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第01章――飛翔延髄編
Phase 64:快復鬼
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《上皮組織再生強化法》Smの上皮組織をあえて傷つけ、回復作用によって硬い繊維組織を形成し、柔軟でより頑丈な表皮で機体を防護する方法。人によっては研磨剤で表皮を削ったり、バーナーで燃焼したり、あるいは薬物に曝露する方法などもある。Smの種類と個体ごとの特徴に合わせて実行しなければ、かえって機体の能力を下げることにもつながるが、簡便にSmの強度を向上させられる上、既存の組織と作用機序による改変なので、移植やSmNA編集と違い、拒絶反応も少なく、調整の手間を省けるので多用される。
Now Loading……
町中を走るトラックは運転手である老人が一気にハンドルを回したことで左へ移行する。
それまで走行していた車線には、後方から噴出したヘドロが降り注ぐ。ヘドロの正体はゴブリンが晒す喉からあふれた吐瀉物であった。
黒い汚濁は低く垂れこめた暗雲となったのも束の間、地上へ向かう。
車の燃料補給を遂行していたジャーマンD7は、運転席の上を渡って荷台に帰還する。拡散する汚濁の時雨が荷台に落ちると、転がる汚物を一つ摘み、ヘドロの構成要素の一つが、コンクリート片だと断定し、すぐに手放す。
ジャーマンD7は即席の盾を拾い上げ、降り注ぐ汚濁の雨を防いだ。盾の材料となったボンネットの所有者が保証した塗装の効果で、ゴブリンの邪悪な酸化能力が防がれる。
リックは得意げに言う。
「ソーニャに感謝だな。一緒にマイラを説得してくれなかったら、今頃この車も溶けてなくなって……」
言葉を弾ませたリックだったがフロントガラスに滴る黒い筋の行く末を目で辿り、やがて視線が、剥き出しのエンジンルームに至ると急ぎ振り返った。
「おい! ポンコツ! ゲロを何とかしろ! エンジンルームは塗装してないんだぞ!」
ワカッテイル! ジャーマンD7は運転席の上に立つとプロペラの如く盾を高速で回転させ、ゴブリンが放つ瓦礫を打ち払い、ヘドロを弾き飛ばす。
「オノレ……コノ吐瀉物ヲ兵器ニ転用すれば、治安維持の一助に……」
「お前のその邪悪な思考を排除することが一番この街の平穏に寄与するぞ絶対に」
アンドロイドの尽力で燃料を補給し、荷台も軽くなったトラックは快調である。
リックはメーターと乗り心地とスピードを確認した。
「これで、へそを曲げなきゃ、逃げられるんだが」
「リック・ヒギンボサム! 吐瀉物ノ雨カラ脱シタようだ」
そりゃ結構だ、リックは本心からそう言った。
「そうも言ってられないミタイダ」
良い知らせを報告した張本人が撤回する。
ゴブリンは倒れ伏し、顎下にぶら下げた肉の塊が地面をとらえると、左右から肉塊を挟む手のような筋肉が連動して、肉塊が回転を始めた。
発進するゴブリンは立ち止まる前より速い。瞬く間にゴブリンとトラックは開いた距離を縮めていく。
その厳然たる事実をサイドミラーに映る鬼面によって理解させられたリックは、目を見開き、歯噛みする。
「畜生! 腹の中を空にして速度を増しやがったか」
「コチラモも荷台から汚物を除去し、速度は多少なりと上がっているハズだ」
「それだって限界がある。お前って言うお荷物も積んでるしな」
「私がいなくなってもイイのならいつでも下車しよう。ただしそうなるとドラム缶の後始末は貴殿に一任せざるを得ナイがな」
ゴブリンに対する釣り餌でありトラックの燃料の扱いを問われ、舌打ちするリック。
「卑怯なところだけは人間以上だな。そんなに荷台に居たいなら無駄口叩かず銃でもなんでもぶっ放してゴブリンを止めてくれ!」
「ソレで止まってくれるなら、いくらでもヤル」
有言実行の手始めに、ジャーマンD7がショットガンを撃ち鳴らす。
