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第01章――飛翔延髄編
Phase 101:ヒトの撤収
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《軍用Sm》その言葉自体はSmが誕生してから存在するものの、依然として定義はあいまいである。しかし、往々にして該当するのは、中央政権軍や地方自治軍が独自研究によって開発したか、あるいは各企業が軍事目的を念頭に置いて売り出した機体を指し示す場合である。そこに、機体の能力、技術秘匿の有無を加味すべき、との意見もあれば、軍用というくくり自体が無意味だとの指摘もある。この理由は、一般に向けて作られたSmも、軽微な調整だけで十分軍事利用が可能であるからだ。しかし、紛争や企業間戦争が絶えないザナドゥカにおいては、平時と有事を分かつ指標となる言葉である。
Now Loading……
ミニッツグラウスでは。
スロウスが操縦席の窓枠の上部を掴み、下部を踏みつけ、力を振り絞る。上下に向かう外圧によって、窓枠は鈍く響く音を鳴らして拡張される。さらにスロウスは窓枠を肩で持ち上げ、無理やり外に出るような姿勢で、さらに内径を広げた。
一頻り破壊活動に精を出して、一旦機内に引っ込んだスロウスは、これを外に出して! と主が命じるままピートを抱え、外に滞空するナスに受け渡した。
『畜生……こいつ重すぎる。すまん! あともう一機呼んでくれ』
『窓枠広げなかったらこりゃ運ぶの苦労だわ』
ナスの通信が操縦者の苦悩を吐露する。
都合三機のナスが、肥えた犯人の胴体と足を抱えて、腰を下支えし、連れていく。
その最中、ミニッツグラウスの絶叫で気を喪失していたピートが目覚める。瞬せた目が遠い地上を捕捉し、使えてない脳が、この時ばかりは的確に危険のシグナルを飛ばしたらしい。
「うわあああ! なんなんだーッ!」
恥も外聞もない大声をまき散らす犯人に対し、暴れるんじゃねえ! 死ぬぞ! とナスたちが忠告する。さらには顔を寄せて体をぎゅっと抱きしめてくれた。それがどれ程有り難いかを理解しないピートにとっては。
「ぎぎゃああああああああ!」
ホラー映画か悪夢にしか出てきてほしくない造形が目の前で現実となって、体を拘束しているとしか思えなかった。正当な理由を持つ恐怖を爆発させた犯人は、鞭打たれた豚のように泣き喚く。罪科を承知していても、人の哀れを誘う。
ナスの操縦者はため息をこぼす。
『たく、うるせぇな。気持ちはわかるが。はぁ……早く特別機種来ないかなぁ』
『ぼやくのは後だ。これがうまくいけば、もっと予算も出るし、その分、特別機の供与も早まる。だから、さっさと保安兵に引き渡して作業に戻るぞ』
助けてくれえええ! と訴える犯人に。
だから助けてんだろうが! とナスは理解しつつも怒鳴った。
降下するピートを追うように、マクシムを抱える一機のナスが飛んでいく。
そして、ガラスのない窓枠から、マスクの奥にやるせない眼差しを宿す少女が出てくる。機内に振り替えれば、男二人がカバディーの選手然とした構えで、絶対に送り出す意思を示す。
ソーニャは。
「わかったよ! 出るから。スロウス! カムヒア!」
スロウスの追従を確認したソーニャは出迎えのナスに、よろしくお願いします! と告げる。
彼らの会話は人が耳にかけた通話装置で果たされる。
少女が丁寧に言うのでナスも優しく、はいわかりました、と応対して小さな体を抱きしめた。スロウスは主が出るまでその腰を支えた。
あのSmもお願いします、とソーニャはしがみ付くナスともう一機に懇願する。
何キロ? と問われ。300位、と開示したソーニャ。
『そんなに? ちょっと無理だ!』
「幅は大丈夫だから複数体で担げば……」
『重すぎるって!』
そんなぁ、とソーニャは引き返すつもりか振り返る。しかし、すでに機体から離れていた。
ベンジャミンは、お前が行かないなら俺たちも行かないぞ! と風とマスクを度外視して大声で訴える。その目には背後から迫る危機に対する焦燥が伺えた。
