見捨てられ妻なので離縁を決意したら溺愛生活に突入しました!

屋月 トム伽

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1巻

1-2

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 フィルベルド様ではない。夫に再会できない悲しさで、ポツリとつぶやいた。そうして、馬車へと向かった。
 馬車に乗って悲しい気持ちで帰ると、夫の用意した屋敷はいつも通りの静けさだ。妻と思われてない私が住んでいいのかどうかわからない。使用人もいない、私一人しかいない広くて冷たい屋敷は寂しいものだった。

(フィルベルド様にやっと会えると思ったのに……)

 離縁するか、白い結婚を続けるかと迷っていた。
 フィルベルド様に再会しても恥ずかしくないように、頑張ってドレスを着て行った。少しでも、地味な私が綺麗きれいに見えるようにと……だけど、フィルベルド様は私に会いに来なかった。
 顔を合わせることもない白い結婚。


 誰もいない冷たい屋敷を見渡せば、これ以上フィルベルド様を頼って独りぼっちの結婚を続けようとは思えなかった。
 自分の部屋に戻るなり、光沢のある靴を脱いだ。ドレスを脱ぎ捨ててソファに雑にかけた。
 下着姿のまま大きなトランクを衣装部屋から出して、普段着と日用品を詰める。最後に、机の引き出しから封筒に入った離縁状をバッグに入れた。
 いつものワンピースに着替え、ブーツを履く。

「もうここには帰らないわ……」

 トランクを持って、誰もいない屋敷に告げた。そうして、私は玄関の扉を開けて静かに夫の用意した屋敷を去った。


   ◆◆◆


「殿下……」
「フィルベルド。すまない……」

 第二王子であるアスラン殿下が、ソファにぐったりともたれたまま力なく言った。
 フィルベルド・アクスウィス次期公爵である自分は第二騎士団の団長を務めていた。
 第二騎士団は殿下の警護に当たる騎士団で、アスラン殿下に付いている。
 その彼が、六年前にひそかに毒を盛られた。一命はとりとめたが、暗殺を警戒して一時的に城から出すことが決まり、第二騎士団が彼を連れて隣国ゼノンリード王国へと行くことになった。
 表向きは外交と留学のため。真相は、第二騎士団がアスラン殿下をヴェレス王国から逃がしたのだ。
 そうしてアスラン殿下は、自身の母君の故郷であるゼノンリード王国にしばらく身を寄せることとなり、六年という月日がった。
 六年ぶりの帰国。ディアナに会えるのを心待ちにしていたのに、帰還が遅くなってしまったせいで彼女との再会も遅れていた。
 アスラン殿下は、自分が妻のディアナを連れていつまでも挨拶に来ないから、いまだに彼女を探していたと思ったらしく申し訳ないと謝っていた。

「アスラン殿下。今日はどうぞこのままお下がりください」
「妻には会えなかったのか?」
「見つけましたが、心配なんです」

 ディアナはあんなところで自殺をしようとしていた。何が彼女をそこまで追い詰めたのか。もしかしたら、俺がずっと放置していたからかもしれないと思うと、胸が痛んだ。
 これ以上、彼女と離れて暮らすことなど考えられない。

「ルトガー。アスラン殿下をこのまま城の部屋にお連れしろ。俺が数分だけ挨拶に回って、そのまま疲れたとでも言って下がる。さいわい、今日はゼノンリード王国から帰ったばかりだ。不自然ではない」

 先ほど迎えに来た副団長のルトガーに指示を出す。

「すまない。俺が不甲斐ふがいないばかりに……」
「アスラン殿下のせいではありません」

 ルトガーにアスラン殿下を任せて、あとは殿下の代わりに挨拶を済ますだけ。とにかく、早くディアナのもとに戻りたかった。
 そうして、アスラン殿下の代わりに夜会を回り、すぐにディアナを待たせていた控え室に戻った。だけど、そこには彼女の姿はなく、置き手紙を読んで呆然ぼうぜんとした。

