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四章 新しい家族との高等学校三年目

10.フローラ様の好き嫌いとわたくしの恐怖

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「フローラ様は、ジンちゃんが好きですか?」

 床に落ちたほうれん草を拾って、オルガさんに洗ってきてくれるようにお願いして、わたくしはフローラ様に問いかけた。菫色のお目目をくりくりとさせて、フローラ様は不思議そうにしている。

「わたくち、ジンちゃん、すきよ?」

 怒られると思っていたのに怒られなかったのに拍子抜けしたのか、フローラ様はきょとんとした顔をしていた。わたくしはフローラ様の隣りの椅子に座っている人参マンドラゴラのジンちゃんを手に取った。ジンちゃんは神妙な顔つきでわたくしの手の上でじっとしている。

「わたくしとマウリ様とミルヴァ様とハンネス様で、ジンちゃんを育てました」
「あい」
「ジンちゃんの仲間の中には、スティーナ様の産後の体調を整えるためや、お乳の出をよくするため、エミリア様がしっかりとミルクを飲めるようになるために、食べられたものもいます」
「ジンたん、たべないで!?」

 悲鳴を上げたフローラ様は、わたくしが何を話そうとしているのかをやっと理解し始めたようだった。白いお顔が若干青ざめている。

「ほうれん草は喋りません。動きません。歩いたり、踊ったり、フローラ様と一緒にお昼寝をしたりしません」
「アイラたま……」
「ですが、ジンちゃんと同じ命をいただいているのです。フローラ様は料理されたジンちゃんをお皿の上から投げ捨てますか?」
「いーやー! ジンたん、おりょうりちないで!」
「ジンちゃんは料理しません。ジンちゃんのお仲間のマンドラゴラが料理されて出て来たときに、お皿の上から床に捨てられたら、大切に食べてもらえると思って育てたひとはどんな気持ちがするでしょう?」

 フローラ様はもはや涙目になっていた。両手を広げてジンちゃんを求めるのに、そのお手手にジンちゃんを戻すとぎゅっと抱き締める。フローラ様の三つ編みに結ばれたのと同じラベンダー色のリボンを付けてジンちゃんはじっと抱き締められている。

「ごめんなたい……わたくち、ほうれんとうたんに、いけないことをちてちまった……」
「分かりましたか?」
「オルガたん、ほうれんとうたんを、わたくちのおさらにもどちてくだたい」

 洗ってきたほうれん草がお皿の上に戻されると、フローラ様は涙の滲んだ目でそれをじっと見つめて「ごめんなたい」と謝っていた。フォークで突き刺し、一息に口に入れる。涙を零しながら咀嚼して飲み込んだフローラ様に、ヨハンナ様が駆け寄る。

「フローラ、食べられましたね。偉かったですよ」
「わたくち、もう、じぇったい、おりょうりをゆかにすてない!」
「そうですね。お野菜もお肉も全部誰かが育ててくれた大事な命です。わたくしたちは命をいただいて生きているのです」
「あい。いのち、だいじにちまつ」

 誓ったフローラ様にわたくしは安心して自分の席に戻った。
 スティーナ様とカールロ様がわたくしの方を見ている。

「アイラ様は素晴らしい方だ」
「わたくしだけでは伝えきれなかったことを、フローラに伝えてくださいました。ありがとうございます」
「フローラ様が優しい心をお持ちだと分かっていたからです。わたくしよりも、頑張ったフローラ様を褒めて差し上げてください」

 わたくしが促すとスティーナ様もカールロ様もフローラ様を褒める。

「フローラ、よく頑張ったな」
「フローラ、素晴らしかったですよ」

 苦手なほうれん草を食べて涙を流しているフローラ様も、褒められて、ヨハンナ様に涙と洟を拭かれて誇らしげな顔になっていた。
 食事風景が変わったのはフローラ様だけではない。傍で神妙な顔で聞いていたマウリ様とミルヴァ様も、お皿の端に避けていたキノコと茄子にフォークを突き刺した。お二人がそれを苦手としていて、お皿から捨てるようなことはしないが、指摘されなければ残しているのをわたくしは知っている。
 じっとキノコと見つめ合うマウリ様と、茄子と見つめ合うミルヴァ様。二人はほぼ同時にぱくりと口に入れた。もぐもぐと咀嚼する二人の目に涙が滲んでいるのが分かる。嫌いなものを一生懸命克服しようとしているのだ。
 飲み込んだマウリ様とミルヴァ様に、暖かな言葉がかけられる。

「マウリ様、ミルヴァ様、頑張りましたね」
「とても立派ですよ」
「マウリもミルヴァもかっこいいな!」

 ヨハンナ様とスティーナ様とカールロ様に褒められて、マウリ様とミルヴァ様は必死に涙を拭いている。

「マウリ様、ミルヴァ様、素晴らしかったですよ」

 わたくしもマウリ様とミルヴァ様に伝えると、マウリ様とミルヴァ様が胸を張る。

「わたし、フローラのおにいさまだからね!」
「わたくし、フローラのおねえさまですもの!」

 フローラ様にできることが兄と姉の自分たちにできないはずがない。そう思って挑戦できたことをわたくしはとても評価して誇らしく思っていた。
 朝食を終えて高等学校に行くと、今日はエリーサ様が来られる日だった。わたくしより先にサンルームに来ていたエリーサ様は、エロラ先生と寄り添ってサンルームの中を歩いていた。
 白銀の髪にアメジストのような目ですらりと細身で長身に三つ揃いのスーツを着たエロラ先生と、小柄で艶のある濃い蜜を流したような褐色の肌で黒髪に黒い目の簡素なワンピースを着てエプロンを着けたエリーサ様。お二人が並んでいると絵画のような美しい光景に目を奪われてしまう。

