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瓦解①
しおりを挟むここんとこずっと情緒が安定しない。
置いていかれたような焦燥感、どうすることも出来ないもどかしさ、ヘラヘラ笑うだけで踏み込むこともしない自分への怒り。
こんな感情を抱える事になった原因......。
そんなもんわかっている。
猫屋だ。
アイツが自室に戻らず風紀の部屋で過ごしているから。
今までは盗聴器で猫屋の行動を知ることが出来たが....今はそれが出来ない。
それだけでなく、なぜ藍田の部屋で生活しているんだ?って聞くことも出来ない。
.....猫屋の答えを聞くのが怖いんだ。
嗚呼、分からないことがこんなにイライラするとは思わなかった。真実を聞くのがこんなにも怖いとは知らなかった。
猫屋に会う前の俺は、まず他人について深く知りたいと思ったことがなかったからなぁ.....。
感情に波を立てることもなかった。
だからこういう時どうすればいいのかわらないんだ。
行動できず、感情だけが先を行く。
猫屋が強姦されたっていうのを聞いた時もそうだ。
あの時は目の前が真っ赤に染まったっけか?
相手は済賀。
汚されたと思った。
盗られたと思った。
先を越されたと思った。
羨ましいと思った。
怒り、焦燥、嫉妬、羨望、同情、渇求....
様々な感情が湧き上がっては混じり合う。
あの時は本当にどうにかなりそうだった。
しかもその後、八尋とも......
何度頭を掻きむしりたくなる衝動に駆られたか分からない。
八尋、済賀、藍田.....
本命は居るのだろうか?この中に。
聞くのが怖ぇなぁ......。
まぁ、そんな臆病な俺を嘲笑うかのようにソレは実行されることになったんだがな。
それは体育祭実行委員及び生徒会、風紀による企みだった。
保険医の深谷が言うには『今のうちにハッキリさせとくのが設楽君のためだからだよ。...........お前を含んだ4人の中で誰が選ばれるのか気になるじゃねぇか』だってよ。
どっちが本音か知らないがここの生徒は深谷のように皆気になっているらしい。
そして体育祭の借り人徒競走.....。
お題は好きな人(恋愛的に)。
猫屋はそれを引くのが決まっていた。
どこかで期待してたんだ。猫屋は俺を選ぶんじゃないかって.......そんなわけねぇのに。
周りの期待を背負った(背負わされた)猫屋が選んだのはよりによって三津谷。
納得できねぇよ。
まだ藍田や八尋なら納得でき.....できねぇな。
はぁ.....俺はきっと猫屋が誰を選んでも納得できねぇんだろう、このイラつきが治まることもないんだろう。
.....やっぱり俺は猫屋のことがーーー
気づきたくなかった気持ち。
認めたくなかった。納得できなかった。
それは俺が俺で在りたかったからか?
それとも.....
