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正しい道へ
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ロイクと出会ったのは二人にとって大きな分岐点となった。
二人がしていたのは主に窃盗だったが、それにつきまとう傷害なども経験している。いくらこの場所が警察が機能していないと言えど気まぐれに動き出すときがあるかもしれない。そういうときに限って捕まったりする。そしてありえないほど酷い目に遭わされる。
警察も色々いる。親身になろうとする者。責務をこなすだけの者。威圧的な者とそれぞれだ。まだ捕まったことがないジルヴァたちだが、本人たちもこのままでいいとは思っていない。大人になってもこんな状態を続けていたくはないとまだ先の話ではあるが考えていた。
だからロイクからの提案に二人は顔を見合わせる。
「美味い飯が食いたきゃ働け。そんで技術を盗め。教えてもらわなくても美味いもんが作れるぐらいにな」
働くか?という声かけではなく、働かせてやるといった直接的な言葉もなかった。それでも二人は三ヶ月が経つ頃にはロイクの性格を把握し、確認するまでもなく返事をしていた。
「そうじゃねぇだろうが! やり方変えてんじゃねぇ!」
「皿洗いに何時間かけてやがんだ! それじゃあ犬に洗わせてるほうがはえーぞ!」
「ペーペーがテメーのやり方通すなんざ百年早いんだよ! まずは徹底的に基礎覚えてからだ!」
「皿洗いしかしてねぇくせに疲れたなんざぬかすな! それが終わったら掃除だぞ!」
ワイワイ楽しく働けるとは思っていなかったが、ここまで怒号が飛び交うとも思っていなかった。二人はまだ十歳の子供。それでも厨房に入った日から容赦なく怒声を浴びせられる。泡まみれになりながら皿を洗い、油まみれになりながら掃除をする日々に不満がないわけではなかった。
盗みがバレて大人たちに追いかけ回されても平気だったのにここでは一日が終わる頃にはもうヘトヘトになっている。怒声を浴びることなど慣れているのに怒られることに悔しさを覚えた。ちゃんとやっているのに怒る大人にも、ちゃんとやっているつもりなのにやれていない自分にも。
「お前ら食い過ぎだぞ」
「ヘトヘトなんだよ!」
「ヘトヘトだったら飯食えねぇだろ」
「腹減ってんだから食うのは当然だ」
「ま、疲れてても食っちまうほど俺の飯は美味いってことか」
「そういうこと」
ロイクたち大人はヘトヘトだと口に出すほど疲れていたらベッドに倒れ込んで朝まで眠ってしまうが、二人はそうじゃない。食べて食べて食べて食べて、それから眠りにつく。
すっかり二階を寝床としている二人がいる生活は賑やかでうるさいとさえ思う日もあるが、ロイクは二人ががっつく様子が好きだった。
「俺らはいつから料理作れるんだよ」
「あ? お前な、基礎も覚えてねぇガキが料理なんざできるわけねぇだろ」
「教えねぇからだろ!」
バンッとテーブルを強く叩いて立ち上がったジルヴァに向けるロイクの目は鋭く、それだけでジルヴァを再度座らせる。
「目で盗めって言っただろ」
「忙しすぎてそんな時間ねぇよ」
「なら一生料理は無理だろうな」
「約束が違うじゃねぇか!」
「約束したか?」
約束は何もしていない。ロイクの言葉に頷いて働き始めただけで約束ではない。
「じゃあ俺らは一生美味いもん作れねぇのかよ」
「それはお前ら次第だ」
「基礎も教えねぇくせに」
「教えてもらいたきゃ頭下げろ」
「はあ!? なんで俺らが──」
「ジルヴァ、それは俺らがすべきことだ」
反発するジルヴァの言葉を遮ったアルフィオはロイクの言葉を真剣に受け止めた。プロに教えてもらうのは本来なら金がかかるだろう。だが、頭を下げるだけなら金はかからない。お願いするのに頭を下げるのもおかしなことではないとアルフィオは思っている。だから立ち上がってその場で頭を下げた。
「お願いします。料理を教えてください」
「お前はどうする?」
合格したアルフィオからジルヴァに視線を移して問いかけるそれは最初で最後のチャンスなのではないかとジルヴァの中で天秤が揺れる。人に頭は下げたくない。同じ厨房にいるのだから教えてくれればいい話だと思う心があるが、ジルヴァはむくれながらも立ち上がってアルフィオよりは浅い角度で頭を下げた。
