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第01章――飛翔延髄編
Phase 29:悪のある生物
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《保安兵》町の治安を守るために中央政府が発足し管轄する兵隊。中央政府の管理のもと運営されており、町の行政も資金と物資の面で関与するが基本的に中央政府の意思を反映し、国民生活を守ることを使命にしている。国家の有事の際は町から出て集結し、事態に対処することを求められている。そのため、自治体が主体となって結成した武装組織と併存する場合も少なくない。
Now Loading……
「市長ニ繋ゲ……」
ジャーマンD7の頭部で鳴っていた発信音が止み、もしもし、とタウンゼント市長の声がPFOの機内に響く。
「保安兵舎監督ユニットのジャーマンD7です。町ノ対外防衛設備ノ使用許可をいただけまセンカ?」
『今、町の中で起こっている事案に対処するためですね』
「ソウデス。暴走するSmを駆逐するためにドウカ」
『困りましたねえ……。アレは町の資産であり外性侵害事案に対処すべく用意していたもの。それに今まで平穏でしたから市民の要求にこたえてインフラ設備に注力した結果。防衛設備は固定武装によるオートメーションを積極的に行いましたので。歩兵や機動部隊に適した装備は限られています。正直、保安兵の今の装備に毛が生えた程度と考えたほうがいいでしょう。加えて今回の事案そのものが外部の敵対勢力の策略によって引き起こされた可能性もある。もし町の防衛力を割いて不利になるようなことがあっては保安兵の存在意義はおろか、町の存続にかかわる』
「解ッテおりますガ……」
機械らしくもなく、言葉を詰まらせるジャーマンD7。
対して市長は明瞭に言った。
『提案なのですが。実は私の個人的な知り合いに非常事態に精通した人がいるのです』
「ソレハSmの専門家デスカ?」
『いえ、むしろ荒事全般の』
「ゴ厚意ハ感謝しますが。いま必要なのは人員ではなく装備です。極力一般市民の被害を出したくはありませんノデ」
リックのことは一時的にメモリーから削除。
今度は市長のほうがしばし口ごもった。
『……でしたら歩兵用の火器を対外防衛設備から用意しましょう。役に立つかどうかわかりませんが。慎重に取り扱ってください。決して、紛失などしないように。市当局の物品ですから』
「承知シマシタ」
PFOから下知が飛ぶ。
『総員! 一時撤退。負傷者は治療を優先。動けるものは補給を済ませよ。部隊を再編成スル』
待ってましたと言わんばかりに三台目の保安装甲車は射撃を止めて反転する。
動かぬ車両からも保安兵が出ていく。
歩兵たちは自分の足を信じるしかない。だって、自分たちが乗ってきた車は全部ゴブリンの後ろなのだから。ゴブリンの横を悠長に過ぎ去る度胸も車を走らせる余裕も手放して、ただ走った。
ゴブリンは頬を地面にこするようにしてコンクリートを歯で削り、残った己の肉片をこそぎ取る。そうやって、あらかた肉体の回収に成功するが、まだ足りない、と渇望を滾らせた眼で周囲を探った。
顔面の傷口からキノコの子実体のように成長した眼球は充血し、それぞれ別の場所を睨み、世界を見渡し、ついに視線を一方向に揃えた。
数多の濁った瞳に映るのは逃げる保安兵。
ゴブリンは再生した後ろ脚を支えに体を起こすと発進した。
近づいてくる揺れに振り返ったことを後悔する保安兵たちは、大きく開いたゴブリンの口に考えたくもない絶望的結末を頭に描く。溢れんばかりのパニックが彼ら保安兵の足に力を与える。