迫りくるゴブリンは散弾を浴びて顔に傷を入れるが勢いは収まらない。ひるむこともない。
ならば、とトラックに追従してきた保安車両から援護射撃も加わる。火力がゴブリンの厚顔を襲う。しかし
「ナゼ止まらナイ! さっきはアレほど反応していたというノニ」
『お前らが攻撃しすぎたせいで顔面の組織が分厚く硬くなったんだろうよ! それが装甲となってるんだ』
「ドウいうコトだ」
『人間の回復と似た原理だ! 傷跡が固い組織に置き換わる。お前だって怪我した後……お前には分らんか!!』
「私ノ装甲ハ不完全な人類と違い生体的破損である『怪我』という状態ハ皆無ダ」
『その代わりに簡単に錆びる』
「貴様とて腐食性ヲ示ス物質に暴露すれば……。それはそうと一体どうすればイイ」
ジャーマンD7は問いただそうとするが、そんな余裕はなかった。
ゴブリンは肉の車輪を腹の方へ押し込めると一気に頭をトラックへ差し向け、開口した顎で噛みつく。
首を伸ばして迫る鬼面は、あと少し距離が足りず、獲物を捕り損ねた牙が打ち鳴らされる。
ジャーマンD7はすかさず散弾を大盤振る舞いした。
リックは説明しかできない。
「もし、予想が正しければ、今、ゴブリンの上皮組織は防弾ベスト並みに頑丈になってる! 職人もSmの皮膚の強度を確保するためにサンドブラストとかで皮膚の再生と構築を促す。下手な攻撃が仇となっちまったな」
「今後ハそんな無駄ナ機能が発動しないようSmを規制する法案が必要ダナ」
「なら、アンドロイドの権限縮小法案も併せて市議会に提出だな!」
アンドロイドが怒りの代わりに提言すると、老人が提言で対抗する。
その一方で保安兵のアーサーは駆けるバイクの速度を落とし、トラックの後ろに割り込んだ。彼が後ろへ転がした手榴弾は、ちょうどゴブリンの顎の下で爆発を起こす。
ゴブリンは振り絞った金切声で大気を震わせ、体を横に傾げ、表皮を地面に擦り付ける。削れた組織が道路を汚く舗装する。ただし、横転には至らず、踏み鳴らす後ろ脚で体勢を立て直す。
リックは開けた窓からサムズアップした手を突き出し、でかしたアーサー! と惜しみなく称賛した。
アーサーは二本の指で軽い敬礼を返し、機械の上官に近づくと無線で連絡する。
「署長も褒めてくれていいんですよ?」
「貴様のやったコトは保安兵として当然の業務……とはいえ働きに満足だ。今後モ励メ」
上官を見つめたまま瞬きするアーサーは、思ってもみなかった労いの言葉に当惑の表情を浮かべ、天を仰ぐ。
「うわ、どうしよう。空落ちてくる?」
部下に対しジャーマンD7は。
「ソレより爆弾はもうないノカ」
ありますよ、と答えた部下に、ヨコセ、と機械の手が突き出された。
アーサーは二つあるポーチのうち一つを肩から外して上官に投げつける。
そして部下と上官は一緒に空を仰ぎ見て、放出された吐瀉物を視認した。
車両は左右に逃れ、降り注ぐ廃棄物に場所を譲る。
バイクのミラーに映る鬼面を睨んだアーサーは、それが再接近しているとわかって陰鬱な顔にならざるを得ない。
上官の言葉が無線を通して届く。
『どうやらアノ程度の攻撃では気休メにしかならぬようダ』
せっかく開いた距離も着実に縮み、加えてゴブリンが突き出したチャームポイントの頭が射撃の邪魔をして、ウィークポイントの肉の車輪に当たらない。
「どんだけ恨んでんだよウチの署長を」
ジャーマンD7が、リック・ヒギンボサム、とフルネームを呼ぶ。
『ああ、相当恨まれてるな』
「冗談カ、ソレとも本気カ?」
「冗談だ。Smに誰かを恨むほどの意思はない。ただワシの調合した特性オイルの匂いに誘われてお前を狙ってるんだよ」
「それは意思が……まあいい。ナラバ現状、ゴブリンは他のモノに興味を示さないんダナ?」
『絶対とは言えないが。あからさまにヤツの本能を刺激するものは他にないだろ。時間が経てば、どうなるかわからんがな』
「どういうコトだ」
『あれだけ大きくなって相当空腹だろうし。ああして腹にもう一つ口をこさえてコンクリまでしこたま食ってたようだ。そうだよな?』