「団長!! 大変です!!」

 荒々しく扉が開き、ルトガーが血相を変えて飛び込んで来た。殿下に何かあったのかもしれない。が、自分はそれどころではなかった。

「ルトガー!! 大変だ!! ディアナがいなくなった!! すぐに捜してくれ!! さっきの可愛かわいい女性だ!!」
「その奥様のことです!」
「まさか、誰かに誘われたのか!? あんなに綺麗きれいになっていたから……!」
「違います!!」

 ルトガーが力いっぱい否定する。

「屋敷が……団長のアクスウィスの屋敷が火事です!!」
「……っ!? ディアナは!! ディアナはどこだ!! まさか、帰ったのか!?」

 衝撃の報告に控え室を飛び出した。厩舎きゅうしゃへ行くなり馬に乗ると、一目散に屋敷へと駆けていた。


   ◇◇◇


 王都のアクスウィスの屋敷を出て一晩ち、朝から街を歩いていた。
 朝の気持ちいい風を感じながら歩いていると、何かを捜索しているような騎士たちの姿があちこちで目についた。

(何かあったのかしら?)

 そういえば、フィルベルド様も騎士だった。この六年間一度も帰って来なかったことを思い出して、少しだけため息が出た。

(いや、もうフィルベルド様のことは忘れよう)

 美味おいしそうなパンの匂いに気づいて騎士たちから視線をらすと、喫茶店が目についた。いい匂いにつられて入ると、店内には人がたくさんいた。
 ゆっくりお茶を飲みたくて外を見ると、テラスは少しだけ寒いせいか人がいない。

(今は、一人になりたいからテラスでいいわね)

 美味おいしそうなパンとお茶を頼んでから、テラス席に座った。
 テーブルに肘をついて街行く人を見ていると、騎士たちが聞き込みをしている。

(やっぱり、捜索かしら? 何か事件でもあったのね)

 会話の内容は聞こえなくて、ボーっと騎士たちの様子を見ながらお茶が来るのをただ待っていると、テラス席に誰かがやって来る気配がした。

「……ディアナ」
「はい」

 名前を呼ばれて振り向くと、夜会で私に自殺未遂の疑いをかけた男性がいる。なぜここで再会するのかわからない私に、彼が近づいてきてひざまずいた。金髪がまぶしく光っている。
 やっと会えたと感無量な様子の彼を見て、私は突然の出来事に戸惑った。

「良かった……無事だったんだな。捜したんだ」
「さ、捜す? と、とりあえず立っていただけませんか?」

 男性の背後には幾人もの騎士たちがついてきていた。テラス席のせいで、街行く人たちが端整な顔の彼に振り向いている。

(視線が、周りの視線が痛い!)

 まるで物語の王子様のように、お姫様とは言い難い地味な私の手を彼が取った。いつの間にか私たちの席は大勢の騎士たちに囲まれている。
 困惑しかない私を、金髪の男性がいとおしそうに、それでいて心配げに見上げた。

「一晩中君を捜していたんだ。ディアナに何かあれば……」
「ど、どうなさったのです? 私は今から朝食をいただこうとしていただけですけど……」
「朝食?」

 目の前の男性がひざまずいたままでフムと考え込んだ。悩む顔まで整っていて、私は意味不明な冷や汗が出た。

「……昨夜はどこにいたんだ?」
「友人の家を借りていますので、そちらに……とりあえず、立っていただけませんか?」

 今にも上ずりそうな声を抑えて男性にお願いすると、彼はこの世の終わりかのような形相で何とか立ち上がってくれた。
 だけど、私には理由がわからず困惑してしまう。そんな戸惑う私の隣に彼が座った。
 この状況にいたたまれない。会話もない。ほぼ初対面の騎士様と何を話せばいいというのか。
 困り果てて、何気なくお茶を勧めてみた。

