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遊び人の悪友
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「椿、三日後の金曜日は飯いいわ」
「まだお痩せになるおつもりですか?」
体重は椿の食事調整のおかげでそれほど苦労なく痩せることができた。昔はたった二キロ。今はあと二キロ、この二キロと思う地獄を味わう中、椿が『戻りました』と言うのは一瞬で、十代の若さを思い知らされた二週間だった。
「違う違う。友人が飲もうって誘ってきたから飲んでくる」
「お招きしてはいかがですか?」
「絶対やだ。椿の酒のあては俺だけのモンだから他の奴には食わせない」
「ふふっ、特別な物ではありませんよ?」
「いーんだよ。外でパパッと飲んで帰ってくるから。家でダラダラ酒飲みたくねぇし、椿に絡むのも嫌だし、何より椿が気を遣い続けるだろ」
「私は別に構いませんよ」
「俺が嫌なの。だから金曜日は外で飯食うからよろしく」
本当は昨日連絡が入った。近くまで来たから飲まないかと。でも当日に椿の食事をキャンセルしたくはないため金曜日ならと返事をした。
酒には強い相手だから絡み酒になることはなくとも婚約者がいる話はしたくなかった。きっと勘ぐりを入れるに決まっている。奴の勘の鋭さに何度失敗したかわからない。だから外で飲むのが一番。何より、彼と話すと話の内容はどうしても下品なものとなり、椿に聞かせられない話ばかりなのだから。
「よお、柊! こっちだこっち!」
通い慣れたホテルラウンジ。先に入っていた友人が柊が入るなり大きな声と共に手招きをする。
会員制の場所であんな大きな声を出すのはアイツぐらいだと相変わらずさに苦笑しながら寄っていく。
座り慣れたボックス席。遊び回っていた時を思い出させるためだろう席選びに呆れつつも腰掛けた。
「悠二、二人で飲むって言っただろ」
「女の子いない人生なんざ退屈だっての。遊び人の名が泣くぞ」
「俺はもう卒業したんだよ」
「仕事が忙しいってだけだろ。それとも遊び回って男に目覚めたとか?」
悠二の冗談に同席していた女性従業員がクスクスと笑う。強い香水の匂い。久しく嗅いでいないせいか、少し前までは平気だったこれが今では左右からの集団暴力にさえ思える。
「悪いが、席外してくれ」
「おいおい、せっかく呼んだのにそりゃないだろ」
「二人で飲むってのが条件だったよな? 破っといてそりゃないってなんだよ」
「忙しいお前のために選りすぐりの美女に出勤頼んだってのに」
「俺が頼んでねんだよ」
眉を下げて唇を尖らせる友人とは普通にイタリアンでも食べて解散したかったが、彼は今も遊び人の名を捨ててはいないらしく、去っていく女性従業員を名残惜しそうに見ている。
「俺の厚意を無駄にすんのなんかお前ぐらいだぞ」
「余計なお世話っつーんだよ」
「なんだよ、結婚でもすんのか?」
「どうかな」
悠二がチラッと指を見た。まるで既婚者ではないかを確認する飢えた女のような行為。指輪を外しておいてよかったと安堵する。
「ミミちゃんが泣いてたぞ。お前から返信ないどころか既読にもならない。ブロックされたんだって」
「してねぇよ」
「じゃあ読んでやれよ」
「連絡先消したからムリ」
「は!?」
スマホの中には大勢の女性の名前が入っていた。名前の横にどこで出会った相手かを書いた連絡先は椿と出会ってから全部消した。どれだけ遊んでたんだと自分で自分に呆れてしまうほど登録していた彼女達が消える瞬間は自分でも驚くほど名残惜しくなかった。むしろスッキリしたぐらいだ。
だから誰かから連絡が来ていたとしても既読がつかないのは当然。
