冬に出会って春に恋して

永江寧々

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約束のエスコート2

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「これがオー……」
「アミューズ。所謂お通し。オードブルはこれのあと」
「アミューズ」
 
 皿の上にはどんぐりサイズのプチシューと小さなスプーンが乗っている。スプーンの上には薄切りのサーモンと二粒のいくらとディルが散らされいる。見た事がない盛りつけに戸惑う椿はこのスプーンが器に見立てられているのか、そのまま使っていいのかわからず膝の上に手を置いたまま柊を見つめた。
 
「そのまま食べていい」
「いただきます」
 
 柊の言葉に頷くが、とりあえず柊が食べるのを見てからと決めたのは椿を見ていれば柊もわかったため先に食べて見せた。一口で食べきると真似して同じように椿も食べる。その様子が親の真似をする子供のようで口元が緩む。
 
「カルパッチョって言うんだ」
 
 アミューズが何か見て柊は安堵した。サーモンもいくらも椿は食べたことがある。食べ方が違うだけで未知の食材ではないため一品目から警戒心なくいけたはず。ただし、椿が美味しいと思わなければ意味がない。押し付けるつもりはないし、もし口に合わないのであればそれはそれで仕方ない。椿の素直な感想が欲しかった。
 
「美味しいです! お刺身がこういう食べ方が出来るとは知りませんでした」

 刺身はそのまま刺身か茶漬けにしてしか食べたことがないため新しい食べ方に驚愕する椿は会席料理を食べたときの椿と同じで次の料理が急に楽しみになった。

「そうか。よかった。まだまだ来るからな。苦手な物とか口に合わない物は無理して食べなくていい」
「全部ちゃんと食べます」
 
 柊に椿はかぶりを振る椿に少し身体を乗り出して「俺が残しにくくなるから」と小声で告げるとおかしそうに小さく笑う。
 アミューズが終わって次はオードブル。

「色彩が鮮やかですね」

 パテが塗られた一口サイズのパン、チーズ、プチトマトの中をくり抜いて中にみじん切りにされたパプリカや胡瓜など食感の良い野菜が詰められた物と皿の上を彩るソースがアートのように塗られている。

「えっと……」
「手で食べていいぞ」

 見本を見せれば真似をするその様をずっと見ていたくなる。マナー本通りにやればいいものを自信がない。笑うと焦るため笑いはしないが柊の顔は終始微笑みが止まらない。
 メインコースの始まりであるスープとパンもメインのポワソン。

「ナイフとフォークを持つ指に力を入れすぎずふんわりと持つ」

 生まれて初めて持つナイフとフォーク。スプーンは匙で慣れているが、カトラリーを両手で持って使って食べるのは初めて。
 カチャッと音を立てるのはマナー違反だと本に書いてあった。力を入れるからぶつかって音が鳴ってしまうのであってふんわりと持てばリラっクスした状態で使えると。
 メインを緊張した状態で食べる椿にあとで絶対感想を聞こうと思った。意地悪だとわかっているが今は緊張をほぐさせるために声をかけることはしない。味よりもマナーを気にする椿を動画に収めたい気分だった。

「これは口直しのソルベな」
「酢の物と同じですか?」
「同じ……んーまあ、そうかも?」
「このあとはご飯物ですか?」
「いや、肉」

 椿の顔が聞いている。「魚が出たのに肉も出るのか?」と。なんのためにここで口直しが出てくるのかがわからないと言いたげな椿に器を手で指して食べることを促す。
 スプーンを取ってシャーベットを一口食べる。サッパリとしたシャーベットが口の中をすっきりとさせてくれる。魚を食べた口でそのまま肉に進まないための口直し。
 会席料理も肉と魚の両方が出ることは珍しくないし、先日の会席料理では自分もメニューに肉を加えた。しかし、少量。しっかり出られるとまた緊張してしまうとまだ出てきていないのに既に緊張し始めていた。

「ヴィアンド」

 薄い肉が二枚、とかではない。魚料理のポワソン同様にしっかり一品として出てきた。

「サラドゥ」

 続いてサラダ。これもしっかりと一品。

「着物着てこなくてよかったって思ってないか?」
「思っています」

 苦笑が滲む椿の胃は満腹に近い。普段からそれほど食べるほうではないため量に驚いている。
 写真で見るのと実際に食べるのでは全く違う。
 一品一品が和食にはない色使いがあって、食感があって、違う風味がとても楽しい。
 品数としては会席料理とさほど変わりはないのに量が違う。

「立ったとき、お腹見ないでくださいね」
「楽しみにしてる」
「無視しないでください」

 胃が膨らんでいると思うのは初めてかもしれない。子供の頃でさえ満腹になるまで食べた記憶がない。
 満腹まで食べるなんて品のないことはするなと言われて育ってきた椿にとってこれだけ多く食べるのは初めての試み。
 ドレス越しに腹部を撫でながら柊の反応に笑う。

「まだまだ出るぞ」
「まだまだ?」

 目を見開いたまま小首を傾げる椿に笑顔で頷く。

「ゆっくり食べよう。急いで食べる必要ないから」
「はい」

 それからチーズのフロマージュ。甘いスイーツのアントルメ。果物のフリュイ。そして最後にカフェ・プティフール。
 
「甘い物がこんなにたくさん出るというのは不思議ですね」
「今までのがデザート、このプティフールは食後の珈琲と一緒に味わう締めって感じかな」

 柊のために珈琲を淹れるようになって椿も柊と一緒に珈琲を嗜む時間を作るようにしていたため今日出てきた珈琲がちゃんと味わえる。日本茶しか飲んでいなかったらこの珈琲を一緒に味わうことはできなかったと込み上げる喜びと共に一杯の珈琲を堪能する。