「あの……良ければお茶でも……」
うれしいよ。君と一緒に朝食をれるなんて夢のようだ」
「そ、そうですか……」

 私にはまぶしいくらいの整った顔でじーんと感無量につぶやく男性を見ると、この人は一体何を言っているのだろうかと思う。私が疑問に思っている間にも、彼の行動は早かった。
 すでに、そばにいた茶髪の騎士に上官らしい態度でお茶を頼んでいる。その間に私の頼んだお茶とパンがやって来た。
 ウェイトレスは騎士たちの間を緊張しながらくぐり抜け、すみませんと、こちらが言いたくなるぐらい恐縮しながらサーブしてくれた。
 ダリオール型で焼いたパンに巣ごもり卵を乗せたものと温かいお茶を置くと、ウェイトレスは無言でお辞儀をして逃げるようにテラス席を去っていった。一刻も早く逃げたかったのがわかる。私も逃げたいから。彼は、私のパンとお茶を見ている。

「……ディアナ。朝食と言ってなかったか?」

 私の朝食を見て、彼が驚いた。

「無駄遣いはできませんので……」
「ディアナ、何を言っているんだ? ルトガー、メニューを持って来させてくれ」
「はい」

 まさか、一緒に朝食をるんだろうか。この騎士たちに囲まれている中で?
 い、嫌すぎる。しかも、彼は仕事中なのではないだろうか。

「あの……朝食でしたら、先にこれを食べますか? お仕事中ですよね? 早くお戻りになった方が良いですよね?」

 早くどこかに行ってほしいと願い、自分が頼んだパンとお茶を差し出すと、彼は噛み締めるように感激した。何を考えているのか本当にわからない。男性の反応は私とは真逆だ。

「やはり俺が思った通りの女性だ。優しくて思いやりがある」
「なんの話ですか?」

 先に朝食を食べてもらおうとしただけで、そんなセリフが出てくるとは……誰かこれを説明してほしい。騎士たちをちらりと見ると、騎士たちは摩訶不思議まかふしぎなものを見るように目が点になっている。こっちも困惑しているのがわかる。

「ディアナにずっと会いたかった……何度この手に触れることを望んだだろうか……」
「ひゃっ……」

 そっと手を取られて熱っぽい眼差まなざしを向けられると、いきなりのことに心臓が跳ねた。

「ダメですよ!! 私には夫がっ……」

 白い結婚とはいえ、不貞をする気なんかない。手を離そうと慌てると、騎士は真剣な眼差まなざしで握りしめた手に力を入れた。

「俺がわからないのか? ディアナ……俺がフィルベルド・アクスウィスだ」
「………………は?」

 突然の告白に息が止まる。変な声が出ている自覚もないくらい思考が止まった。

「ディアナ。どうして昨夜は突然いなくなったんだ? それに、自殺なんかしようとして……何が君を悩ませているんだ? 君のためなら、邪魔なものは全て排除しよう」

 わけのわからないことを言いながら、フィルベルド様が色っぽく私の手を唇に引き寄せていとおしそうに触れる。

(排除って一体何を排除する気なのですか……そんなことよりも!!)
「あなたが……フィ、フィルベルド様!? そんなはずは……!?」
「俺が、君の夫のフィルベルドだ」

 似ているとは思った。金髪碧眼へきがんに鋭い瞳。整った顔。確かに昨夜、フィルベルド様と姿が重なりかけたけど……

「昨夜は、奥様と寄り添っていたじゃないですか!?」
「なんの話だ? 妻はディアナだけだ」
「だって……夜会で……」

 女性と寄り添っていたのをしっかりとこの目で見た。だから、似ていたけど夫のフィルベルド様じゃないと思った。絶対に見間違えじゃなかった。
 夜会でのフィルベルド様を思い出している間にも、彼は慌てることなく淡々と私の朝食を頼んでいる。

「ディアナ。食事はすぐに来る。一緒に食べよう」
「この中で、ですか!?」

 周りには騎士たちが整列しており、まるで要人のような朝食に戸惑う。まわりからの視線が気にならないのか、フィルベルド様は私をずっと見つめている。
 卵が乗ったパンだけを食べようとしていたのに、あっという間にフィルベルド様が私のために頼んだシードケーキがやってきた。
 手を握られたままで美味おいしそうなシードケーキを見ると、フィルベルド様は笑みをこぼして私の手をやっと離してくれた。