連絡先消去を当たり前のように言い放った柊に化け物でも見るかのような視線を向ける悠二。それに肩を竦めて返す柊に悪びれた様子はない。
「お前が女の連絡先消した!? お前が!?」
「そうだよ」
「スマホ貸せ!」
「なんも入ってねぇぞ」
「いいから貸せって!」
出されたスマホを奪い取るように手にした悠二は連絡先を交換していたアプリを開いて慌てて確認するも自分が知る共通の女の子の名前は一人もいなかった。
「お前マジかよ……」
「マジだっての」
「おま……だって、お前……マジ!?」
「そんな驚くほどのことでもないだろ」
「女の子の連絡先消してどうやって遊ぶんだよ! その歳でナンパか!?」
三十二歳。胸を張って若いと世の中にアピールできる年齢は過ぎている。社会に出て十年以上経っているのだから落ち着いた大人と認識される。
若気の至りで終わらせられない年齢に達した以上は一夜限りの遊びを終わりにするのもおかしな話ではないはずなのに、悠二はまだまだ卒業するつもりはないらしく、柊の決断に肩を落とした。
「マジで結婚するからじゃねぇよな?」
この歳になれば家庭を持っている人間も多い。遊びは二十代で済ませ、三十代は家庭持ちになる。家庭を持っている方が出世もしやすい。だからさっさと結婚して出世街道をひた走る者も少なくはない。実際、柊の周りにもそう言って結婚した者が数名。きっと悠二の周りにもいたのだろう。でも柊だけは違うと信じたかった。悪友と呼べるほどの相手はそうはいない。だから必死に問うも柊は肩を竦めるだけ。
「そろそろ結婚しねぇとエリートコースから外れるぞ」
「うちは実力主義なんだよ。結婚してようとしてまいと実力があれば上にいける。あの会社とは違う」
柊が従事している会社だ。
数年前まで悠二もあの会社で同期として働いていたが、顧客第一で会社の利益を二の次に考える性格だったため上司とぶつかり続けて辞めていった。
忌々しいとでも言いたげに舌打ちをする悠二の肩を叩いてスマホを返してもらおうと手を伸ばすもサッと離される。
「おい」
「さすがに写真までは決してないだろ? 一夜限りばっかだし、写真は思い出に──」
「やめろ! 勝手に見るんじゃねぇ! 返せ!」
「なんだよ。焦るってことはやっぱ遊んでんじゃねぇの? 俺に見せられねぇもんなんかないだろ? 俺らの仲なわけで──……」
柊よりも十センチも背丈があり、それに見劣りしないだけの肩幅や筋肉。腕の長さで勝負すれば確実に負ける相手からスマホを取り返そうと必死になるも肩を掴まれて届かない。
写真を見られるのはマズイ。椿の写真が山のように入っている。それもほとんどが隠し撮り。中にはちゃんとカメラ目線の物もあるが、大体は恥ずかしがって撮らせてくれない。だから柊はいつもこっそり写真を撮っている。
悠二に見せたところで椿が誰かなど知らないだろうが、見せたくなかった。万が一にでもターゲットにされては困るから。
「返せって言ってんだろ!」
一瞬固まった悠二の手から勢いよく奪い返して怒鳴りつけるもいつものようにヘラッとした笑いもからかいも返ってこない。むしろどこか神妙にさえ見える表情を柊に向けた。
「……その子……」
「んだよ。親戚の──」
「皇椿だろ」
「ッ!?」
一瞬、心臓が止まったように感じた。
親戚の子で通そうとした柊の嘘を遮った悠二の言葉は問いかけではなかった。なぜ知っている。なぜ顔を見ただけで名前がわかる。なぜ顔を知っている。なぜ名前を知っている。
椿が外に出られるのは外食する時だけ。もちろん家から店まで車で行き、食事が終わればどこかへ立ち寄ることなく家に帰る。外を自分の意思で歩き回ったのは家出をしたのが初めてだったはず。悠二と知り合いであるはずがない。でも悠二は言い当てた。迷うことなく。
