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第01章――飛翔延髄編

Phase 65:知恵と強さの挟撃

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《マシダ》小型発動機Sm《ヤナリ》を搭載した筋動工具を売り出すブランド。マシダの工具といえば、固形経口燃料による補給効率と連続稼働時間に定評があり、一般人から本職まで幅広く愛用されている。販売する筋動工具はSm由来の有機装甲で表面を保護し、内部はほぼSm器官で構成されているため、破損した場合は、たいてい栄養補給と安静によって自己修復される。ドリルビットなどの先端工具もSm硬組織によって再現しようという計画があったらしいが、株主の反対によって計画は頓挫したという。












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 ジャーマンD7は近づいてきたアーサーの首にポーチをひっかけると、反対に回ってトラックに横付けした車両に飛び移った。

「私ノ部下達がゴブリンを押シとどめる。戻ってくるマデなら持ち堪えられよう」

『お前が行く理由は? 餌までかぶったのに! ゴブリンを連れて行く気か?』

「ドラム缶にも餌はたっぷり残ってイル。おそらく、私より強力に引き付けられるはずだ。ソウではないか?」

 確かにそうかもしれないが、とリックは荷台のドラム缶を意識する。

「ソレに私が行ったほうが交渉もスムーズに運べる上、量が足りないなら今度は」

『工場に行くってか? なら山ほど金を持って行ったほうがいいぞ。足元を見られるかもしれないしな』

「そんな時間も資金もナイ。もし、出し渋るようなら公務執行妨害及び治安維持助力違反で強制執行スル」

『そうかい。ならさっさと取ってこい!』

「私が戻るマデ誰一人食われるな。私が視認していない時に負った損害の労災認定は最長で20年の審議が必要とナルぞ」
 
 嘘ですよね? のアーサーの質問は黙殺。
 ジャーマンD7を載せた車両は全速力でトラックを追い抜いた。
 リックがミラーを確認すると、片手の指では足りぬほどの車両がリックとゴブリンの間に割って入り、窓から身を乗り出した保安兵が銃撃をしている。
 先ほど以上の火力を一身に浴びるゴブリンだが進撃を止める気配はない。アーサーは保安車両に近づき、弾込め頼む! と言って小銃を託してからトラックの開いた窓に近づく。

「リック! あのデカブツが最初よりもタフになった気がするんだが? 防御力だけじゃなくてフィジカル面で! もしかして気のせいか? なら、気のせいだと言ってくれ」

「気のせいだ! これで満足か?」

 望みを叶えたアーサーは晴れぬ顔で後ろを振り返り、今まさに仲間の車両がゴブリンの追突で脇に押しやられるのを目の当たりにした。
 自分の縋るような思いに嘆息するアーサーは、正直なことを言ってくれ! と頼む。
 無線を通してリックは言った。

「お前さんの見立て通り、全体的にゴブリンの機能が向上している。顔面の肉を増やした一方で不要な神経や導管を取り除いて、相対的に筋力も上がったようだな。内部の組織が必要とされる仕事に対しての最適解を見出したんだろう」

 それを証明するつもりか、ゴブリンは後ろ足で体を持ち上げ、体当たりする車両を退かし、力を誇示する。
 つまり? とアーサーは現実から半ば目を背けたような力のない口調で尋ねた。

「もっとわかりやすく言うなら、今ゴブリンの顔面は熊の足裏並みに固くて分厚い皮でおおわれて、なおかつマッチョになってる。建物ぐらいでかいアメフト選手が競技用自転車に乗って爆走してるようなもんだ。さあどうだ。わかったか? これが現実だ」

「なるほど、硬くなったのは……ベースボール選手が練習して手にマメを作るのと一緒か? それとも……男が」

「少し違うが、それと似た組織改修プロセスが働いたと思ってくれ。ベースボールの例えだぞ? 破壊と再生がより強固な組織の構築を目指した結果があの顔面の強度だ。それと並行して運動による負荷や筋肉の活動からボディープランをブラッシュアップしてる」

「賢すぎるだろ。なんでそんなことできるんだ? でっかい脳みそでも詰まってるのか? 細胞一つ一つに。でなきゃ無理だろ!」

「いい着眼点だ。奴自身のグレーボックスはちっせぇだろう。けどヤツを構成する細胞の一つ一つは機能的に働いてる。それらに付随する疑似神経網の活動を大きな脳神経だと仮定すればお前の言葉は的を射てるよ」

「なるほど! つまり、俺は自分の言ってることの意味が分からないってことか!」

「そうか。まあ確かにワシだって、ゴブリンの新しいグレーボックスの回路がどんな働きをしてるのか正確には分からないしな。もしかすると最新の機体モニタリング機能を再現してたら……」