ーーーーーーーーーーー
目の前には青い扉。
旧体育倉庫の目の前に俺は今いる。
すぐにでも中に入って猫屋と話したかった。だが扉を開けるのに一瞬躊躇う。
嫌な予感がした。取り返しのつかないことになるような、そんな予感が。
「行くしかねぇ」
そうだ。もう色々と根回しをしちまった。今更引き返すことも出来ねぇ。
そして俺は扉を開ける。
足を踏み入れると右隅の方......窓の下で蹲る猫屋が視界に入った。
手で耳を覆い何かブツブツと言っているようだ。
「幻覚....幻聴.....うぅ」
あぁやっぱり猫屋は密室で暗い空間がダメなんだ。俺が入ってきたことに気づいていない様子に確信を得る。
窓から光が届く場所に居ればいいものを、何故か猫屋は窓の真下にいる。光の届かない暗い場所だ。
遊園地でお化け屋敷に行った時に暗所恐怖症では無い事は確認済みだから、やはりこのシチュエーションがトラウマなのだろう。
「どうしたんだ猫屋?一応確認で見回っていたんだが、片付けはまだ終わらないのか?お、い....っ」
顔を上げた猫屋の表情に驚いた。
泣いたのか、目が腫れており充血している。そしてどこか虚ろだ。俺を見ているようで見ていない。
「!?せ、せんせい.....扉っ、扉は?」
やっと俺を認識したと思ったら、猫屋は弾けるように扉へと走り出した。
そのまま扉に手をかけ開けようと押したり引いたりするが、ガチャガチャと音が鳴るだけで扉は開かない。
「う、そ.....」
掠れた声が聞こえた。
足掻く猫屋をぼんやりと見つめる。なんだか初めて見る、こんなに必死で壊れかけてる猫屋は。
猫屋の新しい一面を見れて思考が歓喜に染まる。
多分、俺しか見た事ない猫屋だ。
でも、違う。俺はこんな猫屋を見るためにこんなことをしているんじゃない。
「くそっ!先生っ」
「ん?」
「ん?じゃない!!俺達閉じ込められたのっ、この倉庫の扉ぶっ壊れてんの!!あ~っっ、なんで先生扉閉めたのさ!?!?」
「閉じ込められた!?そんなことおっちゃんが知る訳ないだろ!?」
嘘だ。本当は知っていた。
俺の親衛隊が割り振られていたからな。
「うぅ....でられない.....ここやだ」
「猫屋....」
蹲った猫屋の背をさする。
小さなその背が少し震えていた。
湧き上がる庇護欲。
頼ってくれ、弱音を吐いてくれ、本音を話してくれ......。
俺は猫屋の特別になりたい。
多分、猫屋の特別になった瞬間....俺はこの気持ちを受け入れることが出来る。
「何に怯えてるんだ?おっちゃんで良ければ力になるぞ」
「っ、お、もいだしたくない.....」
「....そうか。まぁ気長に待とう。猫屋が帰ってこないことに愛斗が心配して風紀を呼ぶかもしれないしな」
「......」
愛斗は風紀に連絡しないし、風紀も助けに来ない。俺が藍田に根回ししたからな....。愛斗の相手は藍田がしているだろう。ここには誰も来ない。
猫屋.....俺は待つ。お前が話すまで。
時間はたっぷりあるんだ。
震える猫屋を持ち上げ姫抱きする。そして俺の心臓辺りに猫屋の頭が来るよう姿勢を変え座り込む。
こうすれば心音を聞いて落ち着くことができると深谷に教わったが.....今の俺の心音バックバクかもしんねぇな。
その時だった。
「せんせい」
猫屋が口を開いた。それだけじゃなく俺にしがみつく様に服をくしゃりと掴んでいる。
「前にさ.....恋バナしたことあったよね、俺達」
「.....あぁそうだな」
愛おしそうに語る猫屋を今も覚えている。
その時感じた不安も、動揺も。
「実はあの後俺吐いたんだ」
「.....そうだったのか。おっちゃんにはいつも通りに見えたけどな」
「それは良かった。あれ俺の母さんの真似。真似したら気持ち悪くなっちゃってさ......」
言葉尻がだんだんと小さくなり、またグスグスと泣き始める猫屋。その姿が今にも消えそうでなんだか目が離せなかった。
「....猫屋にとってその母さんは大切なのか?」
猫屋のトラウマ。弱点。
「.....わかんない。ただ....忘れたい人かな。だって今もずっと頭の中で話すんだ。幸せとか、寂しいとか、嘘だとか、しんじてるとか...にくい...とか.....」
黒い瞳と視線が合う。
見て分かる。目の前の猫屋は正気ではないと。澄んで綺麗な黒い瞳はいまや見る影もない。濁り、泥のように澱んでいる。そう思えるほど目が死んでいた。
近づく顔
逸る鼓動
交わる視線
唇に触れる柔らかい....
「っ、い''!?」
!?!?
思わず仰け反り、後ろの壁に頭をぶつける。
鈍い痛みが襲うが、それよりも猫屋の行動が衝撃的すぎて....それどころではなかった。
なんだ??
俺は何された?