「パンが一つじゃ足りないだろう。お茶も飲んでくれ」
「あ、ありがとうございます」

 今しがた判明したばかりの夫からの優しさに戸惑う。お茶を飲みながら、ちらりと目線を上げると、フィルベルド様はうれしそうにお茶を飲んでいる。
 ……私の隣で優しく微笑ほほえむこの金髪碧眼へきがんの男前は一体誰だろうか?
 なぜ、私は騎士たちに見守られながら朝食をっているんだろうか?
 仕草もスマートで、お茶を飲む姿さえ絵になるこの男性が本当に夫なのだろうか?
 フィルベルド様は、確かに見目麗しい方だった。でも、こんな素敵な笑顔は見たことがない。
 私の記憶は一体どうなっているんだろうか……わからない。
 すると、フィルベルド様が急に私に振り向いた。彼に見られると、緊張のせいでどきりとしてしまう。

「お茶は甘いものが好きなのか? 他には何が好きなんだ?」
「お茶は、なんでも好きですけど……どうして私を捜していたんですか? 私が、フィルベルド様に気づかなかったからですか?」

 それなら、申し訳ないけど。十四歳で一度だけ、しかも短い時間お会いしただけで、顔がおぼろげだったのだからどうか許してほしい。
 すると、フィルベルド様がカップを静かに置いて神妙な面持ちで話し始めた。

「ディアナ。実は、昨夜俺たちの屋敷が全焼したんだ。夜会に君の姿もないし、自殺をしたのかと思ったが、遺体が一つも見つからなかったから、もしやさらわれたのかと思い騎士団で捜索していたのだ。見つかって本当に良かった。ディアナがいなくて生きた心地がしなかった」

 フィルベルド様の衝撃の発言に、私は目がぎょっと見開いて声が上ずった。

「…………ぜ、ぜぜ、全焼!? なんで!?」

 昨夜はフィルベルド様に会えなかったから、離縁を決意して屋敷を出た。

「ど、どうして全焼に? 火の気はなかったはずです!」

 私は、夜会から帰ってすぐに着替えて屋敷を出たから暖炉一つつけていない。お湯だって沸かしてないのだ。
 自然に火がつくなんて有り得ない。まさかの放火の二文字が脳裏をかすめる。
 そう思うと怖くなる。あの屋敷にいれば助かったかどうかもわからない。思わず動揺して、カップを持ったままの手が震えた。

「ディアナ。怖がらせるつもりはない。君のことは必ず守ろう」

 私の動揺に気づいたフィルベルド様が、私の手を包み込んだ。その手は優しくて温かい。

「……フィルベルド様。私、なんとおびすればいいのか……」

 離縁しようとは思っているけど、屋敷を守れなかったのは私のせいで彼に申し訳なくなる。

「ディアナ、震えている。すぐに休もう! 君は目が離せない!!」
「いや……あのですね……」

 勢いよくガタンと立ち上がったフィルベルド様は、あっという間に私を抱きかかえた。

「すぐに帰ろう! こんな時にお茶なんかしている場合じゃない!」
「キャア! やだ! 下ろしてください!」
「こんなに震えているじゃないか! 歩くのは危険だ!」
「だって私には夫が……!」
「夫は俺だ!!」
(そうでした! この金髪碧眼へきがんのイケメンが夫でした。先ほど判明したばかりだけど!! しかも、歩くことの何が危険!?)

 衝撃の事実に頭がいっぱいで震えているのは間違いないけど、こんなことで抱きかかえられなければならないほど私はか弱くないのだ。

「ディアナ。君は最愛の人だ」
(一体いつから!?)