ソーニャは口をへの字に曲げ、トランシーバーに告げる。
「畜生! スロウス! お前はお留守番だ! 人間に場所を譲れ!」
腰まで出ていたスロウスはその場で停止し、人間二人にベルトを引っ張られ奥へと下げられる。
ベンジャミンが窓に姿を見せ、ソーニャの鞄を引き上げる。
それは置いて行って! とナスが告げる。
薬品がいっぱい詰まってるんだ! とベンジャミンが返す。
『もぉ……わかりました。ください』
と文句を吐露するナスは鞄を受け取り重さに体を揺らす。これ重量どれくらいだよ! という不満に対し。ベンジャミンは、俺より軽いだろ、と述べ負傷者に脱出の順番を譲る。
コクピットの天井の写真を何枚か回収したアレサンドロは、内外の手を借りて、愛機を離れた。
「生き残れスロウス! 絶対に生き残れ!」
ナスに引き上げられるソーニャがトランシーバーで最後に下した命令。
真っ赤な視界が上を向けば、遠ざかっていた少女が横へと連れ去られ、やがて窓から消えてしまう。
――rObBBed? nO retReat
赤い視界の中、ちぐはぐで、くたくたな文字が、ゆらゆら揺れて泳いでく。
輸送用の航空機の中、うずくまっていたロッシュは搭乗口に人が投じられるのを察知し、顔を上げた。
おっと! たたらを踏むソーニャは何とか転倒を免れ、運んでくれたナスにお辞儀し、どうもありがとうございました、と感謝する。
手を振るナスは外に出ると代わってアレサンドロが機内に入れられる。彼は安堵し、もっと優しく降ろしてくれよ、と笑顔で文句を浴びせる、つもりだったが。
「お父さん!」
その声に振り返り飛びついてきた息子を抱きしめた。
ロッシュ! と名前を呼ばれた少年は涙を父親に押し付ける。
アレサンドロはいったん搭乗口から離れて膝を屈し、怪我はないか? と我が子の全身を見渡す。その過程で、我が子の手に分厚く巻かれた包帯に、視界が滲んでしまう。
しかしロッシュは涙を拭い平然とした顔を作って、大丈夫だよ、と答えた。
その声には子供にふさわしい元気な気持ちしかなかった。
「そうか! よかった本当に良かった!」
アレサンドロは改めて我が子を抱きしめ弾む心を分かち合う。
その間にベンジャミンもやってきて、遅れてやってきた鞄を受け取った。
ソーニャは、ベンジャミンの鞄は? と今更の疑問を口にする。
彼は険しい表情で首を横に振り、機体の奥に飲み込まれたかもしれん、と答えた。
ソーニャは表情を失う。
ロッシュは二人の顔から状況を察し、父に問う。
「ミニッツグラウスはどうなったの? 墜落したの?」
不安いっぱいで窓の向こうに機体を探す息子に対し、アレサンドロは首を横に振った。
「大丈夫だ。まだ落ちちゃいない。ただ……」
言い難い状況なのだとロッシュは父の面持ちで理解し、俯く。
ベンジャミンは親子の心情を覚った。
家と思い出と仕事を一挙に失う。それは辛い結末であり、背負うには重い喪失感だろう。
人間の本能的共感力に苛まれたベンジャミンが顔を背けると、振り返った先でソーニャが搭乗口から身を乗り出し外を伺っているではないか。
彼女の襟を引き寄せ、危ねえだろうが、と叱責するも。彼もまた窓よりも広い視界を保証する搭乗口から外を望んだ。
ソーニャの横顔を一瞥したベンジャミンは、彼女の言い表せぬ負の感情を読み取り、頭を掻く。そして逡巡を少し挟んでから、言葉をかける。
「大事なSmを置いて来たことは悲しいだろうが命はあるんだ。そう悲観するな」
ソーニャはひどく険しい人相となる。それは少女に似つかわしくない、殺人でも起こしそうな面構えであり、その顔で整備士の言葉に断言を下す。
「いや……ッ。大事じゃない! 断じて大事じゃないッ!」
「え、そ、そうなの? そうか、それならよかったな! なら、無くなっても壊れても気にしなくていいな」
「……いやッ……良くはないッ」
ベンジャミンはより顔を歪める。少女をおもんばかり、負の感情から救い出そうと苦心して、笑顔を振りまき道化ともとれる楽観的な立場をとったのに、それ等の気遣いが無駄にされた。
どっちだよ、とベンジャミンは突っ込む。
ソーニャは顔をくしゃくしゃにして。
「いろいろ複雑なのぉ!」