「コンクリートを捕食していたのは確かだ」
『そうなると。こりゃ……ひょっとすると二つ以上のグレーボックスが形成されてるかもしれん』
『それって良いこと? 悪いこと?』
などとアーサーも話に加わる。
『あれだけのパフォーマンスを実現しているということはグレーボックスの誕生は間違いない。なら新規に、それも複数誕生しててもおかしくない。発生を制御できてるなら無駄な器官なんて作らないだろうが今は違う。奴は人の手を逃れ、いわば、進化の過渡期に入っている。一個体の体内だけで、発生と淘汰を果たし、手あたり次第に体の形状を変えて環境に最適な形になろうとしているんだ。そのために周りの物質を取り込み、時にそれを指標として肉体のコンセプトを精査し、あるいは材料とする』
そんなことあり得るのかよ? とアーサーは懐疑的だが同時に現実も見ている。
リックは。
「Smってのは勝手に形を変える粘土みたいなもんだ。それを何十年にもわたって人間が失敗と改良を重ねて今に至る。だからこそ便利な反面、制御が欠かせない」
『――主なる神は、アダマの塵で人を造り、命の息をその鼻に吹き込んだ……カ?』
リックは鼻を鳴らした。
「ならこれは、人間が神の真似をした罰かもしれんな。うん……」
組織の一部を採取して培養して売ったら儲かるか、とリックは最後に独り言を呟く。
「盗難車両ノ押収ハこちらの領分ダゾ」
言ってみただけだ、とリックは運転に集中する。
「口を働かせるナラ是非、ゴブリンを止める方法を語ってもらいたい。ヤツの興味が変わらぬウチに」
嫌味ったらしい言葉を受けてもリックは沈黙していた。その目はまっすぐ行く末を見据えているが意識はどこか深い場所にあるようで、表情は怜悧な形状を保つ。絶え間ない爆発音、咆哮、銃声。それらの騒音が老人の集中力を奪うことはできない。
「……一つ提案だが」
ナンダ、とジャーマンD7は返答と射撃を並行する。
「また賭けになるぞ?」
「一応聞かせてモラオウか」
ショットガンから放たれた散弾は巣から飛び出す蜂の群れのように鬼面に食い込み、表層を削り飛ばす。
後ろを振り返るアーサーはバイクを巧みに操縦して吐瀉物を避け、対象との距離を保ち、体を捻ると、小銃によって的確にゴブリンの眼球を潰す。
そしてジャーマンD7は、ピンを抜いた手榴弾のレバーを開放し、近づいてきたゴブリンの顎の下へ投じた。
アーサーも肩にまだかけていたポーチから手榴弾を取り出し、バイクのグリップの端にピンをひっかけ引っこ抜く。
銃撃と爆発がゴブリンを攻める間にリックの説明は完了していた。
ジャーマンD7は。
「ソレを成す為には何ガ必要ダ?」
「ゲイボルマブが欲しい」
なんだそれ? アーサーは質問と同時に爆弾を後方へ投じる。
『Smの骨形成を促進する薬品だ』
「貴殿ノ職場デ回収デキルか?」
『いや、ガレージは反対方向だし整備が続いて品薄だ。そんでも在庫を抱えている場所がある』
「Smの薬ならどっかの工場で大量生産してるんじゃないのか?」
『それもいいが。この先の右に曲がってまっすぐ行くと、ドラゴンノックジムっていう場所がある。そこに先週納入したばかりだ。話せばすぐに持ってきてくれるし工場連中よりも融通が利くだろう」
「ナラバ」
「誰かが持って来てくれれば」
「私ガ行ク!」
突然言い出すジャーマンD7にリックは叫んだ。
「ちょっと待て! そしたら誰がこのトラックを守る!」
「安心しろ。部下たちが守ル」
相手の不安や焦りに対して、冷徹に思えるほど淡々と回答するジャーマンD7。
だが危機は目前、ゴブリンがトラックへ突っ込んでいく。
巨体が荷台を襲う、それを妨げたのは並走していた保安兵の車両だった。
車両は体当たりを決行し、ゴブリンの進路を曲げる。その車内では。
『一旦対象カラ車両を離脱し火器による攻撃に移行セヨ』
と上官の音声が無線より発せられ、一方で、助手席と後部座席の保安兵が銃撃を継続する。
ゴブリンは攻撃してくる車両を忌避し、車線を右へ移行した。
