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第01章――飛翔延髄編

Phase 85:重力を調整する仕事

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《トンボー PT 579》プルート・トンボー社が生産する汎用ヘリコプター。Smチキンレッグ式ローターを採用しており、表面はプルート・トンボー社自慢の多重金属組織甲殻で覆っている。重量も軽く、燃費と操作性に優れ、値段も安く抑えており、保安兵舎などにも採用されている。














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 メーターに合わせて多数のレバーを段階的に下げていく機関士。モニターも確認し、メモリにも注意し、時に計器盤のダイヤルを微調整し、所狭しと詰められた多種多様な装置を見渡して、機器計器の数値に忙しなく気を配る。
 外に目を向けると、クラウドウェーブがミニッツグラウスを包み込むように飛行を始める。その軌跡を視覚化すればスプリングの中にミニッツグラウスが入った形となる。それを手伝うのは、複数のナスで、機体の上下左右に一体ずつ。併行し、機体が近づくと腕を広げ、それらを俯瞰していた7体目のナスが、クラウドウェーブの正面で、降伏するように手を挙げ、時に垂直にした両方の二の腕の間を狭め、機体の旋回の幅を指示し、あるいは腕を水平にして自身が降下することで、高度を知らせる。
 ミニッツグラウスの機内では、四者が窓に近づいていた。
 上へと姿をくらます機体を見送るソーニャが、アレは何をしてるの? とベンジャミンに尋ねた。

「重力補足を始めたんだ……」

 聞き慣れない言葉にソーニャは自然と表情を曇らせ、重力補足? と単語を復唱する。
 ベンジャミンは頷いた。

「重力牽引の最初の段階で、重力機関を使って、特殊な力場を作り出す。そこから計測器を使って周りの物質の質量や位置などを求めるんだ。もっとわかりやすく言うなら……見えない手で引っぱったり、対象を撫でまわして形と重さを割り出す」
 
「そうしたらこの機体を引っ張れるの?」

「ああ、安全かは別としてな。だよな管制塔」

 ギャレットが、その通りだ、と一言添えてから話し出す。

『責任長は自身も経験したことのない作業を簡単にできると思っているようだ』

「口で言うくらいに簡単にいけばいいがな」

 その時、ソーニャが首筋の違和感を手で押さえる。彼女が掴んだのは、自分が首にかけていた無線機の紐で、無線機そのものも異様な動きで鼻先を漂っているのを寄り目で視認する。そして、全身を包む浮遊感に誘われ、軽い屈伸で跳躍すると、緩やかに昇っていった。
 天井に手が触れたソーニャは興奮に目を見開き、なにこれえええ! と無邪気にも聞こえる黄色い声を上げた。
 ベンジャミンは苦虫を噛み潰した顔で、始まったんだよ、と言った。
 ロッシュは鼻をくすぐる塵にくしゃみを誘発される。そんな息子の肩を掴むアレサンドロは。

「重力機関の力か。初めて体験したが、なんだ、重さが違うみたいだが」

 小さなものは浮遊し、重いものはまだ床についている。それを訝しむパイロットにベンジャミンは応える。

「簡単に浮かぶものとそうでないものがあるって言いたいんだな? だが、時期に俺たちも浮き上がるぞ。ったく。デモンストレーションくらいでしか味わってないが。こういうのは地面に足をつけた状態で体験したいもんだ」

 どうなるの? さしものソーニャも着地したころには、大人たちの表情に気持ちが引っ張られる。

「簡単に言えば無重力に近くなる。重いものでも場合によっちゃ飛んでくるから気いつけろ」

「重力がなくなるなら、ぶつかっても大丈夫じゃ」

「だが、いつ重力操作が終わるかわからない。その時、頭の上に重いものが浮かんでたら……」

 ソーニャは頭上の位置に幻想の物体を思い浮かべ、それを自身の頭頂部に落とす。不必要に感じてしまった不快感を頭を撫でることで緩和する。
 似たような幻影に襲われた整備士は。

「いったん、席に座ったほうがいいか」

 投薬は? ソーニャが疑問を呈するが。

「強引にすれば、無重力でも、できなくもない。だが、リスクとリターンが釣り合ってるとも思えないし、細かい状況に合わせて計画を練ったほうがいいだろ? 俺たちならそれができる」

