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1巻

1-3

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 これは我ながら悪い女を演じられた、褒められるレベルだと、リリーは自分の演技力を心の中で称賛した。

「どうしてそんなひどいことが言えるのですか! 私はただ、お疲れのクロヴィス様に少しでもいやしをと思って……」
「よくもまあそんな押しつけがましいことが言えますわね。彼の立場を考えれば、邪魔をしないことが一番に決まっていますわ。あなた一人が子供のように浮かれている間にも、彼は休む間もなく仕事をしているのです。そんな中『あなたのためを思ってハートのクッキーを作ったんです。どうぞ食べてください!』なんて馬鹿な犬のように尻尾を振る女の相手をしなければならないことがどれほど負担になるか。そんなこともわからない女がくっついて回るなんて、彼には同情しますわ」

 実際、リリーはクロヴィスが休んでいる姿をほとんど見たことがない。いつも何かの書類に目を通していた。そんな彼でも、リリーとのお茶の時間だけは書類に触らず話をしてくれる。それでも話題は結局は自分が関わる政治の話だったわけだが。
 しかしリリーは婚約者として、政治に参加はできずとも把握しておくぐらいは当然のことと思って話をさえぎることはしなかったし、邪魔になるような行動もとらないようにしていた。
 クロヴィスの肩にかかっている重圧がどれほど大きいものかも知らず、軽々しくクッキーの差し入れに行こうというエステルの行為は、婚約者でなくなったリリーにはもはやなんの関係もない。
 にもかかわらず、その軽率さを少しとがめたくなったのは、厚意ではなく事情を知っている者としての気遣いからだ。

「リリー様がそんなひどい方とは知りませんでした! そんなだからクロヴィス様に愛想を尽かされるんです! クロヴィス様、言ってましたよ! あいつは笑わないから可愛げがない、女は可愛げがなければ終わりだと!」
(ああ、だから……)

 エステルの言葉でクロヴィスの謎の発言の意図がわかった。

「確かにリリー様はクロヴィス様のことをよくご存知かと思いますが、もう婚約者じゃないんですよね? なのにこうして私を責めるのは、今も未練があるからですか? だから私にこんなひどいことを言っ――キャッ!」

 パンッと乾いた音が響くと共に、立ち上がりかけていたエステルの顔がそっぽを向く。突如現れた柔らかなそうなピンク髪がリリーの目の前で揺れた。

「口をつつしみなさい、貧民」
「リアーヌ様⁉」

 叩きつけるような口調でリリーとエステルの間に入ったのは、リアーヌ・ブロワ侯爵令嬢だ。
 気位が高いことで有名なご令嬢。物怖ものおじせず、周りの目も気にしないリアーヌは、リリーよりもずっと悪役令嬢に相応ふさわしい性格で、吊り上がった目は睨まれただけで背筋まで凍り付きそうなほど冷たく、彼女に逆らう者はほとんどいないと聞く。
 そんなリアーヌ嬢がまさかエステルにビンタをぶちかますなど、誰も予想できなかっただろう。


「私達貴族がなぜ手作りの物を食べないかわかる? どこで何を触ったかわからない手で作るからよ。何が入っているかもわからない物を口にするわけないでしょう。だから私達には信頼できるシェフが専属でついているの」
「怪しい物など入れてません! いつも手はキレイに洗っています」
「自分の顔が映るまで磨いた道具をお使い? 学園の備品だとしても、あなたと私達の衛生管理の基準が同じとは思えないわね」

 しまった。ここは貴族のつどう場所。物の考え方に関してはほとんどの生徒がリアーヌに賛同し、エステルの叫びなど受け入れられない最悪の状況になりつつある。
 周囲の女子生徒達は声を潜めて隣の生徒と話し、エステルに冷たい視線を向けている。男子生徒すら、リアーヌの言葉に腕を組んで頷いていた。
 この状況ではリリーが上手く立ち回らなければ、たぶん事態は――