と声を大にして髪を揉みしばく。
扉から入ってきたナスが忠告した。
『席に座って! ロッシュくんも! じっとしてるって約束したでしょ!?』
ごめんなさい、とロッシュは席に戻る。
このまま地上に降りるの? と少女が指摘するがナスは言う。
『いや、地面が恋しいだろうが、こいつは俺たちにとっても補給の要。もう少し我慢してくれ。ほかの航空機を手配してる途中だから』
滞空するナス同士は通信で対話する。
『ナスで地上に降ろしてもいいが』
『いや危険な真似は避けるべきだ』
『でも今仲間が犯人で試したけど意外といけるぞ?』
『万が一落としたら、遺族になんて説明するんだ? ごめんなさい手が滑った、てか?』
『面白くないボケをどうも……』
『お前ら、無駄話してると無線聞き逃すぞ?』
案の定メイの通信が入る。
「各員ミニッツグラウスから距離をとれ」
ナスが今一度、搭乗口から入る。
『牽引始まりますんで、壁の座席に座ってベルト占めて』
ナスの忠告にベンジャミンは、いくぞ、と言って少女の手を引っ張る。
ソーニャはミニッツグラウスが見える窓際に陣取った。
「重力牽引開始!」
クラウドウェーブの機長ケラーマンの言葉を副機長と重力機関士が繰り返す。
ミニッツグラウスの中ではスロウスのコートが肌から離れ、機内に風が吹く。そして機体の奥で広がっていた黄色の液体が量を増し、水滴が宙に浮く。
スロウスが左手を伸ばし、水滴を摘まんで指先でこすり合わせると、皮膚が徐々に泡立ち、崩れて、皮下に隠していた赤味が滲みだす。厚手のズボンで拭い。暗い片目で状況を見渡した。
ソーニャはベルトをせず窓の外に釘付けになる。たまらず隣のベンジャミンが。
「ちゃんと座れ。離れていても何が起こるか分からないんだぞ?」
後ろ髪をひかれる思いに捕らわれるソーニャは、でもぉ、とつぶやく。
アレサンドロはロッシュにベルトを装備してもらい、ありがとう、と感謝してから、正面の少女に言う。
「ソーニャ、気持ちはわかるが今は祈るしかない」
ソーニャは憔悴しきった顔で座り直しベルトを装着。そして頭を抱える。
「はあ……もう少しきちんと命令すればよかったぁ……ッ。今から何か、いや、下手なことを言って逆に胃酸へダイブすることになったら……」
トランシーバーを握りしめて、考え込む。
ベンジャミンは告げた。
「仕方ねえさ。考える時間もなかったんだから」
ベンジャミンの慰めの後でナスが搭乗口から半身入ってきて言葉を発した。
『あの! お嬢さん! あなたのSmなんかしてっけど?』
ソーニャは目を見開き、せっかく占めたベルトを解いて窓に頬を密着させた。
「おい! もうそろそろ扉しめてくれねえか!」
ナスがもう一体外から頭を出して。
『すまんなベンジャミン。まだ出入りが必要なんだ。堪えてくれ』
とメイの声で謝罪する。
対話のためのイヤホンの位置を正したベンジャミンは不満を奥歯で挟みつつ、頷き、振り返って窓を覗く。そうすると一望する機体に目を細め、なんだ? と言葉をこぼした。
スロウスだよ、と少女の発言に対し。
「見りゃわかる。問題は何やってるかってこった」
どうしたんだ? とアレサンドロもイヤホンマイクで尋ねた。
「スロウスの野郎が外に出てきてるんだ」
スロウスは、脱出に使われた窓枠に掴まって風にまみえる。
ソーニャは顔面を窓に押し付け、呆然としつつも、隣の整備士の言葉を傾聴する。
「なるほど、中にいたら胃酸風呂だ。それなら外にいたほうがましってか。ずいぶん頭の回転が速い奴だが……」
ベンジャミンはマイクの摘まみをひねると、ナスを注目しつつ少女に耳打ちした。
「スロウスって軍用じゃないのか?」
「わからない。一度ゲノムロットナンバーを調べたけど、ヒットしなかったから。リック曰く、軍用機の場合は、一般に開示されないって言ってた」
「でも、軍から正式に放出された機体なら、普通見られる……」
言葉の途中で咳払いしてからベンジャミンは、登録は? と尋ねた。
「してるよ。ソーニャ名義で」
何話してるんだ? と衛生兵による治療を受け始めたアレサンドロが尋ねる。
マイクの音声を元に戻したベンジャミン。