 うっとりとした艶顔でフィルベルド様が私を見つめる。わけがわからない。血の気が引いたままで、抱きかかえられた私の動揺に行き場はなかった。

「さぁ、行こう」

 混乱する私を抱きかかえたフィルベルド様が、喫茶店の中を出口に向かって突き進む。
 フィルベルド様の行動力がわからないまま、私は彼の馬に乗せられてどこかに連れて行かれた。


 お城の一室で、私は柔らかいソファに座っていた。隣には、見目麗しいフィルベルド様が頬杖ほおづえをついて私を凝視している。

(なぜ私は、こんなところにいるんだろう……)

 何度考えてもわからない。
 離縁を決意して、屋敷が全焼したら夫が現れた。正確には、夫が誰か判明したのだが……
 そして今朝、フィルベルド様に確保されて王城へと連れてこられた。

(どうしてこんなことに……)
「ディアナ」
「はい」

 名前を呼ばれて、返事をしながら彼を見る。

「新しい屋敷は近いうちに準備しよう。それまでは、どこに住みたい? 何か希望があればなんでも聞こう」

 優しい眼差まなざしでフィルベルド様が聞いてくるが戸惑ってしまう。屋敷は全焼したし、今さらどんな顔をして一緒に住めばいいのかわからないのだ。
 この顔に見つめられっぱなしの私の緊張も計り知れない。私には、恋愛経験がない。イケメン耐性もない。社交界にすら、ほとんど出てないのだ。

「……家は友人の持っている家を借りていますので、私はそちらに住みます」
「家を借りている? どうしてだ?」

 妻が隠れて仕事をしているなんて、夫は良く思わないだろう。
 それに、私の秘密は言えない。自分でもよくわからないし。

「ええーと、フィルベルド様はお仕事ですよね? 私はそろそろ帰りますね。でも、また明日にでもお会いできますか?」

 今は、離縁状を持って来てない。そのうえ、私を捜してくれてたみたいだから、ちょっと話しにくくて笑って誤魔化ごまかした。

「ディアナのためなら、毎日でも会おう。二度と離れない」
「そ、そういうことではなくてですね」

 また、おかしな発言をし始めた。だけど、離縁の話は必要だ。夜会で他の女性と腕を組んでいたし、ずっと帰って来なかったのだから恋人だっているだろう。彼に恋人がいるなら尚更なおさら早く別れるべきだ。
 早く帰ろうと私が腰を上げようとすると、フィルベルド様は寂しそうな表情を見せた。どきりとして、立ち上がるタイミングを逃してしまう。

「やっと帰って来たんだ。これからはずっと一緒に暮らせる。そのためには、屋敷を準備しなければならん。火事の詳細も調べねばならんし……今日は仕事が終わるまで、ここにいてくれないか?」
「ここはお城ですよ」
「問題ない。俺のまとめている第二騎士団は、主にアスラン殿下の護衛が仕事だ。第二騎士団の屯所はこの城にあるから、この部屋に妻である君がいても問題ない」
「まとめている?」

 それは、職権乱用では? いやその前に、不遜な言葉、いや、私には似つかわしくない言葉が出てきた。私が騎士団長の妻なんて信じられない。一体、いつから私は要人の妻になったのだろうか。

「父上から、聞いてなかったのか? 今は、第二騎士団の団長を勤めているんだ」

 お義父様が、『フィルベルドが出世したようだ。これでますます帰れない。せっかく結婚したのにすまないな』と言っていた気はする。
 フィルベルド様は、初めてお会いした時に『一緒に住めない』と言っていたから気にもしなかった。『出世して良かったです』と私が言えば、お義父様は誇らしく笑っていた気がする。

(それが、こんなに出世していたなんて……)

 自分の夫が次期公爵様で騎士団の団長の一人を務めているとは予想もしなかった。離縁を考えているけれど、夫が誇らしい。そのうえ、この誰もが目を引く外見だ。私とは、釣り合いが取れなさすぎる。
 とてもじゃないが、私の夫とは思えない。困惑する。今も、彼はいとおしそうに私から目を離さない。さらに困惑する。

「今夜は城に泊まろうかと思う。だが、ディアナが気に入らないなら、どこか宿でも手配しよう」
「や、宿? 大丈夫です! 私には借家がありますから……フィルベルド様は、お気になさらず。また明日どこかでお会いしましょう!」