「何事だ」

 悪化する――

「クロヴィス様!」
「キャアッ!」

 ヒロインが誰かを突き飛ばして王子に駆け寄るなどという場面は、今まで読んできた悪役令嬢本どころか恋愛小説でも見たことがない。
 ヒロイン候補であるエステルはリリーが思うよりもずっと図太い神経の持ち主らしく、突き飛ばされたリアーヌをリリーが王子のように受け止めるという異例の状況が出来上がっていた。

「リリー様が私を突き飛ばしてクッキーを踏みつけたんです!」

 その言葉に目をやると、いつの間にかリリーの手からクッキーの袋がなくなっている。それどころか、リリーとクロヴィスの間で粉々に砕けていた。
 クロヴィスの胸に顔を寄せたエステルに素晴らしいまでに歪曲わいきょくされた話は、その状況を見ていなかった人々を信じさせるにはじゅうぶんだろう。

「クッキー?」
「クロヴィス様にクッキーの差し入れをしようと思って、一生懸命作ったんです。それなのにリリー様は私がクロヴィス様にクッキーを差し入れすることが気に入らないみたいで、突き飛ばされて……」
「あなたさっき自分で踏み――」

 エステルをさえぎろうとするリアーヌをとっさに止める。
 エステルを悪者にすることだけは避けなければならない。放っておけば簡単に立場を逆転されてしまいそうで、そうなればリリーの人生設計が水の泡となってしまう。それだけはなんとしても避けたかった。リリーは自分が悪役を演じることでエステルをヒロインに仕立て上げたいのに、リアーヌが邪魔をしようとする。

「リリー様!」
「いいんです。リアーヌ様がかばってくださっただけでじゅうぶんですから」
「でもあれは――」
「ありがとうございます。さ、ランチの時間が終わってしまいますわ。行きましょう」

 かばわれるのはヒロインの役目であって、悪役令嬢の役目ではない。
 リリーの誤算は、周りの目が全てエステルに注がれているにもかかわらず、誰も彼女をかばおうとはせず呆れた目を向けていたこと。
 教室にはあれだけエステルの味方がいたのに、この場にエステルのファンはいなかった。
 バラ園は学園内に作られたスペースで、誰もが平等に使えることになっている。が、暗黙のルールで高位の貴族しか訪れない。だからエステルに近しい下位貴族の姿はなく、貧民街出身のエステルをかばおうとする者がいなかったのだ。

「リリー、本当か?」
「ええ、本当ですわ。手作りクッキーなどという蛮族ばんぞくが好みそうな物を差し入れようとしていたので、注意していたところです」
「だから突き飛ばしたと?」
「突き飛ばしただなんて人聞きの悪い。ヒールも買えない貧民が小さくて見えなかっただけですわ。そこら辺の太い木の枝でヒールでも作られてはいかが? きっとお似合いだと思いますわよ」

 クロヴィスの登場で野次馬のように集まっていた生徒達が去り、自身の評判を落とそうにも落とせない状況になった今、無駄に悪役令嬢ぶる必要はない。しかしせっかくだからと、リリーは木を指差しながらヒールを鳴らしてみせる。

「そもそもなぜあなたのような貧民がバラ園を通り道に? あなたにはバラ園より排水溝の方がお似合いですのに」
ひどい……」
「さすがにその言い方はないよ」
「言いすぎだぞ」
「護衛はお黙り」

 オリオール兄弟に口を挟まれると、せっかくの表情が崩れそうになる。
 どちらも幼い頃から一緒に育ち、全てを知られていると言っても過言ではない相手だ。庭を走り回る時も屋敷の中を走り回る時も、そうして怒られる時も一緒だった。
 そんな二人にどこまでリリーの演技が通じるかはわからないが、ひどいと言うのであれば信じているということ。
 これはイケる、とリリーはこぶしを握った。

「リリー、この学園の方針を忘れたのか?」
「あら、王子ともあろう方が貧民をかばわれるなんて、相当お気に入りなのですね」
「差別はするな」
「婚約者でもないのにわたくしに命令しないでくださる? 不愉快ですわ」
「リリー」