しかし、ゴブリンは脚力にものを言わせて保安兵に飛び掛かった。咀嚼なんて必要ない。そのまま開口した喉に保安兵を放り込み、あとは消化器官に流し込む。そうなるはずだった、PFOが横から突撃しなければ。
保安兵は強い衝撃を背中に感じ、数人が反射的に、前に向かって飛び込んで地面を転がる。
駆け寄る仲間が手を貸し、急いで引き起こす。
保安兵たちが見たものは低空飛行のPFOがゴブリンの顔面に張り付いて、巨体の行動を阻む一部始終。
真っ先に逃げた保安装甲車が逃げ遅れた保安兵のもとに舞い戻ると無線から。
『出来ル限リ隊員を載せて離脱シロ!』
と怒声が催促した。
保安装甲車の射手は仲間を荷台に引き上げる。銃座を使うときに邪魔になる、とかは考慮しない。逃げる以外考えない。
PFOは前面に取り付けたバンパーで執拗にゴブリンの頭を打撃した。空中で一回転してから加速するPFOの体当たりは強烈な一撃を与えゴブリンの行動を妨げる。しかし決定打になりえない。
ゴブリンの銃創は瞬く間に新しい組織で埋まってしまう。どころか皮膚を突き破って新たな器官が作られた。
芽のように発生した骨の棘がPFOの突撃を防ぎ始める。
PFOはゴブリンの真上に飛んで機関銃で蝗の脚に狙いを定める。だが
後退するゴブリンは後ろ脚を支えに頭を仰け反らせると、PFOの機関銃に噛みついた。
下へと引っ張られるPFOは、機関銃の射撃を継続するも、弾丸はゴブリンの頬を内側から砕いて終わり、振り回された銃口があらぬ方を狙ってしまうので射撃を止めざるを得ない。
頭をのけ反りすぎたゴブリンは背中から転倒し地面を揺らす。そこから巨体を捻って半回転し、PFOを振り回した。
機関銃は遂にゴブリンの顎によって噛み砕かれる。
引っ張り回されたPFOは支えを失い空中を出鱈目に回転し、キャノピーを中心に機体のあちこちをコンクリートに擦って火花を散らす。
『重力制御解除!』
ジャーマンD7の号令と同時に軽かったPFOに重力が戻り、地面にタイヤを叩きつけた。
キャノピーにひびが入るもフレームの支えによって、それ以上の破損は免れる。
ゴブリンは機関銃を上下の牙で破砕し、全ての眼を飛行するたん瘤に向けた。
解放されたPFOは急ぎ上空へ逃げ出す。
ゴブリンは後ろ脚で地面を蹴って飛び上がり、今度はPFOの機体後ろに食らい付いた。
「貴様ノ重力は働かんノカ!」
怒鳴るジャーマンD7はまた唱えた。
「類似事例ノ解決方法ヲ検索……該当なし。失敗事例は……こんなにあるノカ!?」
一人で問題を投げかけて解決して文句を言って忙しいジャーマンD7は、再び重力操作解除を宣言。PFOの落下の衝撃を球体タイヤが緩和するが機内のジャーマンD7は激しく上下に揺さぶられる。
『全速発進!』
球体タイヤは回転するがPFOは前進できず、タイヤが地面をこすって煙を放つ。
ゴブリンは鼻息で有害な煙を払いのけ、体を左右に振るってPFOを地面から浮かせた。
タイヤが地面につく時間が減って煙も減る。噛みしめる力が機体を破壊する。
「破損計算ト結果検索……スルまでもない、このままデハッ」
ジャーマンD7は手動で操縦席に設けられた長方形のカバーを開け、隠されていた小さな赤いレバーを暴く。
指先一つで操作できるほどに小さいレバーに手を伸ばす。
その時、盛大な爆発がゴブリンの横っ面を襲った。
露出した顎の関節が黒く焦げて、周囲の肉が剥離すると、口から獲物がこぼれる。
再度噛みつくこうとするゴブリンだったが顎の関節が機能しない。だらしなく開いた口から欠損著しい舌が垂れ下がる。
上昇し向きを反転するPFOは、底のガジェットを小型のドラム缶にポンプと管とノズルをくっつけた火炎放射器に切り替えて攻撃した。