 持っていた薬剤を検めてから懐にしまうベンジャミン。
 ソーニャは鞄に向かう。
 窓に近づいていたアレサンドロも慎重な足取りで座席に深く腰を落とすと、ベルトを引っ張り準備する。

「ロッシュも親父さんに掴まっとけ」

 整備士の助言に従うロッシュは、急ぎ振り返って一歩を踏み出すと、思った以上の跳躍結果となり、慌てて天井を押し返し、今度は操縦席にしがみつく結果となった。
 大丈夫か? と尋ねる父は我が子の手を掴み引き寄せる。
 ロッシュは、うん、と頷いて今一度、窓から外を見た。
 ソーニャも座席に座れ、と告げる整備士に対し。
 ベンジャミンは? と少女が返す。座席の一つは持ち主の親子が正当な権利として確保している。
 残る副操縦席に手をかけたベンジャミンは。

「俺は俺で何とかするから気にするな」

 ソーニャはスロウスを視認する。

「ソーニャはスロウスにしがみつけば……」

 ベンジャミンは首を縦に振らなかった。

「だめだ! ベルトで体を固定しろ」

 そう言ってベンジャミンは、アレサンドロが我が子と自身をベルトで固定したのを手で示す。
 ソーニャはすぼめた口を曲げてみるが、わかった、と素直に応じる。荷物を入れ直した鞄の口を閉じ、アレサンドロの無傷の膝に腰掛けるロッシュを見てから。

「ベンジャミンはソーニャの膝に座る?」

 苦笑いの少女にベンジャミンは鼻を鳴らし、馬鹿言うな、と緊張から表情の主導権を奪って緩い笑みを作る。

「でも、重力がなくなるならソーニャも重いものを支えられるんじゃない?」

「言っただろうが。重力操作がいきなり切れたら、ぺしゃんこだぞ。毎年それが原因で事故が起こってるんだ」

 先に副操縦席に到達していたベンジャミンのエスコートでソーニャが座面に腰を下ろすよう導かれる。

「じゃあ膝には鞄を乗せちゃうよ」

「そうしてくれ、もしそのなんでも詰まった鞄が頭から落ちてきたら、一度死ぬだけじゃ済まなそうだからな。俺はお前さんが座った後、座席にしがみついている」

「スロウスにしがみ付いたら? ソーニャが命じて支えさせるよ?」

 真顔で端的に拒否するベンジャミン。

「いや結構だ。俺は自分の腕を信じてる」

 ロッシュは後方のスロウスを覗き、でっかいSmは固定しなくて大丈夫? と疑問を口にした。
 ソーニャが確認したスロウスは広げた両手足を迫る壁に押し付けて。体を固定している。マクシムも死んだように眠っている。だが、まだ余力のあったピートは、どうなってんだよ! とスロウスの股の下で喚きながら少し床から離れ始める。
 ベンジャミンは親指で犯人を示し。

「あいつらこそ、支えが必要なんじゃないのか?」

「スロウス! その太った人を捕まえておいて、それと痩せた人も足で軽く押さえておいて」

 少女の命令を聞いてベンジャミンは。

「おい、そんな適当な指示で大丈夫かよ」

 心配の声にてられたソーニャは、どっちも怪我させないようにね! と一言加える。
 スロウスは逡巡するようにしばし沈黙して犯人を見つめた後、マクシムが力なく広げた足に自らの片足を差し込み引き寄せ。ピートのベストの袖を軽く摘まむ。
 Smの出した答えにベンジャミンは眼を瞬かせた。

「本当にすごいな。あのSmの判断確定能力。軍用レベルじゃないのか?」

 ソーニャは固い表情になり、しらない、とそっけなく述べる。
 ベンジャミンは少女の感情の機微に違和感を覚えたが、横顔を伺がっただけで何も言わず外に視線を向けた。
 すると、窓の下から機影が現れる。
 ミニッツグラウスの機体を前から後ろ、そして再び前に向かって一巡したクラウドウェーブ。その機内では機長が操作と通信を並行していた。