別車両の車内にジャーマンD7の声で、突撃セヨ、と号令がかかる。
最初に突撃した車両の社内では、距離をトレ! と指令が下る。
ゴブリンの右側から車両が激突し巨体を押し戻す。
最初の左車線の車両はしっかり距離をとって巨体に巻き込まれるのを防ぐ。
左右からの追突で、ゴブリンも流石に進撃の速度が鈍った。
Now Loading……
町中を走るトラックは運転手である老人が一気にハンドルを回したことで左へ移行する。
それまで走行していた車線には、後方から噴出したヘドロが降り注ぐ。ヘドロの正体はゴブリンが晒す喉からあふれた吐瀉物であった。
黒い汚濁は低く垂れこめた暗雲となったのも束の間、地上へ向かう。
車の燃料補給を遂行していたジャーマンD7は、運転席の上を渡って荷台に帰還する。拡散する汚濁の時雨が荷台に落ちると、転がる汚物を一つ摘み、ヘドロの構成要素の一つが、コンクリート片だと断定し、すぐに手放す。
ジャーマンD7は即席の盾を拾い上げ、降り注ぐ汚濁の雨を防いだ。盾の材料となったボンネットの所有者が保証した塗装の効果で、ゴブリンの邪悪な酸化能力が防がれる。
リックは得意げに言う。
「ソーニャに感謝だな。一緒にマイラを説得してくれなかったら、今頃この車も溶けてなくなって……」
言葉を弾ませたリックだったがフロントガラスに滴る黒い筋の行く末を目で辿り、やがて視線が、剥き出しのエンジンルームに至ると急ぎ振り返った。
「おい! ポンコツ! ゲロを何とかしろ! エンジンルームは塗装してないんだぞ!」
ワカッテイル! ジャーマンD7は運転席の上に立つとプロペラの如く盾を高速で回転させ、ゴブリンが放つ瓦礫を打ち払い、ヘドロを弾き飛ばす。
「オノレ……コノ吐瀉物ヲ兵器ニ転用すれば、治安維持の一助に……」
「お前のその邪悪な思考を排除することが一番この街の平穏に寄与するぞ絶対に」
アンドロイドの尽力で燃料を補給し、荷台も軽くなったトラックは快調である。
リックはメーターと乗り心地とスピードを確認した。
「これで、へそを曲げなきゃ、逃げられるんだが」
「リック・ヒギンボサム! 吐瀉物ノ雨カラ脱シタようだ」
そりゃ結構だ、リックは本心からそう言った。
「そうも言ってられないミタイダ」
良い知らせを報告した張本人が撤回する。
ゴブリンは倒れ伏し、顎下にぶら下げた肉の塊が地面をとらえると、左右から肉塊を挟む手のような筋肉が連動して、肉塊が回転を始めた。
発進するゴブリンは立ち止まる前より速い。瞬く間にゴブリンとトラックは開いた距離を縮めていく。
その厳然たる事実をサイドミラーに映る鬼面によって理解させられたリックは、目を見開き、歯噛みする。
「畜生! 腹の中を空にして速度を増しやがったか」
「コチラモも荷台から汚物を除去し、速度は多少なりと上がっているハズだ」
「それだって限界がある。お前って言うお荷物も積んでるしな」
「私がいなくなってもイイのならいつでも下車しよう。ただしそうなるとドラム缶の後始末は貴殿に一任せざるを得ナイがな」
ゴブリンに対する釣り餌でありトラックの燃料の扱いを問われ、舌打ちするリック。
「卑怯なところだけは人間以上だな。そんなに荷台に居たいなら無駄口叩かず銃でもなんでもぶっ放してゴブリンを止めてくれ!」
「ソレで止まってくれるなら、いくらでもヤル」
有言実行の手始めに、ジャーマンD7がショットガンを撃ち鳴らす。
迫りくるゴブリンは散弾を浴びて顔に傷を入れるが勢いは収まらない。ひるむこともない。
ならば、とトラックに追従してきた保安車両から援護射撃も加わる。火力がゴブリンの厚顔を襲う。しかし
「ナゼ止まらナイ! さっきはアレほど反応していたというノニ」
『お前らが攻撃しすぎたせいで顔面の組織が分厚く硬くなったんだろうよ! それが装甲となってるんだ』
「ドウいうコトだ」
『人間の回復と似た原理だ! 傷跡が固い組織に置き換わる。お前だって怪我した後……お前には分らんか!!』