 フィルベルド様が一瞬ムッとしたかと思うと、彼の手が私の頬に伸びた。思わず、びくりとした。

「もう離れて暮らす理由はない。……俺は毎日ディアナと一緒にいたいんだ」

 この人は一体誰だろうか。こんなに切ない視線を向けられる理由がわからない。

(――――逃げたい!!)
「それに借家はどこだ? ディアナがそこが良いなら、そこに二人で住もう」
「……っええ!? それは、ちょっと……すごく狭いので……」

 知られたくない。あの家で一緒に住む気はない。貴族が住むようなやしきではないのだ。

(それはまずい。とにかくまずい)
「そうだな……ずっと離れていたから、いきなりでは困るか……安心しなさい。無理にはしない。ディアナの気持ちが一番だ」
「あ、ありがとうございます……」

 一体何に納得したのかわからないけど、まさか押しかけてくることはないだろう。多分。意味不明な様子だけど、常識は消えてないはず。

「では、今夜は宿を取ろう。すぐに手配させるから、それまではここで待っていてくれるか?」

 ソファの背もたれにフィルベルド様の腕が伸び、それだけで緊張して身体が強張こわばる。突然襲い掛かってくることはないだろうと信じたい。
 フィルベルド様の熱視線が恥ずかしすぎて、赤くなりそうな顔を隠すためにソファから立ち上がった。声が上ずる。

「フィルベルド様は、お忙しいですよね?」
「そうだが……心配しなくていい。ここなら、すぐにディアナの様子を見に来られるし、この部屋でできる仕事は持って来させる」

 満面の笑みで恐ろしいことを言い出した。

(すぐに様子を見に来るって……それは、フィルベルド様の監視付きでこの部屋で何もせずにいろと!?)

 そんなのまるで拷問だ。
 ――何度も思うが逃げたい。
 ――離縁状をすぐに取りに帰りたい。
 一刻も早くこの場を離れたくて逃げようとすると彼も立ち上がり、私の手を取って包み込んだ。

「ディアナと今夜から一緒なんて夢のようだ……」

 むしろ、夢だといい。
 一度しかお会いしたことないけど、こんなセリフを口にするなんて私の知っているフィルベルド様じゃない。

「今夜の夕食も楽しみだ」

 今夜の晩餐ばんさんに感無量になっているフィルベルド様が私をいとおしそうに見つめる。顔が良すぎる。私を見つめるフィルベルド様の隣にいるのは、そろそろ本当に限界だった。


 やっとフィルベルド様が仕事に行き、私は城の豪華な部屋に残された。
 フィルベルド様は私を気にしているような素振りを見せるけど、私には彼に好意を向けられる理由などない。私は一目れされるような美女でもない。どこで好意をもたれたのか、意味不明だった。
 そうはいっても、このあとの晩餐ばんさんにはドレスが必要だ。フィルベルド様に恥をかかせるわけにはいかなくて、困ってしまう。

「失礼いたします、奥様。フィルベルド様の部下のルトガー・ケインズといいます。第二騎士団の副団長を務めています」

 ノックの音がして、礼儀正しく入って来た茶髪の男性が一礼する。

「……奥様?」

 聞きなれない言葉に、私は首をかしげる。

「フィルベルド様の最愛の奥様と伺っております」
(……誰が? 誰がフィルベルド様の最愛ですか?)

 自分の耳に自信がなくなるほど、私とは関係ないワードに聞こえる。

「ルトガー様。どうか、ディアナとお呼びください」
「かしこまりました。では、ディアナ様……と」

 フィルベルド様よりも柔らかな笑顔で返されて、人当たりのよさそうな青年に見えた。

「何かご用はないかと、お聞きに来ました。欲しいものがあれば、すぐに手配いたします」
「欲しいものはありませんが……少し外出しても? 夕食には、必ず帰りますから……」
「では、ご一緒いたしましょう。フィルベルド様は、少し席を外せませんので」
「いえ、一人で行きます。お仕事のお邪魔をするわけには……」
「屋敷のこともありますし、ディアナ様に何かあれば大変です」

 それだけ言うと「では、行きましょう」とルトガー様が扉を開ける。それで私は仕方なく、彼と部屋を出た。

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