 わざとらしく大きな溜息を吐いて顔を背けると、地面の上で粉々になったクッキーが目に入る。
 リリーがゴミのように拾い上げた時にはまだ綺麗なハートの形を保っていたのに、本当にいつの間にこうなったのか……。もしリアーヌの言う通り、エステルが踏みつけて一瞬で自分の舞台を作り上げたのだとしたら、その判断力はあなどれない。

「わたくしにお説教などしてないで、エステル様をなぐさめてあげてはいかが?」
「リリー待て。話があると言っ――」
「クロヴィス様! 行かないでください!」

 リリーを追いかけようと踏み出したクロヴィスに、エステルがしがみつく。それで身動きがとれなくなったようで、リリーはその場を逃れることができた。

「上手くいかないものね」

 予想では、今日のリリーは婚約破棄された可哀相な女扱いをされた後、婚約者を奪ったエステルに嫌味と高笑いをぶつけて悪役令嬢ポジションを勝ち取るはずだったのだ。それなのに、なぜか教室でもバラ園でもリリーをかばう者が現れる。
 お気に入りの台詞せりふを抜粋してエステルに使うこともできたというのに、いまいち悪役令嬢らしくないのはなぜか……

「――やっぱり何かあったんだ?」
「キャアアァアアッ!」

 耳にかかった生暖かい吐息にリリーが思わず悲鳴を上げると、即座に口をふさがれる。

「声がデカい。手は離すが大声は出すな」
「ンンンンンッ?」

 フレデリックの言葉にリリーが頷くと、ゆっくり解放された。振り返ると、無表情のフレデリックと最初に声をかけてきたセドリックが並んで立っている。

「な、なんのつもりですの⁉」
「そりゃこっちの台詞せりふだ」
「は?」
「態度があからさまに変わりすぎて怪しい」

 それもそのはず。
 リリーは悪役令嬢として生きることを決めたから、今までのように淑女を気取る必要などない。だが、それで怪しまれていつまでも付きまとわれるのは不本意この上ない。
 護衛である二人が護衛対象の傍を離れたということは、この行動はクロヴィスの命令だろう。

(なんで今更?)

 リリーは不愉快そうな表情で二人を見る。

「そりゃクロヴィスに婚約破棄されちゃ頭がおかしくなるのも無理はないが、お前はそうじゃねぇだろ」

 リリーはおかしくなったのではなく、楽しんでいるだけだ。

「これまで差別は世界中からなくさなきゃって言ってたのに、急に彼女を貧民呼ばわりするなんてどうしたんだい?」

 できれば答えたくない。二人の問いはきっとクロヴィスが聞き出そうとしていることだから。
 今ここで答えれば全て彼に筒抜けになってしまうだろう。彼がどういう行動に出るか予想もつかない今の状態では、下手をすると全てが台無しになってしまう可能性もある。それだけはなんとしても避けなければならなかった。

「わざわざ人の口をふさぐという無礼な行いをした後に出てくる問いかけがそんなくだらないことですの? 本当に呆れますわ」
「それはお前の本音じゃねぇだろ」
「わたくしの何を知っていると言いますの?」
「大体全部」

 返す言葉が見つからない。もっと子供の頃から悪役令嬢本が流行はやっていたら早くに手を打てたかもしれないのに。加えて婚約者がクロヴィスとあってはリリーは品行方正に生きるしかなく、今更この二人をあざむくには苦しいものがあった。

「知ったような口をくのはやめてくださる?」
「お前もそのしゃべり方をやめたらどうだ?」
「お黙り! わたくしの話をお聞きなさい!」

 思わず取り乱してしまった自分のみっともなさにゴホンと咳払いをするが、今の勢いと言い方は悪役令嬢っぽい気がすると少し嬉しくなった。

「確かに、わたくしは婚約破棄でおかしくなったわけではありませんし、正直に言えば、ショックすら受けてはいませんの」
「だよな」
相槌あいづちはいりませんわ。いちいち腹が立つ言葉しか発しないその口をまんで黙っていなさい」