「おはようございます、アイラ様」
「おはよう、アイラちゃん」

 エロラ先生とエリーサ様の時間を邪魔したような気分になってしまうわたくしに、お二人は明るく声をかけてくださる。

「おはようございます、エロラ先生、エリーサ様」
「今日は良いものを持っているようだね」
「エロラ先生にはお見通しなんですね」

 促されるままにわたくしは肩掛けのバッグからマンドラゴラの入った箱を取り出した。人参マンドラゴラの箱には人参マンドラゴラが10匹、蕪マンドラゴラの箱には蕪マンドラゴラが8匹、大根マンドラゴラの箱には大根マンドラゴラが6匹入っている。
 箱の蓋を開けるとマンドラゴラたちが元気よく飛び出してきた。

「今年は大量だったようだね」
「天候にも恵まれて、庭の畑も広げたので、大量に取れました。余った分は病院に寄付することに決めています」
「ご立派ですね。昨日は大変なことがあったとか?」

 エリーサ様の耳にまで届いていたのか。
 驚きながらもわたくしは昨日のことを説明する。

「毒蛇に噛まれたひとがいると聞いて、薬草を探しているのでは間に合わないかもしれないから、わたくしが解毒に病院へ行ったのです」

 そのときにマウリ様とミルヴァ様も付いて来てくれた。蛇の毒でひとが亡くなるようなことがあった場合、マウリ様とミルヴァ様にはそんな悲しい光景は見せたくないと言ったのだが、逆にわたくし一人でそんなことが起きるかもしれない場所に行かせられないと言われてしまったのだ。
 わたくしが心配しているのと同じように、マウリ様もミルヴァ様もわたくしのことを心配してくれていた。

「帰りにヘルレヴィ家の迎えの馬車が、違うものだったのです。それにわたくしとマウリ様とミルヴァ様は乗せられてしまって……マウリ様がドアを突き破って助けてくださったので何もなかったのですが」
「それは怖かっただろう」
「何もなくて良かったですわ」

 わたくしが一番年長で怖くて泣いているマウリ様を守るためにしっかりしていないといけないと思っていた。誘拐されるようなことがあってはならないし、あの場からどうにか逃げ出すことだけを考えていた。

「わたくし、怖かったんですね……」

 あのときには気付いていなかった自分の感情に気付いてわたくしは驚いていた。今更ながらに指先が震えてくる。震えを止めるようにエロラ先生がお茶を淹れてくれて、エリーサ様がわたくしをソファに座らせてくれた。

「アイラ様はしっかりなさっていますが、まだ14歳ですもの。怖くて当然ですわ」

 わたくしがマウリ様とミルヴァ様を守れたことをみんな安心してくれたが、わたくしの感情については特に何も言わなかった。それはわたくし自身が自分の感情に気付いていなくて疎かにしていたせいで、全く動じていないように見えたのだろう。
 カップを持つ指先が震えて、紅茶の水面にさざ波が立つ。

「毒蛇の毒を中和したのですか。それも怖かったのではないですか?」
「わたくし、夢中で……わたくしができなければ、蛇に噛まれた子どもは死んでしまうと必死だったんです」

 必死過ぎてわたくしは自分の感情を置き去りにした。
 エロラ先生もエリーサ様もわたくしを導いてくださる優秀な教師だった。わたくしも周囲の誰も気付かなかったわたくしの恐怖を読み取ってくださって、それに共感してくださる。

「これから魔法を使うときには何度でも怖い場面に直面するだろう」
「ひとの命を預かるような場面では、わたくしだって怖いと思いますからね」

 教師として凛としてエロラ先生とエリーサ様がわたくしに教えてくれる。

「恐怖を無理に消すことはない。恐怖は持っていなければただの無謀な愚か者になる可能性があるからね」
「恐怖を持っていることは、緊張感にも繋がります。自分が失敗したときのことを考えられない魔法使いは、大成しません」
「恐怖は手放さないで、常に折り合いをつけて、魔法を使うことを心掛けてほしい」

 話を聞きながらわたくしは震えが止まって来るのを感じていた。わたくしの恐怖を臆病だと言わずに、エロラ先生もエリーサ様も肯定してくれている。恐怖は持ってはいけないものではなくて、持ちながらも折り合いをつけて、緊張感へと変えるべきものだった。

「馬車で攫われかけたときに、わたくしは魔法を使うことも考えつかないくらい、怖かったのです」

 気付いていなかったがわたくしは恐怖で魔法の術式を編む冷静さもなかった。あの場で魔法が使えていれば、わたくしがマウリ様とミルヴァ様を本当に助けられたかもしれない。

「いきなり実践は厳しいよ」
「これから、ゆっくり慣れていきましょう」

 エロラ先生もエリーサ様もわたくしを一言も責めることなく、穏やかに言ってくれた。少し冷めた紅茶を飲むとわたくしの心は完全に落ち着いていた。

「教えてください、エロラ先生、エリーサ様。わたくしはあの場で本当はどうすればよかったのかを」

 これを学びの場とすること。
 それがこれからのわたくしにとって必要なのではないかとわたくしは思っていた。
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