冬に出会って春に恋して

永江寧々

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約束のエスコート

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 明日は休み。休みの日の前日は必ず二人で話し合うことがある。

「明日は何をしましょうか?」

 二人で日本茶を飲みながら相談する明日の予定。いつもなら柊は「何したい?」と聞くのだが、この日は違った。

「明日の夜、ディナーに連れて行くから」

 唐突すぎる予定に椿は「は?」と声を漏らした。
 そしてディナー予約の二時間前──

「やっぱり着物のほうがよいのでは……」
「着物も悪くないけどそこまで高級な店じゃないから着物はやりすぎ感が出る」
「着物にやりすぎも何もないと思います」
「着物にだって格式あるだろ?」
「それはそうですが……」

 朝から買い物に出掛けて購入したディナーに着ていくためのドレス。何度も何度も試着を繰り返して決めたオフショルダーのマーメイドワンピース。オパール加工生地が気に入って購入を決めたのだが、朝から今まで椿はずっとこの調子。
 ドレスを着るのは初めてで、肌を出す服を着るのも初めて。下品ではないかと言うたびに「デザイナーに失礼だぞ」と言って黙らせている。
 姿見の前で鏡の中の自分と睨めっこを続けては「あー」「うー」「んー」と聞いたことがない獣の唸り声にも似た声を出し続ける様を柊は呑気に動画に撮っていた。

「何も高級フレンチに行こうってわけじゃないんだ。ちょっとしたレストランでのディナーってだけだから」
「服装の決まりがあるのに?」
「ホテル内にあるレストランだからそういう決まりを作ってるってだけだ」

 そういう問題ではないと訴える椿が鏡越しに眉を寄せる。

「旦那様に恥をかかせるわけにはいかないのです! 旦那様と出会うまでフォークなる物を見たこともなかったのです。それなのにいきなりあんな場所に行くだなんて……」

 ドレスを買いに行った際、マナー本を買ってほしいと言われ、夜まで熟読していた椿は一ページめくるごとに独り言を呟いては宙でナイフとフォークを使っていた。
 家で会席料理を食べた柊と違って椿は店に出向いて食べることになる。しかも自分の専門外の場所で。椿は朝から何も口にしておらず、ずっと水分補給だけで過ごしてきた。
 あれだけなんでも余裕めいた表情でこなす椿が今日初めて緊張で吐きそうになっているのを見た。苦笑よりも笑いが起こり、そのたびに怒られている。

「綺麗だって言ってるのになんで信じないんだよ」

 スマホの画面越しでも綺麗だとわかるのに何が心配なんだと柊にはさっぱりだった。
 肌の出ない服が良いと希望を受け、それらも幾つか試着してはみたが、今着ているドレスに勝る物はなかった。
 出ている肩と鎖骨を今日だけで何回触っているのか。見ているだけで面白い。

「なあ、旦那様が言ってることが信用できないってわけ?」
 
 ソファーに腰かけて動画撮影していた柊は組んでいた足を解いて溜息をつきながら立ち上がる。一歩二歩と歩み寄って椿を後ろから抱きしめ一緒に鏡を見た。
 
「そ、そういうことではなく……! このようなお召し物は着慣れていないものですから──」

 抱きしめられて背筋が伸びる椿の慌てっぷりに笑いながら鏡を指さす。

「完璧だって。なんなら大声で椿のこと自慢して歩こうか?」
「お、おやめください!」
「だったら堂々としてろ。マナー知らない奴よりおどおどしてる奴を連れて歩くほうが恥ずかしい」
 
 誰だって行き慣れた場所では堂々としていられる。料亭に行けばどんな高級な場所だろうと椿は美しい所作を見せるだろう。逆に柊のほうが緊張するはず。
 だが、今回は柊が行き慣れたレストランに行くため柊は気負っていない。椿の緊張はまだ家も出ていない今の時点で最高潮に達していた。
 
「今日のお前は出会ってから今までで一番綺麗だ。だから自信持て。胸を張れ」
「……はい」
 
 柊の強めの言葉に椿は今までできなかった深呼吸をして少し落ち着きを取り戻す。
 
「旦那様は今日も素敵でございます」
「当たり前だろ」
 
 振り向いた椿は柊のネクタイに手を添えて曲がっていないかを確認してから微笑んだ。その褒め言葉にありがとうは返さず、わかっていると言わんばかりの笑みを浮かべて椿の手を取った。
 
「お嬢様、心の準備は出来ましたか?」
「いいえ」
「よし、じゃあ行こう」
「聞く意味ありました!?」
 
 椿の慌てっぷりに柊は楽し気に声を上げながら手を引いて家を出た。向こうで酒を飲むため運転はせず、予約を頼んだハイヤーに乗ってレストランが入っているホテルに向かう。
 柊にとってドレスコードのあるレストランは特別な場所ではない。幼い頃から両親に連れられて行くレストランはいつだってドレスコードが必要で、レストランとはそういう場所であると思っていた。大人になってドレスコードがあるレストランは少し特別なのだと知ったときは衝撃的だった。それはきっと椿も同じで、外での食事といえば高級料亭だったのだろう。互いに和と洋のどちらかにしか触れてこなかったため場違いに感じて緊張する。それを教え合えることが柊は嬉しかった。
 