「しかもこれ、お前の家で撮ったもんだろ」
答えられない。悠二は警察官でもなければ探偵でもない。正直に話したところで問題はないのだろうが、誰が誰とどこで繋がっているかわからない世の中だ。いくら親友といえど頷くことはできなかった。
だが、いくら口を閉じても動揺が目に感情を乗せて表れている。目は口ほどに物を言う。悠二は口癖のようにまた「マジか……」と言葉を漏らして頭を抱えた。
「どうやって知り合ったかは知らねぇが、皇家と関わるのはやめとけ。この子は皇家の次期当主だ。許されねぇぞ」
「……なんでお前が彼女の顔と名前を知ってんだ……」
声が震えないようにしたせいで声量が抑えられてしまった。クラブと違って大きな音もない場所だ。小さな声でも悠二にはハッキリ聞こえた。
あの立花柊がこれほど動揺を見せたことは一度もない。いつだって自信家で、いつだって余裕ある男だった。だから疑ってしまう。目の前にいるのは本当に自分が知る立花柊なのかと。それぐらい強い動揺を見せている。
「会ったことはねぇが、仕事柄、知る機会があった」
「どんな機会だよ……」
ホテルなどのインテリアプロデュースの会社に移った人間がどうやって皇家のことを知る機会があったというのか。
「なあ、悪いことは言わねぇからマジで手ぇ引け。お前の人生はイージーモードなんだろ? わざわざインフェルノモードに突入する必要ねぇじゃねぇか」
返事をしない柊に何度か説得を試みたが、それでも返事はなかった。
追い払った女性従業員を呼び、柊の好きな酒を注文して二十代に戻ったように飲み続けた。
「帰ったぞ~」
「旦那様!?」
柊が家に帰ったのは午前二時頃。眠ろうにも眠れなかった椿は玄関が開く音と共に立ち上がり、明らかにいつもと違う声に慌てて玄関まで駆けつけると大神に支えられながら立つ柊の姿に驚いた。
顔は赤く、襟元は開いて乱れ、完全な酔っ払いと化している。
「な、何があったのですか?」
「わかりませんが、ホールで声が聞こえたので駆けつけると既にこの状態でした」
「茶漬け食べる」
「こんな状態で食事なんて無茶ですよ。食べてながら寝ますって」
「椿の茶漬け食ったことねぇからそんなこと言えんだよ。あれ食えば目ぇ覚めんだぞ」
「わかりましたからもう寝ましょう。寝室運んでも大丈夫ですか?」
「お願いします」
寝室に運ばれ、ベッドに横になった柊が眠りにつくまであっという間だった。寝かせる直前にスーツだけと脱がせておいたため朝まで寝かせることにした。
大神に再度謝罪をして玄関まで見送った後、もう一度寝室に戻ってベッドに腰掛けた。
「旦那様」
静かに声をかけるも起きる気配はない。
「楽しかったですか?」
こんなに酔っ払うほど楽しく酒が飲めたということに安堵しながらも椿は胸に苦しさを覚えていた。
スーツを脱がす際に感じた香水の香り。鎖骨に見える女性が押し当てたであろう赤い口紅の跡。そして、あるはずなのにない指輪。
そんなことはなんでもないこと。彼が楽しめたのならそれでいいじゃないか。そう思うのに複雑な感情が込み上げる。
指輪に触れて、第二関節まで抜くも元に戻した。ギュッと指を握って目を閉じて静かに息を吐き出す。
「おやすみなさい」
きっと朝まで起きることはないだろう。
明日、目が覚めたら彼は開口一番何を話すだろう。香水のことか、口紅のことか、それとも指輪か。どれでもいい。どの理由も聞きたくない。苦笑さえ浮かばないほど乱れる感情。これはたぶん嫉妬。
自分が十七歳でなければ相手はもっと触れてくれたのではないだろうか。
でも、十七歳でなければきっとここにはいなかった。