「スロウスの話だ。あんだけ高性能なSmだからよ」
「ああ、確かにソーニャ……は。どこぞのお嬢様なのか?」
なんで? とソーニャは全く理解が及ばない表情で、ともするとお嬢様の雰囲気はおろか知性すら消失したような顔になる。
ベンジャミンは苦笑いだ。
「確かに、そう思うのも無理ないな。あれだけ高性能の、しかも珍しい人型骨格だしな」
ソーニャは小首をかしげた。
Now Loading……
ミニッツグラウスでは。
スロウスが操縦席の窓枠の上部を掴み、下部を踏みつけ、力を振り絞る。上下に向かう外圧によって、窓枠は鈍く響く音を鳴らして拡張される。さらにスロウスは窓枠を肩で持ち上げ、無理やり外に出るような姿勢で、さらに内径を広げた。
一頻り破壊活動に精を出して、一旦機内に引っ込んだスロウスは、これを外に出して! と主が命じるままピートを抱え、外に滞空するナスに受け渡した。
『畜生……こいつ重すぎる。すまん! あともう一機呼んでくれ』
『窓枠広げなかったらこりゃ運ぶの苦労だわ』
ナスの通信が操縦者の苦悩を吐露する。
都合三機のナスが、肥えた犯人の胴体と足を抱えて、腰を下支えし、連れていく。
その最中、ミニッツグラウスの絶叫で気を喪失していたピートが目覚める。瞬せた目が遠い地上を捕捉し、使えてない脳が、この時ばかりは的確に危険のシグナルを飛ばしたらしい。
「うわあああ! なんなんだーッ!」
恥も外聞もない大声をまき散らす犯人に対し、暴れるんじゃねえ! 死ぬぞ! とナスたちが忠告する。さらには顔を寄せて体をぎゅっと抱きしめてくれた。それがどれ程有り難いかを理解しないピートにとっては。
「ぎぎゃああああああああ!」
ホラー映画か悪夢にしか出てきてほしくない造形が目の前で現実となって、体を拘束しているとしか思えなかった。正当な理由を持つ恐怖を爆発させた犯人は、鞭打たれた豚のように泣き喚く。罪科を承知していても、人の哀れを誘う。
ナスの操縦者はため息をこぼす。
『たく、うるせぇな。気持ちはわかるが。はぁ……早く特別機種来ないかなぁ』
『ぼやくのは後だ。これがうまくいけば、もっと予算も出るし、その分、特別機の供与も早まる。だから、さっさと保安兵に引き渡して作業に戻るぞ』
助けてくれえええ! と訴える犯人に。
だから助けてんだろうが! とナスは理解しつつも怒鳴った。
降下するピートを追うように、マクシムを抱える一機のナスが飛んでいく。
そして、ガラスのない窓枠から、マスクの奥にやるせない眼差しを宿す少女が出てくる。機内に振り替えれば、男二人がカバディーの選手然とした構えで、絶対に送り出す意思を示す。
ソーニャは。
「わかったよ! 出るから。スロウス! カムヒア!」
スロウスの追従を確認したソーニャは出迎えのナスに、よろしくお願いします! と告げる。
彼らの会話は人が耳にかけた通話装置で果たされる。
少女が丁寧に言うのでナスも優しく、はいわかりました、と応対して小さな体を抱きしめた。スロウスは主が出るまでその腰を支えた。
あのSmもお願いします、とソーニャはしがみ付くナスともう一機に懇願する。
何キロ? と問われ。300位、と開示したソーニャ。
『そんなに? ちょっと無理だ!』
「幅は大丈夫だから複数体で担げば……」
『重すぎるって!』
そんなぁ、とソーニャは引き返すつもりか振り返る。しかし、すでに機体から離れていた。
ベンジャミンは、お前が行かないなら俺たちも行かないぞ! と風とマスクを度外視して大声で訴える。その目には背後から迫る危機に対する焦燥が伺えた。
ソーニャは口をへの字に曲げ、トランシーバーに告げる。
「畜生! スロウス! お前はお留守番だ! 人間に場所を譲れ!」
腰まで出ていたスロウスはその場で停止し、人間二人にベルトを引っ張られ奥へと下げられる。
ベンジャミンが窓に姿を見せ、ソーニャの鞄を引き上げる。
それは置いて行って! とナスが告げる。
薬品がいっぱい詰まってるんだ! とベンジャミンが返す。
『もぉ……わかりました。ください』
と文句を吐露するナスは鞄を受け取り重さに体を揺らす。これ重量どれくらいだよ! という不満に対し。ベンジャミンは、俺より軽いだろ、と述べ負傷者に脱出の順番を譲る。
