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喫茶アルカイド

1・甘美な無法3

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 バイトを始めて一ヶ月。喫茶店の方は暇だと思うほど人がいないし、もう一つの仕事は特にないまま時間が過ぎていく。これくらいが平和でいいのかもしれんな、と星音が思い始めた頃、その事件は起こった。
 客がいないのをいいことに星音がこっそり学校の宿題を片付けていると、由真の携帯が鳴った。由真は画面を見て真剣な顔になると、通話ボタンを押してスピーカーホンにして話し始める。相手はこの喫茶店の店主であり、寧々の姉でもある蓮行晴だ。
《エリアA-4で暴走している能力者がいると連絡が入った。先に寧々を向かわせたけど、由真たちも今から向かえる?》
「大丈夫。お客さんいないし。星音も連れてくけどいいよね?」
《星音が回復系だからってくれぐれも無理はしないように》
「いっつも無理なんてしてないけど」
 由真はそれだけ言うと電話を切ってしまった。もうちょっと聞くことあるような気がする――と星音は思った。相手の能力とか、そういう情報は一切聞かず、わかってるのは場所だけだ。
「本当にやばいときは、もうちょっとやばそうに電話してくるから大丈夫だよ」
「やばそうに電話してくるってどんな状態や……」
「そのときは私じゃなくて寧々に連絡してくるね」
 それは由真がろくに話を聞かないからだろうな、と星音は思った。この一ヶ月でそれぞれの人となりはわかってきた。由真は真面目そうに見えてたまに行き当たりばったりで突拍子もない行動に出る。しっかりしているように見えて意外に子供っぽい。
「寧々が先に向かってるらしい。寧々がいるなら能力はわかるから……まあ何とかなるかな」
「いなかったらどうするんですか……」
「そのときにならないとわかんないね」
「行き当たりばったりか! それで怪我したらどうするんや……軽い怪我なら、私の能力ですぐ治せるけど」
「星音の能力って使った後なんか自分に影響はないの? 凄く疲れたりとか」
 軽い怪我なら少しお腹が空く程度だ。しかし大きな怪我を治そうとすると、酷いときは三日くらい動けなくなったことがある。それ以来相手の怪我の程度を見極めて、自分が倒れない程度にだけ治すようになった。そんな話を簡単に説明する。
「……だとしたら、あまり積極的に使わない方がいいかもね。人の怪我を治しすぎて星音が倒れるのは良くない」
「じゃあ由真さん、怪我せんといてくださいね」
 喫茶アルカイドの中で唯一戦闘向きの能力を持つのが由真だ。その分戦闘を必要とする仕事のときは毎回駆り出されてしまうので、生傷が絶えないのだと寧々から聞いていた。けれど完全に治りきってはいないというこれまでの傷を治すことは由真自身にきっぱりと拒否された。おそらく星音の能力の代償を気にしてのことなのだろう。――柊由真とは、そういう人だ。