降り注ぐ炎を鬼面の口から延びる舌が舐めとっていく。
炎と舌がゴブリンの視界を奪っている間にPFOは撤退に成功した。
それを見届けたアーサーは煙吹くブブゼーラの掛紐を腕に通し背負い、バイクで上司を追いかける。
PFOが高度を落としてジャーマンD7が直接アーサーを目視した。
『アーサー・ヒッグス』
「上官を助けたんでボーナスもらえますよね」
部下の無線にジャーマンD7は。
『上官のサポートは保安兵として一般業務ノ範疇ダ。むしろ、あのままPFOと私が損壊していたら中央政府からこの都市に対しての特別課税が発生し、保安兵全員の給料が減額されていたことダロウ』
「そうですか! やっぱりこの国終わってるな!」
『イイや、まだ終わっていない。だから本当ニ終わらないよう励メ』
「わかりましたよ。でも励むって一体これから何をすればいいんですかねボス」
『コノままでは埒が明かないのハ明白ダ』
アーサーが振り返ると、唾液まみれの舌で燃焼した体を舐めるゴブリンが炎と戯れていた。
しかし、火力は着実に弱まっている。遊び相手を失った赤子は、何をしでかすかわからない。
『専門的ナ技能ヲ持つ人間を今一度巻き込む……もとい助力ヲ願つもりダ』
アーサーはPFOから視線を外し、遠くへ憐みの目を向けた。
「ご愁傷さま、リック」
街の中を飛んでいるドローンは、ぶら下げる青ざめた腕でカメラを抱え地上を撮影していた。
『ご覧ください! 今まさに巨大Smが』
無料の動画配信サービスをセマフォで視聴するソーニャは、リポーターの実況に耳を傾け、映像に目を細める。
「これって、アーサー?」
ドローンがズームしたバイクの運転手は手を振る。
「あ、アーサーだ」
同じ画面を見ていたレントンが 知り合いか、と聞く。
「うん、保安兵の友人でエロディの店の常連。きっと駆り出されたんだ……大丈夫かなぁ。自他ともに認めるバカなのに」
不安を隠せない少女に対し、レントンは目を瞬いてから言った。
「大丈夫だろ。多分。保安兵だし、武器持ってるし」
「うん……だから心配なんだよねぇ。アーサーっていう人はさ。何というか、どこか抜けてて詰めが甘いから。はぁ……町、大丈夫かな」
「うん……心配だな。お前のガレージとか」
「うん。でも今ゴブリンがいる場所はガレージから遠いし、ヘザーのお店にも近くない。けど確か、キャサリンの職場が近かったはず。それにアレキサンダーも、仕事柄この付近に行くらしいから……メールで無事を確かめよ」
「知り合いの心配も大事だが、自分の心配もしたほうがいい」
「え、どうして?」
「結構な騒ぎになってるからな。この化け物」
「ゴブリンMT7Dだよ推測だけどね。この筋肉の発達と運動形式、それと発生した後ろ脚の形状からして前後リバーシブルを想定した設計は明白だから」
「うん、そのゴブリンがこっちに来たり滑走路に現れたら、もうそれで飛行機が発進できなくなるからな。ちょっと不安だよ」
ソーニャはようやくゴブリンの影響力を覚り戦慄した。
「だ、大丈夫じゃないかな、たぶん」
「でもな。野良Smが燃料を狙って飛行場に侵入し、それが原因で離着陸できない、なんてよく聞くからな」
否定できずソーニャは具合の悪い顔になる。
「そ、その時は被害が拡大する前に離陸すれば」
「おうおう遠くの家族のために近くの家族を見捨てるのかぁ? 良心が痛まないのか? ま、賛成だけど」
「それに気づいているのに良心痛まないの?」
「良心はあるが、みんなが無事でいられることを信じてる。だから俺の良心は絶好調のままだ」
なるほど、ソーニャは悲観する無意味さを教えられたような、適当な言葉に流されたような気がして、ため息をこぼすと、また表情に陰を作る。
