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プロポーズ

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「で、今があるってわけだ」

 あっけらかんとして語るジルヴァだが、ディルはそれと同じ感情ではいられなかった。時代は変わらない。いつだって搾取する側とされる側がいる。力を持たなければ永遠に立場は変わらず、身も守れない。
 守られ続けているディルはジルヴァも身体を売ったとは言え、覚悟が違った。

「もしオレが同い年だったら受け入れてくれた? 孤児院で会ったら一緒に逃げ出した?」
「んなわけねぇだろ。お前みたいなもやしっ子、眼中にもねぇよ」

 ひどいと思うが、ディルは笑っていた。

「今で良かった」

 きっとあの頃に出会っていたらアルフィオに負けていた。アルフィオを羨んで妬んで落ち込んでの繰り返し。そしてジルヴァに鬱陶しがられて嫌われる。今は年下だから許されているだけで同年代なら話は別。
 少しでも許される環境にある今に感謝していた。

「でもま、お前があの日あの場所に現れたからロイクの言ってたことが理解できたってのはあるんだよな」
「オレ、ジルヴァの人生に何か役立てた?」
「役立ててはねぇが、ロイクがどういう気持ちで俺らを傍に置いてたのかはわかった。金もかかるし、クソ生意気だし、言うことは聞かねぇってのに見離さなかったのはさ」
「オレそこまでひどかった?」
「お前はいい子ちゃんだったからそこまでじゃねぇが……こうして六年もガキを傍に置くってのは俺自身想像してなかったことだったから」

 見放してもよかった。野菜一つ取られたところで痛手はない。靴も履かず厚着もせずキャベツを盗もうとした子供を見逃したってよかった。でも、ディルを見た瞬間、鮮明に思い出した光景があって、その瞬間にはもう身体が動いていた。
 店が繁盛し、客が喜んで料理を食べてくれる人生に満足していた。でも店が終わると一人。風呂に入って、煙草を吸って、寝酒を飲んでベッドに横になる。その間に静けさは開店している間の賑やかさからは想像もできないほど静かなもので、世界にまるで自分一人しかいないような感覚に陥ってしまっていた。
 人生は退屈なんかじゃない。毎日嬉しいの連続だ。でも心が満たされ続けているわけじゃない。一度知った‘幸せ’が満たされないままポッカリと空間になっていた。
 ロイクもきっとそうだった。愛する妻を亡くしてからずっとそこだけが満たされなかった。客が美味しいと言ってくれることも、記念日はここだと決めていたと言ってくれることも、また来ると言ってくれることも幸せの一部だが、それだけでは満たされないものがある。
 それが満たされたのは自分が守るべき存在がもう一度できたとき。それで感じる苛立ちや面倒事さえも幸せに変わっていった。

「クソガキを傍に置くってのは楽じゃねぇよ。ましてや俺を好きだなんて言いやがるマセガキを傍に置くってのは面倒でしかねぇのにな」
「ごめんね」

 謝るディルの頭を撫でるジルヴァの笑顔は優しい。ずっと撫でていてほしくなる。その笑顔をずっと向けていてほしい。それだけで幸せになれるから。それ以上は何も望まないと思えるから。

「俺がジルヴァの傍にいなきゃジルヴァに迷惑かけることもなかっ──」

 ディルの唇に拳を押し付けて黙らせるジルヴァに視線を向ける。

「誰か大事な人を守りてぇと思ったら自分と相手を天秤にかけることだけはするな」

 こちらを見ながら言うジルヴァにディルの心臓が跳ねる。

「ロイクの言葉だ」

 ジルヴァが教えてくれることはほとんどジルヴァがロイクから教わったことだ。

「相手が自分にとって大事な奴かどうかは天秤にかけるまでもなく身体が動くもんだ。金を貸すことも味方になることも損することもなんだってそうだ。相手が自分にとって大事であればそこに不安はねぇもんだ。損したっていい。金は帰ってこなくてもいい。巻き込まれたっていい。そういう思いが働くんだよ」
「それって……オレのことが大事ってこと?」

 聞くべきではないとわかっていても問いかけずにはいられなかった。

「どう思う?」

 目を細めるジルヴァはきっとからかっている。ディルが期待に胸を膨らませているのを見ながら針を持っていつ破裂させてやろうかと企んでいるのだ。それでもディルは膨らませ続ける。

「結婚してください」

 流れを無視してプロポーズしたディルにジルヴァが呆気に取られた顔をする。目を丸くして何度も瞬かせる。こんな顔は過去に見たことがあっただろうか。そう思うぐらいジルヴァの顔は驚きに満ちている。

「お前……バカだろ」

 ようやく返ってきた言葉はシンプルでいつもどおり。だけどそこに笑顔があればディルも笑顔になれる。

「オレはさ、アルフィオみたいに世界に出られるほどの才能はないし、良い兄ちゃんも演じてるだけで実際はそうでもない。嘘つきでビビリな負け犬。だけど、ジルヴァと結婚したいって気持ちだけは変わらない。何百回も諦めようとしたよ。釣り合わないからやめようって。でもやっぱり好きなんだ。ジルヴァの顔も、声も、匂いも、性格も、考え方も、全部好き。口は乱暴だし、すぐにからかうし、手は早いし、秘密主義者だし、意地悪だし、気分屋なとこもあるけど、すごく優しい人だって知ってるから。ジルヴァと話すたびに好きだって想いが浮上して諦めるって気持ちを忘れちゃう」
「バカだからな、お前」
「うん。だからこれからも好きでいる。何回だってプロポーズするよ。ジルヴァがおばあちゃんになっても受け入れてくれるまでプロポーズし続ける」