 移動がほぼ徒歩というあたりに地味さを感じながらも、星音たちは問題のエリアA-4にたどり着いた。エリアの中もそれなりに広いので、その暴走している能力者を探さなければならないのだが――おかしい場所はすぐに見つかった。
「空の色が……変わってる?」
「まあ、あんな色の空は見たことないね」
 一部分だけ真っ黒に染まった空。けれど黒の中にときどき赤や緑の色が混じる。一体どんな能力を使えばこんなことができるのか。星音は首を傾げた。
「色変わってるだけならそのままでもいい気もするけど……そうもいかないね」
 その場所に向かって走っていくと、先に寧々が立っていた。寧々は厳しい顔をして色の変わった空間を見ている。空だけではなく、目の前に壁ができているかのように、見えないはずの空気が黒く染まっていた。
「寧々さん!」
「初仕事だね、星音。まあ……必要にならないことを祈るけど」
 黒く染まった空間の中に、時折違う色が見える。一歩先すら見えないはずなのに、その中心には誰かがいるような気がした。星音は目を細めてその向こうを見ようとする。そんな星音を尻目に、由真と寧々が小声で話をしていた。
「……由真」
「聞かないよ。いつも通り」
「うん、わかってる。とりあえず入ったら即死ぬってわけではないから、そこは安心して」
 由真は頷いて、右手を腰の横で広げた。銀色に輝く剣がその掌の上に現れる。それは或果の能力で作られた剣で、由真が闘うためには欠かせない武器だ。その束を握りしめてから、由真は色の変わった空間の中に足を踏み入れる。そこにいる人の能力すらも聞くことはなく、迷いなく歩いていく背中は、すぐに黒い空気に隠されていった。
「寧々さん……大丈夫なんですか」
「由真は聞くと逆に動けなくなる。だから相手の能力がわかっても、由真には言わない。言うときはよっぽど危険なときくらい」
「じゃあ、今回はそこまで……」
「そうだね。基本的には色を変えるだけの力だから、力を食らっても怪我とかはしないよ。……それよりも、今回は」
 寧々がまっすぐ前を見つめる。その空間に由真が入り込んだ影響だろうか、全く見えなかったその中の様子がぼんやりとは見えるようになってきた。
「あの子……」
 黒い空間の中心、つまり能力を暴走させてしまった人――その少女には見覚えがあった。二週間前に喫茶店にやってきて、星音に足を引っ掛けた客の彼女。
「能力の暴走は、強い悲しみや怒りの感情で誘発される。――最悪の展開と言わざるを得ない」
「けど、私らには」
「そう。ただの喫茶店の客と店員である以上、私たちには何もできなかった。でも、そう思わない人もいる」
 寧々はそう言いながら、由真の華奢な背中を見つめていた。気遣うように、祈るように。その視線だけで、「そう思わない」のが誰なのか星音には理解できた。
「……本当はあんまりやらせたくないんだけど……由真にしかできないから」
 由真がしゃがみ込んでいる少女の横に片膝を突く。能力を暴走させているときは理性を失っている場合が多いから近付かないこと。そう教えられてきた。それがこの世界の常識やと言われてきた。しかし由真はその常識を完全に無視して、持っていた剣さえ消して、少女に手を伸ばす。
 その瞬間に少女が目を見開いて、由真の腕を強く掴んだ。掴まれたところから、由真の皮膚が黒く染まっていく。思わず駆け寄ろうとした星音を寧々が優しく制した。
「寧々さん……っ」
「もう少し待ってあげて」
 心配になりながらも、寧々の言う通りに立ち止まる。由真は掴まれている腕には構わず、虚な目をしている少女を抱きしめた。そしてそのままの姿勢で少女の背中に手を添えると、触れているところが淡く白い光を放ち始めた。由真の口が動いて、少女に何かを言っている。けれどその声は星音のいるところまでは届かなかった。やがて白い光の中から赤い宝石のようなものが現れる。それは能力者ブルームにはあって無能力者ノーマにはないもの。シードと呼ばれるそれは、本来はどうやっても体内から取り出せないもののはずなのだ。由真がそれをあっさり取り出してしまったことに星音は驚いて目を見開いた。
 暴走した能力者の種からは、黒い霧のようなものが噴き出していた。由真は一瞬悲しそうな目をしてから、それを強く握りしめた。
 黒い空気が一瞬で、透明な、元の姿を取り戻していく。何が起こったのかわからないほど刹那の出来事。星音が呆然としていると、寧々が由真に向かって走り出す。星音も慌ててその後を追った。
「大丈夫?」
「うん、気を失ってるだけだと思う」
「その子もそうだけど、由真は何ともないの?」
「うん。……そんなに抵抗もされなかったし」
 星音は二人のやりとりを黙って見ていることしかできなかった。さっき由真は何をしたのだろうか。種を強く握って、その瞬間に何が起きたのか。事件は解決しても、何がどうしてこうなったのか星音にはわからなかった。
「種がなくなれば能力も消える。由真はそれを取り出して壊すことができる。暴走してしまった場合は普通に戻すのは難しいから、種を壊してしまうことが多いの」
 寧々が星音のために説明を始める。
「じゃあ、由真さんの力って」
「種に関する何らかの力ってこと以外はわからない。それと普段戦闘で使ってるエネルギー波みたいなものがどこから来てるものなのかもわからないのよ」
「ほぼ何もわかってないんですね……」
「あんなに何もわからないのは由真くらい。だから、この力を使わせるのが正しいのかも私にはわからない」
 種を壊されたということは、彼女はもう能力者ではない。本人の気持ちは本人に確認するしかないけれど、人の能力を消すことができる由真の力を求める人は多いのかもしれないと星音は思った。能力者は差別される世の中だ。もし普通の人間になれるならそうしたいという人は多いだろう。
「とりあえず、あの子は店で休ませようか。あと、星音に聞きたいんだけど」
「何ですか?」
「痣とかそういう傷も治せる?」
「……昔の傷とかだと、ちょっと大変かもしれへんけど」
 由真の腕の中で気を失っている少女の服の隙間から、色の変わった皮膚が見えた。星音は自分の勘が当たっていたことを確信する。そしてそこから暴走の理由も自ずと推測できる。由真が唇をかみしめてから、低い声で言った。
「とりあえず、この子に聞いてみないとだけど……店に戻ろうか」
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