「ご機嫌でございますね」
「美女が隣にいるドライブは最高だと思ってね」
「光栄でございます」
 
 椿は柊の言葉をお世辞として受け取った。大人な柊に美人だと言われたところでお世辞以外の受け止め方はない。実際、部下の中園は同性の目から愛らしかった。そういう女性が身近にいる柊が自分のような子供を美女などと呼ぶわけがないと。女性を扱い慣れている柊からその言葉をもらえただけで充分に嬉しかった。
 車の中で手を繋ぐ。一度目を合わせて微笑んだあと、椿の顔は外の景色に向いた。クリスマスが近いため色鮮やかに飾られた街路樹や店舗。それら全てが煌びやかに流れては椿の目に焼きついていく。

「綺麗だろ?」
「ええ、とても」

 背中にのしかかるように体重を乗せてくる柊に笑いながら頷く。
 
「クリスマスイヴに歩く予定ですが、お付き合いいただけますか?」
「もちろんです」

 約束した場所に行く道中でまた新しい約束を交わす。毎日思い出作りの中にいる。互いにあり得なかったことが出会ったことで変わっていく。
 もうすぐクリスマスがやってくる。椿にとって聞いたことさえないイベント。柊にとっても生まれて初めて大きなイベントとなる予感がしていた。

「旦那様……」
「ほら」
 
 ホテルの上層階に位置する高級レストラン前で椿は二の足を踏んでいた。照明を控えめにした落ち着きのあるフロアを進んだ先に目的のレストランがある。入り口に近付けば中から上質なスーツに身を包んだ男が出てきて柊の顔を見るなり笑顔を見せるが、立花と言おうとした柊の足が進まなかった。立ち止まった椿が引っ張っている。手を離した椿に腕を持てと見せるもかぶりを振って拒否をする。
 
「往生際が悪いぞ」
「す、すみません。行きます」

 フーッと大きく息を吐き出して柊の腕を軽く持った椿と共に店内に入っていく。
 ディナータイムの店内は全体を照らすことはせず、歩くのに困難ではない程度の明かりと席にある明かりを重視しており、ギラギラに明るい場所よりも落ち着いて食事ができるようになっている。
 席自体が広く、他との感覚も大きく取ってあることから会話も気にならない。

「左側……」
 
 ボソッと呟いた椿は歩きながらずっと頭の中でマナー本に書いてあったことを思い出していた。
 席に案内されたら左側に立ってから座る。今日のために買ってもらったバッグは背もたれと腰の間に置く。
 ただ椅子に座るだけなのにこんなにも緊張することがあるのかとこれから襲いくる試練のようなディナータイムに戦々恐々としている。
  
「リラックスな」
「申し訳ございません」

 見てわかるほど緊張してしまっている自分を恥じながら頭を下げるも「やめろ」と言われてすぐに頭を戻す。

「今からは謝るのはなし。謝ったらペナルティー、罰だからな」
「ば、罰でございますか?」
「そう。罰。それもとびきりの」
「気を付けます」
 
 よし、とすぐに笑顔を見せてくれる柊に恥をかかせないことが最大のポイント。頭の中にはマナー本一冊丸々入っているのだから気をつければ失敗はないと気合いを入れる。 
 夜景がよく見える窓側の席。柊の家からでも美しい夜景が見えるが、場所が違えば景色も違い、その美しさに釘付けになる。
 その間に柊は自分の好きなワインとミネラルウォーターを注文していた。メニューを下げてもらったあと、柊はテーブルの上で頬杖をつく。
 
「旦那様、頬杖は……」
「いいんだよ。誰もそこまで見てないんだから」
「そう、でございますか?」
 
 頬杖をつくのはマナー違反といえばマナー違反だが、料理が来るまでならよしとすると自分勝手なルールを決めて椿を眺める。椿は柊のように振舞うことは出来ず、一体どうしていればいいのかわからず一度だけ顔を動かして他の客を見てみると誰もが静かに会話を楽しんでいるのが見えた。優雅で自然に様は自分がここで取りたい姿勢そのもの。所詮は付け焼き刃の真似事でしかないが、椿は着物を着ているときのように姿勢を整えて柊を見た。
 
「ナイフとフォークは一番端から使うのですよね?」
「正解」
「ナプキンで口を拭く時は内側を使う」
「正解」
「席を離れる場合は椅子の上にナプキンを置く」
「正解」
 
 料理が運ばれてくるまでの間にマナーを確認する。目の前に並ぶ和食ではありえない数のカトラリー。これを一回のコースで使い切ってしまうというのだから椿には考えられない世界。
 
「椅子、しんどくないか?」
「ふふっ、慣れましたよ」
 
 映画やドラマを見るときは床に座る椿も食事中は椅子に座って食べる。この一ヶ月ですっかり慣れた行為を心配する柊に思わず笑ってしまう。

「椅子よりも人の目が気になって怖いです」
「人目なんか気にせず料理を楽しめ。椿は元々の所作が美しいんだから何を使うかさえわかってれば大丈夫だ。和食も洋食もそんな変わらねぇよ」
「全然違うと思います」
「一緒一緒」
 
 和食は箸一本あれば全て食べてしまえる。匙が出てくる時もあるが、一食ずつ箸を変えたりはしない。最初から最後まで同じ箸を使うのに対しては洋食は使う物が多すぎる。気軽になんて考えられない。余計に緊張すると目を閉じて深呼吸をする椿を見ていた柊が頬杖を正して自分の前を開けた。
 
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