コクピットの天井の写真を何枚か回収したアレサンドロは、内外の手を借りて、愛機を離れた。
「生き残れスロウス! 絶対に生き残れ!」
ナスに引き上げられるソーニャがトランシーバーで最後に下した命令。
真っ赤な視界が上を向けば、遠ざかっていた少女が横へと連れ去られ、やがて窓から消えてしまう。
――rObBBed? nO retReat
赤い視界の中、ちぐはぐで、くたくたな文字が、ゆらゆら揺れて泳いでく。
輸送用の航空機の中、うずくまっていたロッシュは搭乗口に人が投じられるのを察知し、顔を上げた。
おっと! たたらを踏むソーニャは何とか転倒を免れ、運んでくれたナスにお辞儀し、どうもありがとうございました、と感謝する。
手を振るナスは外に出ると代わってアレサンドロが機内に入れられる。彼は安堵し、もっと優しく降ろしてくれよ、と笑顔で文句を浴びせる、つもりだったが。
「お父さん!」
その声に振り返り飛びついてきた息子を抱きしめた。
ロッシュ! と名前を呼ばれた少年は涙を父親に押し付ける。
アレサンドロはいったん搭乗口から離れて膝を屈し、怪我はないか? と我が子の全身を見渡す。その過程で、我が子の手に分厚く巻かれた包帯に、視界が滲んでしまう。
しかしロッシュは涙を拭い平然とした顔を作って、大丈夫だよ、と答えた。
その声には子供にふさわしい元気な気持ちしかなかった。
「そうか! よかった本当に良かった!」
アレサンドロは改めて我が子を抱きしめ弾む心を分かち合う。
その間にベンジャミンもやってきて、遅れてやってきた鞄を受け取った。
ソーニャは、ベンジャミンの鞄は? と今更の疑問を口にする。
彼は険しい表情で首を横に振り、機体の奥に飲み込まれたかもしれん、と答えた。
ソーニャは表情を失う。
ロッシュは二人の顔から状況を察し、父に問う。
「ミニッツグラウスはどうなったの? 墜落したの?」
不安いっぱいで窓の向こうに機体を探す息子に対し、アレサンドロは首を横に振った。
「大丈夫だ。まだ落ちちゃいない。ただ……」
言い難い状況なのだとロッシュは父の面持ちで理解し、俯く。
ベンジャミンは親子の心情を覚った。
家と思い出と仕事を一挙に失う。それは辛い結末であり、背負うには重い喪失感だろう。
人間の本能的共感力に苛まれたベンジャミンが顔を背けると、振り返った先でソーニャが搭乗口から身を乗り出し外を伺っているではないか。
彼女の襟を引き寄せ、危ねえだろうが、と叱責するも。彼もまた窓よりも広い視界を保証する搭乗口から外を望んだ。
ソーニャの横顔を一瞥したベンジャミンは、彼女の言い表せぬ負の感情を読み取り、頭を掻く。そして逡巡を少し挟んでから、言葉をかける。
「大事なSmを置いて来たことは悲しいだろうが命はあるんだ。そう悲観するな」
ソーニャはひどく険しい人相となる。それは少女に似つかわしくない、殺人でも起こしそうな面構えであり、その顔で整備士の言葉に断言を下す。
「いや……ッ。大事じゃない! 断じて大事じゃないッ!」
「え、そ、そうなの? そうか、それならよかったな! なら、無くなっても壊れても気にしなくていいな」
「……いやッ……良くはないッ」
ベンジャミンはより顔を歪める。少女をおもんばかり、負の感情から救い出そうと苦心して、笑顔を振りまき道化ともとれる楽観的な立場をとったのに、それ等の気遣いが無駄にされた。
どっちだよ、とベンジャミンは突っ込む。
ソーニャは顔をくしゃくしゃにして。
「いろいろ複雑なのぉ!」
と声を大にして髪を揉みしばく。
扉から入ってきたナスが忠告した。
『席に座って! ロッシュくんも! じっとしてるって約束したでしょ!?』
ごめんなさい、とロッシュは席に戻る。
このまま地上に降りるの? と少女が指摘するがナスは言う。
『いや、地面が恋しいだろうが、こいつは俺たちにとっても補給の要。もう少し我慢してくれ。ほかの航空機を手配してる途中だから』
滞空するナス同士は通信で対話する。
『ナスで地上に降ろしてもいいが』
『いや危険な真似は避けるべきだ』