「ね、こや....んぐっ」
「はっ、ふぅ.....ぁ」
う、は?や...ばい
クソ可愛い....
なんだよそれ、猫か????
歯を食いしばり湧き上がってくる衝動を耐える。
俺は耐えてんのに....なのにコイツは水を舐める猫のようにっ、ぐぅ....可愛い
俺の唇ふやけてねぇか?
くっ、いいのか?いいのか?
このまま食っていいのか?
....俺は猫屋に対して紳士的に接してきたはず。
それをここで崩すのは...........あ?
そして自分が迷っていることに呆然とした。
迷う?俺は何を迷ってんだ?
ここに居るのはこんなことをするためじゃねぇだろ!
俺は猫屋の抱えてるものを知りたいんだ。コイツの内側に入りたいんだ。
未だに俺の唇を舐る猫屋の肩を掴み自分から遠ざける。
数秒目を閉じ、心を落ち着かせた俺は猫屋に視線を向けた。
「っ~.....猫屋聞け!俺はっ、おれは....!」
「.....」
「ね、こ....や」
思わず言葉を失う。
猫屋は自分を抱きしめるように手を回しカタカタと震えていた。
肩を掴んでいる手からその振動が伝わる。咄嗟に猫屋の顎を掴みこちらを向かせると、その顔は.....焦点の合ってない瞳、頬は紅潮しているが顔色が青白く唇も水に長時間浸かったように紫色になっていた。
身体もどこか冷たく感じる。
「わ、るい.....ごめん猫屋」
咄嗟に抱きしめて、謝罪した。
じわじわと罪悪感が俺を蝕む。
自分のことで手一杯で猫屋のことを全く考えていなかった。そして気づく。
猫屋の積極的な行動はこの状況からの逃避なのだと、トラウマから自分を守る咄嗟の防衛行動なのだと....今更。
「ぐぅっ」
呻く。
ズキズキと胸が痛んだ。
痛い、痛い、苦しい。なんだか無性に自分を殴りたくなった。
この状況にしたのは?
.....俺だ。
今、猫屋を苦しめてるのは?
俺だ。
「は、は....何が特別になりたいだ」
自分の口から乾いた笑いが漏れでた。
猫屋を謀り傷つけて、その後ヒーローのように現れる。そして手をさし伸ばして猫屋の特別に。
.....クソみたいな大人だな俺は。
精神的に弱らせてそこに付けこもうとした。
まともじゃねぇ。普通じゃねぇ考えだ。
こんなに傷ついた猫屋を見て過ちに、自分の気持ちに気づくなんて.....笑うしかねぇよ。
俺は他人に.....
心動かされたことがない。
もっと知りたいと興味を持ったことがない。
もっと一緒に居たいと思ったことがない。
好意を感じたことがない。
それが俺だった。
咲洲 将弥という男だ。
それなのに今は
もっと知りたい思う。
一緒にいたいと、俺に興味を持って欲しいと。
色んな表情を見る度に一喜一憂してしまう。
あぁ....こんなにも俺は変わっていたのか。
いや、猫屋に変えられたのか。
......部屋に盗聴器とか仕掛けてる時点で気づくべきだった。普段の俺なら絶対にしねぇのに。
なにが『猫屋の特別になれたら受け入れる』だ。
自分はとっくにこの気持ちを受け入れていたくせに。
猫屋から同じ思いを返されなくて、俺だけの一人相撲を認めたくなくて......現実から目を背けてた。
馬鹿だな俺は。
猫屋に好意を伝えてないのに同じ思いが返ってくるわけないだろうが。
それすら気づかず.....子供みたいに突っ走って猫屋を傷つけた。その結果がコレだ。
「俺はーーー」
俺は震える猫屋を抱き寄せ、体温の下がった冷たい身体に手を回す。体温を分けるようにギュッと抱きしめる。
ああ認めるよ。受け入れるよ。自覚したよ。
だからーー
「なぁ猫屋、恋バナの続きしようぜ?」
どうか俺の初恋を受け取ってくれ。
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(ムーンライトノベルにも掲載しています)
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