「よっし。なら明日から教えてやる」
「今日からじゃねぇのかよ」
「美味いもん食ったあとじゃ正しい味覚は残っちゃいねぇ。舌がそれに染まっちまってるからな。それにヘトヘトで満腹のガキはすぐに眠くなる。だから明日からだ」
反論できないほど二人は疲れていた。満腹になった今、早く横になりたい。その気持ちでいっぱいだったが、二人にはまだ皿洗いが残っている。フォークで皿のソースまでかき集めて舐め取るアルフィオが率先して洗いに行く。
「自分の分は自分で洗え。ついではナシだ」
そういう部分は厳しかった。なあなあになってしまわないよう自分の分は自分でと言い続ける。それはアルフィオがいいと言っても通らない。それでも二人はロイクを嫌な人間だと思うことはなかった。
翌日、夜明け前に起こされた二人は文句を垂れ流していたが、厨房に入ると寝ぼけ眼がシャキッとする。そんな様子にロイクが笑う。
「ほれ」
二人の前に差し出された短めのナイフ。カバーに入っているが、それがなんなのか二人には言わずともわかっていた。
「いいのか!?」
「料理すんのに必要だからな。シェフが持ってるナイフは全部自分のもんだ。だからお前らも自分のを持て」
「高いんじゃないのか? あいてっ!」
すぐに手が出るのが短所だとアルフィオは思う。それでもロイクが笑っているのを見ると笑顔になる。
「ガキが金のこと気にしてんじゃねぇ。そういうのは大人の仕事だ。ガキはもらったもんに飛び跳ねて喜ぶのが仕事だろ」
飛び跳ねて喜ぶほど精神的に幼くはないが、それでも笑みがこぼれるほどには嬉しかった。
そっとケースから取り出すナイフはどのシェフが持っているナイフよりもずっと輝いて見えた。
「似合う?」
「お前には泡のが似合ってる」
「なんだよー! 言っとくけど、俺のがすごいシェフになるんだからな! 超早業で世界的なシェフになってやる!」
「へーソリャスゲーナ」
「思ってないだろ! 見とけよ! 俺のが才能あるから!」
「へーソリャタノシミダ」
ナイフに夢中でアルフィオの宣言などどうでもよかったジルヴァにとってこのナイフは一生物だと握った瞬間そう思った。大人になろうと使い続けると。
「エプロン着けたらそこにある野菜全部刻め」
二人の動きが同時に止まったのは厨房に入る前に裏口のドアの前に山積みにされている野菜を見たから。毎日の光景で珍しくもなんともないのだが、あまりの量にいつもはシェフたちがやっていることを自分たちが任された喜びよりも戸惑いのほうが大きかった。
「俺ら二人で……?」
「料理は全て実践あるのみ。包丁の使い方を覚えるには野菜が一番の練習相手だ。とにかく刻んで刻んで刻みまくれ」
二人のスピードには期待していない。だから夜明け前に起こして練習させようとロイクは考えた。時間がかかってもいいから包丁を使うことに慣れることが大事だからと。
「俺の仕込みに必要なときまでに仕上げろよ」
「俺も仕込みさせてくれ」
「基礎からだって言っただろ」
「手伝いさせろって言ってるだけだろ。それともまた頭下げろってのか?」
「やりたくねぇことから逃げて簡単に見えることに逃げようとする奴が料理してぇなんざ笑わせるなよ」
「は? 逃げてねぇし!」
「だったらやれよ。やりきってみせろ。お前が持ってるのが誰もが通る道を中抜けして楽しようとする安っぽい根性じゃなきゃできるだろ」
「やってやるよ! テメーが思ってるよりずっと早く終わらせてやるからな! 仕込み手伝えって言っても手伝わねぇから覚えとけクソジジイ!」
今まで誰にどんな挑発をされてもそれに乗ることはしなかった。ダサいと鼻で笑って済ませていたことに初めてムキになったジルヴァにアルフィオとロイクが顔を見合わせて笑う。
「ジルヴァ、どっちが早くカゴの中の野菜終わらせられるか勝負しようぜ」
「泣きべそかくだけだぞ」
「勝負は終わるまでわからないって言うだろ」
「結果見えてる勝負に意味ねぇだろ」
「泣きべそかくだけだもんな」
今のジルヴァはアルフィオの挑発にさえ簡単に乗ってしまう。強く睨みつけたジルヴァは野菜を台の上に置いて「やってやるよ!」と声を張った。
スタートの声をかけるのはロイク。野菜は全てみじん切り。二人は新品のナイフを握りしめ、大きく吸って息を吐き出す。