『でも今仲間が犯人で試したけど意外といけるぞ?』
『万が一落としたら、遺族になんて説明するんだ? ごめんなさい手が滑った、てか?』
『面白くないボケをどうも……』
『お前ら、無駄話してると無線聞き逃すぞ?』
案の定メイの通信が入る。
「各員ミニッツグラウスから距離をとれ」
ナスが今一度、搭乗口から入る。
『牽引始まりますんで、壁の座席に座ってベルト占めて』
ナスの忠告にベンジャミンは、いくぞ、と言って少女の手を引っ張る。
ソーニャはミニッツグラウスが見える窓際に陣取った。
「重力牽引開始!」
クラウドウェーブの機長ケラーマンの言葉を副機長と重力機関士が繰り返す。
ミニッツグラウスの中ではスロウスのコートが肌から離れ、機内に風が吹く。そして機体の奥で広がっていた黄色の液体が量を増し、水滴が宙に浮く。
スロウスが左手を伸ばし、水滴を摘まんで指先でこすり合わせると、皮膚が徐々に泡立ち、崩れて、皮下に隠していた赤味が滲みだす。厚手のズボンで拭い。暗い片目で状況を見渡した。
ソーニャはベルトをせず窓の外に釘付けになる。たまらず隣のベンジャミンが。
「ちゃんと座れ。離れていても何が起こるか分からないんだぞ?」
後ろ髪をひかれる思いに捕らわれるソーニャは、でもぉ、とつぶやく。
アレサンドロはロッシュにベルトを装備してもらい、ありがとう、と感謝してから、正面の少女に言う。
「ソーニャ、気持ちはわかるが今は祈るしかない」
ソーニャは憔悴しきった顔で座り直しベルトを装着。そして頭を抱える。
「はあ……もう少しきちんと命令すればよかったぁ……ッ。今から何か、いや、下手なことを言って逆に胃酸へダイブすることになったら……」
トランシーバーを握りしめて、考え込む。
ベンジャミンは告げた。
「仕方ねえさ。考える時間もなかったんだから」
ベンジャミンの慰めの後でナスが搭乗口から半身入ってきて言葉を発した。
『あの! お嬢さん! あなたのSmなんかしてっけど?』
ソーニャは目を見開き、せっかく占めたベルトを解いて窓に頬を密着させた。
「おい! もうそろそろ扉しめてくれねえか!」
ナスがもう一体外から頭を出して。
『すまんなベンジャミン。まだ出入りが必要なんだ。堪えてくれ』
とメイの声で謝罪する。
対話のためのイヤホンの位置を正したベンジャミンは不満を奥歯で挟みつつ、頷き、振り返って窓を覗く。そうすると一望する機体に目を細め、なんだ? と言葉をこぼした。
スロウスだよ、と少女の発言に対し。
「見りゃわかる。問題は何やってるかってこった」
どうしたんだ? とアレサンドロもイヤホンマイクで尋ねた。
「スロウスの野郎が外に出てきてるんだ」
スロウスは、脱出に使われた窓枠に掴まって風にまみえる。
ソーニャは顔面を窓に押し付け、呆然としつつも、隣の整備士の言葉を傾聴する。
「なるほど、中にいたら胃酸風呂だ。それなら外にいたほうがましってか。ずいぶん頭の回転が速い奴だが……」
ベンジャミンはマイクの摘まみをひねると、ナスを注目しつつ少女に耳打ちした。
「スロウスって軍用じゃないのか?」
「わからない。一度ゲノムロットナンバーを調べたけど、ヒットしなかったから。リック曰く、軍用機の場合は、一般に開示されないって言ってた」
「でも、軍から正式に放出された機体なら、普通見られる……」
言葉の途中で咳払いしてからベンジャミンは、登録は? と尋ねた。
「してるよ。ソーニャ名義で」
何話してるんだ? と衛生兵による治療を受け始めたアレサンドロが尋ねる。
マイクの音声を元に戻したベンジャミン。
「スロウスの話だ。あんだけ高性能なSmだからよ」
「ああ、確かにソーニャ……は。どこぞのお嬢様なのか?」
なんで? とソーニャは全く理解が及ばない表情で、ともするとお嬢様の雰囲気はおろか知性すら消失したような顔になる。
ベンジャミンは苦笑いだ。
「確かに、そう思うのも無理ないな。あれだけ高性能の、しかも珍しい人型骨格だしな」
ソーニャは小首をかしげた。
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