒロインには憧れていなかったので、苦労しながらも愛情を育んでいく道を選んだほうが幸せなのだろうなと思ってのことでした。
セドリックとクロヴィス……女好きのセドリックに新しい扉が笑

感想ありがとうございました!

解除
迷子のみゆ
2022.09.05 迷子のみゆ

グス王子と婚約しなければならない⤵︎とても残念な作品(^_^*)
1巻は本で読んだけど、2巻がもし出ても絶対にムシします( ̄^ ̄)ゞ
王子であればいいという安易な操作が感じられるところも最悪です。
今後、グスを書き続けるつもりなら、ぜひ!ざまぁをお願いしますねー!
ヒーローのグスぶりはダントツですので、I fを続編を発表されるのでしてら、それはそれでかなり心惹かれます( ^ω^ )
しかし、これだけ嫌われるヒーローって珍しい(^_^;)
たぶん、グス親父公爵もいい味だしてるからでしょうo(`ω´ )o
幸せから遠ざかる気の毒なヒロインに幸あれ!
グスじゃないヒーローの続編期待中!!

2022.09.06 永江寧々

お買い上げありがとうございました。
Ifがあれば間違いなく王子ざまぁとなると思います。
良い所が出なかった王子ですので嫌いな人は多いかなぁと^^;

感想ありがとうございました^^

解除
のんちゃん
2022.02.06 のんちゃん

ハッピーエンドでおわってよかった!
前半の展開は衝撃的で、王子がんばれと思う反面、精神的に追い詰められるりりーがかわいそうでしょうがなかったけど、続きが現実的すぎてハッピーエンドなのに悲しかったです。なんならフレデリックエンドで王子ざまぁがよかったなぁ。
でもこんなに夢中にさせられた作品はすばらしい!

2022.02.06 永江寧々

感想ありがとうございます!励みになります。

賛否いただく作品でございます。
幼少からリリーに好意を抱き、見守ってきたフレデリックと結ばれるほうが無条件の幸せを得られたと思います。
クロヴィスは真面目すぎるが故に次期王として[何事にも感情を乱さず]という教えを守りすぎて表現下手になってしまったんです。
愛情表現一つ上手くできない男より、ちゃんとしてくれる男のほうがいいですよね。
フレデリックエンドにするか中盤からすごく迷ったのですが、リリーは無条件で愛されるに向いているタイプではないなと王子エンドを選択してしまいました。
これからリリーの調教もあって王子の愛情表現が豊かになっていくことをご想像いただければ幸いです^^
お読みいただきありがとうございました!

解除

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