「その機能は俺たちに有利に働くか?」

 だといいな、とリックは吐き捨てる。
 何か対策は、と必死なアーサーは問い質す。
 現状一つだけある、と一縷の希望を口にする老人。
 それは? 光明を見出そうとするアーサーに対し。リックはミラー越しに一瞥いちべつを捧げる。

「お前たちがヤツの細胞以上に機能的に働くことだ!」

 アーサーの期待は無残に砕かれ暗澹あんたんたる気持ちでバイクの速度を落とす。

「畜生! これ以上働いたら過労死するっての!」

 不満を込めた爆弾はゴブリンの顎の下に転がって爆発した。






「よし……上の空間は取り戻したし。ついでに……」

 ソーニャは侵入口となった機体の上部に空間を再度開いていた。
 
「行くぞ! スロウス! 予行練習開始!」

 主の背後に付き従っていたスロウスは頭で機体の皮膚を支えて空間を確保しつつ、ウエイトレスが盆を持つ要領でソーニャを持ち上げると、ベルトの鞘から引き抜いた鉈を逆手に持って、刃で虚空を貫き、抉る様に刃を回転させる。皮膚を破るなよ、と命令するソーニャは全体の動きを確認。やがてスロウスがかき回した虚空へ、突っ込むまれる形で水平にスイングされる。
 都合六回往復を繰り返えし、その都度スロウスに持ち方を指示し、角度を説明したソーニャは足元から轟く物音に息が止まる。

 機内ではマクシムが、蠢く壁を蹴っていた。膨らむ布材は足裏に押し込まれることもいとわず、まるで出たがろうとするような挙動を繰り返す。それを睨みつけるマクシムの表情は、より険しいものとなった。

「ったく、さっきからうるせえしよぉ……。何なんだよ……」

 しばらくして、明瞭な物音がなくなったと判断したソーニャは。

「OK! 練習終わり! 一旦帰還!」

 そそくさとスロウスはソーニャを抱えて軟組織の坂を下り、機内の横っ腹へ至る。
 ソーニャは恐怖で失った体温を震えることで取り戻す。
 だが、奪われたのは体温ばかりでない。おそらく一番喪失したのは心の安定だった。
 
「危ない危ないばれるばれる。けど、ぶっつけ本番はもっと危ないし。ここで練習して、もし壁に激突したら、それこそ……まあでも最後に一回くらい」

 それを否定するように機内から打撃の音が響いた。
 気を付けてくれよ、とベンジャミンが指摘する。臓器の上に寝そべる彼は天井の組織を掴んで千切って除去して。相手の回答を待つ。
 しかしソーニャはあえて答えない。変なアドレナリンが冷静な判断を奪っていることについて自覚を深める。
 一方で、決意と目的を実現するための思考は冴えている、と自分に言い聞かせた。

「大丈夫……ソーニャなら、やれる」

『それは否定しない』

 軽く言い放ったベンジャミンの言葉に、ソーニャは顔が綻ぶ。

「そうだね。それじゃ……準備はOK?」

『OK!』

 なんでエロディが元気に応答するの、とエヴァンが冷静に指摘。

『いいの! こういうときはみんなの意思ってやつがパワーになるの! チアリーダーやってた同僚も言ってたから間違いない。 ねえソーニャ!』

 さては思わず反応したのを誤魔化したな? とマーカスが指摘した。
 うっさいなぁ、とエロディはご立腹だ。
 事態を全く考慮していないやり取りを聞いてソーニャは笑みを取り戻す。

「ふふふ、そうだね! それじゃみんなOK」

 重なり合って無線から届いたOKは、一人ではないことの証明となる。

「それじゃあ……」

『待ってソーニャ』

 無線から発せられたエヴァンの切迫した声色に、ソーニャはわずかに圧倒された。思い返すとOKの声に彼の声は無かった。

 エヴァンは無線機の前で少女の声を待つ。

『……絶対に帰ってくるよ。みんなで』

 エヴァンは歯を食いしばる。

 ソーニャは顔を上げた。
 ヘッドライトがスロウスを下から照らす。闇の中、骨を剥き出しにした顔が、恐怖を誘う角度で浮き彫りとなる。
 するとどうだろう、寒さもアドレナリンの効果も喪失し、強風の引き起こす騒音も意識から遠退いていく。
 不安感も不明瞭となり、おのずと表情も茫漠とする。
 心臓の音が少しずつ、沈静していく。
 ただ、覚悟だけは、なくならない。深呼吸して。