「私ノ装甲ハ不完全な人類と違い生体的破損である『怪我』という状態ハ皆無ダ」
『その代わりに簡単に錆びる』
「貴様とて腐食性ヲ示ス物質に暴露すれば……。それはそうと一体どうすればイイ」
ジャーマンD7は問いただそうとするが、そんな余裕はなかった。
ゴブリンは肉の車輪を腹の方へ押し込めると一気に頭をトラックへ差し向け、開口した顎で噛みつく。
首を伸ばして迫る鬼面は、あと少し距離が足りず、獲物を捕り損ねた牙が打ち鳴らされる。
ジャーマンD7はすかさず散弾を大盤振る舞いした。
リックは説明しかできない。
「もし、予想が正しければ、今、ゴブリンの上皮組織は防弾ベスト並みに頑丈になってる! 職人もSmの皮膚の強度を確保するためにサンドブラストとかで皮膚の再生と構築を促す。下手な攻撃が仇となっちまったな」
「今後ハそんな無駄ナ機能が発動しないようSmを規制する法案が必要ダナ」
「なら、アンドロイドの権限縮小法案も併せて市議会に提出だな!」
アンドロイドが怒りの代わりに提言すると、老人が提言で対抗する。
その一方で保安兵のアーサーは駆けるバイクの速度を落とし、トラックの後ろに割り込んだ。彼が後ろへ転がした手榴弾は、ちょうどゴブリンの顎の下で爆発を起こす。
ゴブリンは振り絞った金切声で大気を震わせ、体を横に傾げ、表皮を地面に擦り付ける。削れた組織が道路を汚く舗装する。ただし、横転には至らず、踏み鳴らす後ろ脚で体勢を立て直す。
リックは開けた窓からサムズアップした手を突き出し、でかしたアーサー! と惜しみなく称賛した。
アーサーは二本の指で軽い敬礼を返し、機械の上官に近づくと無線で連絡する。
「署長も褒めてくれていいんですよ?」
「貴様のやったコトは保安兵として当然の業務……とはいえ働きに満足だ。今後モ励メ」
上官を見つめたまま瞬きするアーサーは、思ってもみなかった労いの言葉に当惑の表情を浮かべ、天を仰ぐ。
「うわ、どうしよう。空落ちてくる?」
部下に対しジャーマンD7は。
「ソレより爆弾はもうないノカ」
ありますよ、と答えた部下に、ヨコセ、と機械の手が突き出された。
アーサーは二つあるポーチのうち一つを肩から外して上官に投げつける。
そして部下と上官は一緒に空を仰ぎ見て、放出された吐瀉物を視認した。
車両は左右に逃れ、降り注ぐ廃棄物に場所を譲る。
バイクのミラーに映る鬼面を睨んだアーサーは、それが再接近しているとわかって陰鬱な顔にならざるを得ない。
上官の言葉が無線を通して届く。
『どうやらアノ程度の攻撃では気休メにしかならぬようダ』
せっかく開いた距離も着実に縮み、加えてゴブリンが突き出したチャームポイントの頭が射撃の邪魔をして、ウィークポイントの肉の車輪に当たらない。
「どんだけ恨んでんだよウチの署長を」
ジャーマンD7が、リック・ヒギンボサム、とフルネームを呼ぶ。
『ああ、相当恨まれてるな』
「冗談カ、ソレとも本気カ?」
「冗談だ。Smに誰かを恨むほどの意思はない。ただワシの調合した特性オイルの匂いに誘われてお前を狙ってるんだよ」
「それは意思が……まあいい。ナラバ現状、ゴブリンは他のモノに興味を示さないんダナ?」
『絶対とは言えないが。あからさまにヤツの本能を刺激するものは他にないだろ。時間が経てば、どうなるかわからんがな』
「どういうコトだ」
『あれだけ大きくなって相当空腹だろうし。ああして腹にもう一つ口をこさえてコンクリまでしこたま食ってたようだ。そうだよな?』
「コンクリートを捕食していたのは確かだ」
『そうなると。こりゃ……ひょっとすると二つ以上のグレーボックスが形成されてるかもしれん』
『それって良いこと? 悪いこと?』
などとアーサーも話に加わる。