「町のみんなが無事でいてほしいし。ゴブリンには来ないでもらいたいし……。待てよ、でもゴブリンがこっちに来たら、町の被害が減るってこと? あでもソーニャ一人で対処できると思えないし。ここの整備士の力を結集する必要が……」
「もし、ゴブリンが来た時は、いの一番にお前は退避するんだぞ?」
「あるいは、開き直ってソーニャがこのゴブリンに立ち向かう」
突然やる気に満ちたソーニャは彼方を見つめて拳を握った。
レントンは少女の肩に手を置く。
「お前の突発性の勇気には感心するが生きるために少しでいいから冷静になってくれ」
しかし、ソーニャはセマフォを睨み思考を巡らせた。
「多分、リックなら薬剤投与で鎮静化させると思うんだよね。機体の保存のために。けどそのためには動きを封じないといけないから……」
二人が話に花を咲かせていると、格納庫の奥にあるドアから髭の目立つ整備士が入ってきて声を上げる。
「今、管制塔と上に連絡したら、町のSmがこっちに来る可能性は低いそうで、とりあえず通常業務を続けろってお達しだ。だからお前ら仕事に戻れ」
整備士たちは事件の動向を気にするが、早く手を動かせ、と叱咤が入り、それぞれ持ち場に戻る。
とあるパイロットも作業再開と時を同じくして自機のタラップを上り、薄暗い機内の中、荷物を確認するため木箱の上に置いていた目録を手にする。
機内の貨物スペースは、前後の長さ十数メートルほど。横幅4メートル強。機内の後ろ半分には狭いロフトがあった。
明かりは、窓から差し込む格納庫の照明。
わずかな光量で十分活動できたパイロットは、膝をついてメジャーを取り出す。その瞬間、彼の背後で丸まっていた布が音もなく動き出す。
木箱の間の暗がりで起こった変化に、なんの警戒もしてなかったパイロットは、口を塞がれ喉元にナイフを突きつけられた。
「動くな。大声出したり俺が大声だと思ったら、即、喉を掻き切る」
楽しそうな声色の痩せっぽちに対して、パイロットは無言で頷く。
大きなクレートの影から太っちょも現れて、ナイフを突きつける。
ただでさえ換気の行き届いていない機内は一層暑苦しくなり、空気がよどんだ。
Now Loading……
「市長ニ繋ゲ……」
ジャーマンD7の頭部で鳴っていた発信音が止み、もしもし、とタウンゼント市長の声がPFOの機内に響く。
「保安兵舎監督ユニットのジャーマンD7です。町ノ対外防衛設備ノ使用許可をいただけまセンカ?」
『今、町の中で起こっている事案に対処するためですね』
「ソウデス。暴走するSmを駆逐するためにドウカ」
『困りましたねえ……。アレは町の資産であり外性侵害事案に対処すべく用意していたもの。それに今まで平穏でしたから市民の要求にこたえてインフラ設備に注力した結果。防衛設備は固定武装によるオートメーションを積極的に行いましたので。歩兵や機動部隊に適した装備は限られています。正直、保安兵の今の装備に毛が生えた程度と考えたほうがいいでしょう。加えて今回の事案そのものが外部の敵対勢力の策略によって引き起こされた可能性もある。もし町の防衛力を割いて不利になるようなことがあっては保安兵の存在意義はおろか、町の存続にかかわる』
「解ッテおりますガ……」
機械らしくもなく、言葉を詰まらせるジャーマンD7。
対して市長は明瞭に言った。
『提案なのですが。実は私の個人的な知り合いに非常事態に精通した人がいるのです』
「ソレハSmの専門家デスカ?」
『いえ、むしろ荒事全般の』
「ゴ厚意ハ感謝しますが。いま必要なのは人員ではなく装備です。極力一般市民の被害を出したくはありませんノデ」
リックのことは一時的にメモリーから削除。
今度は市長のほうがしばし口ごもった。
