鑑賞用王女は森の中で黒い獣に出会い、愛を紡ぐ

永江寧々

文字の大きさ
13 / 71

森の中で

しおりを挟む

 テラスでエイベルに抱えられて、そこから五回地面を跳ね飛べば所定の場所に到着する。森の中で交わす挨拶にも少し慣れてきた。
 ゆっくりと唇が離れたあと、エイベルはいつもクラリッサの顔をジッと見つめる。

「疲れた顔をしているな」
「お風呂に入ってスッキリしたはずなんだけど」
「良い香りがするのはそのせいか」

 乾かしたばかりの髪を一束取って匂いを嗅ぐ姿にクラリッサが笑う。

「婚約を破棄した気分はどうだ?」
「どうして知ってるの?」
「エルフは目と耳が良い。あのぐらいの距離なら会話も聞こえる」
「じゃあ私が部屋でエイベルの名前を呼んだら聞こえてるってこと?」
「そうだ」
「話しかけても聞こえてるってこと?」
「丸聞こえだ」

 婚約破棄の話を聞かれていたことよりも部屋で話しかけた言葉が相手の耳に届くことのほうが嬉しいクラリッサの表情が緩む。
 返事が聞こえないことはわかっているが、それでも自分が呼んでいることを知ってくれていると思うだけで嬉しかった。

「あ、そうそう、血の雨って何か知ってる?」

 険しくなるエイベルの表情にクラリッサが首を傾げる。

「お前が知る必要のない話だ」
「悪い話?」
「そうだ」

 わかってはいた。言葉だけでも恐ろしい言葉が素敵な言葉であるはずがないのだから。
 それでも、言葉の意味を知っている者に肯定されると少なからずショックを受けた。
 本当にそんなことが起こってしまったらモレノスはどうなるのだろうかと不安に駆られる。

「……そう。じゃあ知らないほうがいいのね。お父様は私が悪い話を聞くのをひどく嫌うの」
「ダークエルフがどういう存在か話しておきながらか?」
「ええ、そうなの」
「身勝手な男だ」
「良い所もあるのよ?」
「興味ない」

 父親がダークエルフを嫌っているように、ダークエルフ側であるエイベルも人間を嫌っているように見えた。

「友好条約って?」
「仲良しごっこしましょうねって約束することだ」
「ごっこ?」
「ごっこだっただろ? 血の雨を降らせるとまで言ってきたんだ、ごっこでしかない」

 肩を竦めるエイベルの口調は軽いが、言っていることは軽くはない。
 もし本当に血の雨が降るのだとしたら破棄すべきではなかったことだと後悔が込み上げてくる。

「破棄したら血の雨が降るの?」
「脅しだ」
「脅しじゃなかったら?」
「大勢の兵士か、規模によっては国民も死ぬことになる」
「そんなっ……!」

 口を押さえて絶句するクラリッサの肩をエイベルが抱き寄せる。
 死ぬという言葉の意味は知っている。クラリッサも祖父の死を経験しており、死がもたらす悲しみの苦しみは痛いほどわかっている。
 もし多くの国民がその苦しみを自分が断ったせいで味わうことになるのだとしたらと手が小刻みに揺れ始める。

「そうさせないためにお前の父親は多くの国と友好条約を結んでいる。あっちともこっちとも手を取り合って仲良しごっこに勤しんでいるおかげで被害は最小で済むだろう」
「そう、なの?」
「レイニアと友好条約を結んでいない国はモレノスを守るだろう。女神カロンの生まれ変わりを守るためにな」
「私のため?」
「お前の価値に値段はつけられん。モレノスだけではない、他国の人間までがクラリッサ王女のご尊顔を拝みたがる。モレノスを守れば自動的にお前を守ることになる。それがどういう意味かわかるか?」

 かぶりを振るクラリッサにはさっぱりわからない話だ。モレノスが無事なら自分も無事というのは理解できる。だが、まるで友好条約が自分のためにあると言われているような言い方は理解できない。

「モレノスを守ったという功績を残せば、それが評価されてお前に手が届くかもしれない。モレノスほど王女との謁見に階級が必要ない国はないだろうが、それでも王女は王女。結婚話を持ち出すにはそれなりの階級が必要だ。モレノスが危機的状況に陥った際にモレノスを救った英雄をモレノスは拒否できないと多くの国がそう考えている。だから劣勢であろうともモレノスに味方する国は多いだろうな」