「サマルシェ!」
二人の勝負が始まった。
二人がしていたのは主に窃盗だったが、それにつきまとう傷害なども経験している。いくらこの場所が警察が機能していないと言えど気まぐれに動き出すときがあるかもしれない。そういうときに限って捕まったりする。そしてありえないほど酷い目に遭わされる。
警察も色々いる。親身になろうとする者。責務をこなすだけの者。威圧的な者とそれぞれだ。まだ捕まったことがないジルヴァたちだが、本人たちもこのままでいいとは思っていない。大人になってもこんな状態を続けていたくはないとまだ先の話ではあるが考えていた。
だからロイクからの提案に二人は顔を見合わせる。
「美味い飯が食いたきゃ働け。そんで技術を盗め。教えてもらわなくても美味いもんが作れるぐらいにな」
働くか?という声かけではなく、働かせてやるといった直接的な言葉もなかった。それでも二人は三ヶ月が経つ頃にはロイクの性格を把握し、確認するまでもなく返事をしていた。
「そうじゃねぇだろうが! やり方変えてんじゃねぇ!」
「皿洗いに何時間かけてやがんだ! それじゃあ犬に洗わせてるほうがはえーぞ!」
「ペーペーがテメーのやり方通すなんざ百年早いんだよ! まずは徹底的に基礎覚えてからだ!」
「皿洗いしかしてねぇくせに疲れたなんざぬかすな! それが終わったら掃除だぞ!」
ワイワイ楽しく働けるとは思っていなかったが、ここまで怒号が飛び交うとも思っていなかった。二人はまだ十歳の子供。それでも厨房に入った日から容赦なく怒声を浴びせられる。泡まみれになりながら皿を洗い、油まみれになりながら掃除をする日々に不満がないわけではなかった。
盗みがバレて大人たちに追いかけ回されても平気だったのにここでは一日が終わる頃にはもうヘトヘトになっている。怒声を浴びることなど慣れているのに怒られることに悔しさを覚えた。ちゃんとやっているのに怒る大人にも、ちゃんとやっているつもりなのにやれていない自分にも。
「お前ら食い過ぎだぞ」
「ヘトヘトなんだよ!」
「ヘトヘトだったら飯食えねぇだろ」
「腹減ってんだから食うのは当然だ」
「ま、疲れてても食っちまうほど俺の飯は美味いってことか」
「そういうこと」
ロイクたち大人はヘトヘトだと口に出すほど疲れていたらベッドに倒れ込んで朝まで眠ってしまうが、二人はそうじゃない。食べて食べて食べて食べて、それから眠りにつく。
すっかり二階を寝床としている二人がいる生活は賑やかでうるさいとさえ思う日もあるが、ロイクは二人ががっつく様子が好きだった。
「俺らはいつから料理作れるんだよ」
「あ? お前な、基礎も覚えてねぇガキが料理なんざできるわけねぇだろ」
「教えねぇからだろ!」
バンッとテーブルを強く叩いて立ち上がったジルヴァに向けるロイクの目は鋭く、それだけでジルヴァを再度座らせる。
「目で盗めって言っただろ」
「忙しすぎてそんな時間ねぇよ」
「なら一生料理は無理だろうな」
「約束が違うじゃねぇか!」
「約束したか?」
約束は何もしていない。ロイクの言葉に頷いて働き始めただけで約束ではない。
「じゃあ俺らは一生美味いもん作れねぇのかよ」
「それはお前ら次第だ」
「基礎も教えねぇくせに」
「教えてもらいたきゃ頭下げろ」
「はあ!? なんで俺らが──」
「ジルヴァ、それは俺らがすべきことだ」
反発するジルヴァの言葉を遮ったアルフィオはロイクの言葉を真剣に受け止めた。プロに教えてもらうのは本来なら金がかかるだろう。だが、頭を下げるだけなら金はかからない。お願いするのに頭を下げるのもおかしなことではないとアルフィオは思っている。だから立ち上がってその場で頭を下げた。
「お願いします。料理を教えてください」
「お前はどうする?」
合格したアルフィオからジルヴァに視線を移して問いかけるそれは最初で最後のチャンスなのではないかとジルヴァの中で天秤が揺れる。人に頭は下げたくない。同じ厨房にいるのだから教えてくれればいい話だと思う心があるが、ジルヴァはむくれながらも立ち上がってアルフィオよりは浅い角度で頭を下げた。
「よっし。なら明日から教えてやる」
「今日からじゃねぇのかよ」
