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森の中で
しおりを挟むテラスでエイベルに抱えられて、そこから五回地面を跳ね飛べば所定の場所に到着する。森の中で交わす挨拶にも少し慣れてきた。
ゆっくりと唇が離れたあと、エイベルはいつもクラリッサの顔をジッと見つめる。
「疲れた顔をしているな」
「お風呂に入ってスッキリしたはずなんだけど」
「良い香りがするのはそのせいか」
乾かしたばかりの髪を一束取って匂いを嗅ぐ姿にクラリッサが笑う。
「婚約を破棄した気分はどうだ?」
「どうして知ってるの?」
「エルフは目と耳が良い。あのぐらいの距離なら会話も聞こえる」
「じゃあ私が部屋でエイベルの名前を呼んだら聞こえてるってこと?」
「そうだ」
「話しかけても聞こえてるってこと?」
「丸聞こえだ」
婚約破棄の話を聞かれていたことよりも部屋で話しかけた言葉が相手の耳に届くことのほうが嬉しいクラリッサの表情が緩む。
返事が聞こえないことはわかっているが、それでも自分が呼んでいることを知ってくれていると思うだけで嬉しかった。
「あ、そうそう、血の雨って何か知ってる?」
険しくなるエイベルの表情にクラリッサが首を傾げる。
「お前が知る必要のない話だ」
「悪い話?」
「そうだ」
わかってはいた。言葉だけでも恐ろしい言葉が素敵な言葉であるはずがないのだから。
それでも、言葉の意味を知っている者に肯定されると少なからずショックを受けた。
本当にそんなことが起こってしまったらモレノスはどうなるのだろうかと不安に駆られる。
「……そう。じゃあ知らないほうがいいのね。お父様は私が悪い話を聞くのをひどく嫌うの」
「ダークエルフがどういう存在か話しておきながらか?」
「ええ、そうなの」
「身勝手な男だ」
「良い所もあるのよ?」
「興味ない」
父親がダークエルフを嫌っているように、ダークエルフ側であるエイベルも人間を嫌っているように見えた。
「友好条約って?」
「仲良しごっこしましょうねって約束することだ」
「ごっこ?」
「ごっこだっただろ? 血の雨を降らせるとまで言ってきたんだ、ごっこでしかない」
肩を竦めるエイベルの口調は軽いが、言っていることは軽くはない。
もし本当に血の雨が降るのだとしたら破棄すべきではなかったことだと後悔が込み上げてくる。
「破棄したら血の雨が降るの?」
「脅しだ」
「脅しじゃなかったら?」
「大勢の兵士か、規模によっては国民も死ぬことになる」
「そんなっ……!」
口を押さえて絶句するクラリッサの肩をエイベルが抱き寄せる。
死ぬという言葉の意味は知っている。クラリッサも祖父の死を経験しており、死がもたらす悲しみの苦しみは痛いほどわかっている。
もし多くの国民がその苦しみを自分が断ったせいで味わうことになるのだとしたらと手が小刻みに揺れ始める。
「そうさせないためにお前の父親は多くの国と友好条約を結んでいる。あっちともこっちとも手を取り合って仲良しごっこに勤しんでいるおかげで被害は最小で済むだろう」
「そう、なの?」
「レイニアと友好条約を結んでいない国はモレノスを守るだろう。女神カロンの生まれ変わりを守るためにな」
「私のため?」
「お前の価値に値段はつけられん。モレノスだけではない、他国の人間までがクラリッサ王女のご尊顔を拝みたがる。モレノスを守れば自動的にお前を守ることになる。それがどういう意味かわかるか?」
かぶりを振るクラリッサにはさっぱりわからない話だ。モレノスが無事なら自分も無事というのは理解できる。だが、まるで友好条約が自分のためにあると言われているような言い方は理解できない。
「モレノスを守ったという功績を残せば、それが評価されてお前に手が届くかもしれない。モレノスほど王女との謁見に階級が必要ない国はないだろうが、それでも王女は王女。結婚話を持ち出すにはそれなりの階級が必要だ。モレノスが危機的状況に陥った際にモレノスを救った英雄をモレノスは拒否できないと多くの国がそう考えている。だから劣勢であろうともモレノスに味方する国は多いだろうな」