 やはりわからないと眉を寄せるクラリッサにエイベルは呆れたように肩を竦める。

「わからないのは俺の説明が悪いせいか? お前に学がないせいか?」

 失礼な言い方にクラリッサはあえて「あなたの説明が悪いせい」と言った。

「鑑賞用王女を欲しがる理由がわからない。顔しか取り柄のない王女を欲してなんの得があるというの? 何もできないのよ? パーティーに来てる人の中にはこう言う人がいるわ。鑑賞用王女を妻に迎えても手に余るだけだ、って。私もそう思う。あなたが言ったとおり、私には学がない。字も書けないし、読むこともできない。政治のことなんて言葉も知らない。血の雨がなんなのか、友好条約がなんなのかさえ知らなかったんだもの。そんな女を欲しがる理由ってなに?」

 困惑したような顔で左右に目を向けるクラリッサの顎を捉えて強制的に上を向かせる。エイベルの顔が間近にある。今にも唇が触れ合いそうな距離にクラリッサは目を閉じるべきか迷った。
 今は挨拶をするような流れではない。それとももう別れの時間だろうかと月の位置を見ようにも顎を捉えられているため見えない。
 黙ったまま見つめてくるエイベルが何を考えているのかわからず、クラリッサも黙って見つめ返した。

「この顔だ」

 端的に言ったエイベルにクラリッサは目を閉じた。キスを受け入れるためではない。やっぱりと納得できたことで気が抜けたせいだ。

「手に余ろうとこの顔が傍にあればいいってこと?」
「そういうことだ」
「でもお父様は私を手放さない」
「お前は金の成る木だからな」
「失礼な言い方ね。お父様はそんなこと思ってない。お父様は私を自慢したいだけの親バカなのよ」
「親の愛を信じるか……哀れだな」

 鼻で笑われようとも気にしない。事実、父親には愛されている。愛されていなければ相手を怒らせてまで頭を下げるはずがない。娘に謝るはずがない。
 だからクラリッサは勝ち誇ったような笑みをエイベルに向ける。

「生意気な笑みだな」
「あら、鑑賞用王女の顔に文句があるっていうの?」
「ブサイクだ」
「……ッ、ふふっ…やだッ、この顔ってブサイクなの? 今度お父様の前でしてみるわ。どんな表情するかしら」

 ブサイクと言われたのはこれが初めて。美しい、美人としか言われたことがないクラリッサにとって衝撃の発言でもクラリッサは喜んでしまう。
 媚びを売られるほうが嫌だ。下心丸見えで跪かれるほうが嫌だ。
 エイベルと一緒にいるとその気持ち悪さがない。だからクラリッサはエイベルの傍にいると気の楽さと楽しさを感じる。
 これは家族の誰にも抱かない感情だ。
 家族といるのは楽しい。きょうだいが遊んでいる光景を見ているのも好き。だが、こんな風に笑うことはない。

「幸せ」

 そう自然と口からこぼれてしまうほど、クラリッサの胸はキュンとした甘い締め付けを感じていた。

「俺がお前に与えてやっている感情だ」
「そうね」
「手に余るがな」
「じゃあ手放す?」
「飽きる日まではな」
「そう遠くないわね。でもその日まではこうして足を運ぶわ。あなたといるのが好きだから、私のほうがまだこの時間を手放せないもの」

 いつまでもこの状況が続くなどと甘い夢は見ていない。いつかは会えなくなってしまう日がやってくる。一緒に来てなど口が裂けても言えないことで、それに了承をもらえるとも思っていない。結婚する際に父親にダークエルフと知り合いだったと言えるわけもない。だから別れはいつかやってくるから、エイベルの『飽きる日までは』という言葉はクラリッサの心を少し楽にする。現実的な言葉を突きつけられることで期待しないで済むから。 