「お魚とお肉もしっかりとした物が出てきて驚きました」
 「驚かせられて何よりだ。魚と肉の味はどうだった?」

 穏やかに食事を味わうのも良いが、自分とは違う感情を持って味わうのも悪くない。でもその感情を持っているのは初心者の椿だけ。頬杖をついて意地悪な笑みを浮かべながら聞こうと思っていたことを問いかけた。
 ギクッとする椿のその反応だけでわかる。

「初めてってそんなもんだよな。味なんか覚えてない。俺も料亭で飯食ったときそうだった」
「すみません、せっかく連れてきていただいたのに」
「謝ったからペナルティな」 
「あ……」

 両手で口を押さえて首を振る椿に柊も同じように首を振る。

「ば、罰とは……?」
「店出るまでに考えとく」

 目を細めて意地悪な表情を見せる柊に対照的に眉を下げる。

「ありがとな」
「え?」
「お気に入りの店に椿を連れてこれただけで嬉しかったけど、一緒に味わえて更に嬉しくなった。食べ終わってこうしてゆっくり珈琲味わえてんのも嬉しい。今日は良い日だ。それも椿が嫌がらずについてきてくれたからだよ」
「そんな……」
 
 与えてくれる言葉で胸がいっぱいになる。贅沢すぎる日。涙が出そうになる。
 エスコートの約束をしてから椿はずっと今日を楽しみにしていた。いつ行くのだろうと気になってはいたが催促もできず心の中でいつかを楽しみにするばかり。それが現実となった今日、緊張もあれど嬉しさはそれ以上に強く、慣れたスマートさを披露する柊に何度見惚れたことか。

「私のほうこそ、こんな素敵な場所に連れてきてくださって心から感謝しております。美しい夜景も美味しい料理も全てが素晴らしいことに感動致しました」
「その素晴らしいに俺が入ってないけど?」
 
 意地の悪い言葉をかける柊のニヤついた顔。こういう顔をしているときの柊は慌てる椿が見たくてあえて意地の悪いことを言う。椿もそれはよくわかっている。だからニッコリ笑って少し手を伸ばし柊の手を握った。
 
「惚れ直してしまうほど素敵でした」
 
 惚れ直す。まるで既に惚れていたような言い方。それが意地悪に対する仕返しなのか、本心なのかわからない。本心だったら、と考えてしまう柊の表情が意地悪からわかりやすい悔しさを滲ませる。
 
「まあ、こんなイケメンでスマートな旦那ってなかなかいないよな」
「そうですね」
 
 たぶん〝イケメン〟も〝スマート〟もどういう意味か理解していないだろうに返事をする椿に笑ってしまう。
 他愛のない話をする幸せを柊も椿も互いに出会ってから初めて知った。家にいるときも外にいるときも同じ。二人でいるならどこでもいい。そう感じている。

「お嬢様、そろそろ行きますか?」
「はい」

 最後の一口を食べ終えてから暫く経った。これ以上の長居はマナー違反。

「お腹見ないでください」
「ぽっこりしてるお腹は見てないって」
「見てるじゃないですか」

 テーブルで支払いを済ませてから一緒に店を出る。声を控えめに怒る椿に笑いながらエレベーターの前で立ち止まった。

「で、罰を考えたんだけど」
「あ、はい……」

 楽しい雰囲気に水を差すような言葉に思わず身構える椿が柊が動かす指を目で追う。指は一階ではなく今いるフロアよりも上の階を指している。

「今日は家事禁止ってのはどうだ?」
「え?」
「家事が大好きな椿には効果的な罰だろ?」
「それが、罰……ですか?」

 何も罰ではない。家事は終わらせてきた。帰ってすることと言えば湯の準備ぐらい。だからする家事などないのにまるであるような言い方。何が言いたいのかわからない顔をする椿に下手くそと柊が自分を罵倒する。スマートじゃない。むしろカッコ悪い。

「今日はこのホテルに泊まりませんかってこと」

 セットした前髪を掻いて乱しながら率直に誘う柊に椿は「はい」と答えた。
 まさか即答されるとは思っていなかっただけに驚いた顔をする柊が椿の手を握る。

「マジ?」
「マジです」
「い、いいのか?」
「はい」

 何か怪しい。何かおかしい。椿が何も聞かずに答えるはずがないと戸惑ってしまう。
 別に泊まってどうこうしようとは微塵も思っていない。自分たちは恋人でも婚約者でもないため手を出そうという思いはこれっぽっちもない。ただ、せっかくだからこのまま日常に戻るのではなく非日常として宿泊を選択しようと思った。
 
「じゃあ……行こうか」
「はい」

 上に行くボタンを押してエレベーターを待つ。ここに来たときは椿のほうが緊張していたのに今は柊のほうが緊張している。悪いことをしに行くわけじゃない。何もしない。それは絶対に超えないラインとして存在している。
 それなのになぜ自分はこんなに緊張しているのか。

「お髪が乱れていますよ」

 伸びてきた手が乱れた前髪を撫で付ける。特別なことではないのにくすぐったくなる。
 チンッと鳴ってエレベーターのドアが開く。紳士らしくレディをエスコートするべきなのに握った手を離したくなくてそのまま引いて乗り込んだ。
 到着後に受け取った部屋のカードキー。落ち着かない心を隠すように部屋に着くまでの間、ポケットの中で触り続けていた。
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