「こちらケラーマン。立体旋回を完了した」

『こちら機関室。対象質量および必要力場範囲の算出完了。牽引の問題なしとの評価です。対象の機体重量と当機のみを考慮すれば、作戦は可能です』

「了解。では、これより目標位置に当機を移動させる」

 外では、ナスが2本の腕を扇ぎ、自身に向かってくるよう指示する。それに呼応してクラウドウェーブがミニッツグラウスの直上に至ると、最終的にナスが両手を突き出し、止まることを願う。
 それを受けて、クラウドウェーブの速度が減じ、各機体から一定の距離を保った。

「目標位置に到達。重力関係構築を求める」

 ケラーマンの要求に。

「了解、重力関係構築」

 重力機関士が表示計を見ながら、複数のレバーを望ましい数値にまで傾け、ギアを切り替える。ダイヤルをセットし、打鍵を連打して数値を入力する。
 モニター画面に緑の文字列が並び、ある個所では列をなすニキシー管が数字を光で描いた。
 準備完了、と機関士の言葉に機長は。

「了解……。こちらケラーマン。牽引準備が整いました。責任長」

 ヘリの中で紙コップからコーヒーを啜っていた責任長は軽くむせた。

「了解した! では、ナス部隊! 作戦を始めろ!」

 上ずった号令を合図にナスが一斉に動きを開始する。
 ソーニャはベルトに固定された体をできる限り伸ばして外を覗く。

「遠隔操作でなおかつ細かい制御が求められる場面でナスをチョイスするのは、うん、いい判断だ!」

 おもむろに腕を組むソーニャは、有識者らしく大仰に頷いて見せた。
 アレサンドロが、というと? などと疑問を呈する。
 ソーニャは年相応と言っていいのか、子供らしく体も声も弾ませた。

「ナスって手先を人間みたいに器用に扱えるんだよ。頭に刺した電極で無線通信をしてね!」

「ああ、あの気色の悪い見た目はそういうことか」

 親子は一瞬だけ、というより、その醜怪な容貌を直視できず、すぐさま顔を背けてしまったが、人の手の形をした器官はシルエットだけでも印象に残っていた。
 ソーニャはもっと具体性を帯びた記憶を頼りに話を続ける。 

「うん、だから信心深い人とかには人気ないけど。でも高いところの作業とかで活躍するから高所作業とか、人が簡単に出入りできない場合に使われる。それでも足場に着陸してから操作するのがセオリーなんだけどさ」

 ベンジャミンは自身は固定されていないことをいいことに、位置を変えて窓から外を覗いた。

「それだけじゃない。あいつらにはオプションのパーツが搭載されてるようだな」

 彼が指さすナスの膨らんだ尾部、つまり虫であれば腹部に相当する部位に器具が装着されているのが分かった。
見た目でいうと、巨大な注射針を固定した万力とでもいえばいいのか。工具とも武器ともいえる迫力がある。

「ありゃ、空中投薬機だ。飛行するSmをいちいち降ろしたりせず栄養や薬品を入れたりする器具だな」

「ということは、空いた手足で張り付いて、尾部の器具で注射を実行するの?」

 ソーニャも腰を浮かせて窓を覗き込む。

「あまり、使い勝手がよくないと思ってたが。なるほど、ナスだったら、空いた手で作業の幅がふえるよなぁ……」

「けどあれって手動操縦じゃなさそうだね?」

「だな。グリップめいたものがない。あるいは、内部に格納して……」

「機械的作動ですか? いや、それだと作動のための筋肉の配置が必要になるから、ボディーラインが崩れる。多分グレーボックスから腹部にまで新しい伝導路を構築して、シグナル応答で動作させるんだよ。結構凝ってますなぁ……」

 アレサンドロが口をはさむ。

「でも。流石に地上とこれだけ距離があったら……。通信に影響しないか?」

「街中だぞ。通信強度は確保される。外部通信と違ってな。まあ、通信暗号を解析される可能性はあるがな」

「それでナスまでハイジャックされたら笑えないな」

「安心しろ。町の中であれば中央送信局を介してるだろうから、安全だよ」

 大人たちの会話の合間にも、ソーニャは背を伸ばして、地上の風景に目を向けた。









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