 何度気持ちを伝えただろう。またかと、しつこいと呆れられるかもしれない。ジルヴァからすれば十二も年下なんて幼子も同然かもしれないが、やっぱり諦めきれない。秘密主義だったジルヴァが過去を語ってくれたことで余計に強く思った。

「愛してるんだ」
「そりゃよかったな」

 受け入れることも振ることもしないジルヴァはズルい。でも答えを出されるより良いとディルは思っている。まだジルヴァに受け入れられるほどの男に慣れていないからだと前向きに捉えられるから。

「アルフィオは二十歳で賞を取ったし、ジルヴァも二十歳でオーナーになった。オレは二十歳になるまであと四年あるから……うん、大丈夫」

 指折り数えながらブツブツと何か予定を立てるディルにジルヴァが天井を向いて声を上げて笑う。

「何が大丈夫なんだよ」
「四年後には何か大きな変化があるかもしれない。オレはまだシェフじゃないし、人間としても未熟で、男としてはもっと未熟。でも四年後はきっと今よりずっと成長してるはずだから」
「すげぇ自信だな」

 うん、と頷いて胸を張るディル。

「諦めないって勇気をくれたジルヴァに追いつきたいんだ」

 ジルヴァの目がスッと細くなる。

「俺に追いつく? 生意気言ってんじゃねぇよ」
「追いつくよ。追いついてジルヴァの右腕になる」
「追い抜かす、ぐらい言えねぇのかよ」
「それこそ生意気でしょ?」
「どうせ生意気言うならそれぐらい言ってみせろ」
「言ったら蹴るくせに」
「当然だ」

 追い抜かしてみせろ。ジルヴァがそう言うならディルはそれに向かって一直線に走り始める。でも、ディルには守るべきものがある。まだ幼い妹たち。自分が持った夢に突っ走ることは彼女たちを置いていくことになる。
 シェフへの道はあれこれよそ見をしながらなれるほど甘いものではない。ジルヴァの店だから自分はそれらしいことがやれているだけ。でもそれではジルヴァに追いつくどころか追い抜かすことなど夢のまた夢だとわかっている。二十歳になっても妹たちはまだ未成年。ディルの人生に劇的な変化が訪れることはないだろう。最低でも彼女たちが成人してからでなければ自由には動けない。でもそれでいいと思っている。妹たちを蔑ろにしてまで叶える夢はない。もう彼女たちに我慢させるのはやめた。そんなことをして良いお兄ちゃんにはなれないのだから。

「今度の休み、ミーナたちと家を見に行くんだ」
「俺も一緒に行ってやろうか?」

 人生で一番耳を疑った瞬間だった。

「驚きすぎだろ」

 目が飛び出るのではないかと見ているほうが心配になるほどの驚き方にジルヴァも思わずつっこんだ。

「いや、だって、その……お願いします」

 遠慮すればジルヴァはそれを受け入れてしまうからすぐに頭を下げた。

「ミーナたちも喜ぶよ。ジルヴァのこと大好きだから」
「お前ら兄妹は変わってんな」
「オレたちだけじゃないよ。皆ジルヴァが大好きだ」
「アイツらは変わり者じゃなくて変態だぞ」
「違いない」

 オージたちが聞いていたら猛抗議するだろうが今は二人だけ。同じ話題で笑い合えるだけで幸せを感じられることがもう幸せだった。

「ジルヴァ」
「きめぇな」

 甘えた声を出すディルに表情付きで返事をするジルヴァに身体を寄せる。

「ここで寝ていい?」
「……あ?」
「くっついて寝たいんだ」

 何が言いたいか予想はついていると思っていたジルヴァだったが、何もわかっていなかった。色々経験しているディルなら湧き上がる欲望ぐらい当たり前だとそれなりに想像していたが、ディルの言葉にその断片すらなく、願いは肌をくっつけて寝たいということ。
 時計を確認するも睡眠時間はそれほど取れない。長話をしすぎたせいだ。
 これなら肌を重ねてスッキリしたほうが良い時間の使い方だとジルヴァは考えるが、ディルにはその考えはないらしく、隆起のない下半身がそれを物語っている。

「ジルヴァ!?」

 自分の頬にゴッと拳を落としたジルヴァに慌てるも抱き寄せられることで大人しくする。

「寝起きぐずるんじゃねぇぞ」
「うん。ちゃんと起きるよ」
「ベイビーの世話はしねぇからな」
「わかってる」

 耳にすぐ近い場所でジルヴァの声がすることにブルッと身を震わせる。

「頭と耳の中でジルヴァの声がするってヤバい」
「なんだそりゃ」
「幸せってこと」
「幸せな頭してんな」

 ジルヴァの温もりがあれば毛布なんていらない。そう思えるほどの幸せに身を浸しながら深い深い眠りへと落ちていった。
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