『……でしたら歩兵用の火器を対外防衛設備から用意しましょう。役に立つかどうかわかりませんが。慎重に取り扱ってください。決して、紛失などしないように。市当局の物品ですから』
「承知シマシタ」
PFOから下知が飛ぶ。
『総員! 一時撤退。負傷者は治療を優先。動けるものは補給を済ませよ。部隊を再編成スル』
待ってましたと言わんばかりに三台目の保安装甲車は射撃を止めて反転する。
動かぬ車両からも保安兵が出ていく。
歩兵たちは自分の足を信じるしかない。だって、自分たちが乗ってきた車は全部ゴブリンの後ろなのだから。ゴブリンの横を悠長に過ぎ去る度胸も車を走らせる余裕も手放して、ただ走った。
ゴブリンは頬を地面にこするようにしてコンクリートを歯で削り、残った己の肉片をこそぎ取る。そうやって、あらかた肉体の回収に成功するが、まだ足りない、と渇望を滾らせた眼で周囲を探った。
顔面の傷口からキノコの子実体のように成長した眼球は充血し、それぞれ別の場所を睨み、世界を見渡し、ついに視線を一方向に揃えた。
数多の濁った瞳に映るのは逃げる保安兵。
ゴブリンは再生した後ろ脚を支えに体を起こすと発進した。
近づいてくる揺れに振り返ったことを後悔する保安兵たちは、大きく開いたゴブリンの口に考えたくもない絶望的結末を頭に描く。溢れんばかりのパニックが彼ら保安兵の足に力を与える。
しかし、ゴブリンは脚力にものを言わせて保安兵に飛び掛かった。咀嚼なんて必要ない。そのまま開口した喉に保安兵を放り込み、あとは消化器官に流し込む。そうなるはずだった、PFOが横から突撃しなければ。
保安兵は強い衝撃を背中に感じ、数人が反射的に、前に向かって飛び込んで地面を転がる。
駆け寄る仲間が手を貸し、急いで引き起こす。
保安兵たちが見たものは低空飛行のPFOがゴブリンの顔面に張り付いて、巨体の行動を阻む一部始終。
真っ先に逃げた保安装甲車が逃げ遅れた保安兵のもとに舞い戻ると無線から。
『出来ル限リ隊員を載せて離脱シロ!』
と怒声が催促した。
保安装甲車の射手は仲間を荷台に引き上げる。銃座を使うときに邪魔になる、とかは考慮しない。逃げる以外考えない。
PFOは前面に取り付けたバンパーで執拗にゴブリンの頭を打撃した。空中で一回転してから加速するPFOの体当たりは強烈な一撃を与えゴブリンの行動を妨げる。しかし決定打になりえない。
ゴブリンの銃創は瞬く間に新しい組織で埋まってしまう。どころか皮膚を突き破って新たな器官が作られた。
芽のように発生した骨の棘がPFOの突撃を防ぎ始める。
PFOはゴブリンの真上に飛んで機関銃で蝗の脚に狙いを定める。だが
後退するゴブリンは後ろ脚を支えに頭を仰け反らせると、PFOの機関銃に噛みついた。
下へと引っ張られるPFOは、機関銃の射撃を継続するも、弾丸はゴブリンの頬を内側から砕いて終わり、振り回された銃口があらぬ方を狙ってしまうので射撃を止めざるを得ない。
頭をのけ反りすぎたゴブリンは背中から転倒し地面を揺らす。そこから巨体を捻って半回転し、PFOを振り回した。
機関銃は遂にゴブリンの顎によって噛み砕かれる。
引っ張り回されたPFOは支えを失い空中を出鱈目に回転し、キャノピーを中心に機体のあちこちをコンクリートに擦って火花を散らす。
『重力制御解除!』
ジャーマンD7の号令と同時に軽かったPFOに重力が戻り、地面にタイヤを叩きつけた。
キャノピーにひびが入るもフレームの支えによって、それ以上の破損は免れる。
ゴブリンは機関銃を上下の牙で破砕し、全ての眼を飛行するたん瘤に向けた。
解放されたPFOは急ぎ上空へ逃げ出す。
ゴブリンは後ろ脚で地面を蹴って飛び上がり、今度はPFOの機体後ろに食らい付いた。
