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別れのとき

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 ユズリハを迎えてから五日目の昼、ハロルドとウォルターとユズリハが港に立っていた。ダイゴロウが帰るのだ。
 ダイゴロウと出会ってからウォルターは『いつか俺の街を案内するからな!』と言い続けていただけに、朝から晩まで案内し続けた日々が楽しくて仕方なかったらしく、朝からずっと泣くのを堪えている。

「ダイゴロウ、また来いよ。お前の娘がいるんだ、遠慮なんかするな」
「もちろんだ! 時間を見つけて会いに来る! 世話になったな!」
「もっと世話させろよ! 短すぎるだろ!」
「はっはっはっはっはっ! すまんな! 忙しいんだ!」
「大豪商ってのも考えもんだな。さっさと引退しろ! そんでこっちに住め! お前の部屋ぐらい用意してやる!」

 勘弁してくれと目を閉じるハロルドを横目で見てはユズリハが小さく笑う。
 厳しい性格が故に敬遠されやすいウォルターにとって終始笑顔でいられる日は貴重。ダイゴロウとは兄弟なのではないかと思うほど気が合うのだ。

「また俺も行くからな」
「待っているぞ!」

 ガシッと抱き合い背中を叩き合う二人が離れるとダイゴロウがユズリハに身体を向ける。ズンズンと寄ってくるダイゴロウに嫌な顔をしてハロルドの後ろに隠れるも腕を掴まれて引っ張り出され、抱きしめられる。

「うぐぐぐッ……く、苦しい」

 強すぎる力に息ができないと背中を叩いて訴えるも力はそのまま。

「すまんな」

 呟くように放たれた言葉はユズリハにだけ聞こえた。
 背中を叩いていた手が止まり、その手が一度拳に変わるもすぐに開いて今度は思いきり背中を叩く。

「わらわがおらぬからと腑抜けるでないぞ! 姉上に手紙で報告してもらうからな!」

 元気な声に少し身体を離して娘を見るといつもの明るい笑顔を見せている。それにつられるように笑うダイゴロウが娘を抱え上げて幼子にするように高く掲げた。

「口うるさいのがいなくなって楽になりそうだ!」
「姉上が聞けば怒るじゃろうな」
「お前のことだわ、バカ娘!」

 大声で笑い合ったあと、ダイゴロウがもう一度ユズリハを抱きしめ、ユズリハも今度は腕を回して抱きつく。掴んだ部分がシワになるほど強く握りしめ、目を閉じる。
 身体を離したダイゴロウの目に光るものが見えたが、大きな手の甲がそれを拭い、そのまま片手を上げて船に乗り込んだ。

「ハロルド、世話になったな」
「僕は何も」
「またな!」

 大きく手を振るダイゴロウの船が小さくなるまで三人で見送り続けた。

「大丈夫か?」
「ん? なんじゃ、心配してくれておるのか? わらわの旦那様は優しいのう」
「は!? お、親が帰ったんだから寂しく思うのは当然だろ!」
「わらわよりジジ様を心配したほうがよいのではないか? 泣いておるぞ」
「うわあ……」

 胸元にあったハンカチで目を押さえて号泣している祖父の姿はできれば見たくなかったが、これも初めて見る姿で貴重なもの。
 泣くほど寂しいかと呆れながらも背中に手を当てて馬車へと誘導する。

「一人で乗る」

 その言葉に頷いて二人は来た馬車に乗り込んだ。

「今頃嗚咽を上げておるのじゃろうな。明日、新聞に乗るのではないか? ウォルター・ヘインズ、港で大号泣。とな」
「やめてくれ、恥でしかない」
「そう言ってやるな。親友との別れに涙できる男じゃぞ。優しい男じゃ」
「優しい、ねえ」

 ユズリハが感じている優しさの半分も家族には向けない祖父を優しいと言われても同意はできない。
 初日に顔を合わせてから今日で二回目。客人が来ている間は学校に行くなと言われ、渋々休んでいたが明後日からようやく行ける。

「ああ、そうだ。明日、兄さんの結婚式があるんだけど……」
「わらわも行かねばならぬか?」
「行きたくないような言い方だな?」
「お前様がわらわの来航を知らなんだと言うことは兄も知らされてはおらなんだということじゃろう?」
「ああ」
「なら、わらわの席は用意されておらぬ。慌ててさせるような真似もしとうはない。それに、和人がいきなり参加するのでは出席者も戸惑うじゃろうからな」