「行くよ!」

 スロウスを伴って組織の坂を下ったソーニャは窓の高さに至る。薬剤投与の影響で暗い色を呈する組織に触れ、強度を確かめるために皮膚全体を押し伸ばす。
 ソーニャが足を突き出すと、スロウスが真似をして皮膚を踏みつけた。ゆっくりとした空間拡張に伴い、組織が途切れる音がする。
 ソーニャは先ほど突き破った皮膚の傷とスロウスを見比べた。

「足元の組織はふさがってる。これなら、耐えられる……」
 
 アリの首の断片が列を成して組織に埋没している。これが意味するのは傷口の閉塞だ。
 いま鳴っている音は骨の組織の境界と皮膚を構成する層が離れる音に過ぎない。そう自分に言い聞かせることで精神衛生を保ち機内のほうへ意識を集中させる。
 白い組織が覆っている窓の向こうでは、犯人が凶行を重ねているのだ。その事実は、またしてもソーニャを震え上がらせ、怒りを呼び覚ます。もし無思慮であれば細かい考えもなく済んだだろう。しかし、それはできない相談だ。彼女はわずかの間しか見られなかった機内の様子と悪意に満ちた二人の人間、そして人質の境遇を補正を含めてまぶたの裏に再構築する。
 身の毛もよだつ情景。
 だけど、彼女の意気地を挫くには虚構の恐怖じゃ足りない。
 ソーニャは帽子とマスクとジャケットの密着具合を確かめる。その手に持つガンスプレーのボトルの繋ぎ目を緩めると、ボトル自体を捻って外し、新たなボトルを装着した。

「スロウス! さっきやった手順を繰り返して」

 主に名を呼ばれたスロウスは右足で機体の皮膚を足蹴にし、空間を確保すると、ウエイトレスの真似をしてソーニャを掲げ、空いた手で鉈を逆手に持った。
 狭い場所にたどり着いていたベンジャミンは巨大臓器に寝そべって直上の鉄板に裏打ちした金網から軟組織の除去をあらかた終えると、電動ドリルを手にする。

「OK隊長……。合図を頼む」


「それじゃ、カウント10でいきます」

 少女は無線に数を数える。
 数値が減るほどに人々の緊張の糸が引っ張られ真っすぐな刃となって、心臓に巻き付き、鋭く食い込む。
 3でスロウスが鉈を支える左手を体に引き寄せる。
 2でベンジャミンが電動ドリルを金網に定める。

「1ッ‼」

 スロウスは逆手に持った鉈を白い組織に突っ込んだ。

 分厚い刃に突き破られたガラスが機内に吹き飛ぶ。
 ベンジャミンが電動ドリルで金属板を穿孔する。
 突破された窓に注目していた犯人二人は、足元から発生した振動と切削音に視線を奪われる。
 鉈が窓枠を一周して残ったガラスを削り取る。スロウスの右手に掲げられたソーニャは腕をまっすぐ突き出し、足裏で皮膚組織を捉え、その手にガンスプレーとライターを握り締める。
 スロウスは、何もない窓枠に、一直線となった主を突っ込んだ。 
 犯人たちが侵入してきた影にあっけにとられる。
 皮膚を蹴った反発力と従僕の腕力によってソーニャは素早い侵入を果たし、一回転。華麗に着地、とはならず、尻餅をついて呻く。
 と同時に、ドリルビットが床を突き破った。

「なんなんだ!」

 マクシムが銃を構える。しかし目が合った相手が子供だと理解し、疑念に襲われ、今度は窓からの咆哮に鼓膜を殴られる。音の威圧は目の前の子供より恐怖を掻き立て、結果、銃口は少女から未知の脅威へと向けられる。
 犯人の銃口が定まるより早く、ソーニャは得物を構えた。

「必殺! 火気厳禁ファイヤー!」

 ガンスプレーが噴霧した微細な粒子は、少女が灯したライターの小さな火によって生まれ変わる。
 広がる炎にマクシムは手を炙られ、熱つぁあ! の言葉は絶叫と重なって襲われた鶏の悲鳴となる。
 決して良い子が真似してはいけない即席の火炎放射の威力にピートも追いやられ、少年の上を転がる。
ロッシュは一瞬、加重に死を感じたが、重荷がなくなったと理解すると、立ち上がる。
 直ぐに巨漢も起き上がる。それを察知して少年は果敢にも炎の下を潜り抜けることを決意した。
 炎が止んだ。その好機を生かすため、少年は本能が任せるまま走る。
 逃げる人質に追いすがろうと飛び出すピートだが、再び噴出したソーニャの炎に行く手を阻まれた。

「パイロットのおじさん!」

 異音に誘われ、ヘッドフォンをずらしていたアレサンドロは、少女の声に振り返る。










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