どうしたって変えられない現実への直面にどうしようもない感情を抱えながら部屋に戻っていった。
「まだお痩せになるおつもりですか?」
体重は椿の食事調整のおかげでそれほど苦労なく痩せることができた。昔はたった二キロ。今はあと二キロ、この二キロと思う地獄を味わう中、椿が『戻りました』と言うのは一瞬で、十代の若さを思い知らされた二週間だった。
「違う違う。友人が飲もうって誘ってきたから飲んでくる」
「お招きしてはいかがですか?」
「絶対やだ。椿の酒のあては俺だけのモンだから他の奴には食わせない」
「ふふっ、特別な物ではありませんよ?」
「いーんだよ。外でパパッと飲んで帰ってくるから。家でダラダラ酒飲みたくねぇし、椿に絡むのも嫌だし、何より椿が気を遣い続けるだろ」
「私は別に構いませんよ」
「俺が嫌なの。だから金曜日は外で飯食うからよろしく」
本当は昨日連絡が入った。近くまで来たから飲まないかと。でも当日に椿の食事をキャンセルしたくはないため金曜日ならと返事をした。
酒には強い相手だから絡み酒になることはなくとも婚約者がいる話はしたくなかった。きっと勘ぐりを入れるに決まっている。奴の勘の鋭さに何度失敗したかわからない。だから外で飲むのが一番。何より、彼と話すと話の内容はどうしても下品なものとなり、椿に聞かせられない話ばかりなのだから。
「よお、柊! こっちだこっち!」
通い慣れたホテルラウンジ。先に入っていた友人が柊が入るなり大きな声と共に手招きをする。
会員制の場所であんな大きな声を出すのはアイツぐらいだと相変わらずさに苦笑しながら寄っていく。
座り慣れたボックス席。遊び回っていた時を思い出させるためだろう席選びに呆れつつも腰掛けた。
「悠二、二人で飲むって言っただろ」
「女の子いない人生なんざ退屈だっての。遊び人の名が泣くぞ」
「俺はもう卒業したんだよ」
「仕事が忙しいってだけだろ。それとも遊び回って男に目覚めたとか?」
悠二の冗談に同席していた女性従業員がクスクスと笑う。強い香水の匂い。久しく嗅いでいないせいか、少し前までは平気だったこれが今では左右からの集団暴力にさえ思える。
「悪いが、席外してくれ」
「おいおい、せっかく呼んだのにそりゃないだろ」
「二人で飲むってのが条件だったよな? 破っといてそりゃないってなんだよ」
「忙しいお前のために選りすぐりの美女に出勤頼んだってのに」
「俺が頼んでねんだよ」
眉を下げて唇を尖らせる友人とは普通にイタリアンでも食べて解散したかったが、彼は今も遊び人の名を捨ててはいないらしく、去っていく女性従業員を名残惜しそうに見ている。
「俺の厚意を無駄にすんのなんかお前ぐらいだぞ」
「余計なお世話っつーんだよ」
「なんだよ、結婚でもすんのか?」
「どうかな」
悠二がチラッと指を見た。まるで既婚者ではないかを確認する飢えた女のような行為。指輪を外しておいてよかったと安堵する。
「ミミちゃんが泣いてたぞ。お前から返信ないどころか既読にもならない。ブロックされたんだって」
「してねぇよ」
「じゃあ読んでやれよ」
「連絡先消したからムリ」
「は!?」
スマホの中には大勢の女性の名前が入っていた。名前の横にどこで出会った相手かを書いた連絡先は椿と出会ってから全部消した。どれだけ遊んでたんだと自分で自分に呆れてしまうほど登録していた彼女達が消える瞬間は自分でも驚くほど名残惜しくなかった。むしろスッキリしたぐらいだ。
だから誰かから連絡が来ていたとしても既読がつかないのは当然。
連絡先消去を当たり前のように言い放った柊に化け物でも見るかのような視線を向ける悠二。それに肩を竦めて返す柊に悪びれた様子はない。
「お前が女の連絡先消した!? お前が!?」