『あれだけのパフォーマンスを実現しているということはグレーボックスの誕生は間違いない。なら新規に、それも複数誕生しててもおかしくない。発生を制御できてるなら無駄な器官なんて作らないだろうが今は違う。奴は人の手を逃れ、いわば、進化の過渡期に入っている。一個体の体内だけで、発生と淘汰を果たし、手あたり次第に体の形状を変えて環境に最適な形になろうとしているんだ。そのために周りの物質を取り込み、時にそれを指標として肉体のコンセプトを精査し、あるいは材料とする』
そんなことあり得るのかよ? とアーサーは懐疑的だが同時に現実も見ている。
リックは。
「Smってのは勝手に形を変える粘土みたいなもんだ。それを何十年にもわたって人間が失敗と改良を重ねて今に至る。だからこそ便利な反面、制御が欠かせない」
『――主なる神は、アダマの塵で人を造り、命の息をその鼻に吹き込んだ……カ?』
リックは鼻を鳴らした。
「ならこれは、人間が神の真似をした罰かもしれんな。うん……」
組織の一部を採取して培養して売ったら儲かるか、とリックは最後に独り言を呟く。
「盗難車両ノ押収ハこちらの領分ダゾ」
言ってみただけだ、とリックは運転に集中する。
「口を働かせるナラ是非、ゴブリンを止める方法を語ってもらいたい。ヤツの興味が変わらぬウチに」
嫌味ったらしい言葉を受けてもリックは沈黙していた。その目はまっすぐ行く末を見据えているが意識はどこか深い場所にあるようで、表情は怜悧な形状を保つ。絶え間ない爆発音、咆哮、銃声。それらの騒音が老人の集中力を奪うことはできない。
「……一つ提案だが」
ナンダ、とジャーマンD7は返答と射撃を並行する。
「また賭けになるぞ?」
「一応聞かせてモラオウか」
ショットガンから放たれた散弾は巣から飛び出す蜂の群れのように鬼面に食い込み、表層を削り飛ばす。
後ろを振り返るアーサーはバイクを巧みに操縦して吐瀉物を避け、対象との距離を保ち、体を捻ると、小銃によって的確にゴブリンの眼球を潰す。
そしてジャーマンD7は、ピンを抜いた手榴弾のレバーを開放し、近づいてきたゴブリンの顎の下へ投じた。
アーサーも肩にまだかけていたポーチから手榴弾を取り出し、バイクのグリップの端にピンをひっかけ引っこ抜く。
銃撃と爆発がゴブリンを攻める間にリックの説明は完了していた。
ジャーマンD7は。
「ソレを成す為には何ガ必要ダ?」
「ゲイボルマブが欲しい」
なんだそれ? アーサーは質問と同時に爆弾を後方へ投じる。
『Smの骨形成を促進する薬品だ』
「貴殿ノ職場デ回収デキルか?」
『いや、ガレージは反対方向だし整備が続いて品薄だ。そんでも在庫を抱えている場所がある』
「Smの薬ならどっかの工場で大量生産してるんじゃないのか?」
『それもいいが。この先の右に曲がってまっすぐ行くと、ドラゴンノックジムっていう場所がある。そこに先週納入したばかりだ。話せばすぐに持ってきてくれるし工場連中よりも融通が利くだろう」
「ナラバ」
「誰かが持って来てくれれば」
「私ガ行ク!」
突然言い出すジャーマンD7にリックは叫んだ。
「ちょっと待て! そしたら誰がこのトラックを守る!」
「安心しろ。部下たちが守ル」
相手の不安や焦りに対して、冷徹に思えるほど淡々と回答するジャーマンD7。
だが危機は目前、ゴブリンがトラックへ突っ込んでいく。
巨体が荷台を襲う、それを妨げたのは並走していた保安兵の車両だった。
車両は体当たりを決行し、ゴブリンの進路を曲げる。その車内では。
『一旦対象カラ車両を離脱し火器による攻撃に移行セヨ』
と上官の音声が無線より発せられ、一方で、助手席と後部座席の保安兵が銃撃を継続する。
ゴブリンは攻撃してくる車両を忌避し、車線を右へ移行した。
別車両の車内にジャーマンD7の声で、突撃セヨ、と号令がかかる。
最初に突撃した車両の社内では、距離をトレ! と指令が下る。
ゴブリンの右側から車両が激突し巨体を押し戻す。
最初の左車線の車両はしっかり距離をとって巨体に巻き込まれるのを防ぐ。
左右からの追突で、ゴブリンも流石に進撃の速度が鈍った。
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