 話が進まない。

「婚約破棄されることはなんとなく感じ取っていました。エステル様が現れてから、彼の興味は明らかに彼女に向いていましたもの。わたくしが彼に興味を持っていなかったように、彼もわたくしに興味を持っていませんでしたし、この婚約は親同士が勝手に決めたもの。最初から覚悟さえできていれば、ショックを受けることはありませんわ。そうでしょう?」
「その話し方やめろ。ムカつく」
「その言葉、そのままお返ししますわ」
「フレデリックじゃないけど本当に似合ってないよ」

 言葉遣いを指摘され続け、容姿をけなされるよりずっと心が傷付いた。今すぐベッドにダイブして枕に顔を押し付けながら罵詈雑言ばりぞうごんを吐き出したい気分だが、ここは大人の対応で笑顔を保つ。

「で、公爵令嬢の口を押さえるという無礼極まりない死刑も同然の罪を犯してまで、何用ですの?」
「クロヴィスがお前の様子を見てこいと」
「婚約破棄した相手になぜ付きまといますの? ストーカーに成り果てたいのかしら?」
「気になるんだろうねぇ、君が」
「お二人ともお忘れのようですから教えてさしあげますけど、婚約を破棄したのは彼ですのよ。なのに何が気になると?」

 ショックを受けてはいないものの、屈辱は屈辱。無責任に恥をかかせておいて、今更なぜ付きまとうのか、リリーは理解できなかった。

「その割には嬉しそうだったよね?」
「恥かかされたのに笑うってマゾか?」
「フレデリックは口を縫い付けないとわからないようですわね?」

 この男は脳みそまで筋肉でできているせいで、デリカシーというものを身につけることはできないらしい。

「泣かないように必死だっただけですわ」
はずかしめられて喜んでた、の間違いじゃないのか? お前、そういうとこあるだろ」

 人差し指で人のあごを持ち上げることがどれほど無礼なことか、フレデリックは学ばなかったらしい。

れしいのですけれど?」
「俺とお前の仲だろ」
「どういう仲ですの?」
「一ヵ月、ベッドを共にした仲」
「ああ、あなたの脆弱ぜいじゃくな家が地震に耐えられず崩落した時、わたくしの父が無用な情けをかけたせいでわたくしの屋敷に居候いそうろうした五歳の頃の話ですわね? それで今も親しいつもりなのでしたらとんだマヌケ野郎ですわよ」
「事実だろ。お前のことはクロヴィスよりもよく知ってる」

 胃の痛みから、リリーは自分が急激なストレスを感じていることを自覚した。
 フレデリック・オリオールがこんなにも口達者だと知れば、この男に憧れを持っている女子生徒も遠のくはず。一体どこの誰が〝寡黙かもくで不愛想だけどそこがクールで素敵〟などと言ったのか。それを信じている者達にこの男の正体をバラしてやりたい。

「わざわざお捜しくださったことには渋々ながら感謝してあげますが、どうぞお帰りくださいませ。そして早急に彼にお伝えください。しつこい男は嫌いだと」
「このストーカー野郎ッ! って言わなくていいのか?」
「それでもいいですわ。事実ですし」
「おーこわっ。一昨日おとといまでは婚約者だった相手だろ」
「女心と秋の空。そういうことです」

 そう言うとリリーはニッコリ笑って二人の来た道を示し、帰るように促す。が、二人は動かない。

「……ちょっと」
「ねえ、ここでのことはクロヴィスには言わないから、正直に話してくれないかな? 僕達も気になって仕方ないんだ。君の変化が婚約破棄のせいだと思うと、心配で夜も眠れないよ」
「その割にはお肌のつやが良いようですけど」
「そりゃあんだけ女喰いまくってりゃあな。寝る暇もなく女の相手してるんだろ」
「下品な言い方はやめようか、フレデリック」

 不潔、と言いたいところだが、憎たらしいことに、立っているだけでも女性がむらがってくる二人だ。食い散らかされても、泣くどころか、それこそ本望と言う女性ばかりだろう。
 特にセドリック・オリオールは風紀の乱れの元凶だと、リリーは考えていた。