やはりわからないと眉を寄せるクラリッサにエイベルは呆れたように肩を竦める。
「わからないのは俺の説明が悪いせいか? お前に学がないせいか?」
失礼な言い方にクラリッサはあえて「あなたの説明が悪いせい」と言った。
「鑑賞用王女を欲しがる理由がわからない。顔しか取り柄のない王女を欲してなんの得があるというの? 何もできないのよ? パーティーに来てる人の中にはこう言う人がいるわ。鑑賞用王女を妻に迎えても手に余るだけだ、って。私もそう思う。あなたが言ったとおり、私には学がない。字も書けないし、読むこともできない。政治のことなんて言葉も知らない。血の雨がなんなのか、友好条約がなんなのかさえ知らなかったんだもの。そんな女を欲しがる理由ってなに?」
困惑したような顔で左右に目を向けるクラリッサの顎を捉えて強制的に上を向かせる。エイベルの顔が間近にある。今にも唇が触れ合いそうな距離にクラリッサは目を閉じるべきか迷った。
今は挨拶をするような流れではない。それとももう別れの時間だろうかと月の位置を見ようにも顎を捉えられているため見えない。
黙ったまま見つめてくるエイベルが何を考えているのかわからず、クラリッサも黙って見つめ返した。
「この顔だ」
端的に言ったエイベルにクラリッサは目を閉じた。キスを受け入れるためではない。やっぱりと納得できたことで気が抜けたせいだ。
「手に余ろうとこの顔が傍にあればいいってこと?」
「そういうことだ」
「でもお父様は私を手放さない」
「お前は金の成る木だからな」
「失礼な言い方ね。お父様はそんなこと思ってない。お父様は私を自慢したいだけの親バカなのよ」
「親の愛を信じるか……哀れだな」
鼻で笑われようとも気にしない。事実、父親には愛されている。愛されていなければ相手を怒らせてまで頭を下げるはずがない。娘に謝るはずがない。
だからクラリッサは勝ち誇ったような笑みをエイベルに向ける。
「生意気な笑みだな」
「あら、鑑賞用王女の顔に文句があるっていうの?」
「ブサイクだ」
「……ッ、ふふっ…やだッ、この顔ってブサイクなの? 今度お父様の前でしてみるわ。どんな表情するかしら」
ブサイクと言われたのはこれが初めて。美しい、美人としか言われたことがないクラリッサにとって衝撃の発言でもクラリッサは喜んでしまう。
媚びを売られるほうが嫌だ。下心丸見えで跪かれるほうが嫌だ。
エイベルと一緒にいるとその気持ち悪さがない。だからクラリッサはエイベルの傍にいると気の楽さと楽しさを感じる。
これは家族の誰にも抱かない感情だ。
家族といるのは楽しい。きょうだいが遊んでいる光景を見ているのも好き。だが、こんな風に笑うことはない。
「幸せ」
そう自然と口からこぼれてしまうほど、クラリッサの胸はキュンとした甘い締め付けを感じていた。
「俺がお前に与えてやっている感情だ」
「そうね」
「手に余るがな」
「じゃあ手放す?」
「飽きる日まではな」
「そう遠くないわね。でもその日まではこうして足を運ぶわ。あなたといるのが好きだから、私のほうがまだこの時間を手放せないもの」
いつまでもこの状況が続くなどと甘い夢は見ていない。いつかは会えなくなってしまう日がやってくる。一緒に来てなど口が裂けても言えないことで、それに了承をもらえるとも思っていない。結婚する際に父親にダークエルフと知り合いだったと言えるわけもない。だから別れはいつかやってくるから、エイベルの『飽きる日までは』という言葉はクラリッサの心を少し楽にする。現実的な言葉を突きつけられることで期待しないで済むから。
「……お前は、泣いたりするのか?」
予想もしていなかった言葉に目を瞬かせるクラリッサだが、すぐにかぶりを振って笑顔を見せる。
「子供の頃はよく泣いてたけど、今は全然。泣くようなことがないもの。寝ても覚めてもチヤホヤされて、辛いことなんてありもしない世の中で生きてるのに泣く事件が起きないの」
「なら、お前の泣き顔を見たことがある者はそうはいないわけか」
「見たい?」