「貴様ノ重力は働かんノカ!」
怒鳴るジャーマンD7はまた唱えた。
「類似事例ノ解決方法ヲ検索……該当なし。失敗事例は……こんなにあるノカ!?」
一人で問題を投げかけて解決して文句を言って忙しいジャーマンD7は、再び重力操作解除を宣言。PFOの落下の衝撃を球体タイヤが緩和するが機内のジャーマンD7は激しく上下に揺さぶられる。
『全速発進!』
球体タイヤは回転するがPFOは前進できず、タイヤが地面をこすって煙を放つ。
ゴブリンは鼻息で有害な煙を払いのけ、体を左右に振るってPFOを地面から浮かせた。
タイヤが地面につく時間が減って煙も減る。噛みしめる力が機体を破壊する。
「破損計算ト結果検索……スルまでもない、このままデハッ」
ジャーマンD7は手動で操縦席に設けられた長方形のカバーを開け、隠されていた小さな赤いレバーを暴く。
指先一つで操作できるほどに小さいレバーに手を伸ばす。
その時、盛大な爆発がゴブリンの横っ面を襲った。
露出した顎の関節が黒く焦げて、周囲の肉が剥離すると、口から獲物がこぼれる。
再度噛みつくこうとするゴブリンだったが顎の関節が機能しない。だらしなく開いた口から欠損著しい舌が垂れ下がる。
上昇し向きを反転するPFOは、底のガジェットを小型のドラム缶にポンプと管とノズルをくっつけた火炎放射器に切り替えて攻撃した。
降り注ぐ炎を鬼面の口から延びる舌が舐めとっていく。
炎と舌がゴブリンの視界を奪っている間にPFOは撤退に成功した。
それを見届けたアーサーは煙吹くブブゼーラの掛紐を腕に通し背負い、バイクで上司を追いかける。
PFOが高度を落としてジャーマンD7が直接アーサーを目視した。
『アーサー・ヒッグス』
「上官を助けたんでボーナスもらえますよね」
部下の無線にジャーマンD7は。
『上官のサポートは保安兵として一般業務ノ範疇ダ。むしろ、あのままPFOと私が損壊していたら中央政府からこの都市に対しての特別課税が発生し、保安兵全員の給料が減額されていたことダロウ』
「そうですか! やっぱりこの国終わってるな!」
『イイや、まだ終わっていない。だから本当ニ終わらないよう励メ』
「わかりましたよ。でも励むって一体これから何をすればいいんですかねボス」
『コノままでは埒が明かないのハ明白ダ』
アーサーが振り返ると、唾液まみれの舌で燃焼した体を舐めるゴブリンが炎と戯れていた。
しかし、火力は着実に弱まっている。遊び相手を失った赤子は、何をしでかすかわからない。
『専門的ナ技能ヲ持つ人間を今一度巻き込む……もとい助力ヲ願つもりダ』
アーサーはPFOから視線を外し、遠くへ憐みの目を向けた。
「ご愁傷さま、リック」
街の中を飛んでいるドローンは、ぶら下げる青ざめた腕でカメラを抱え地上を撮影していた。
『ご覧ください! 今まさに巨大Smが』
無料の動画配信サービスをセマフォで視聴するソーニャは、リポーターの実況に耳を傾け、映像に目を細める。
「これって、アーサー?」
ドローンがズームしたバイクの運転手は手を振る。
「あ、アーサーだ」
同じ画面を見ていたレントンが 知り合いか、と聞く。
「うん、保安兵の友人でエロディの店の常連。きっと駆り出されたんだ……大丈夫かなぁ。自他ともに認めるバカなのに」
不安を隠せない少女に対し、レントンは目を瞬いてから言った。
「大丈夫だろ。多分。保安兵だし、武器持ってるし」
「うん……だから心配なんだよねぇ。アーサーっていう人はさ。何というか、どこか抜けてて詰めが甘いから。はぁ……町、大丈夫かな」
「うん……心配だな。お前のガレージとか」