「猿のようにお盛んな方が王子の護衛とは、感心しますわ」
「君の心配だってちゃんとしてるよ」
「わたくしの心配より性病にかかる心配でもした方がよろしくてよ」

 リリーの言葉に背中を向けて噴き出すのをこらえたフレデリックが、しかしこらえきれずに肩を揺らして笑っている。その隣で苦笑いを浮かべて言葉を返さないセドリックに、リリーは子供の頃から何も変わっていないと大きな溜息をついた。

「あなた方にお話しするようなことは何もありませんわ。これ以上無駄な時間を取られるのは不愉快です」
「お前のそのしゃべり方の方が不愉快だっての」
「だったら話さなければよろしいんじゃなくて?」
「心配してるんだよ、クロヴィスが。僕達もだけど」

 クロヴィスを強調するセドリックに、リリーは眉を寄せる。

「婚約を破棄した翌日に相手の様子がおかしくなったら、誰だって自分のせいかって責任ぐらい感じるだろ」
「別の女性をはべらせて婚約破棄を告げるような方に、責任など感じていただかなくて結構ですわ」
「だったらなんでそうなったのか、理由を話せ」
「だから言ってるでしょう! わたくしは昔からこうですの! でもクロヴィス・ギー・モンフォールの婚約者だから、モンフォール家の人間になる女として振る舞っていただけ! もうモンフォール家とはなんの関わりもないのだから、どんなわたくしであろうと勝手ですわ!」

 一方的に婚約破棄を突き付けた男に責任を感じる心があったのかと、わざとらしく驚いてやりたくなる。だが、そんな心配も責任感も、リリーの心には一ミリだって響かない。

「でも君のお父さん、娘がイカレたって嘆いてたよ」
「……いつお会いに?」
「呼び出されたんだ」
(あの父親を始末しなければ……)

 呼び出してまで嘆くことかと頬をひくつかせるリリーの口から、チッと小さな音が鳴った。

「何か悩み事でもあるの? 僕らで良ければ相談に乗るよ?」
「クロヴィスを殺せってのはナシな」
「では聞いてくださいますか?」
「うん、話して」

 大きく息を吸い込み、リリーは笑顔を浮かべる。

「婚約を破棄されたことでお父様に叱咤され、次の婚約者を探せと言われました。今、わたくしの部屋にはお父様が選んだ婚約者候補の写真と資料が山のように積み上げられていますの。よその女にうつつを抜かした男とはもう口をくどころか顔も見たくないのに毎日声をかけられるし、その護衛達は心配だの、様子がおかしいだの、イカレただのと言って鬱陶うっとうしいほどに付きまとってきますわ。帰れと言っても聞かずにね。わたくしはもうクロヴィス・ギー・モンフォールの婚約者ではなく、ただのリリー・アルマリア・ブリエンヌとして生きたいの! おわかり?」
「父親とクロヴィスが鬱陶うっとうしいってのはわかった」

 必死に何枚も書いた嘆願書をクシャッと潰すかのようにまとめられ、息をきらしてまくし立てた労力を無駄にされたような気がして、リリーはまたも舌打ちしたくなった。

「僕達の想いはクロヴィスと同じだよ」
「エステル・クレージュはリリーと違って笑顔が可愛い。エステル・クレージュはリリーと違って小柄で可愛い。エステル・クレージュはリリーと違って可愛げがある、と?」
「なんだよ、ヤキモチか?」
「ぶっ飛ばしますわよ」
「おーこわっ」

 なぜクロヴィスがリリーとの婚約を破棄してエステルを選んだのかを知れば、嫌味の一つや二つ言いたくもなる。嫉妬ではないが、小柄で笑顔が可愛い女の子らしい相手が良かったのなら、最初から親にそう言えば良かったのだと不満をつのらせていた。
 両手を顔の横まで挙げて大袈裟に怖がるフレデリックが憎らしい。

「好意もないのにヤキモチなんてありえませんわ。エステル様の方が女性らしいのは同性であるわたくしから見てもわかることですし」
「エステル嬢にヤキモチいて意地悪してんだな?」
「あなたのこの耳は飾りのようですわね!」
「いてててて!」