「ああ」
「悪趣味って言われたことない?」
「ない。泣き顔を見たいと思ったのはお前が初めてだからな」
嬉しくなってしまう。いつも誰もが笑顔を求めている。鑑賞用と呼ばれる女神カロンの生まれ変わりと呼ばれる女の完璧な笑顔を。誰も泣き顔が見たいとは言わなかった。当然と言えば当然だが、それでもこうして口に出して言ってくれることがやはりクラリッサには嬉しくてたまらない。
「あなたって本当に変な人ね、エイベル」
「ダークエルフの森に入ってのんきに過ごす王女様に言われるとはな」
「ふふふっ、私も変な人ってことね」
「鑑賞用と呼ばれる人生に満足している時点で相当な変人だ」
満足しているわけではない。別の人生が歩める道があるのならすぐにでもそっちを歩く。そこにたとえ荊が敷き詰められていようとも裸足で踏みつけながら歩くだろう。だが、そんな道は存在しない。王女として生まれた以上は逃げ道などあるはずがない。
外から見れば贅沢極まりない人生だろう。着替えも全て使用人が行い、風呂には入り放題で、ドレスも一度着たら二度と袖を通さない。学校に行かないため宿題もテストも成績もない。自分のためだけに開かれる名もなきパーティーに出席しても笑顔で感謝の言葉を口にするだけ。そうしているだけで何不自由ない生活が送れるのだからこの生活に満足していないと思う人間がいるほうが稀有なのだ。
「そろそろ時間ね。帰るわ」
「気分を害したか?
「どうして? あなたといるのは楽しいわ。毎日でもこうしていたいぐらい。あなたはいつも本音をくれる。だから好きよ。気分を害するなんてとんでもない」
「言いたいことがあるなら言え」
「言いたいことなんてない」
「お前の感情はわかりやすいんだ」
初めて言われた言葉にクラリッサが一瞬固まる。いつだって笑顔で乗り越えてきた。いつだって笑顔を見せれば皆が笑ってくれた。どんな感情を抱えていたとしても笑顔が隠してくれた。
エイベルだけはいつも違うことを言う。嬉しいはずなのに、今だけはどうしてか喜べない。
「満足していると断言されて気分を害したんだろう?」
「……そんなことない」
「真実を言わなければ送らんぞ」
「嘘はついてない」
「クラリッサ」
「エイベル」
先にため息を吐き出したのはエイベルだった。
「頑固だな」
「あなたがね」
自分でもわかっていない感情があることをエイベルは見抜いていたが、それを自覚させるにはまだ早いと思った。今ここで自覚させることはできるものの、それをすればクラリッサの感情が爆発しかねない。そうなると屋敷に戻っても制御しきれず不審に思った父親が動き始める。
厄介事ができるだけ避けたいエイベルはモヤつく感情に気付かぬフリをしてクラリッサを抱えてテラスまで送った。
「送ってくれてありがとう」
クラリッサに怒っている様子はない。
エイベルが屈めば腕を首に回して素直に唇を重ねる。柔らかな舌が触れ合うキスにエイベルの口元が緩む。
それほど長くないキス。唇を離すとまだ少しどこか照れたような表情を見せる頬に触れるエイベルの手にクラリッサも頬を寄せる。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
また明日とは言わない。全てはタイミング次第。クラリッサがテラスに出ても光らなければ会えないし、エイベルが待っていてもクラリッサがテラスに出なければ会えない。
明日会える保証はない。だから二人はいつも今日で最後でもいいように約束はしないことにしている。約束し合ったわけではないのにいつの間にか出来た暗黙のルール。
エイベルが森へ戻るのを見届けたらクラリッサが中に入る。それをエイベルが森の中から見送る。
「エイベル」
部屋で名前を呼ぶ声が聞こえた。自分が返事をしたところでクラリッサには聞こえない。
「エイベル、エイベル」
「さっさと寝ろ」
聞いているとわかっていながら連呼するクラリッサに森の奥へと戻っていくエイベルが笑った。
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