「美味いもん食ったあとじゃ正しい味覚は残っちゃいねぇ。舌がそれに染まっちまってるからな。それにヘトヘトで満腹のガキはすぐに眠くなる。だから明日からだ」
反論できないほど二人は疲れていた。満腹になった今、早く横になりたい。その気持ちでいっぱいだったが、二人にはまだ皿洗いが残っている。フォークで皿のソースまでかき集めて舐め取るアルフィオが率先して洗いに行く。
「自分の分は自分で洗え。ついではナシだ」
そういう部分は厳しかった。なあなあになってしまわないよう自分の分は自分でと言い続ける。それはアルフィオがいいと言っても通らない。それでも二人はロイクを嫌な人間だと思うことはなかった。
翌日、夜明け前に起こされた二人は文句を垂れ流していたが、厨房に入ると寝ぼけ眼がシャキッとする。そんな様子にロイクが笑う。
「ほれ」
二人の前に差し出された短めのナイフ。カバーに入っているが、それがなんなのか二人には言わずともわかっていた。
「いいのか!?」
「料理すんのに必要だからな。シェフが持ってるナイフは全部自分のもんだ。だからお前らも自分のを持て」
「高いんじゃないのか? あいてっ!」
すぐに手が出るのが短所だとアルフィオは思う。それでもロイクが笑っているのを見ると笑顔になる。
「ガキが金のこと気にしてんじゃねぇ。そういうのは大人の仕事だ。ガキはもらったもんに飛び跳ねて喜ぶのが仕事だろ」
飛び跳ねて喜ぶほど精神的に幼くはないが、それでも笑みがこぼれるほどには嬉しかった。
そっとケースから取り出すナイフはどのシェフが持っているナイフよりもずっと輝いて見えた。
「似合う?」
「お前には泡のが似合ってる」
「なんだよー! 言っとくけど、俺のがすごいシェフになるんだからな! 超早業で世界的なシェフになってやる!」
「へーソリャスゲーナ」
「思ってないだろ! 見とけよ! 俺のが才能あるから!」
「へーソリャタノシミダ」
ナイフに夢中でアルフィオの宣言などどうでもよかったジルヴァにとってこのナイフは一生物だと握った瞬間そう思った。大人になろうと使い続けると。
「エプロン着けたらそこにある野菜全部刻め」
二人の動きが同時に止まったのは厨房に入る前に裏口のドアの前に山積みにされている野菜を見たから。毎日の光景で珍しくもなんともないのだが、あまりの量にいつもはシェフたちがやっていることを自分たちが任された喜びよりも戸惑いのほうが大きかった。
「俺ら二人で……?」
「料理は全て実践あるのみ。包丁の使い方を覚えるには野菜が一番の練習相手だ。とにかく刻んで刻んで刻みまくれ」
二人のスピードには期待していない。だから夜明け前に起こして練習させようとロイクは考えた。時間がかかってもいいから包丁を使うことに慣れることが大事だからと。
「俺の仕込みに必要なときまでに仕上げろよ」
「俺も仕込みさせてくれ」
「基礎からだって言っただろ」
「手伝いさせろって言ってるだけだろ。それともまた頭下げろってのか?」
「やりたくねぇことから逃げて簡単に見えることに逃げようとする奴が料理してぇなんざ笑わせるなよ」
「は? 逃げてねぇし!」
「だったらやれよ。やりきってみせろ。お前が持ってるのが誰もが通る道を中抜けして楽しようとする安っぽい根性じゃなきゃできるだろ」
「やってやるよ! テメーが思ってるよりずっと早く終わらせてやるからな! 仕込み手伝えって言っても手伝わねぇから覚えとけクソジジイ!」
今まで誰にどんな挑発をされてもそれに乗ることはしなかった。ダサいと鼻で笑って済ませていたことに初めてムキになったジルヴァにアルフィオとロイクが顔を見合わせて笑う。
「ジルヴァ、どっちが早くカゴの中の野菜終わらせられるか勝負しようぜ」
「泣きべそかくだけだぞ」
「勝負は終わるまでわからないって言うだろ」
「結果見えてる勝負に意味ねぇだろ」
「泣きべそかくだけだもんな」
今のジルヴァはアルフィオの挑発にさえ簡単に乗ってしまう。強く睨みつけたジルヴァは野菜を台の上に置いて「やってやるよ!」と声を張った。
スタートの声をかけるのはロイク。野菜は全てみじん切り。二人は新品のナイフを握りしめ、大きく吸って息を吐き出す。
「サマルシェ!」
二人の勝負が始まった。
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