「……お前は、泣いたりするのか?」

 予想もしていなかった言葉に目を瞬かせるクラリッサだが、すぐにかぶりを振って笑顔を見せる。

「子供の頃はよく泣いてたけど、今は全然。泣くようなことがないもの。寝ても覚めてもチヤホヤされて、辛いことなんてありもしない世の中で生きてるのに泣く事件が起きないの」
「なら、お前の泣き顔を見たことがある者はそうはいないわけか」
「見たい?」
「ああ」
「悪趣味って言われたことない?」
「ない。泣き顔を見たいと思ったのはお前が初めてだからな」

 嬉しくなってしまう。いつも誰もが笑顔を求めている。鑑賞用と呼ばれる女神カロンの生まれ変わりと呼ばれる女の完璧な笑顔を。誰も泣き顔が見たいとは言わなかった。当然と言えば当然だが、それでもこうして口に出して言ってくれることがやはりクラリッサには嬉しくてたまらない。

「あなたって本当に変な人ね、エイベル」
「ダークエルフの森に入ってのんきに過ごす王女様に言われるとはな」
「ふふふっ、私も変な人ってことね」
「鑑賞用と呼ばれる人生に満足している時点で相当な変人だ」

 満足しているわけではない。別の人生が歩める道があるのならすぐにでもそっちを歩く。そこにたとえ荊が敷き詰められていようとも裸足で踏みつけながら歩くだろう。だが、そんな道は存在しない。王女として生まれた以上は逃げ道などあるはずがない。
 外から見れば贅沢極まりない人生だろう。着替えも全て使用人が行い、風呂には入り放題で、ドレスも一度着たら二度と袖を通さない。学校に行かないため宿題もテストも成績もない。自分のためだけに開かれる名もなきパーティーに出席しても笑顔で感謝の言葉を口にするだけ。そうしているだけで何不自由ない生活が送れるのだからこの生活に満足していないと思う人間がいるほうが稀有なのだ。

「そろそろ時間ね。帰るわ」
「気分を害したか?
「どうして? あなたといるのは楽しいわ。毎日でもこうしていたいぐらい。あなたはいつも本音をくれる。だから好きよ。気分を害するなんてとんでもない」
「言いたいことがあるなら言え」
「言いたいことなんてない」
「お前の感情はわかりやすいんだ」

 初めて言われた言葉にクラリッサが一瞬固まる。いつだって笑顔で乗り越えてきた。いつだって笑顔を見せれば皆が笑ってくれた。どんな感情を抱えていたとしても笑顔が隠してくれた。
 エイベルだけはいつも違うことを言う。嬉しいはずなのに、今だけはどうしてか喜べない。

「満足していると断言されて気分を害したんだろう?」
「……そんなことない」
「真実を言わなければ送らんぞ」
「嘘はついてない」
「クラリッサ」
「エイベル」

 先にため息を吐き出したのはエイベルだった。

「頑固だな」
「あなたがね」

 自分でもわかっていない感情があることをエイベルは見抜いていたが、それを自覚させるにはまだ早いと思った。今ここで自覚させることはできるものの、それをすればクラリッサの感情が爆発しかねない。そうなると屋敷に戻っても制御しきれず不審に思った父親が動き始める。
 厄介事ができるだけ避けたいエイベルはモヤつく感情に気付かぬフリをしてクラリッサを抱えてテラスまで送った。

「送ってくれてありがとう」

 クラリッサに怒っている様子はない。
 エイベルが屈めば腕を首に回して素直に唇を重ねる。柔らかな舌が触れ合うキスにエイベルの口元が緩む。
 それほど長くないキス。唇を離すとまだ少しどこか照れたような表情を見せる頬に触れるエイベルの手にクラリッサも頬を寄せる。

「おやすみ」
「おやすみなさい」

 また明日とは言わない。全てはタイミング次第。クラリッサがテラスに出ても光らなければ会えないし、エイベルが待っていてもクラリッサがテラスに出なければ会えない。
 明日会える保証はない。だから二人はいつも今日で最後でもいいように約束はしないことにしている。約束し合ったわけではないのにいつの間にか出来た暗黙のルール。
 エイベルが森へ戻るのを見届けたらクラリッサが中に入る。それをエイベルが森の中から見送る。

「エイベル」 
 
 部屋で名前を呼ぶ声が聞こえた。自分が返事をしたところでクラリッサには聞こえない。

「エイベル、エイベル」
「さっさと寝ろ」

 聞いているとわかっていながら連呼するクラリッサに森の奥へと戻っていくエイベルが笑った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢の妹君。〜冤罪で追放された落ちこぼれ令嬢はワケあり少年伯に溺愛される〜