 家族から『聞いておけ』と言われたため聞いたことで、ユズリハの返事はハロルドにとって完璧なものだった。言い訳をする必要のない言葉。そのまま家族に説明しても問題はない。
 兄からは『絶対に出席させんな』と言われ、両親からも『困る』と言われていただけに出席しないほうがいい理由を必死に考えていたのも杞憂に終わった。

「兄は随分と遅い結婚じゃな?」
「二十二歳での結婚は遅くないぞ」
「そうか。和の国では遊び人は好かれぬ。早く嫁を貰うことが男として認められることであったからな」
「こっちでは男は何歳で結婚しようと何も言われないんだ」
「そうか。では、お前様は早すぎたのじゃな」
「だいぶな」

 結婚式を挙げていないため結婚したことにはなっていない。ユズリハはまだ婚約者であって妻ではないため早すぎるわけでもない。これから長い時間かけてユズリハの心が落ち着くまで待ち、それから結婚となる可能性もある。
 そういう話はまだ祖父の口から出ていないためわからないが、ユズリハに急かす気はないとわかっていることもあって初日ほど地獄と思ってはいなかった。

「親父さん、豪快な人だよな」
「声と身体が大きいだけのこと。あと顔もな」
「確かにな。西洋でもあんなデカい奴はそうは見ないぞ」
「突然変異じゃ。祖父も曽祖父も小さいのに父上だけあれほどデカく育ったのじゃ」
「親は戸惑っただろうな」
「うむ。それはもう大飯食らいと困っておった」

 見上げるほど大きい男を見たのは初めで、その体格は小人と呼ばれる和の国の人間とは思えないほどガッシリしていた。
 体格に見合った顔の大きさと声の大きさ。迷子になってもダイゴロウだけは見失わないだろうと思えるほどで、それに反してユズリハはとても小さい。
 これから伸びるのだろうかと想像するも男も小さいのだから女は更に小さいかもしれないと想像しては自分の胸までしかない小さな少女は少女のままかもしれないと変なことを考えた。
 帰るその瞬間まで豪快な人だったと気持ち良ささえ感じたが、ハロルドは一つだけ引っかかっていた。
 それは、ダイゴロウが『頼んだ』と言わなかったこと。
 娘を置いて自国に帰るのだから普通は婚約者に一言そう言うのではないか?
 でもダイゴロウは何も言わずに帰ってしまった。

「親父さんに何か言ったか?」
「何かとは?」
「僕のこと」
「面白い奴とは言ったが、お前様の言葉は何も伝えておらぬ」

 何も伝えていないのに言わなかったとなれば余計に不可解。
 一応、好青年を取り繕って過ごしてきたつもり。それでも娘を預ける親として結果を出せていない男に安易に「頼んだ」と言えない気持ちがあるのもわからないではないが、言われなかったことが少しハロルドの不安になる。

「父上に何か言われたのか?」
「いや、何も。何も言われなかったことが引っかかっているんだ」
「父上は言いたいことは言う男。何も岩なんだのはなんの心配もないからと思えばよい」
「本当にそう思うか?」
「うむ」

 そうだと思いたいが、全ては馬車を降りてみなければわからない。馬車を降りて、それぞれの家に戻ったあと、祖父に呼び出されるかどうかでそれが嘘かどうかわかる。
 もしダイゴロウがウォルターに何か言っていればハロルドは呼び出され、叱責を受けるだろう。

「しんどい思いをさせてすまぬな。気苦労が多いじゃろう」
「まあな」
「それも正式に結婚という形になれば終わる。もう少しだけ我慢してくれ」

 結婚すれば終わるという言葉を吐くユズリハにとってもこの結婚は望まぬものなのだとハッキリ伝わってくる。当然だ。異国の地に嫁いで疎まれる生活に嬉々として挑む物好きはいない。
 大豪商の娘であれば選び放題だったはず。それを親によって台無しにされたことで希望を持つほうがおかしい。

「お前、父親に反論しないのか?」
「お前様は、祖父に反論せぬのか?」

 ハロルドは“できない”立場だが、ユズリハは“しない”だけで立場が違うと恨めしく思うが、ユズリハが反論しなかったことを考えると立場が違えど結果は同じ。
 互いに望んでいない結婚となった二人。婚約者にしか抗えないハロルドと全て受け入れてしまおうとしているユズリハは正反対で、騒いでいるのはハロルドだけ。
 受け入れてしまえば不安に駆られることもなくなるのに、和女というだけで受け入れられない。見目も生活様式も何もかもが違う異国の女を妻として受け入れることは不可能に近かった。

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