「うん。でも今ゴブリンがいる場所はガレージから遠いし、ヘザーのお店にも近くない。けど確か、キャサリンの職場が近かったはず。それにアレキサンダーも、仕事柄この付近に行くらしいから……メールで無事を確かめよ」
「知り合いの心配も大事だが、自分の心配もしたほうがいい」
「え、どうして?」
「結構な騒ぎになってるからな。この化け物」
「ゴブリンMT7Dだよ推測だけどね。この筋肉の発達と運動形式、それと発生した後ろ脚の形状からして前後リバーシブルを想定した設計は明白だから」
「うん、そのゴブリンがこっちに来たり滑走路に現れたら、もうそれで飛行機が発進できなくなるからな。ちょっと不安だよ」
ソーニャはようやくゴブリンの影響力を覚り戦慄した。
「だ、大丈夫じゃないかな、たぶん」
「でもな。野良Smが燃料を狙って飛行場に侵入し、それが原因で離着陸できない、なんてよく聞くからな」
否定できずソーニャは具合の悪い顔になる。
「そ、その時は被害が拡大する前に離陸すれば」
「おうおう遠くの家族のために近くの家族を見捨てるのかぁ? 良心が痛まないのか? ま、賛成だけど」
「それに気づいているのに良心痛まないの?」
「良心はあるが、みんなが無事でいられることを信じてる。だから俺の良心は絶好調のままだ」
なるほど、ソーニャは悲観する無意味さを教えられたような、適当な言葉に流されたような気がして、ため息をこぼすと、また表情に陰を作る。
「町のみんなが無事でいてほしいし。ゴブリンには来ないでもらいたいし……。待てよ、でもゴブリンがこっちに来たら、町の被害が減るってこと? あでもソーニャ一人で対処できると思えないし。ここの整備士の力を結集する必要が……」
「もし、ゴブリンが来た時は、いの一番にお前は退避するんだぞ?」
「あるいは、開き直ってソーニャがこのゴブリンに立ち向かう」
突然やる気に満ちたソーニャは彼方を見つめて拳を握った。
レントンは少女の肩に手を置く。
「お前の突発性の勇気には感心するが生きるために少しでいいから冷静になってくれ」
しかし、ソーニャはセマフォを睨み思考を巡らせた。
「多分、リックなら薬剤投与で鎮静化させると思うんだよね。機体の保存のために。けどそのためには動きを封じないといけないから……」
二人が話に花を咲かせていると、格納庫の奥にあるドアから髭の目立つ整備士が入ってきて声を上げる。
「今、管制塔と上に連絡したら、町のSmがこっちに来る可能性は低いそうで、とりあえず通常業務を続けろってお達しだ。だからお前ら仕事に戻れ」
整備士たちは事件の動向を気にするが、早く手を動かせ、と叱咤が入り、それぞれ持ち場に戻る。
とあるパイロットも作業再開と時を同じくして自機のタラップを上り、薄暗い機内の中、荷物を確認するため木箱の上に置いていた目録を手にする。
機内の貨物スペースは、前後の長さ十数メートルほど。横幅4メートル強。機内の後ろ半分には狭いロフトがあった。
明かりは、窓から差し込む格納庫の照明。
わずかな光量で十分活動できたパイロットは、膝をついてメジャーを取り出す。その瞬間、彼の背後で丸まっていた布が音もなく動き出す。
木箱の間の暗がりで起こった変化に、なんの警戒もしてなかったパイロットは、口を塞がれ喉元にナイフを突きつけられた。
「動くな。大声出したり俺が大声だと思ったら、即、喉を掻き切る」
楽しそうな声色の痩せっぽちに対して、パイロットは無言で頷く。
大きなクレートの影から太っちょも現れて、ナイフを突きつける。
ただでさえ換気の行き届いていない機内は一層暑苦しくなり、空気がよどんだ。
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