 悪役令嬢としての生活を楽しんでいるというのにヤキモチと思われてはあまりにも不愉快で、リリーはフレデリックの耳を思いきり引っ張る。

「ヤキモチはきませんが、彼にはガッカリですわ。あのような礼儀も知らない貧民を選ぶなど、見る目がないにもほどがある」

 今ここで嫌な女を演じておけば二人から軽蔑されて今後がやりやすくなるのではないかと、リリーはフレデリックから手を離して言った。

「モンフォール家の人間があんな貧乏娘を選ぶなんて、後世に残る恥となるでしょうね。この学園に入れただけでも奇跡だというのに、分をわきまえない灰まみれのドブネズミに歩かれては、バラ園がけがれると思いませんこと?」

 この学園は元々貴族のために創られたものだったが、少し前に学長が代わったことで制度も変わった。
 生まれる場所は決められない、それなら庶民にもチャンスが与えられるべきとの方針で、受験資格を与え、成績の良かった者は【救済枠】としてこの学園に通えることになった。
 その【救済枠】にエステルがいたのだ。そして入学すると、あっという間にクロヴィスのふところに入り込んだ。
 貴族でない者、庶民を「貧民」と呼ぶ貴族は多いが、リリーは今まで絶対にそう呼ぶことはしなかった。誰にもチャンスは与えられるべきだという学長の言葉に、賛成していたから。
 だが、それを守っていては悪役令嬢にはなれない。礼儀正しくあり続けるのは悪役令嬢ではないと思っているから。

「んー……言いすぎかなぁ」
(さあ、軽蔑しなさい)
「俺はリリーの言う通りだと思うぜ」
(出た。この男……どうしてこうも邪魔をしようとするの!)

 セドリックのように否定してくれればいいのに、フレデリックはいつもリリーの側につく。

「リリーを捨ててエステル嬢にくら替えってのは趣味悪いだろ」
「そうかな? 女の子は皆可愛いけど、クロヴィスが言うように彼女、いつも笑顔だから」
「笑顔がそんなに大事か? 貴族なら笑顔よりも優秀さで評価されるべきだろ。クロヴィスの嫁になったら、クッキー作る技術なんかなんの役にも立たねぇぞ。俺はあのあからさまなアピールが鼻につく」
「お前の好みじゃないってだけだろう?」
「当たり前だ。あんなネチャネチャしたしゃべり方の女、俺には無理だ。サッパリした女のがいい」

 二人の好みもクロヴィスの好みも、リリーにはどうだっていい。これっぽっちの興味もない。
 だが、セドリックやクロヴィスが言うようにエステルはいつも笑顔で過ごしている。ここ数日は小動物のように震えている姿を見る方が多いが、あれもヒロインとして重要な行動だ。
 小説の中であればヒロインは無条件で愛されるが、現実はそんなに甘くない。人望も優秀な成績も、努力しなければ得られないものばかり。
 貧民街という、手に入らない物ばかりの世界で生きてきたエステルは誰よりもそれを知っていて、だから他人を蹴落としてでも自分の地位を手に入れたいのかもしれない。

「安心しろよ、お前はイイ女だ」
「なんの心配もしていませんわ。わたくしがイイ女であることは世界が知る事実ですもの」
「可愛げはねぇけど」
「ありがと」

 リリーは自分の容姿に自信があった。百五十センチしかないエステルと比べるとリリーは十八センチも背が高く、手も足も大きい。ヒールを履けばそこらの男子生徒と変わらないか少し高くなってしまうため、誰も守りたいとは思わないだろうことは自覚している。
 人は外見より中身だと人々は綺麗事を言うが、エステルのように女の子らしい外見と笑顔を崩さない方が可愛げがあるのは当然だ。

「でもね、クロヴィスが気にしてる以上は避けられないよ。知ってるでしょ、彼の性格」
「わたくしは迷惑だと言ってますの。彼と話しているのを周りがどんな目で見るかなんて、考えずともわかるでしょう? これ以上のはずかしめをわたくしに受けさせたいと考えているのなら大成功ですわ。だから彼に伝えてくださる? 近付かないでって」


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