見丘ユタ
恋愛
意地悪な双子の姉に聖女迫害の罪をなすりつけられた伯爵令嬢リーゼロッテは、罰として追放同然の扱いを受け、偏屈な辺境伯ユリウスの家事使用人として過ごすことになる。 ユリウスに仕えた使用人は、十日もたずに次々と辞めさせられるという噂に、家族や婚約者に捨てられ他に行き場のない彼女は戦々恐々とするが……彼女を出迎えたのは自称当主の少年だった。 想像とは全く違う毎日にリーゼロッテは戸惑う。「なんだか大切にされていませんか……?」と。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

捨てた騎士と拾った魔術師

吉野屋
恋愛
 貴族の庶子であるミリアムは、前世持ちである。冷遇されていたが政略でおっさん貴族の後妻落ちになる事を懸念して逃げ出した。実家では隠していたが、魔力にギフトと生活能力はあるので、王都に行き暮らす。優しくて美しい夫も出来て幸せな生活をしていたが、夫の兄の死で伯爵家を継いだ夫に捨てられてしまう。その後、王都に来る前に出会った男(その時は鳥だった)に再会して国を左右する陰謀に巻き込まれていく。

助けた騎士団になつかれました。

藤 実花
恋愛
冥府を支配する国、アルハガウンの王女シルベーヌは、地上の大国ラシュカとの約束で王の妃になるためにやって来た。 しかし、シルベーヌを見た王は、彼女を『醜女』と呼び、結婚を保留して古い離宮へ行けと言う。 一方ある事情を抱えたシルベーヌは、鮮やかで美しい地上に残りたいと思う願いのため、異議を唱えず離宮へと旅立つが……。 ☆本編完結しました。ありがとうございました!☆ 番外編①~2020.03.11 終了

【完結】処刑後転生した悪女は、狼男と山奥でスローライフを満喫するようです。〜皇帝陛下、今更愛に気づいてももう遅い〜

二位関りをん
恋愛
ナターシャは皇太子の妃だったが、数々の悪逆な行為が皇帝と皇太子にバレて火あぶりの刑となった。 処刑後、農民の娘に転生した彼女は山の中をさまよっていると、狼男のリークと出会う。 口数は少ないが親切なリークとのほのぼのスローライフを満喫するナターシャだったが、ナターシャへかつての皇太子で今は皇帝に即位したキムの魔の手が迫り来る… ※表紙はaiartで生成したものを使用しています。

人質姫と忘れんぼ王子

雪野 結莉
恋愛
何故か、同じ親から生まれた姉妹のはずなのに、第二王女の私は冷遇され、第一王女のお姉様ばかりが可愛がられる。 やりたいことすらやらせてもらえず、諦めた人生を送っていたが、戦争に負けてお金の為に私は売られることとなった。 お姉様は悠々と今まで通りの生活を送るのに…。 初めて投稿します。 書きたいシーンがあり、そのために書き始めました。 初めての投稿のため、何度も改稿するかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。 小説家になろう様にも掲載しております。 読んでくださった方が、表紙を作ってくださいました。 新○文庫風に作ったそうです。 気に入っています(╹◡╹)

残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
公爵令嬢アンジェリカは六歳の誕生日までは天使のように可愛らしい子供だった。ところが突然、ロバのような顔になってしまう。残念な姿に成長した『残念姫』と呼ばれるアンジェリカ。友達は男爵家のウォルターただ一人。そんなある日、隣国から素敵な王子様が留学してきて……

【完結】一番腹黒いのはだあれ?

やまぐちこはる
恋愛
■□■ 貧しいコイント子爵家のソンドールは、貴族学院には進学せず、騎士学校に通って若くして正騎士となった有望株である。 三歳でコイント家に養子に来たソンドールの生家はパートルム公爵家。 しかし、関わりを持たずに生きてきたため、自分が公爵家生まれだったことなどすっかり忘れていた。 ある日、実の父がソンドールに会いに来て、自分の出自を改めて知り、勝手なことを言う実父に憤りながらも、生家の騒動に巻き込まれていく。

処理中です...