「そうだよ」
「スマホ貸せ!」
「なんも入ってねぇぞ」
「いいから貸せって!」
出されたスマホを奪い取るように手にした悠二は連絡先を交換していたアプリを開いて慌てて確認するも自分が知る共通の女の子の名前は一人もいなかった。
「お前マジかよ……」
「マジだっての」
「おま……だって、お前……マジ!?」
「そんな驚くほどのことでもないだろ」
「女の子の連絡先消してどうやって遊ぶんだよ! その歳でナンパか!?」
三十二歳。胸を張って若いと世の中にアピールできる年齢は過ぎている。社会に出て十年以上経っているのだから落ち着いた大人と認識される。
若気の至りで終わらせられない年齢に達した以上は一夜限りの遊びを終わりにするのもおかしな話ではないはずなのに、悠二はまだまだ卒業するつもりはないらしく、柊の決断に肩を落とした。
「マジで結婚するからじゃねぇよな?」
この歳になれば家庭を持っている人間も多い。遊びは二十代で済ませ、三十代は家庭持ちになる。家庭を持っている方が出世もしやすい。だからさっさと結婚して出世街道をひた走る者も少なくはない。実際、柊の周りにもそう言って結婚した者が数名。きっと悠二の周りにもいたのだろう。でも柊だけは違うと信じたかった。悪友と呼べるほどの相手はそうはいない。だから必死に問うも柊は肩を竦めるだけ。
「そろそろ結婚しねぇとエリートコースから外れるぞ」
「うちは実力主義なんだよ。結婚してようとしてまいと実力があれば上にいける。あの会社とは違う」
柊が従事している会社だ。
数年前まで悠二もあの会社で同期として働いていたが、顧客第一で会社の利益を二の次に考える性格だったため上司とぶつかり続けて辞めていった。
忌々しいとでも言いたげに舌打ちをする悠二の肩を叩いてスマホを返してもらおうと手を伸ばすもサッと離される。
「おい」
「さすがに写真までは決してないだろ? 一夜限りばっかだし、写真は思い出に──」
「やめろ! 勝手に見るんじゃねぇ! 返せ!」
「なんだよ。焦るってことはやっぱ遊んでんじゃねぇの? 俺に見せられねぇもんなんかないだろ? 俺らの仲なわけで──……」
柊よりも十センチも背丈があり、それに見劣りしないだけの肩幅や筋肉。腕の長さで勝負すれば確実に負ける相手からスマホを取り返そうと必死になるも肩を掴まれて届かない。
写真を見られるのはマズイ。椿の写真が山のように入っている。それもほとんどが隠し撮り。中にはちゃんとカメラ目線の物もあるが、大体は恥ずかしがって撮らせてくれない。だから柊はいつもこっそり写真を撮っている。
悠二に見せたところで椿が誰かなど知らないだろうが、見せたくなかった。万が一にでもターゲットにされては困るから。
「返せって言ってんだろ!」
一瞬固まった悠二の手から勢いよく奪い返して怒鳴りつけるもいつものようにヘラッとした笑いもからかいも返ってこない。むしろどこか神妙にさえ見える表情を柊に向けた。
「……その子……」
「んだよ。親戚の──」
「皇椿だろ」
「ッ!?」
一瞬、心臓が止まったように感じた。
親戚の子で通そうとした柊の嘘を遮った悠二の言葉は問いかけではなかった。なぜ知っている。なぜ顔を見ただけで名前がわかる。なぜ顔を知っている。なぜ名前を知っている。
椿が外に出られるのは外食する時だけ。もちろん家から店まで車で行き、食事が終わればどこかへ立ち寄ることなく家に帰る。外を自分の意思で歩き回ったのは家出をしたのが初めてだったはず。悠二と知り合いであるはずがない。でも悠二は言い当てた。迷うことなく。
「しかもこれ、お前の家で撮ったもんだろ」
答えられない。悠二は警察官でもなければ探偵でもない。正直に話したところで問題はないのだろうが、誰が誰とどこで繋がっているかわからない世の中だ。いくら親友といえど頷くことはできなかった。
だが、いくら口を閉じても動揺が目に感情を乗せて表れている。目は口ほどに物を言う。悠二は口癖のようにまた「マジか……」と言葉を漏らして頭を抱えた。
「どうやって知り合ったかは知らねぇが、皇家と関わるのはやめとけ。この子は皇家の次期当主だ。許されねぇぞ」
「……なんでお前が彼女の顔と名前を知ってんだ……」
声が震えないようにしたせいで声量が抑えられてしまった。クラブと違って大きな音もない場所だ。小さな声でも悠二にはハッキリ聞こえた。
あの立花柊がこれほど動揺を見せたことは一度もない。いつだって自信家で、いつだって余裕ある男だった。だから疑ってしまう。目の前にいるのは本当に自分が知る立花柊なのかと。それぐらい強い動揺を見せている。
「会ったことはねぇが、仕事柄、知る機会があった」
「どんな機会だよ……」
ホテルなどのインテリアプロデュースの会社に移った人間がどうやって皇家のことを知る機会があったというのか。
「なあ、悪いことは言わねぇからマジで手ぇ引け。お前の人生はイージーモードなんだろ? わざわざインフェルノモードに突入する必要ねぇじゃねぇか」
返事をしない柊に何度か説得を試みたが、それでも返事はなかった。
追い払った女性従業員を呼び、柊の好きな酒を注文して二十代に戻ったように飲み続けた。
「帰ったぞ~」
「旦那様!?」
柊が家に帰ったのは午前二時頃。眠ろうにも眠れなかった椿は玄関が開く音と共に立ち上がり、明らかにいつもと違う声に慌てて玄関まで駆けつけると大神に支えられながら立つ柊の姿に驚いた。
顔は赤く、襟元は開いて乱れ、完全な酔っ払いと化している。
「な、何があったのですか?」
「わかりませんが、ホールで声が聞こえたので駆けつけると既にこの状態でした」
「茶漬け食べる」
「こんな状態で食事なんて無茶ですよ。食べてながら寝ますって」
「椿の茶漬け食ったことねぇからそんなこと言えんだよ。あれ食えば目ぇ覚めんだぞ」
「わかりましたからもう寝ましょう。寝室運んでも大丈夫ですか?」
「お願いします」
寝室に運ばれ、ベッドに横になった柊が眠りにつくまであっという間だった。寝かせる直前にスーツだけと脱がせておいたため朝まで寝かせることにした。
大神に再度謝罪をして玄関まで見送った後、もう一度寝室に戻ってベッドに腰掛けた。
「旦那様」
静かに声をかけるも起きる気配はない。
「楽しかったですか?」
こんなに酔っ払うほど楽しく酒が飲めたということに安堵しながらも椿は胸に苦しさを覚えていた。
スーツを脱がす際に感じた香水の香り。鎖骨に見える女性が押し当てたであろう赤い口紅の跡。そして、あるはずなのにない指輪。
そんなことはなんでもないこと。彼が楽しめたのならそれでいいじゃないか。そう思うのに複雑な感情が込み上げる。
指輪に触れて、第二関節まで抜くも元に戻した。ギュッと指を握って目を閉じて静かに息を吐き出す。
「おやすみなさい」
きっと朝まで起きることはないだろう。
明日、目が覚めたら彼は開口一番何を話すだろう。香水のことか、口紅のことか、それとも指輪か。どれでもいい。どの理由も聞きたくない。苦笑さえ浮かばないほど乱れる感情。これはたぶん嫉妬。
自分が十七歳でなければ相手はもっと触れてくれたのではないだろうか。
でも、十七歳でなければきっとここにはいなかった。
どうしたって変えられない現実への直面にどうしようもない感情を抱えながら部屋に戻っていった。
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